差出人: Takagi 送信日時: 2002年2月2日土曜日 18:35 件名: 鰊法(2002年の初口上) みなさま。 大変遅ればせながらですが、 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 と、まあ2ヶ月あいたせいもありますが、今日はいつもに増してダラダラと書き綴ることになると思います。当たり前ですが、いろんなことがありまして、多分読んだら最終的にダークな気分に乾杯的な気分にさせてしまうかと思いますが、ここで書かないとこのまままかりなりにも貫いてきた書き手、送り手としての自分から頭皮、いや逃避してしまいそうな感じもするほど現在頭の中は乱れています(厳密に言えば、頭の外も寝癖そのままのためにすごいことになっていますが)ので、書きながら頭の中を整理していきたいという正直な所もありますし、ちゃんと一度吐き出したいというロバの耳的な要素もあります。ですので読まないでそのまま削除して貰った方がともすればいいのかもしれません、ということは断っておきます。とはいいながら、読んだら「そんな前置きするほどたいしたことじゃねーじゃーん」ってことになるかも、とも言っておきます。その可能性はおいらの前髪と同じくらい薄いけど。 では、日記に入ります。 といいながら、前回の日記っていつだったっけ、と削除済みアイテムのフォルダをたどってみたら11月22日だと判明。少し反響のあったUFOの話の時だった。あれから2ヶ月ちょっと、何をしてたんだろうと思い起こしてみる。でも12月ってあまり印象がない。結構仕事に追われていたような気もするし、なによりパソコンに触る時間が減ってしまい(帰る時間が平均的に遅くなっていった&休日もナンダカンダ忙しい→日記を書くある程度の時間が確保できない→パソコンはほぼメールチェックのみ→届いてるのは健全なメルマガと不健全なDMがほとんど→返事の必要もないので読むだけあるいは削除してパソコンを落とす→少し時間ができるのでプレステを立ち上げる→うっかりゲームにハマる→メールチェックすら毎日しなくなる&ホームページの更新もほとんどしない・・・という構図)、そんな中であろうことかこのパソコンの主導権さえオヤジに握られてしまった(といっても9割方ソリティアに興じていらっしゃるのだけれど・・・)。 しかし、やはり2ヶ月ともなると覚えていないもので、短くともつづっておくべきだったと思い返す。でもそうは言いながら理由もなくもないもので、こうやって綴っているうちにぽわっと浮かび上がってくるもので、あまり遊んでいなかった地元の友達とのラインがまたできてそれに費やした時間があったり、先日行なわれた親友の結婚式の披露宴でのスピーチのことを毎日考えていたり、そして彼女イナイ歴が一年を越えてしまったということに気付き、もの思いに沈む時間も多かったというのも事実。そして年が変わってからは・・・とてもそれどころではなかったというのも1つの事実。 とはいいながら、ビッグウェイブが襲い掛かってきたのはわずかここ一週間のことであって、それまでは忙しいながらも楽天的にのほほほほーんと過ごしてきていた。そう、一月の頭まで、今までの人生で稀に見るような「バカづき」に見舞われたんだ。忘れる所だった。 実際多忙だった(と思う)12月も月末に2つ楽しみな予定があって、それを励みに後半などはがんばっていたんだけど、そのひとつ、実は女の子とゴハンを食べにいく約束をしていたんだけれど、ドタキャンをくらった形になってしまい、実際そのままフェイドアウトされそうな状況になっていて、ネタとしては充分なものの(涙)、なんとも自分が悲しい形になってしまった。いや、なってしまっている。でもその時はショックでパチスロに行ったら勝ってしまって、まあ仕方なくバカづきに分類しよう。 