「朱……天童?」
少年はある墓の前で足を止めた。
「永安?」
隣を歩いていた男性が、子供の顔を覗き込むようにして尋ね、「あぁ……」とその墓を見るなり顔をほころばせた。
「この墓か……」
「陸さん、知ってるの?朱……って、僕の親戚の人かな?」
「いいや。私と家内がここに来たとき、既にあったこの村の人の墓のひとつだよ。姓は偶然同じなだけだ」
永安はふぅ〜んと横に並んだ三つの“朱”家の墓を眺めた。
今年5歳になる永安は、並みの子よりも早くに字を独学で覚えていた。だから、その真ん中の大きめの墓の主の名とともに、
小さく刻まれた“朱雀王”という字もはっきり読めた。
「朱雀王……?」
「あぁ。永安は知らないだろうけど、ここはな、昔私たちが朱雀を見た場所なんだ。ほら、よくうちのがみんなに話してるだろ?」
「朱雀を見たの……?本当に?」
「そうだよ。ここでその美しい姿にすっかり私たちは魅入られてしまった。ここに、朱雀村と名前を付けるくらいな。
しかも、その朱雀はこの墓に降り立ったんだ」
「え!……あ、だから朱雀王っていうの?このお墓の人……」
「ん?まぁ……な。でも、その朱雀王という称号は、この墓の人に朱雀自らが与えたものらしい。降り立ったそのとき、
墓にその名が刻まれたんだ。私たちは、本当にこの人は生前すばらしい人だったのだと思うよ。それこそ、朱雀の名に恥じず、
朱雀自らが認めたもうたくらいのな」
「……」
陸はくすりと笑う。
「君には難しかったかな?」
「ううん。そんなことないよ……」
永安は首を振って、そっとその墓に触れてみた。
「だって、この墓。なんだか、あたたかい……。本当に朱雀が宿ってるみたいだもん」
「そうか?……あぁ。君にも見せてやりたかったな。朱雀……」
すると永安はまた、首を横に振った。
「いい。だって、僕にはわかる。……その神々しく美しき赤い神獣、朱雀。あの姿はずっと忘れない。忘れるわけがない……」
「永安……?」
声が……。途中から子供のものではない、深く静かで気品ある声が、永安の口から漏れた。
それは、彼の前世、この墓の主の実弟にして、先の紅南国王であった星宿の声に違いなかった。
しかし、陸にそれがわかるわけもなく、彼は一瞬自分の耳を疑った。
「……陸さん?どうかしたの?」
永安の声に戻っていた。
振り向いた永安のその声を聞いて、彼ははてっと首を傾げる。
「永安、君、今何か言わなかったか?朱雀がどうのこうのって……」
だが、永安は「?」と、丸い目をした。
「ううん。何も」
「そ……そうか?」
紅南国寿霜県、朱雀村。
ここで生まれ5歳になった永安は、その日を境にちょくちょくその“朱雀王”の墓に足を運ぶようになった。
特にこれといった理由はない。
ただなんとなく、暇にしているとむしょうにそこへ行きたくなって、じっと墓を見つめるのだ。
花を供え、手を合わせるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
陸は度々、永安を都に連れて行ってやっているため、今日も朱家を訪れた。
「永安は?またあの墓ですか?」
「……えぇ。少しでも時間があると、決まってあの朱という墓を参って……あの子は」
「ひょっとしたら……前世で何かしらの繋がりがあったんじゃないでしょうか?」
「あの子が?……朱雀王に?」
「今思えば、あの子が生まれたときは昼間だと言うのに、夕日のよりも紅い光が窓から降り注いだとか?」
「えぇ。確かに」
「しかも、そのとき私は丁度“朱雀王”の墓の前にいたんですが、墓もまた紅く光っていたんですよ」
「……ほんと。不思議な子」
そういえばまだ話せもしない頃に、いきなり永安が「朱雀」と言って驚いたことがあった。
あの子は……特別なのかもしれない。思えば本当に小さな頃から、永安は聡く賢かった。
朱雀が授けてくれた子なのだ、と言う人もいる。
もっとも、それが前はこの紅南国皇帝彩賁帝で、しかも朱雀七星士の星宿であったことなど、誰も知るわけもないのだが。
永安はいつものように墓の前に花を携えてやってきた。
だが、この日はどこかいつもと違った。
なん……だろう。
永安の目が、天童の墓の前に置かれたある物を捕らえて、止まった。
綺麗な紅い花……?
