アメリカ留学中(1989夏--1990春)のエピソード
・学業 午前中はUSC(南カリフォルニア大学)の聴講生として主にジャーナリズムと国際関係論の講座に出席
した。マスメディアを英語教育に生かすためのヒントを得ようと思ったからである。Multi-ethnic な学生
の中で民族、宗教、異文化の価値観のギャップにさらされながらの discussion は迫力があった。
午後は県教委指定の Evans Community Adult School での語学研修。終了時のテストの点が県に
報告されるという噂もありまじめに取り組んだ。ここで勉強になったのはパラグラフ、さらにリサーチ
ペーパーの書き方である。論理的思考の訓練にもなった。ユダヤ人でオールド(失礼!)ミスの
フローレンス・ローゼンさんという本当にすばらしい先生にめぐりあえたのもここであった。自分でも
理屈っぽいと思っている私とよくあれだけ色々な話題について議論してくれたと思う。 Speaking の
力がついたとしたらローゼン先生のおかげだ。帰国後、報告書B4で20枚を英語で書き、教学指導課
に提出した。これも本当に勉強になった。このチャンスを与えてくれた県教委に感謝しています。
・住居 LA のチャイナタウンの片隅にある家賃$250のアパート。住人は中国系、ヒスパニック、日系など
すべていわゆる minority という環境。生活全般を通してとにかく自分が minority であるという経験は
生まれて初めてであったし、あまり親しくならなかったにせよ彼らの生活を見ているだけでも、人種と
いう問題の複雑さがわかった。
治安には十分注意するよう言われていたが到着後1週間以内に、外出中どろぼうに入られ部屋の中の
金目の物は全部持って行かれた。パスポート、カード等は携帯していて無事だったが、大家さんが一応
警察を呼んでくれた。あの刑事コロンボでおなじみの LAPD (Los Angeles Police Department) の制服
警官が一人来てくれた。ただし、捜査はほとんど期待しないでほしい、と言われ、保険用に証明を書いて
くれただけだった。
・生活 予算の関係上できるだけ食事は学校のカフェテリア。どうしても純粋な日本食を食べたい時はダウン
タウンにあるリトル・トーキョーへ。ここへ行けば、日本の中規模都市にあるものだったら何でもある。
もう一つ私が日本人街に頼ったのが散髪だ。一回目の失敗にこりて二回目からはホテル・ニューオータニ
内の一流美容院を利用することとなった。また、アメリカ滞在中一番なくて困ったのが日本式のお風呂
だ。どうも洋式には慣れることができなかった。リトル・トーキョーにも銭湯だけはなかったのだ。
それ以外ではできるだけ日本のことは忘れと日本語は使わないようにした。
帰国後すぐ上田市のセブン・イレブンでお弁当買って「あたためますか?」と言われ、"No." とはっきり
言ってしまった。変な人と思われたかもしれないが、実は自然に英語がでてきたことがうれしかったのだ。