差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月16日 久々の雨の週末 日時 : 1999年6月1日 17:01  久々の雨の週末だ。何かここのところずーっと晴れていたような感じだったので、 雨もまた新鮮。 昨日は結局となりのベッドに新しい人が入ってきて、ムフフ(・・・)は未遂に終 わったが、その人とも頑張って話しかけてみて、割とフランクな関係を築いたので、 久々に11時までTVを見た。「アド街ック天国」は大学時代から好きで、昨日のテー マは池袋だった。全体的にほのぼのと良いのがこの番組最大の魅力だ。  それから「ブロードキャスター」か[アダムスファミリー」かで迷ったが、ヤクル ト、ガンバ大阪、と応援する二つのプロチームが負けたのはもう夕方のニュースで 知っていて、それを改めて見せつけられるのもなーと思って、「アダムス-」にし た。初。小学校時代、「グーニーズ」「インディージョーンズ」が強烈に怖くて、 (全部は見れなかった)その後はホラー類を必ず避けて通っている僕だったが、そん なに怖くなくて良かった。それは良かったのだが、コメディとしては、僕はコテコ テ、ギトギトが好きなので、少々物足りない気もした。若干スマート。  そんなこんなで、雨音を子守歌に眠ったら、夢をいっぱい見た。昨日は寝言も大連 発だったに違いない。マッチ(芸能人兼レーサー)がでてきた。小朝がでてきた。何 かどこかの島の車専用オフロードコースの、僕は案内人で、突然マッチが来て、コー スに走り去り、小朝が来て走り去った。マッチと写真を撮ったのと、小朝が乗ったの がプリウスでなかったことは確実に覚えている。  そこで夢は次へ、僕はコーラスの発表会でソロパートを歌っていた。自分の声じゃ ないような美声を奏でていた。このとき、もしかしたら本当に歌っていたかもしれ ぬ。  そしたら、今度はホテルのロビーに変わり、僕は大学時代の友人ヨネヤマ(仮名) に「タバコ一本くれ」と頼むのだが、奴も持っていなくてなぜか二人でミルフィーユ を食べる、という夢で締めくくられた。 ま、小朝登場に関しては、昨日の朝読んだクルマ関係の冊子に彼のコラムが載ってい たので、間違いなくそれが伏線だと思うが・・・。   <乱入テーマ、みそ汁の詩>  今日もメダカについて書こうと思っていたのだが、思いがけない嬉しいことがあっ たので、今日は急きょそのこと(といってもみそ汁の話なのだが・・・)についてど うしても書きたくなったので、書く。  昨日は僕の結構根本に近い所にある陰口精神全開で、少々エスカレート気味に突っ 走ったので、予想通り血圧がいつもよりも上がっていた。いかんいかん。僕病人。  それにしても今日の朝食。もう食べ慣れてしまった御飯用のお椀に加え、少し小さ いお椀があり、開けてみたらナメコのみそ汁だった。  瞬間ノックアウト。涙腺KOの気分だった。あまりにも嬉しかった。昨日の夜から緩 和された塩分制限(一日5グラム→一日7グラム)の恩恵を心から思い知り、真剣に 感激した。 一ヶ月半ぶり、それも退院までは決して口にはできないと思っていたみそ汁であった のだ。余りのことに、僕は同室の、しかも今朝まで食事を禁じられているオジさんに もその喜びを思わず伝えてしまい、後で少し反省した。  しかし、このみそ汁は美味しかった。しかも十分に温かかった。もし仮にぬるかっ たとしても、万一冷めたものであったとしても、多分僕は感激したことだろう。でも 同室の人に感動を伝えたり、思わず彼女に電話してしまう程ではなかったと思う。  本当に思いがけぬ突然のこの来訪者(来訪汁?)に僕は心から一本取られたのだ。 それは肉が当選したときのなすびの気持ちと間違いなく通じるものがあったと言えば 少しは分かってもらえるだろうか。神様ありがとう、皆様ありがとう、の心境であ る。  予期せぬ物程心は大きく動かされる。これだけ僕に喜んでもらえたら、主治医の先 生も、調理のおばちゃんも本望だろうな、と思った。現に味噌汁は申し分なく美味し かったのてあるが、ツルツルのナメコの輝きや、小さく四角く切られた豆腐の表皮 や、漂うみその粒子までがあんなに美味しそうに見えた味噌汁は、これまでの23年 間ではなかった。 本当に嬉しいこと限りなしといった朝食。今日ばかりは熱いうちに頂いてしまわなけ れば皆様にも、大げさに言えば全ての物の申し訳ないくらいの気がして、松坂フィー バーのマスコミの如く、味噌汁を超々主役扱いで、有り難く頂いた。  「みそ汁様」に失礼のないように、それでも夢中で食べて、ほっと一息ついて、他 のおかずを食べながら、そういえばみそ汁をこれほど主役に祀り立てて頂いたことは なかったなあと、しみじみ思った。  僕はみそ汁は好きだ。和食には決して欠かせないと思っている。お吸い物も嫌い じゃないが、永谷園のCMのようにガッとかき込めるみそ汁の方が良い。しかし、僕は いつも冷めるかぬるくなったみそ汁を飲んでいるのだ。必然と、結果的に。断ってお くが猫舌ではないし、何度も書いているようにみそ汁には自分なりの思い入れもあ る。  しかし、みそ汁はあくまでも脇役である。僕が23年間作り上げてきた和食の食べ 方は、おかずで白米を食べ、最後に味噌汁でまとめる(仕上げる)というスタイルで ある。おかずと白米は同じペースで減り、同時になくなるのが望ましい。おかずで腹 一杯にするというのはどうも苦手。白米を食べないと力が出ない気がする。別にごは ん推進委員会じゃないけれど。だからおかずには必ず白米が欲しい。晩酌にも白米が ないと、どうもダメ。  そういう位置づけもあって、いつも「仕上げ役」味噌汁は結果的に後になる。そう すると、やはり必然的にぬるくなっているか、ともすれば冷めている。母親にはよく 「折角なら温かいうちに飲めばいいのに・・・」と言われる。作る側にすりゃ当然の 主張なのだが、これはちょっとオーバーに言うならば、自分のポリシー、スタイルに 関わる問題なので、聞き流している。  しかし、思いがけずに放り込まれたこの諏訪赤十字病院で、しかも一ヶ月半もたっ て思いがけずに味わった、温かい味噌汁の感激。もし腎臓病にならなかったら、こん な新鮮な感激はなかっただろうし、その意味ではこの一ヶ月半にわたる塩分制限の 日々にも感謝すべきなのかもしれない。そして病気にならなかったら、一生味噌汁は 僕にとって常に脇役で、食事のエピローグのままで終わっていたかもしれない。  当たり前だが人生はいつ何があるか分からない。でもそんなアクシデントのせいで 思いも寄らぬ経験があったり、特殊な境遇であることから思わぬ教訓を得たりする。  でも僕は余裕があるから、そんなこともいえるのだ、とも思う。難治の腎臓病とは いえ、死ぬわけではないし、家族や、友人や、彼女や、幾多の人のお陰で、治すこと に専念していられる。  TVにはコソボの難民が、カレー事件の被害者が、大事な人を失った人が日々写って いる。 僕は恵まれている。何も失っていないし、命の危機もない。いつも心配してくれて気 にかけていてくれている存在もある。僕はマイペースでのほほんと治している。  幸せだなあ。日本人で良かったなあ。とのんびり思った日曜日であった。 ***************************             S311号室より         たかぎ しげひら ***************************