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出展作品(水彩画)近年
2019

























2018年

諏訪湖ヨットハーバーの近くの漬物屋さんです。
お店の前に置かれた大きな味噌樽が印象的な佇まいです。
画廊賞が頂けました。


2017年


諏訪市高島城近くにある味噌屋さんです。
威厳ある看板が、時代を生きぬいた店を守っていました。
秋の美術展で最高賞が頂けました。
ありがとうございました。


2016年


        構え  (F50)


諏訪市のある酒屋さんです。
描くため、何回か通っているうち、
戸が空いている時がありました。酒蔵を通る風が暖簾を揺らしていました。
暖簾の「酒」の文字が印象的な存在感ある建物です。

     
うばゆり


  
 

2015年

        構え  (F30)
さんです

諏訪市にある老舗呉服店の店構えを描きました。
中日新聞社賞をいただきました。
展覧会、私の受付当番の日、
愛知県から姉妹で美術館へ立ち寄って下さった方の息子さんが、
中日新聞社にお勤めで、しばしお話が弾みました。偶然とはいえ驚きました。
絵の前で写真を撮らせていただき後日送らせていただきました。その後お返事もいただきました。
間接的ではありましたが、受賞のお礼を申し上げることが出来た次第です。
こんな、うれしい出会いもありました。




2014年

     蔵 (F30)

 
岡谷市 旧林家の庭の奥にあるお蔵を描きました。
懐かしい大八車が置いてありました。
子供の頃、田畑をする父母を助けて、この大八車を押した記憶が蘇りました。
秋の市美術展で市民新聞社賞が頂けました。



2013年

天屋蔵(F30)



茅野市宮川にある天屋蔵
何回も見に行っている時、持ち主の家の方とお話が出来ました。
もともとは、繭蔵だったということでした。
ここには以前、寒天検査所があり、今も建物は残っていますが、父はそこに働いており
半世紀前の子供の頃が蘇ってきます。
蔵の壁は、どの壁も存在感があり、風雪に耐え残っている逞しい美しさがあります。


2012年

山の分校(F30)



諏訪市湖南地区に後山分校がある。有賀峠を左に30分以上車で下る山の中です。
3年ほど前から絵に描きたいと思っていました。
壊れそうな木造校舎ですが、周囲は、地域の方が草刈をし、手入れされた校庭は、とても美しいです。
今年7月再び、夫と見に出かけたところ、その分校で、雑誌「風まかせ」の取材のお二人と出会いました。
東京からこの校舎とバイクの写真を撮りに来たとの事。
偶然の出会いでしたが、いろんな方がこの分校に魅せられていることを知りました。
叔母がこの分校で教鞭をとっていて、その叔母に絵を描いて見せたくて何回もここに通っているなどお話しました。
この取材の雑誌を送ってくださるとのことになり、9月にその雑誌が送られてきました。
拝見すると、その話した事が載っていてビックリ。うれしいことでした。お礼のお返事を致しました。
「山の分校」と題したその絵が秋の市美術展でLCV賞をいただけた。
叔母には手紙と分校の絵の写真を送り、私にとっても、大変思い出に残る作品となりました。12/31





里芋(10号)




懐想U   2011年作  (F30) 



諏訪市高島に古い木造の産科医院がある。
戦前から戦後、ここで、どれ程の赤ちゃんが誕生した事でしょう。
知人にも懐かしく思う人が何人かいます。その方々を想いながら描きました。
使われなくなった医院。当時のモダンな佇まいと、風格を感じる建物です。





味噌屋    2010年作   (F30)


諏訪市豊田有賀に木造の味噌屋がある。
使われなくなって何十年と経っているのだろう。
大きな煙突や、何棟もの建物。
どのように人々がここで働いていたのだろうかと当時が偲ばれる。
信州味噌の源の一つではないだろうか。近くに住む方のお話だと、数年前までは、
味噌を保存する年代物の大きな大きな桶やタンクが沢山置いてあったという。
それが見たかったと残念な思いが。貼られっぱなしの古い広告も入れてみました。





天屋   2009年作  (F30)


茅野市上原、上川沿いに大きな天屋がある。これを描いた1年後。壊されてしまった。
冬の寒さを生かして作られる天然寒天は、諏訪地方の重要な産業でした。
子供の頃、厳寒の早朝から湯気が屋根の上からもうもうと上がる景色を、通学中あちこちで見た。
その下で、また、雪の田んぼで多くの天屋衆が一生懸命働いていた姿を思い出す。
女性も多く働いていた。寒く辛い、きつい仕事である事は子供の私にも充分理解できた。
現在も天然寒天は作られていますが、堂々たる木造の古い天屋は無くなっています。



懐想T   2008年作  (F20)


明治生まれの義父の英和辞書。私が嫁いで2年後に70歳で亡くなってしまいました。
表面は皮で、風化してめくれて硬くなってはいますが、使った人の思いが伝わる年代物です。
箪笥と共に、懐かしさと優しかった人を想い描きました。懐想という題を付けました。



小品展より

茂田井 間の宿 (F10)


古い壁。かつては、ここにも生活があった。



枯れ蓮 (F10)


高島城の近くの味噌屋さんの横の川の枯れた蓮。
絵の仲間と出掛けた折、その店内にとっても素敵に枯れた蓮が飾られていた。
描きたいと思った。お話しすると、お店の方が、長い釜をもってきてくれて、何本か刈ってくださった。
たくましい枯れた葉、美しい蓮の実、部屋に掛けてスケッチをした。存在感が出ただろうか。



美里の春  (F8)


南信州の中川村美里。どこを歩いても、この名前にふさわしい美しい里です。
見えないところでも手を掛け、それが当然であるという、そんな心根が美しい里を作るのだと想う。感動です。

壁  (F10)


朽ちた壁にも、語るものがある。と、感じた。(佐久市岩村田にて)



にお (雪の明日)    (F10)   2011


毎年、御夫妻でこの「にお」を作られている方は諏訪市四賀にお住まいです。
今年、この絵を見に画廊にも来て下さいました。ありがとうございました。
堂々とした、ぬくもりを感じる、雪をかぶった「にお」を描きたくていましたが、
降雪の翌朝、出かけて、いいチャンスがあり叶いました。


   









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