そしてもう1つの予定に関しては、これは大学同級生的旅行仲間達、所謂(←注:いわゆる、と読みます)トラベラーズのメンバーであるなをき(仮称)とモンちゃん(仮称)が年末にウチに泊まりに来て一緒に滑りに行こうという計画で、これもドタキャンの可能性がなきにしもあらず、ありにしもなかずだったので心配ではあったが無事に2人とも来て2人とも帰っていった。あ、でも書きながら良く考えたらこれは急に持ち上がった計画だったような。まあいいか。 でもこれに関しては、ちょうど仕事納めだった日に2人がやってきて、実は僕も「バカづき」のおかげで新しいファンスキー(最近はやりの1メーター程度の短く扱いやすいスキー)の板とブーツとを手に入れていたので、ボード派のモンちゃん(仮称)と「ファンスキーやってみたいたい」と言うのでおいらの去年履いていた道具を貸してあげたなをき(仮称)とウチから車で一時間ほどの所にある白樺湖の近くにあるスキー場に繰り出した。そのスキー場は2年程前に某ドラゴンアッシュの某フリヤケンジがプライベートで来てプライベートでお持ち帰りまでしていったという噂のあるスキー場だったが、その時はすっかりそんなエピソードは忘れていた。 しかし、その日は絶好のコンデション。朝家を出る時はガンガン雪が降っていて、どんなもんかなあと案じながらの出発だったんだけど、到着して滑り始めると程なく雪はやみ、踏みしめれば足元は絶妙のパウダースノー。調子にのって3人でコブに挑み、エアー台に入り、年も考えずにガンガン飛ばして滑りまくったため、昼でもう体が音を上げてしまい、午後は打って変わって温泉で風呂上がりの瓶入り乳製品を飲んだりしながらひたすらぐうたらしたのでありました。若くないねえ。本気で(笑)。そして今シーズンはそれ以来滑ってないし、あ、スピーチでは滑ったけれど、、、若くないなあ、本当に。。。 まあそんな調子で大晦日まで2人と遊び、その勢いで生まれて初めて紅白をフルに見てしまったりしながら年越しし、明けたら明けたで昼は家でおとそを飲んだくれ、夜は夜で続けて同級会があってそれはそれで飲み、という感じで今までの人生で間違いなく一番アルコールを体内に摂取した正月だったね。家族で初詣に行き、福袋を買い、箱根駅伝を見て、、、という絵に描いたような正月だった。 ・・・っと、「バカづき」の話をしなくてはならない。っていうか、させてください。させてください、自慢を(笑)。 そう、12月から1月の頭にかけて、今まで懸賞が当たるものだとは体が信じていなかったこの僕が3つも当選したのだよ!ワトソン君! すごいでしょ。まず一つ目はなんとなんと1万円分の某JCBギフトカード。これは11月に以前勤めていた某トヨタの営業所に車の任意保険の継続の手続きに行った時に「ついでにこれ書いてみれば?」と先輩に勧められて書いたものだった。まさか当たるとは。しかし、当選通知には家族のが僕の200倍くらい舞い上がっていて、僕が帰ったらおかあとばあちゃんがWで飛び出してきて、「すごいことが起きたよ!!」って。どこかの令嬢との見合い話でも舞い込んだのかと思ったよ(笑)。まあその商品券はありがたくファンスキー購入の資金に宛てさせてもらったけどね♪ でもそれだけでウチの団欒ニュースランキングの一位をしばらく取るくらいのインパクトだったんだけど、年が明けて更にラッキーが続いた。まず元旦に初詣に行っておみくじをひいたらなんと大吉!2001年の一発目のおみくじで「小吉」と言う名の大凶以下の内容を引き当てたことを考えたらもうそれ以上望みますまいというくらいの立ち上がり。サンクス、謝々、ダンケシューン、と思ったが、まだまだ続いた。 明けて1月2日の朝。前夜に高校時代のバドミントン部仲間で集ってかなり飲んだため、遅めに起き出して来ると、今度はオヤジに「おい、また当たったぞ!」