大英博物館に展示されているアッシリアのレリーフは時代的に次の三種類に分かれる。

1. King Ashurnashirpal (在位883 - 859 BC)の時代
2. King Tiglath-Pileser Ⅲ(在位745–727 BC)の時代
3. King Sennacherib(在位705 – 681 BC)の時代



1. は時代的にもっとも古いもので、
              河を渡る
              戦闘場面
 に分かれており、いずれもニムルドの北西宮殿を
  飾っていたものである。

2. は時代が百年ばかりさがり、
              敵の街の攻撃、他
 を題材とし、いずれもニムルド中央宮殿を飾って
  いたものだが、大部分は後にニネヴェ
の南西宮殿
  で再利用された。

3. はもっとも新しいもので、
              翼付きの雄牛像の製作と輸送
              アラムの街の攻撃場面
             
 を題材とし、ニネヴェの南西宮殿を飾っていたも
  の。

以上。

くるぶしまでの丈の鱗鎧を着たひとりの高官が敵の町に向って矢を射ている。その後で二輪戦車が待機している。その間、一羽の禿鷲が敵の死者の肉体をむしり取っている。

(9)

(部分拡大図)

左側には、女性達、一人の子供、そして牛が隣のパネルの囚人達の行列に加わって導かれている。右側で、アシュールナシルパルが敵の街に矢を放っている。一方で、兵隊達が城壁をよじ登ったり、城壁の下にトンネルを掘っている。敵二名が城壁から落ちている。

囚人達は王のところに導かれる。この絵画は現場で描かれた絵に基づくものである。パネルの断片は、大英博物館とNimrudにある物をのぞけば、ジェノア、ウイーンならびにヴァチカンの博物館にある。

ジョージ・シャーフ(兄)によるアッシリア・パネルの絵画模写

 (6) 欠品

アシュールナシルパルは、この二輪戦車の前、パラソルの下で立ち、勝利を象徴する立てた矢を持ち、高官を迎えている。この高官に従っているのは、右側の次のパネルに示されるように、アッシリア人達と囚人達である。王は、翼付きの円盤のなかの神に付き添われている。

(5)

(4)

(部分拡大図:船上のアシュールナシルパル王)

アシュールナシルパルのボートが漕ぎ出され、河を渡り、岸辺に揚げられた。王様用の二輪戦車が彼の傍らにあり、彼の馬が後方で泳いでいる。一人の従者が王の注意を獲得した町に向ける。その町は次のパネルに見える。

馬が馬丁によって導かれて泳いでいる。一方、二輪戦車一基とベッドと水瓶がコラクル(枝編み細工のに皮などを張った一人乗りの小船)で運ばれている。現実にそうであるような半分沈んだ姿ではなく、芸術家の知悉しているように完全形で描く人物描写は、アッシリア芸術に典型的なものである。

アッシリアの役人達が、軍隊の渡河(多分ユーフラテス河)を監督する。兵隊達の幾人かは、皮袋で渡ろうとしている。他の者達は、一艘のボートに二輪戦車二台を載せている。

アッシリア、865-860BC
Nimrud、北西宮殿
B号室、パネル11

 (1) 渡河の開始

河 を 渡 る

「河を渡る」と題する、Nimrudの北西宮殿にあったこれらのパネルは、アシュールナシルパル(King Ashurnashirpal 、在位883 - 859 BC)が渡河して敵の町を攻め落とす情景を描く。

大英博物館のアッシリア室での展示順序通りに示す。

解説は館内掲示板の翻訳である。

一群のアッシリア兵が低い市壁を突破している間、主たる攻城兵器が攻撃にさらされる。敵がその打撃槌を鎖で絡め取る。しかし、二人のアッシリア兵士が自在鈎を使って位置を保つ。攻城兵器にいくつかの松明が投げられた。だが、攻城兵器の内部からパイプを通して出てきた水が焔を消す。

PS

この浮彫彫刻の主人公はアシュールナシルパル二世であるが、彼の行状が日本語で紹介されていないので、この際、英語版Wikipediaの和訳から彼の業績を点描しておくことにしよう。(原典はWikipedia, Ashurnasirpal II

アシュールナシルパル二世

  なお、アッシリアについては、Wikipedia アッシリアを参照のこと。

  また、アシュールナシルパル二世は、新アッシリア時代の第三代目の王である。(古代アッシリア王名表を参照のこと)

(8)

(7) 河沿いの敵の街への攻撃

(3)

(2)