大極山
「はぁ……。星宿様、行っちゃった」
柳宿が廟の前で座り、あごに両手を当てた。
「早かったですね」
「そうよ。あれからまだ1年しか経ってないってのに、もう転生しちゃうなんて」
「だが、喜ばしいことじゃないか」
張宿と軫宿がやってきて言った。
そう。生まれ変われるようになってから早1年が経ち、誰よりも早く星宿は転生した。
ある人の墓と志を守りたいのだ。
いつだったかそう言っていた彼の眼は、すでに転生後の自分を見つめているように思えた。
だったら、あたしも……と言いたかったが、柳宿にはそれが出来ないわけがあった。
「柳宿さん、とうとう一緒にって言いませんでしたね」
「……まだ、このままでやることがあるからよ。あんたたちだって、そうなんじゃないの?」
3人はふっと微笑んだ。
3人の心にはそれぞれ、転生前にこれだけはと決めてあることがあったのだ。
星宿の場合は、それがたまたま転生後の自分にあっただけのこと。
かく言う柳宿も、それの1部が転生して自分は女になるのだという点において、星宿と同じではあった。
この姿で“やること”も、実はそろそろめどが立ってきている。
次に行くのは自分だろうと、柳宿は確信していた。
「また太一君に頼んで、鏡みせてもらってくるわ。……もうすぐよ。これだけは、見届けたいの」
「……次に転生するのは柳宿さんかもしれませんね」
「ま、ね。星宿様とあまり年が離れても嫌だしね。……じゃ」
廟の前に残された張宿と軫宿は、顔を見合わせると、柳宿がしていたのと同じように、廟の前の段に腰掛けた。
「星宿さんも柳宿さんも、もう先のことを考えているのですね。軫宿さんも……」
「俺はまだ転生する気はない」
「え?」
張宿は目を丸くして彼を見上げる。
「どうしてです?早く少華さんのもとへ、転生したいのではないのですか?」
軫宿は笑って、しかしゆっくりと答えた。
「それもあるが……、俺は待たなければならないんだ」
「待つ……って、誰をです?」
すると、軫宿は小さな水晶玉のようなものを取り出した。
「それは……?」
「太一君に授かった、あの大鏡と同じ効果を持つ千里球だ。声こそ聞こえないが、俺にはこれで充分だからな」
薄青い水晶玉は、透き通るような水の色で、この太極山の泉の欠片のようにも思えた。
まるで、水そのものをその手に持ってるみたいだ……。
張宿はその色にしばし魅入った。
「……綺麗ですね」
「そのまま、これを見ていてくれ」
「え?あ、はい」
そんなに時間も経たないうちに、その水晶玉は奇妙に変化した。
一瞬、ぐにゃっと色がねじれたと思ったら、また今度は違った意味で透き通るような水色に変わった。
「空……ですか?」
雲も見えた。
「……ここはどこだろうな。あいつはどこでも旅してるから、いまいちわからんが」
軫宿がその空模様をみて呟く。
「?」
そうこうしているうちに、玉の中の模様が動いた。
ぐぐっと下のほうにアングルを移す。
「あぁ、いたいた」
「あ!」
のどかな青空の下、わりと平坦な小道を左手に林、右手に川を従えて上流へと歩いている、ひとりの僧侶。
「井宿さんですね」
感慨深く張宿が確認する。
だが軫宿は、はてっと首を傾げた。
「たまが……いないな」
そう呟いたとき、玉の中の井宿に動きがあった。
軫宿と同じ表情で、肩や懐を触ってみて首を傾げる。たまがいない……。
「あ、軫宿さん。映像、ちょっと上にもっていってくれますか?」
「あ?あぁ」
すると、林の木の枝の上に何やら白い物体が……。
「たま。……また、こいつは」
井宿もそれを見つけたようで、上を見て何事か叫んだ。
たまは、なにをしていたのかといえば……。
「あ、軫宿さん。下に犬がいます」
「下って、木の下にか」
ほんとうだ……。
たまは、この野良犬から逃げて木に登ったのか。
井宿がこれに気付いて、ワンワン吠える犬をしっしっとおっぱらうと、たまは安心して、
すっと枝の上ですくみ上がっていたその体を起こした。
すると、次の瞬間!ぴょいっと、高い木の上から飛び降りたではないかっ。
「たっ、たま!?」
井宿が受け止めようと両手を伸ばしたが、そこへは着地せず……。
くるくるくる……ぱっ!
空中3回転!そして見事な着地。
10,0のボードを掲げる。
『……はぁ』
張宿と軫宿は呑んでいた息を、同時に吐き出した。
そういえば、たまは猫だったのだ。このくらいの高さはどうってことない。
井宿が受け止めてやろうとしていた体勢のまま、右脇下の地面に見事着地したたまを見て、固まっている。
「……ひょっとして、軫宿さんが待っているのって……」
「あぁ。たまだ。俺はできることなら、たまと一緒に転生したいと思っている。だから、俺はそのときが来るまで待つんだ」
たまはもう大人だ。あと4・5年といったところ。待てない時じゃない。
「井宿には世話になるな……」
軫宿は苦笑した。
でも、できれば長生きもしてもらいたい。気長に待つのだ……そのときを。
三頭身になって、同じ顔でむぅっとたまをにらむ井宿。たまはというと、相変わらずお茶らけた様子だ。
この約4年後、たまは己の死期を悟り、突然井宿の前からいなくなるのだ。
「太一君?」
「あ、柳宿ね」
「ほんとね、柳宿ね」
「星宿、転生できてよかったね!」
「柳宿も早く生まれ変われるといいね!」
わらわらっ……
「にゃ……娘娘隊。太一君は?いないの?」
「太一君、今ちょっといないね」
「あ、そう。まぁ、いいわ。鏡、またいつものように貸してくれる?」
「はいねー!」
柳宿は、慣れたように鏡の前に座った。
間もなく、その鏡は一瞬ぐにゃっと歪む。
柳宿が望んだ映像……それは。
『呂候様ー。呂候様ー?』
自宅だった。
『きゃあ!呂候様!』
兄の名を呼び、家中を駆け回っていた侍女が、悲鳴を上げる。
「兄貴ってば、また無茶して……」
『大丈夫でございますか?』
『……あぁ』
柳宿の兄・超呂候は、自宅の一室でうつぶせになって倒れていた。
侍女が駆け寄り、助け起こす。
『また……ちょっと眠気が、な』
『またですか?そんなに度々徹夜なさると、しまいにはお倒れになってしまいますよ』
「……もぅ倒れてたけどね」
柳宿がぼそりと揚げ足を取る。といっても、彼らに聞こえるわけはないのだけれど。
『何をしてらしたのです?また……服を?』
『あぁ』
呂候は、死後の柳宿に会ってからというもの、よくこうやって服作りに没頭するようになっていた。
新しい服を作るとなると、決まってひとり部屋にこもり、アイデアがまとまるまでは一睡もせずにひたすら考え、
まずその第一作目となるものはすべて、はじめに自分ひとりで完成させるというこだわりがあった。
最もそのこだわりが、超ブランドの根強い人気の秘訣でもあったのだが、このように呂候は度々無理を重ねるため、
まわりの人間はいつも気が気じゃなかった。
親も、康琳、柳娟と子供を亡くし、残った長男がある日突然、大きく成長したことに喜びを感じつつも、
やはり心配でならないようで、ちょくちょく顔を出す。彼らの子供はもう呂候ひとりになってしまったのだ。無理もない。
仕事場は散々としていて、布に布が折り重なって足の踏み場もない。
『今度はどのような服を?』
『……これさ』
侍女と柳宿はそれをみて息を呑んだ。
折り重なった布切れの山の中から現れたもの……それは、一枚の絵。
『花嫁衣裳……ですか』
『あぁ。今朝になってやっと考えがまとまって、描き終えたと同時に力尽きたんだ……』
「綺麗……」
デザイン画を見て、柳宿は思わず呟いた。
花嫁衣裳のデザインもさることながら、呂候が苦労し、思考に思考を重ねて作り上げた一枚の絵は、それだけで美しかった。
しかも、今までにない斬新かつしなやかで、それでいて従来の期待も決して裏切らない。
朱色の上着に、半透明の白い羽衣のようなヴェールが印象的だ。
『朱雀をイメージしたんだ。……“朱雀の花嫁”さ』
朱雀の花嫁……。
『……素晴らしいです!これで今年はいけますね。星見祭りのミスの衣装』
『あぁ!』
そう。星見祭りが今年も開催される。
祭りの見せ場のひとつ、ミス栄陽コンテストともいえる“星姫”決定戦。
サポートする女性に、いかに似合った素敵な服を着せるかで勝敗を決する。都の衣服問屋はこれで毎年競り合うのが恒例で、
見事その店の服を着た娘が星姫の座に輝けば、その年一年商売繁盛間違いなし、というジンクスがあった。
今年、超家からは呂候が作った服が出されることとなっていたのだ。
「へぇ〜、ちょっと不安だったけど、“朱雀の花嫁”かぁ。いけそうじゃない!」
そう。柳宿はこれを見届けたかったのだ。
兄の作った服が、今年の星見祭りで正式に公開される。衣服問屋の者の年に一度の晴れ舞台。
祭りはまだまだ先だが、大切なのはその過程。呂候は頑張っていた。
いけるわよ兄貴!これなら大丈夫。
『でも……』
「?」
……兄貴?
『でもこれには、星見祭り以外にもうひとつ、大きな思い入れがあるんだ』
『星姫よりも……ですか?』
「……何かしら?」
呂候はいとおしそうにその絵を見つめる。
しばらくして、意を決したように口を開いた。
『この服は、死んだ康琳と柳娟に捧げたい』
『!』
「あに……き……?」
『康琳は幼くして、女の子としての幸福を味わう前に逝ってしまったし、柳娟は好いた人と結ばれずに逝ってしまった。
柳宿として僕の前に現れたあのとき、柳娟は言っていた。女になって生まれてくるから、と。なら、これはあのふたりの花嫁衣裳だ。
……柳娟はもしかしたら、また僕の前に現れるかもしれない。前の記憶がなくなって、あっちが僕のこと忘れていたとしても、僕にはきっとわかる。
だからそのとき、前世で得られなかった幸福を、僕の作ったこの服と一緒に得て欲しいと思う。……それに康琳だってそうだ。
あの子にはいつも慰められていた。もしまた逢えるのだとしたら、この衣裳を着てまたあのときの笑顔を見せて欲しい。
たとえ姿や記憶が変わっても、あのふたりはいつでも僕の大事な兄妹(きょうだい)なのだから』
「兄貴……」
そのために、今彼は未来に眼を向けている。
形見の水晶玉にすがっていたときとは、明らかに違う眼だ。
「……娘娘」
「はい?」
「あたし、決めたわ。……星見祭りの夜、“朱雀の花嫁”が舞台に立ったとき、生まれ変わる」
「舞台に立ったときでいいね?」
「本当は、勝負の行方を見てからって言いたいけど、それはいいの。大事なのはその過程を兄貴がどうおくるか……。
勝敗は……そうね、生まれ変わった後にでも訊くわ」
星見祭りまでの期間、兄貴の頑張る姿を転生しても忘れないように、この目にしっかり焼き付けて……。
この約1年後、柳宿は正真正銘の女の子として、この世に生を享けるのだった。
「張宿か……」
「すみません、太一君。お呼びしておいて、僕のほうが遅れるなんて」
「構わん。ところで一体なんの用じゃ?張宿」
訊きながら、太一君には張宿の言いたいことが、おおかた見当がついていた。
人のいないところで、張宿はどうしても天帝であるこのお方に、訊いて確かめたいことがあった。
「……星宿様も、柳宿さんも、軫宿さんも、みなさん先のことを考えているこのときに……そうでなくても、この世界の人間のいるところでは、
これは言うべきことではないと思いまして。……太一君のことです。もうおおかたの見当はついているのでしょうが、僕には是非転生する前に、
知っておきたいことがあるのです」
「……申してみ」
「美朱さんのいた世界を見たときから、僕はあることを確信していました。それは、こちらとあちらの世界を繋ぐ媒介の存在です。
たぶん、美朱さんははじめはその何かによって、予期せずこちらの世界にやってきてしまったのでしょう。僕らはあの戦いですでに、
実体がない残留思念だったので、異空間の移動にさほど疑問は感じませんでしたが、井宿さんと翼宿さんはあのとき、美朱さんの兄と名乗る声に導かれて、
美朱さんの荷物を媒介として来ていました。……それは、ひとえに七星士と巫女の呼び合う心が起こした、奇跡だったのでしょうが……けど、
だとしたら、美朱さんがはじめにこの世界にやってきてしまったときは、一体どのような力が働いたのでしょう」
「何が言いたいのじゃ?」
「美朱さんは、はじめはこちらの世界のことも巫女のことも、全く知らなかったんですよね?」
「……まぁ。あの娘が全くはじめから、巫女としての自覚があったとは言えんの」
「だったら、なぜ美朱さんはこちらにきてしまったのでしょうか。井宿さんたちが行ったときのように、何かこちらの物が美朱さんの世界にもあって、
それが作用したとも言い難いですよね。鬼宿さんが美朱さんへの強い気持ちで行ってしまいましたが、何も知らなかった美朱さんに、
そこまでの想いがはじめからあったのでしょうか……?」
「……」
「それにもっと不思議なのは、美朱さんのお兄さんの存在です。彼はあのとき、全てを知っているようだったと言います。
生き残ったふたりの七星士の名を呼び、心宿から救ってくれとまで……。彼には会っていませんが……でも、だとしたらなぜ、
会ったこともないその人が、そんなにまで僕らのことを知っていたのでしょうか」
「……まったく、聡い子じゃよ。お前は」
太一君がふっと笑む。
「そうだ。……美朱の兄・奎介は、こちらの一切をあるものを通して知っていたのじゃよ。それが今、お主の申したこちらとあちらを繋ぐ媒介じゃ。
美朱ははじめ、それをそうとは知らずに朱雀の巫女を求める力によって、こちらに迷い込んだのじゃ」
「やはりそうでしたか。そこではじめて、美朱さんはこちらの存在を知ったのですね」
「うむ」
「あのそれで……その媒介とは」
「張宿、お主はどう思う?」
「は……はい。おそらく、その奎介さんがそのときの状況に応じて、度々連絡とろうと試みていたらしいことから推測すると、
たぶんこちらがずっと見えていたのでしょう。それで僕は、おそらく……書物のようなものではないかと」
「だとしたら、何か?美朱にとってここは、本の中の世界とでも言いたいのか?」
「あ……いえ」
ここまできて、太一君ははてっと首をかしげた。
「それを知って、お主はどうするのじゃ?転生した後は、記憶はもちろん今の七星士としての自覚もなくなるのだぞ?」
「……そうでしょうね」
でも……。と、張宿は頭を上げた。
「予感がするんです」
「予感?」
「そう……。紅南国が……時代がまたいつか、再び七星士を必要とするときがくる……。そんな予感がするんです」
この後、張宿は軫宿がいなくなってから約5年、いまいち勇気が持てずに悩みぬき、国に再び暗雲がたちこめたとき、その強い使命感で転生を決意する。
このときから約9年後のことだ……。
……うぅ〜。長い……。
ほんとに短編なんだろうかってくらい……。
しかもなにやら張宿が難しいこといってるしぃ!(途中でわけわかんなくなってきた)
それになんで星宿がいないんじゃー!と思った人は冒頭をみるべし。セリフはちゃあんとあるぜ!
……わー!石投げ禁止!あいてててっ……!
大丈夫、大丈夫!あります、ありますから。
「墓参り」は5才の永安君のお話です。あの人も……。