と地元の新聞を見せられた。まだ起ききっていない頭で新聞の文字を追うと、確かに僕の名前が載っていた。なんと年賀状の早期差し出しキャンペーンでの町内での10人に選ばれてふるさと小包の赤白ワインセットが当たったのだ。その応募にしてもたまたまクリスマス連休がヒマだったので(涙)そこでバーッと年賀状を作り、出しに行こうとしたら「まだ間に合うからこれ書いてから一緒に出したら?」とウチで余っていた応募用紙をもらって走り書きで書いたのがなんと当たってしまった、というわけ。だから当たった事よりもよくあの字をちゃんと解読できたなあ、というのが正直な感想だった(笑)。 しかし、2度あることはなんとも3度あった。返信の年賀状に混ざって届いたのはなんと年末になをき(仮称)達と滑りに行ったスキー場からの年賀はがき。「なんだろ?」と思ってひっくり返してみると、そこには「12月度のお楽しみプレゼントの5等に当選されましたので商品の電波時計を近々お送りいたします」という文面だった。さすがにここまでくると家族もアングリって感じだった。しかも正月早々のそんなラッキーの続きように、「ひょっとして、今年ってオレの年??」なんて浅はかな期待を胸に描いちゃったのも罪ではないよね?でも本当は気付いていた。11月に頑張って昼飯に菓子パンを食べてシールをためて応募した某ヤマザキパンの懸賞のディズニーシーのペアチケットの当選通知は届いておらず、更に1万円の商品券が当たった懸賞にしても”本命”はUSJのペアチケットだったことを。でもこの時点では浮かれ有頂天ですっかり舞い上がっていて、そんなことは気にも止めていなかったけれど。 で、バカづき話終わり。一月の日記に戻ります。 まず一月の予定として結婚披露宴が二つという、なによりもそれがあった。2週目と4週目。特に先に行なわれた方の親友の結婚披露宴では友人代表のスピーチという鯛焼き・・・大役を頼まれ、2つ返事で了解したものの、やっぱりありきたりのスピーチはしたくないし、でもしっかりしたことも言いたいし、歌も贈りたいし、、、と色々考え、実際毎日営業に回る車の中でも移動中に実際口に出して練習したり推敲したりしていて”練り上げている感”は自分の中でも大きくなっていたものの、でも早く済ませてしまいたいような、先送りにしてもっともっと練りたいような微妙な心理状態にずっとハマりこんでいた。 そしてなんと披露宴の一週間前に新郎新婦が我が家に遊びにきた。「式の準備はもうカンペキだから」とニヤッと笑う新郎こーちゃん(仮称)。しかも新婦のちかちゃん(仮称)の手によって色紙に僕の似顔絵を描いてもらっちゃった。それが絶妙にカワイくアレンジされていて、照れてしまうほどの出来。スピーチをお願いしたかわりのプレゼントという意味合いがあったんだろうけれど、またその似顔絵に報いねばと気合が入ってしまった。そのカワイイ似顔絵はずっと我が家に飾ってあるので遊びに来る事があったらいつでもご覧あれ。僕の顔を及第点に届くように美化するとこんな感じかなって自分でも思います。ありがとうね、ちかちゃん(仮称)。自分のシンボルにするからね。 そして2人を連れて諏訪大社に詣で、今回は本殿もさることながら、境内にある安産祈願のお社にお参りをした。ここは「水がスポッと抜けるように」とわざわざ底の抜けたひしゃくを奉納して安産をお願いするのだ。実際そのお社にお参りしたのは生まれて初めてだったんだけど、ご利益があるよね、きっと。そして二人とおみやげ物を見に行ったりしつつ、一週間後に会いましょうと一旦お別れ。 とそのまま仕事を挟んでウェディングモードに入るはずだったんだけど、かなり後悔することをしてしまい、思い悩む数日があった。 早く仕事が終わった日があって、最近よく遊んでいる高校の同級生ナミヘイ(仮称)とメシを食いに行ってからゲーセンでタラタラと遊んでいた。