差出人: Takagi Shigehira 件名 : 5月14日 「まる子だった」も読破。 日時 : 1999年5月31日 17:54 「まる子だった」も読破。つまりさくらももこエッセイ集7冊全て完了した。(厳密 に言うのならば、あと数冊あるけれど、今回貸してもらった分は読破。ヒラマツヨシ コ(仮名)に大感謝。スガスガシイ朝にさくらももこは爽やかで、非常にいい気分で あった。)  ノストラダムスの話が出てきた。昔から1999年は遠く遠く思っていたのだけれ ど、ついに今年。それもあと2ヶ月で恐怖の大王だ。今年の正月、遅い年賀状をあく せく書いていたとき、ああ1999年なんだなーと、ぼやっと思った。何となくあま り気分の良くない年号だ。「1999地球ハ滅ビル」という小学校時代から繰り返さ れてきたフレーズのせいであろう。ネガティブ時代(?)には「俺が救世主になっ て、ヒトヤマ当ててやるか」みたいな根拠も意味も全くない野望に、何となく燃えて いた時期もあるにはあったが、具体的に何をしていたわけではないし、ただ、皆に見 返してもらう機会を欲していただけだった。  今はこれに関しては、別になるようにしかならないからいいか、という感じだ。オ ウムも動いてるし、ハヤシマスミの裁判も始まった。聖飢魔Uも解散するらしいし、 俺の青春のほぼ代名詞であり、支えであった爆風スランプはすでに無期限の活動休止 に入ってしまった。爆風に関しては去年出たアルバムが次につながりそうなアルバム であっただけに惜しまれる。でも昔のようにサンプラザとパッパラーとデーモンと他 諸々でスーパースランプという伝説のバンドを再開するのだとしたら聞いてみたい。 ・・・あ、また話それてる。  ただ、一つだけいえるのは、今の現状でいけば、僕は日赤病院の南311号室で恐 怖の大王を迎えることになるということだ。それは少々物足りないし、何となく悔し いような思いがする。   <タバコとメダカとレディーボーデンA>  さて、タバコ史第二章。大学以降に舞台は移る。全開つらつらと綴ったように高校 時代、大分距離は近づいてきたが、それでも本格的に吸う事のないまま高校時代は終 わりを告げた。一番気を許していた部活の友人たちがほとんど吸わなかったのも大き な要素であっただろう。僕はポリシーも掲げるが、周囲の環境にも流されやすい。運 転免許を取ったときの適性検査によれば、適応には時間がかかるらしいが・・・。  さて、大学。僕はなんとラッキーにも生きたかった大学の生きたかった学科に推薦 で受かった。だから受験勉強なんてろくすっぽしなかったし、他の大学は一つも受け ていない。高三の秋のうちにもう進路が決まり、のほほんと「卒業待ち」をしていた 僕に周囲は非難GOGOだった。(センター試験の日にスキーに行っていて、帰りの電車 で試験帰り組と鉢合わせたりしたのもまずかった。)まあ僕自身、未だにどうして合 格できたのか、分からないのだが・・・  まあ、とりあえず人生初の一人暮らしは「変わらなきゃ」という日産のコピーのよ うなフレーズを自分に課しながらスタートした。当時一番気をつけていたのは「視線 をあげる」ことだった。できるだけ前を向いて(下を向かず)、人の顔を、目を見 る。今思えばこれは以外と有効な「おまじない」であった。小さなポリシー岩をもう がつ。信念はじっくり長く持ち続けてこそ意味がある。信念が自らの中で不自然でな く組み込まれたとしたら、それは紛れもなく人格である。誇るべき。  〜一年生になったーら(繰返)友達百人できるかな〜という歌があるが、とにかく 僕はこの新しい環境の中でとにかく友達をいっぱい作ってみたかった。ま、本当は高 校に入るときにも同じ事を思ったのだが、中学を引きずった環境に、結局男の中で ムッツリスケベでなくなれた位の進歩で終わってしまった。  