翌朝になってから、俊宇はいつの間にか寝入ってしまっていたことに気が付いた。
……結局、見つけてもらえなかったのだ。
……はぁ。
「……!?」
俊宇は息を吐いて、自分が声を出せなくなってしまっていることを知った。
……昨日、あんだけ叫びまくったからな。
無理もないことだった。
木の根を枕に横たわっていた体を起こすと、はっと辺りを見回した。
せや、うさぎ!
……すると。
ぴょんっ
「!!」
どこからともなく跳んできた白い物体が、俊宇の顔面に勢い良くタックルをかましたものだから、油断していた俊宇は一瞬手で宙をかき、
後ろに押し倒されてしまった。
ばちっと目を開けると、顔面からはがれて横倒しになった自分の胸の上にちょんっと乗ったのは、例のうさぎだった。
動物の傷の治りは早いものだ。どうやら、傷はもういいようだった。
昨夜より明らかに元気になって、ぴょんぴょん胸の上で飛び跳ねる。
……よかったな。ほんまに。
俊宇がその元気なうさぎの姿を見て、ふっと笑みを浮かべたそのとき、
「……−い。どこだぁ……!?」
「!?」
人の声!?
俊宇は半ば反射的に、はっと耳を凝らす。
「おー……い。ここ、ここ」
「なんや、そこにおったんかい」
もうひとつ。……ふたりの人間の会話が聞こえた。
「……いやぁ、すまんすまん」
……やりとりからして、自分を探しに来たわけではなさそうだ。
それには少し肩を落とした俊宇だったが、一日ぶりに聞いた人の声にすがるように、必死にその位置に耳を澄ました。
なんにせよ、ここで見つけてもらえばうちに帰れる。
「……っ!!」
助けてと叫びたくても、昨日既にのどを潰してしまっているため、まったく声にならない。
立ち上がって声のするほうに駆けていきたくても、実は体も動かせる状態でもなかった。
こうなったら、彼らに気付いてもらって、こちらに来てもらうよりほかに助かる道はない。
……くそぉ。んなら、これでどうや!
がさっ!ガサガサガサッ!!
近くにあった草をはらって音を立てた。
頼む!気付いてくれぇ!
「なんか今、向こうで音せぇへんかった?」
よっしゃ!
俊宇は心の中でガッツポーズをとった。
もう一押しや。
ガキッ ザザッ……ガサッガサッ!
落ちていた小枝を使って、より大きな音を出す。
「ほんまや。行ってみるか」
ようし!来い、来い!
……これで、助かるんや。
しかし、その安堵の表情が次の瞬間、近づいてきたふたりの男の会話によって、一気に真っ青になってしまうことなど、
本人が知るわけもなく……。
「俺が先に見つけたんやからな!」
「きっと大物やで。鹿かなんかやったら、俺んちにも今晩分けてぇな」
「おぉ、かまへんよ。んのかわり、仕留めんのは俺やからな」
「へいへい」
……んなっ。なんやとぉ〜……!!?
「……」
なんと、そのふたり組はどうやら山に獲物を狩りに来た、村の男連中のふたりに違いなかった。
まずい。今出ないと、殺されるやんけ!!
俊宇の背筋が凍った。
「……にしても、お前のその弩、高性能やなぁ」
「羨ましいやろ?これな、ここの引き金引くと自動的に矢が飛び出す仕組みになってん。しかも、
その矢の勢いがこれまた虎の肌をも射抜くって代物よ」
「ほぉ。ええなぁ、それ」
ボーガンのようなものを思い浮かべてもらうとわかり易いだろう。
仕留めてやるよと言った男の手には、しっかりとそれが握られている。
俊宇からは、そんな彼らが見えなかった。
ただ、声だけが不気味に近づいてくる。
……くそ。立て!立つんや、俺!!
今出ないと、完全に出るタイミングを外してしまう。男が例のボーガンを構えてからでは遅いのだ。
ぐぐっ……。
必死に固く腫れた両足に力を入れるが、やはり立つところまでの力が入らない。
その間にも、足音はどんどん近づいて……。
もう……ダメや。
そう思ったとき!やっと足に力が入った。
立てる……!?
すくっと、不思議なくらいスムーズに、彼は立ち上がることができた。
立てた!!!
ガサッ
『!?』
一瞬のうちに木三つほど向こうにいた、声の主と俊宇の目が合う。
「あかん!子供や!!」
その後ろから声が鋭く突き抜ける……が、遅かった。
男は既にボーガンを構えていて……。
引き金を引く指にかけた力はもう、後戻りはできない……。
ビュン!!
空を切る音のすぐ後、鈍い音を俊宇は確かに聞いた。
パッと赤い霧が彼の視界に満ちる。
時が止まった。
空気は黒く、物は白く染まった空間で、一瞬だけ、俊宇と白いうさぎの目か合った。
お……まえ……!?
小さな白い毛皮は、そのたった一瞬で、……真っ赤に染まっていった。
そして……。
音もなく、その小さな赤い塊は草の上に無造作に落ちた。
「ぼうず、いけるか!?」
「……いやぁ、偶然うさぎが飛び出してきて、助かったな」
「あぁ。よかったよかった。……ところで、なんでこんなとこに子供がおんねん」
「そういや、夕べ、侯のところの末っ子がいなくなったとか言うて騒いどったな」
「なら、この子かぁ。それ」
「……なんにしったって、まぁ、見つかってよかったわ。ぼうず、さっきのことお父ちゃんに内緒やで」
「こいつ……傷だらけやな。かわいそうに」
「口、きけへんのか?」
ふたりの言葉のやり取りが、遠くで響く。
俊宇の時間は止まったまま。
血の池に落ちて今や息もなく、ふたりの男にとってはただの肉塊となってしまったうさぎの、わずかに残った白い背を見つめる。
……耳鳴りがした。
動悸が止まらない。
胸が痛い。
のどが冷たい。
目が……かすむ。
……死んだ。
偶然ではなかった。うさぎはわざと俊宇の前に飛び出して、その身を盾とした。
……お前、俺を助けようとして……。
「……せ。」
『ん?』
ふたりの男は顔を見合わせて、同時に俊宇を見下ろした。
「返せ……」
「……なんや、喋れるんやないか」
「『返せ』……って、何や?」
「さぁ」
「返せ!!」
俊宇はかすれる声で叫んだ。
のどが潰れていようと、たとえもう一生話せなくなろうと、今、このふたりの大人にどうしても言いたかった。
これだけは……!!
「こいつの命、返せやぁ!!」
「なっ……!?」
ボーガンを片手にしていたほうの男に俊宇が飛び掛かった!
「おい!こら、ぼうず!よさんかい。危ないやろがっ」
不意をつかれた男はあえなく後ろにどっと倒れ、小さな拳の乱打を両の手で防いだ。
無論、右手にしっかり装着されているボーガンはそのままに。
「返せ!返せ!俺の……ダチを返せぇ!!」
「あ、あかん!やめ、やめい!ぼうず。引き金が引かれでもすりゃ……」
見かねたもうひとりが止めに入ろうとした、そのとき……!
ビュッン!
『!?』
ふたりの男がその音にはっと息を呑む。
……矢は幸い、俊宇の小さな頬を裂いただけですんだ。
彼の右頬を浅くかすめ、先にあった木の幹にガッと突き刺さる。
……ふぅ。
冷や汗をぬぐった男は、はっと俊宇の顔を見た。
「……泣いとったんか、お前」
しかし、俊宇の耳にその言葉は届かなかった。
昨日今日で心身ともに限界に達していた彼は、さらに今ので精神が限界値を超えた。
心が壊れるのを防ぐため、ほぼ無意識に体の生理機能が働く。
「……気絶しおった」
その後、俺には三日間くらいの記憶が無い。
気ぃ付いたら寝台にいて、姉ちゃんが横で半泣きんなって、俺を散々ののしったことくらいしか覚えてない。
俺を見つけてくれたふたりの男は、おかんたちの前で俺に怪我させたことを平謝りしてたらしい。
……俺が謝って欲しかったんは、もっと違うことやったのに。
謝って済むもんでもないことやけど、そんでも俺はその一言が欲しかった。
……三日たっても、俺の声はすぐにはもとに戻らなかった。
こんなかすれた声のままになってしまうんやないかと、おかんたちも真剣に心配し始めたころ。
俺は……夢を見た。
それもあんま覚えてへんけど……、幸せな夢やった……気がする。
少し覚えてんのは、白いうさぎが高く高く元気に飛び跳ねていたこと……くらい。
目が覚めて俺は、自分の手の中にあるもんを見て驚いた。
それは、ボロボロの小さな布の切れ端。
あんとき、俺があいつの傷に巻いてやった服の切れ端に間違いなかった。
「……返しに来てくれたんか?……律儀なやっちゃで」
そう言った俺の声は、もとの声に戻っとった……。
そして、それから約11年後の今日。
翼宿は身を挺して、好いた人を、仲間を助けることの意味を知った。
あいつ、俺が助けとらんかったら、あのまま死んでたんやろか。それとも……。
しかし、翼宿は心の中で大きく首を振る。
なんのためにあいつが夢に出てきたのかと、考える。
今ならわかる。その意味が……。
でも、結論を言葉にしてしまうとやすっぽくなってしまうと、そっと心の奥にしまい込む。
あいつは今も、俺の中で生きてる。元気に野を駆けまわっとるんやから、それでいい。
唯一ある事実は、俺はあいつの恩人であいつは俺の恩人。
少なくともあいつは感謝してくれたんやから、なら、俺はあいつを心ん中で生かし続けてやることで、あいつに感謝したい。
恩返しや……な。
その夜、俊宇は幸せな夢をみた気がした。
終わり
恩返しの後半……でした。
なんでしょう。(なんだよ!?)
あぁ、いえ、自分で書いといてまだ余韻が消えなくて……。
私の中で翼宿という存在は、つおいあんちゃんって感じなんですね。
だから、こんな翼宿も書いてみたかった。
時期的にはHP開業とほぼ同時に書き始めた話なので、つまり結構載せるの悩んでたんですね。こんなだし。
ギャグ好きな珠珠の快挙です。
ではでは、この「恩返し」は翼宿ファンの人に捧げます。(といっても無断転載はやっぱり禁止!)