そうしているうち遊びの”元手”であるメダルもなくなって、そろそろ帰るかと夜の11時過ぎに別れて帰路についた。帰り道の国道(片側一車線)は交通量も少なく、なかなかのハイペースで流れていた。僕もその流れに乗ってトラックの後ろを走っていた。 と、突然その僕の前を走っていたトラックが頭を右に振り、斜めになって急停車した。なんとか僕も急ブレーキを踏み、追突は回避したんだけど、ちょうど右折レーンのある信号の所だったので、「もしかして急に曲がろうとしたのかなあ?」と思ってトラックの向こうを良く見ると、左側から出てきたらしいセダンが見え、よく見るとその周りにガラスの破片。事故だ。そしたら急に怖くなった。 そこはカーブでもないし、見通しはむしろかなりいいところだ。僕にはトラックの背中しか見えていなかったのだけれど、間違いなくそのセダンがまったく確認をせずに飛び出してきたのだと思う。だから結構激しくぶつかったはずだし、ケガも間違いなくしているだろう、そんな事を思って自分の中での混乱を鎮めようとしていると僕の後ろを走っていた白いバンが僕の車と事故ったトラックとセダンをまとめて追い抜いていった。(トラックはちょうど右折レーンまでをふさいでいたため、反対車線は無事だった。) そこではっと「僕も逃げなきゃ」と思ってしまったのだ。見ると反対車線の車も現場の向こう側で止まっていた。そのためその場で180度切り返し、別のルートを走り始めたのだった。 ・・・なんでひきかえした? ・・・かかわるとおそくなるとおもったから・・・。 情けないが、これが正直な所。繁華街ではないが、店も並んでいる所だし、警察署も歩いていけるほどの距離で、僕じゃなくても誰かがなんとかするだろう。そう思った。そして何よりも怖かった。 でも事実、僕が第一発見者であったのは間違いないし、僕がせめて通報だけでもしていれば一番素早い処置が取られたんだと思う。しかし、それをしなかった。できなかった。 そうして事故現場から遠ざかりながら、 ・・・せめて通報だけでもしたほうがよかったんじゃないのか? ・・・まだ今から申し出て協力すべきじゃないのか? ・・・でもそうして「どうしてその場に残らなかったんですか?」と言われたら何も答えられない・・・。 自分で書いていてもすごく自分勝手な理屈でしかない。でも頭の中はそれで支配され、何度か取り出した携帯電話をその度にしまいこんだ。そして、結局何も関わらなかった。関われなかった。誰かに電話して何か言って欲しかったが、数日前にたまたま久しぶりに電話がかかって来た元彼女にかけるのが精一杯だった。でもそれも留守電だったので家までのつらいドライブは続いた。 ・・・セダンの方はひどいケガだったんじゃないの? ・・・すぐに救急車を呼べば間に合ったんじゃないの? ・・・せめて誰か近くの店の人をよんでくるとかさあ・・・。 家に帰って風呂に入っても葛藤は終わらなかった。風呂に入る前に既に床に入っていた両親に襖越しにしてしまったことを話したけれど。 ・・・もし命に関わっていたら? ・・・それももし迅速に対処してたら救えるものだったら? 何度も、何度も、何度も、顔を洗った。 でも風呂から上がって、県内のニュースで報道がなされないかとしばらくラジオの前にいたけれど、そうした報道もなく、でも到底眠れそうにもなく、せめてだれかに話を聞いてもらおうと思った。 でもそこで、いつだったかFMのDJが言っていた言葉がぐわっと出てきた。 「ヒトってなにかを相談する時に無意識のうちに自分の求める答えを出してくれそうな人をえらんでるんですよねー」 なんでそんなことを心に止めたのか、でもはっと浮かんできた親友二人は、片や常に優しい僕とすごく似た価値観を持っている存在、片や僕をちゃんと受け入れてくれる僕とは180度異なる価値観を持った存在であったのだ。 