まあ大学では本当に(環境も)本当にガラッと変わり、おかげさまで友達は多くで きた。それでも最初は少し構えてもいた。何たってこいつらは(見た目は普通だが) センター試験である程度の高得点をマークした猛者どもなのだ。(ちなみに推薦組は 非常に個性派揃いで、正直僕はホッとしていた。)、秀才なのだ。今はフランクにし ているが、もしケンカして口論にでもなったら、論破されそう!!とか怖れていた。 (実際、口論になったらかなわなかったと思うが、そんな機会もほとんどないまま卒 業まで至ったのだった。)  しかし、大きな衝撃が走る。(←これは少々オーバー)、その秀才たちがタバコを 嗜みやがる、しかも多数。 それまで僕の周囲のタバコ吸いといえば、同世代では少々不良”寄り”の奴らだけで あった。別に彼らを全く見下したり、比べたりするわけではないけれど、”優等生” の喫煙は、僕の中の何かを崩した。  でもそれは直接のきっかけではない。大学一年の頃、初めのうちは月一度のペース で帰省していた。それもまだマイカーを持っていなかったこともあって、私鉄(富士 急線)とJR(中央線)との乗り継ぎだったが、とにかくアクセスが悪く、しばしば駅の ホームで待たされた。この手持ちぶさたの時間。白い煙を吐き出す同世代を「プレイ ボーイ」を読みながら横目で見つつ、「サマになってるなー」と思った。僕の嫌煙指 数はここまで落ち込んでいたのだった。(そして、あまり時を置かず、僕もタバコを 吸い始めることになる。)  それでも自分のお金で始めてタバコを購入したのは、大学一年の夏休みに諏訪で友 達と飲んだときだった。 それまで人からもらって吸ってしのぐ程度だった僕だったが、「タカギがタバコ吸う ようになった」事実を面白がった友人に見守られ、それでもありがちなスタートは何 となく嫌で、ピースミディアムを自販で買い、吸った。そのご、メリットになり、 フィリップモリスになり、一時はメンソールにも手を出し(、諸事情が気になってや め)、また一時はF1の影響でロスマンズロイヤルズという高速道路のサービスエリ アでしか買えないようなマニアックなものを吸ったりもしたが、今はずっとキャビン である。(マイルドからウルトラマイルドになったが・・)  ぶっちゃけた話、タバコの味ははっきりいって分からない。セブンスターはキツ い。フロンティアはチョコの味。程度なら何となく分かる。でもやっぱり落ち着くこ と、カッコつけ、そして小さな親への反抗。それが僕がタバコを吸う理由のようその 一つ一つであろう。  親は完全な嫌煙家である。客人がスモーカーだと灰皿は出すが、両親とも吸う気配 はみじんもない。僕は最近は吸っていることを隠さないので、きっと少々悲しんでい ると思う。(大学後半までは隠していた。)でも僕は絶対家では吸う事はないし、友 達にも家の中では吸わせない。何となく、一緒に嫌煙を叫んでいた昔に後ろめたいの かもしれないし、できることならばタバコを吸っているという事実はずっと隠してお こうと思った。少々複雑な反抗だ。  それでも一度だけ親の前で吸ってみたことがある。いとこの結婚式であったが、さ すがにこの時ばかりは割と吸いなれていたはずのタバコもうまく吸えなかった気がし た。親にはっきり喫煙シーンを見せようと思ったのは、後にも先にもこの時ばかりで ある。  それでもタバコとその白煙は、時として男をカッコ良く見せてしまう。大学時代の 写真の中に、当時流行っていたモノクロのフィルムで、タバコをくわえて地図を眺め ている写真があって(中部地方一周旅行中)、今でも時々その写真を眺めては、自分 をちょっとカッコイイ、なんて思ってしまうのだ。タバコって不思議。 ***************************             S311号室より         たかぎ しげひら ***************************