「……きのうはなかったのに」
呟いた永安の中で、星宿が目を見開いた。
……誰だろう。私のほかに、この墓に縁のある者……。
だが、永安はとりあえず持っていた花を、そっとその紅い花の横に添えて、またいつものように手を揃えた。
そのとき、
「!?」
ドクンッ
永安の中で何かが大きく脈打った。
……あぁ、そうか。来ていたのだな……鳳綺。
「鳳綺様、風が冷とうございます。車の窓をお閉めくださいませ」
「いいのです。夢民。もう少しだけ、外を見ていたいのです」
「では、せめてお風邪を召されませぬよう、これを」
夢民は鳳綺に一枚の布を差し出した。
「ありがとう」
揺れる馬車の窓からは、まだ遠くにかすれゆく朱雀村が見えていた。
だが、それももうすぐ、林の木の向こうへと消えてしまう。
「……ここは、鳳綺様の故郷でいらっしゃいましたね。……いいところですね」
「そう言ってもらえて嬉しいわ」
「あのときの……倶東国の奇襲は……、亡き陛下もことのほか悔やんでおりました」
「……」
鳳綺はふとさみしい笑顔になった。
「けれど今、ここは朱雀村として再び復興の兆しが見えてきています。また、お墓参りの際には是非、
この夢民をお供にお付けくださいませ。いつでもお供いたしますから」
「……夢民、……あなたは天童のことを?」
夢民は頷いた。
「恐れながら、あのとき……。天童様が逆賊として、陛下の前に現れたとき私はほかの侍女とともに、恐ろしくて何も出来ずにいました。
……お止め申し上げるべきだったと。今はとても、後悔しております。またどうか、お墓を参らせてくださいまし」
「夢民、ありがとう。でも、これからまた忙しくなるわ。そう度々私が、政の一角から席をはずしていては、お困りになるのは、
次期皇帝……芒辰だもの。それに私がそれでは、きっと諸官吏の者も困惑するでしょう。……でも、この町に来て安心したことがひとつあるの」
「村の復興ですか?」
「いいえ、それもあるけれど。天童のお墓に供えてあったお花……、きっと誰かが供えてくれたのですね。この近くに滞在して4日あまり、
毎日お墓に通いましたが、とうとう会うことは叶いませんでした。けれど、はじめあった花とおとといの花は違いました。
きっといつも変えてくれているのでしょう。天童に、もう私の他に縁のある者はいないと思っていました。だから、嬉しかった……」
誰が、とは思わなかった。
ただ、安心したのだ。天童の墓を参ってくれる、誰かの存在に。
会えなくてもいい。自分が天童に約束し、その実弟・星宿にも誓ったことを、最後の最後まで全てまっとうするまで。
あの墓に触れてくれる者があるだけで。
無論、ここへはこれからも極力訪れるつもりだ。
“朱雀村”
またいつか、この村がかつての日の姿を取り戻す。そのときを願って。
朱雀村。永安と鳳綺……でした。
なんでしょうか、このふたりはもぅ〜……大人の愛!
愁い帯びた愛、なんて誇らしげな愛。それでいて、じつは健気で情熱的な……。
んー……。お子ちゃまの私にはわからない。
ちなみに、文中の紅い花と舞台が朱雀村ということもあって、壁紙はずばりです。
鳳綺さんの供えたお花がこんなかんじなんだぁと思っていただければと。
でも、……この花、何ていうの?(爆)