僕は後者に電話をかけた。ともすれば厳しい言葉をかけてもらいたかったのかもしれない。せめて、敢えてそういう選択をした。しかし、こちらも留守電だった。そして結局は前述の似た価値観の親友にものすごく慰めてもらい、なんとか布団には入れた。でも事故のことが気になってほとんど眠れず、AMラジオばかり気にする夜になった。 しかし夜は明け、県内のニュースを色々気にしたけれどその事故に関しての報道は一切なく、大事にはならなかったんだ、とその点では胸を撫で下ろした。でも普段こうした日記なんかで”善人でありたい”的な文章を書いておきながらそうした局面に出会ってしまうと行動が反してしまう自分が情けなかった。そして電話がつながらなかった(寝ていたらしい)親友に言われたよ。 「次は、逃げるな」ザッツオール。 もし万が一、それが死亡事故ででもあったりしたらこんな反省では割り切れなかったと思う。無責任だが本当によかった。次は逃げない。逃げない。 そうやって日常になんとか戻り、紛れているうちにすぐに披露宴の週末になり、スピーチも結局原稿を打ち出し、彼氏持参(?)で参加する同級生ムロリン(仮称)の彼の車に便乗させてもらい、12日の土曜日のうちに名古屋へ。向こうで前日入り班と落ち合う。ムロリン達はその披露宴が行なわれるホテルに泊まるとのことで、それが一番ゆったりできるなってことで僕も負け犬つながりのハジメ(仮称)と同じホテルのツインルームを確保。しばしくつろいだ後、新郎新婦も交えてベトナム料理の店に繰り出す。ベトナムのビールは甘く、でも料理は全般的に美味しかった。結構精力的にいただく。大満足でホテルに帰ったのだが、食べすぎだったのか夜中に腹が痛くなり、(ルームメイトがエアコンの温度設定を30度にして寝たせいもあって寝苦しかったのも追記)、部屋の広めのユニットバスのトイレに一時間近く座ることになるのだが、座っているだけでは退屈なので(?)もう数時間後に迫っていたスピーチの練習を便座に座りながらしていたのだが、たまたまトイレに起きだしてきたハジメ(仮称)にその現場を思いっきり見られてしまった。なさけなかった。 そしてそれからは(温度設定も下げて)多少は眠れ、起きてたまたま一緒になったみんなでバイキングの朝食を食べて(きしめんがあった!)礼服に着替え、一度スピーチのリハを部屋でしてから出陣。そうそう、似顔絵を描いてもらったときに「スピーチの目安は5分くらい」と言われていたので時間を計って貰ったんだけど、12分くらいかかっちゃった。「でもすんなり読めば多分大丈夫」とハジメ(仮称)からのよくわからないフォローが入り、とりあえず仕込みもして式モードに。 結婚式は神前だった。雅なメロディーが流れる中、神主さんの音頭(?)で式が進められる。さすがに何を言っているかはほとんど分からなかったけど、一緒に誓いの酒を飲んだりして、ほんのりいい気分に。でも新郎こーちゃん(仮称)の袴の似合うこと似合うこと。さすが衣装合わせの時に式場の人に絶賛されただけのことはありますなあ。 そしてその勢いで披露宴へ。もうドキドキ、酒ばかりが進む状況(笑)。しかし、新郎新婦はそろって小学校の教師で、来賓の祝辞は校長先生とか教育長とか、ホントしゃべり慣れてる人ばかりでますますプレッシャーに。そしてついに指名がかかり、なんとマイクは僕らのテーブルのすぐ前(僕らのテーブルは新郎側の一番前だった)。100名の皆さんを前にマイクに進み出て・・・。 僕のスピーチ内での企画は2つ、1つは「歌で始まり歌で終わる」、もう1つは「天使の羽」だった。歌は当然ひとりアカペラで、始めは♪早春譜♪、終わりはミスチルの♪花♪を歌った。そして天使の羽というのは以前に新郎新婦がウチに遊びに来た時に「似合うと思って」とプレゼントされたもの。パーティーグッズの白い羽でランドセル状に背負うもの。もう他に使う機会もなかろうと「慣れぬスピーチでワタクシ舞い上がっております」というネタで用意した。 っと。あとはスピーチに関しては深くは語りません。歌も羽も予定通りに披露しました。ただ、僕らのテーブルがずーっと笑いっぱなしだった事、そして僕の顔を伝う嫌な汗がずっと流れていた事はお話しておきましょう。あと、終わった後、司会の女性が僕のスピーチがまるでなかったかのようにさっさと次の進行に入ってしまったことも(笑)。 でも普段こうした日記なんかで偉そうな文章を書いておきながらそうした局面に・・・以下省略、今後に生かします。 そしてスピーチが済んでからはどっと気が抜けて「一生懸命さは伝わったよ」「支離滅裂だったけど、そこがらしかった」とフォローをもらいながら酒が進み、いい気分で2次会に行き、それでみんなと別れて名古屋在住のヒガシ(仮称)と落ち合った。でもとにかく嫌な汗を流したくて飯を食ってからスーパー銭湯へ。さっぱりしてからゲーセンに興じた後、さすがに寝るモードに入らせてもらった。疲れていた。 次の日も朝からぐうたらするヒガ坊(仮称)を尻に敷きながらなんと初体験のセガサターンのなんと18禁のソフトに朝から興じる。かなり夢中でやっていたんだけど、途中で一回リセットしたらセーブしていたはずのデータが全部消えていて、泣く泣く諦めて出かけた。そして「あまりおすすめじゃないよ」という天丼屋のあまりにじとっと重たい油のダメージを胃に背負いながら名古屋市街へ。ぶらぶらしつつ、ちょっと社会見学をしつつ、2人で時間をつぶす。そして夕方の特急で帰ったのだが、ちょっとリッチにグリーン車(なんと最前列の展望席!)で帰ってきちゃったぜい。まあ荷物が多かったし、疲れてたからゆったり帰りたかったんだけど、運転風景なんかがよく見えるものだから興奮しちゃったね。ふふふっ。 そして仕事中心に過ぎること2週間。今度は東京で後輩の結婚式。そしたら一緒に行ったヨッシー(仮称)が「受付を頼まれちゃったんでできるだけ早く行きたいッス」ということで朝イチのバス(なんと5時53分発車)を押さえ、なんとか起きて支度してヨッシー(仮称)と落ち合って乗り込む。そしたら早く着きすぎちゃってすることなくってさあ(笑)。 この披露宴(兼人前結婚式)は本当に気楽に参加させてもらったよ。新郎のトシくん(仮称)もキマってたし。楽しそうだったし。でもそんな中前日に急にスピーチを頼まれた、と焦るヨッシー(仮称)を冷やかしたり協力したりしながら飲んで食っていた。でも見事にスピーチをこなしたヤツにはちょっとジェラったけどね(笑)。 そして2次会の後、男4人で歌舞伎町へ行き、社会見学してから朝までカラオケ大会をした。かわるがわる寝ながらとりあえず起きてるヤツは歌う。そんな結構ハードなカラオケだったけど楽しかった。 でも前日夜からのすごい雨。きっと長野は大雪なんだろうなーと思い、昼頃のバスで変える予定を朝一番のバスに振り替えてもらう。そうして2時間近く待つ、待つ、待つ。・・・と、ヨッシー(仮称)の電話が鳴る。電話を切ったヨッシー(仮称)は青い顔をして「松本はものすごい雪積もってるらしくって、帰って来れねーぞーって言われました」と呟く。とにかくバスに乗って帰路へ。 幸い、雪がすごかったのは松本だけで、峠ひとつ手前のウチの盆地は10センチくらいの積雪で済んでいたのでバスもほとんど遅れることなく帰ることが出来た。そして二人で安心しきって布団を並べて寝て、食べて飲んで遊んでまた寝て朝僕は会社へ、ヤツはとりあえず仕事が夕方からだからと家へ帰っていった。 さあ、ここからが現状の本題です。 そうして浮かれて出勤した今週の月曜日の会社で、朝一番で上司から発表があった。 「今日、おそらくウチの会社は会社更生法を申請することになる」 「でもまあ、今日のところは普通に営業しててくれ」 そして、その日、ウチの会社は民事再生手続の申請をし、裁判所に受理された。 まあ簡単に言えば、会社としてこれ以上経営が出来なくなったということだ。 そして火曜日からひたすらお得意先に事情を説明して回る日々が始まった・・・のだが、その火曜日にどうも体調が芳しくなく、帰りも遅くなったのだけど帰ってきて茶を飲みながら一息ついて、体温を計ったらなんと9度2分もあった!そして菌の出所の心当たりは・・・ずっと土日の間中横でゲホゲホやっていたヨッシー(仮称)にまず間違いない。。。 僕は平熱が高い(6度6分)ので割と熱には平気なんだけど流石にその数字を見たら萎える萎える。すぐに厚着をして湯たんぽを抱いて寝たんだけど翌朝にもまだ8度5分くらいの熱が残っていた。そのため会社に行ったものの、半日事情説明に回るのが精一杯で午後から木曜の朝までひたすら寝た。 そんな中で会社的には営業所ごと新しい親会社に引き継いでもらえそうだという話になってきて、一応そういう方向になりそうですという話をしながら木曜日も終わり、3日ぶりに風呂に入って体と頭を洗った。(熱も7度代まで下がったので)。でも油汗とはよく言ったもので、特に顔が非常に油っぽくヌルヌルしていてなかなかそれがとれず、何度も洗顔フォームで洗った。でもさっぱりしたら気持ち良かった。 そして風邪の症状も微熱と鼻声と咳だけになってかなり楽になった昨日は本社では債権者会議があり、僕らはもう1つの県内にある営業所に呼ばれて交渉中の新しい親会社の人たちと顔合わせをした。 そしてまた、1月31日付で全員解雇という扱いになった。つまり軽く言えばプー。新しい親会社(になってくれそうな会社)からは残った上司達に具体的な話はあったみたいだけどその話は月曜になってみないとわからないし、それは何ともいえない。聞いてみないと。そりゃあ今と同等かそれ以上の条件で雇ってもらえるのなら何も言う事はないけれど、そんな甘い話もないんじゃないかなあと思う。まあとにかく話を聞いてから。そして今僕にできるのはこの週末でできるだけ風邪を退治することだ。といいながらこの文章を書き始めてもう5時間以上になるけれど。。。 僕はここまで、とにかく営業がしたい、できれば土日も休みたい、あとは地元で、というそれだけを考えて仕事を選んできた。ものを売るのは面白い。人と話すのも面白い。ただ僕は器用ではないし。そして時間をかけて仕事を築き上げていくタイプだと思うけど、営業が好きだ。できるだけ最初の3つに関しては曲げたくはないけれど、実際これからまた職を探すとしたら厳しいのかな、とも思ってしまうし、今だって簡単に自分の貫こうとしてきたポリシーを曲げてしまいかねないくらいの心の弱さが頭をもたげている。病気以来、こういう辛さに直面したのは初めてのことで(恋愛とはまったく土俵の違う所だから)、正直混乱している面、整理しきれない面がいっぱい自分の中にある。強くは決してない。でもわからない。ここまで仕事に関して一生懸命やってきたのは事実だし、こういう状況でもお客さんから色々優しい言葉をいただいてもいる。前にいた会社の人からもいろいろ気にかけてもらったりしている。友人がいる、家族がいる。暗闇じゃない。まだいろんなものを信じていられる状況だ。最悪ではぜんぜんない。 しんどいけど、できるだけ色々なものを見て聞き考えて、前に進んでいきたい。 だから、もしこれを読んで思ったこと、感じたことがあれば、もし聞かせてもらえたら嬉しい。というのが正直な所です。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 2002.2.2 高岸 げひら ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ |