すみません。これは幻狼伝、昇龍伝とは別物です。無いものとしてお読み下さい。
翼宿は巫女を初めとする、まだ知り合ったばかりの七星のうち柳宿、星宿、軫宿、
そして張宿とともに皇宮の黄門を潜り抜けた。
中では残りの七星宿井宿がみなの帰還を待っており、鬼宿は何故か今は北東の倶東国にいるという。
とりあえず、行方の知れなかった星宿を全て集めて、美朱を含めた比較的早くから巫女のもとに集っていた
星宿、柳宿などは達成感に満ち満ちた顔をしていた。
新顔の三名だけが、今まで足を運んだこともない国の頂点の神々しさに臆したように、
居心地悪く足はすくんでしまっていた。
えらいトコやな〜。
若干一名、気分だけは観光気分であったが。
本来なら、一生、足を踏み入れることの出来ない聖地。
出来たとしても、まさか黄門を抜けて政府のさらに奥にある、天子の御所、
帝宮まで来ることの出来る者といえば皇族の中でも限られてくる。
つまり、ここは聖地のさらに奥、神域なのである。
七星のひとりであることに自覚のなかった彼でも、いよいよ禁軍総帥自らが伏礼して出迎えるこの白砂を踏みしめる頃になると、
実感が沸いてきたようで、ここで初めてかしこまったように襟を正した。
そういや、昔、ねーちゃんが言うとったな。
もし、七星士として皇宮に召し上げられる時が来たら、自分も一緒に連れてけて。
絶対絹の着物着るんや言うとったけど、あら嘘やな。
姉貴(愛瞳の上の)の嫁入りの時や。そんなこと言いようになったんは。
姉貴に絹の花嫁衣裳着せたかったんやろう。身内だけでやっとってえらい質素やったからな。
それにおかんが言うとったで。ねーちゃんは姉妹ん中でお古ばっかやったし、
姉貴がいい服持ってるとそれが自分に降りてくんのを待っとったふしがある。
姉貴があんな結婚したから、自分も同じことになるんやないかと不安なんはわかるけどな〜…。
……しゃーない。ほんまは来るきなかったんやけど、せっかくここまで来たんや。
土産のひとつでも持って帰ったるか。
引き締まった気持ちもつかの間。襟を整えたほんの一瞬後には、こんな思考になっていたのだが。
だから彼には、いつの間にかいなくなっていた星宿を気にかける余裕さえあったのだ。
それに追い討ちをかけたのが、この次に起こる出来事である。
「おかえりなのだ〜!!」
嬉しそうに飛び跳ねた影と声。全く予想だにしていなかった妙に明るく軽い響きに、
一瞬面食らった人間の誰もが子供かと思ったのも無理はない。
「相変わらずね〜」
柳宿の一言で我に帰り、改めてみてそれがとんでもない物体であったことに気付く。
この人が、井宿……さん?
この小さいのが井宿……なのか?
張宿、軫宿の順に一瞬の思考がめぐった。
彼らを尻目に美朱と柳宿が懐かしそうにその物体と挨拶を交わす。
だが、意外にも翼宿はその場の誰の反応とも異なった。
すっと、一瞬だけ元に戻った井宿と目が合った。
「……よく来たのだ」
……やっぱりそうや。
このほそっこい目。お茶らけた仕種。この口調のどれをとっても、彼を他人と間違えることなどあろうはずがない。
来てしもうたか。ついに奴の言ったとおりになったんや……。
翼宿はほかの新顔二人が今出逢ったのに対し、むしろ柳宿や美朱の再開に近かったのだ。
そう。彼らはこれを遡ること三年も前に一度だけ……逢ったことがあった。
三年前、翼宿はまだ14になったばかりの頃。まさに彼は難しい思春期とやらの真っ只中にあった。
俊宇と呼ばれ、必死に自分の生きる道を捜し求めていた頃は、考えてみればそんなに昔でもないのだ。
まるで昨日のことのように、思い出せる。
翼宿はいつの間にか14の少年になっていた。
「こらー!!俊宇!どこにいるの!?隠れてないで出てきなさい!!」
小さいときから聞きすぎて、慣れを通り越し、頭がおかしくなりそうなすぐ上の愛瞳の怒鳴り声が、
今となっては懐かしいような気さえしたというのは余談だ。
問題は今自分がおかれている状況だ。
ここは……物置か。
そういえば、我ながら情けない話だが、俺はよく叱られるとわかるとしょっちゅうここへ逃げ込んでたな。
いつの間にか隠れ家になっとったんや。
妙に落ち着く匂いと埃っぽい空気が、どことなく悲しいくらいの懐かしさが、つんと鼻を突く。
14にもなって、女々しい限りや。
それでも、嫌とは思わなかったのは何故だろう。結果的にはうちを飛び出す事になったが、それは、おかんが嫌いとか姉貴が怖いとか、
少なくともそんな心境でのことじゃない。
姉貴の背を追い越した瞬間から芽生えていた、どうにも押さえつけられないこの身の内側の激しさ。
自分は今、そんな心身ともに微妙な年に舞い戻ってきてしまったようだ。
そういえば、実際うろ覚えだったが、確かにこの頃だった。
……初めてあいつに逢ったんは。
「叱られたのだ?」
ふいに天井から降ってきた声に、記憶の隅にあった高い位置に穿たれていた小さな窓のほうを見やる。
そこには、おかしな顔があった。
「誰や!?お前」
「……やれやれ。人に対する礼儀がなってないのだ。……それで、本当に七星士のひとりなのだ?」
逆光で顔の輪郭ははっきりしないが、その中で怖いくらいに目立つ糸目は印象的だった。
「なっ……!?なんで、お前がそんなこと知っとんのや」
やれやれ、やっとそれらしい気を辿ってきてみれば、まだこんな子供だったとは。
そうとは確証はないが、どうやら彼は翼の文字……。翼宿なのだ。
なるほど、術師の異名を持つのは自分だけか。と、この時理解したが同時に少し寂しい気もしたのだった。
「オイラは修行中の身とはいえ、多少ながら気に関しての能力が備わっているのだ。君からは、七星士の力を感じるのだ」
「修行僧が通りすがりに人ん家の蔵覗くんかい」
「失礼なのだ」
「どっちがじゃ!」
「旅をしていると、君のように強い気にめぐり逢うことも珍しくないのだ。ただ君は精神的にはどうやら劣勢のようなのだ」
「なに?」
「あ、君のお姉さん!」
「!?」(ビクゥ!)
けたけたと、その妙な僧は人の家の倉庫の窓辺で笑い転げた。
……はかられた!
「ふざけんな!!ひきょうもん!そんなとこにおらんと、降りてきて正々堂々戦ったらどうや!」
「……別に君に喧嘩売りに来たわけじゃないのだ。ただ、ちょっと今夜一晩」
「ダメや!」
「……まだ、なんにも言ってないのだ」
「今夜うちに泊めてくれ言うんやったらお断りや。他あたれや」
「困ったのだ……」
「は?」
何を困るというのだろう。ここらへんはそんなにへんぴな場所でもないし、人家だって少し行けばいくらでもあるはずだ。
うちも、泊めるのは俺が猛反対したところで、修行僧に食べ物ひとつ恵む余裕が無いほど貧乏やないしな〜。
あまりの僧侶の失望ぶりに、一瞬面食らったようになった俊宇だったが、さらに一瞬後自分が驚きのあまり物置をとび出すところまでは、
流石に予想していなかった。
「!?……おい、どないしたんや……顔色ようないでお前」
逆光の中でもその蒼白が異様なのは見て取れた。
満点の笑顔のはずが、どこか自嘲気味に笑ったように見えたその時。
ふっ
突然、その顔がいなくなったかと思うと、
ドスンッ!!
「あ、いた!!こらっ!俊宇……」
「ねぇーちゃん!んな場合ちゃう!うらで人が落っこちよった!」
「……はぁ!?あ、ちょっと……!」
「お騒がせして、申し訳ありませんのだ……」
「あら、いいんよ。そんなに遠慮せんと、もう少し休んでおいきな。相当疲れとるようやから、今夜うちに泊まって……」
「おかん!」
「あんたは何やの!さっきからやかましいわ。僧侶さんが、おちおち休めやしないやないの。
大体、助けてくれ言うてこの人うちまで担いできたのあんたちゃうの?」
「……そうなのだ!?」
「……ふんっ」
僧侶は少し笑うと、寝台の上からふてくされて部屋の隅にいる子にお礼を言った。
「へんっ!まんまとうちに上がりこみよってからに」
「俊宇!旅のお坊さんに向かって失礼やないの!!」
「ひっ!?」
「愛瞳、お帰り。買い物えらい早かったんやな」
「うん。今日は本当は俊宇がいくはずやったんやけど〜」
じとー、という視線に居心地悪そうに俊宇は顔を反らした。
「こらっ!なんやの、その態度は」
「愛瞳!仕方ないやろ?俊宇はこの人のこと看ててあげなならんかったんやから。
ほら、さっさと台所行って姉ちゃん達と料理手伝っとくれ。あたしも後から行くよ」
「……はぁーい」
しぶしぶ、愛瞳はもと来た廊下を戻り、台所へ向かった。
「やれやれ、騒がしいんはこっちやな」
「こらっ。毎回その元凶は誰やと思っとんの。あんたやあんた!」
「うわっ!?まだおったかんかい!とっとと行っちまえや」
「なにを〜!姉ちゃんに向かって……」
「愛瞳!」
「……ふんっ」
大きな足音を響かせて姉がいなくなったのを確認すると、俊宇はすかさず「べぇっ」と舌を出した。
「やれやれ……。すまないねぇ。真昼間からこの騒ぎったら」
「いえ……」
今まで呆気にとられて一部始終を見守っていた彼だったが、少年の性格形成がそもそもこの家族であったことを、
なるほど理解していた。
暫くして、母親が末っ子にちゃんと看ててあげるようにと言い残して席を立つと、部屋の中にはふたりだけが残され、
物置にいた時とまったく似たような状況に舞い戻ってしまった。
はじめに口を開いたのは年長のほうだ。
「オイラのこと、買い物に行かないための口実に使ったのだね」
背はあるほうだが、やはり顔はまだ幼さの残る少年はそのあっけらかんとした声につられるように、
「悪いか。そっちやって、どうせ仮病のくせに。まんまと今夜うちに居座りおって。お互い様じゃ。
姉貴(一番上の姉の通称)がさっきあんたの汚れた袈裟洗っとったし、今晩あんたを泊める気満々や……」
くつくつ笑う顔に、確かに細目の笑顔は浮かんでいたが……。
「なぁ。あんた、ほんまに仮病なん?」
「今、君が言ったのだ」
「そうやなくて、ほんまにあん時顔色……」
そこで、はっとしたように彼はずいっと寝台の僧侶に近寄り、上から下までまるで品定めするようにまじまじと見た。
「……どうしたのだ?」
「あんた、あん時どうやってあんな高い窓んトコに顔出しとったんや?」
「あぁ……!」
最もな質問である。
じぃっと答えを待つ、俊宇の眼差しがまるで小さな子供のように丸くなっているのを見て、また笑いたくなってしまった。
「おい!」
「わかったのだ。今、説明するのだ」
というより、実証に近かった。
僧侶は、おそらくこの家の誰かが立て掛けておいてくれたのだろう、寝台のすぐ手前に掛かっていた錫杖を取ってくれるよう彼に言った。
それを受け取り、しゃんっと一振り。
「へっ!?……うっ!うわああぁぁぁ!!??」
そんなに高くもない空中でも、やはり地に足が付かないなどという経験ははじめてだろう。必死にじたばた四肢を動かす。
「こういうわけなのだ」
「わっ、わかった!わかったから、はよ下ろせ!!」
「わかったのだ」
と、その時、俊宇は確かに「うっ」という呻きのような声を聞いた。
ドスンッ!!
「……いってぇ〜!おい!もうちょい優しく……」
いささか乱暴な下ろし方に抗議しようと、きっと尻餅をついたまま寝台のほうを見上げた。
その上で僧侶は、何故か錫杖を取り落とし、両手で頭を覆っていた。
「……おい?どないしたんや?」
その肩が震えているのを見て、只事でないと思った。
だが、僧侶は
「なんでもないのだ……。ただ今日みたいな日に、ちょっと力を使いすぎただけなのだ」
「頭痛いんか?」
差し伸べた手が、優しく払われた。
その時、俊宇の顔がはっとこわばったのを、僧侶は見ていなかった。
「大丈夫なのだ。ちょっとひとりにしてほしいのだ……」
「あぁ。……やっぱ、あんたほんまに気分悪かったんやな。ほなら、しばらくあっちいっとるわ」
布団の上に無造作に置かれた錫杖をもとあった壁に立て掛ける。
「そや。気分悪いとこ、悪いけど名前教えてくれんか?」
これも、最もであった。一晩とはいえ、泊める相手の名前くらい、家族に知らせたって罰は当たらないはずだ。
「芳准。……李芳准」
「俺は侯俊宇。んなら、後でな」
俊宇は部屋を出ると、戸を背に暫くそこにいた。
落ち着かなかったのだ。とても、こんな顔で家中を歩いたら、何か言われる。
彼の顔は紅潮していた。
腕に違和感を覚えたのは、さっき手を振り払われた時だ。
ぐいっと、右腕をたくし上げる。
……字が出とる。
それに、あの僧侶に触れた時、確かに温かい気を感じた。
今、自分の“翼”の字が発しているものと全く同じ気を彼から感じ取っていたのだ。
まさか……!?七星士?
その日、当然のことながら、俊宇が来客の世話を全般的にすることになった。
といっても、お昼を運んでやったりする程度だったが。
芳准が気分が悪いということを知っていたから、昼御飯を残しても文句は言わなかったが、流石に夕飯もとなると黙っていられなくなった。
「おい。ちゃんと食えや。俺がこういうのもなんやねんけどな、ああ見えてもおかんや姉貴達の料理は絶品やねん。
俺なんか、残したら殺す言われとるけど、実際上手いから一度だって残したことないんやで?」
「確かにおいしいのだ。じゃあ、頑張ってもう少し頂くのだ」
「おい」
「……なんなのだ?」
あんたは七星士か。とは、どうしても聞けなかった。
素直でない。といえばそれまでであるが、何故か彼には仮に七星士であってもどこか、それと訊いてはいけないような雰囲気があったのだ。
それに、どうやら先にこっちが見破られている分、あっさり訊いてしまうのは悔しい気持ちもあった。
変わりに、
「昼間、今日みたいな日っつっとったな。確か。……あれ、どういう意味や」
「それは……」
この質問はされるとは思ってなかったのか、芳准は一瞬口篭った。
「……俊宇くん。良い物あげるのだ」
「ひょっとしてそれ、誤魔化しとんのか?」
この手の漫才会話に慣れていた彼には、とっさの誤魔化しを見破ることなど容易い。
それに、下手な誤魔化し方やったな。とは、後の談である。
それだけ、目の前の大人がこの子供の質問に動揺していたということが窺えたということだ。
「でも、いいもんならくれ。ただし、俺の質問に答えてからやぞ」
「……はぁ。君には負けたのだ」
窓を開けると涼しい風が、部屋に侵入してきた。
外の空気が吸いたいというので開けてやったのだが、俊宇は彼の意図が実は他にあったことを後で知るのである。
「数年前の同じ日だったのだ。オイラが大事な恋人と親友をいっぺんに失ったのは……」
突然の切り出しに面食らい、俊宇は一瞬唖然となった。
「今、なんて……」
「だから今日はふたりの命日なのだ」
「死んだんか。その人たち……。なんでや?」
子供にはわかるまいと、彼は再び誤魔化した。
「毎年今日になると、寂しくなるのだ……」
それは、大人の誤魔化し方だ。ずるいと思ったが、それに関しては敢えて何も言わなかった。
訊くべきではないと、子供心にそう思った。
まだ、この人は傷付いた顔をしている。訊くと可哀想。といった程度だったが。
「だから、今日だけはまるで喪に服したように身体の自由が訊かないのだ。身体が一切の躍動を拒否しているから、
下手に力を使うと昼間のようになってしまう。そんなすっかり気が滅入っていた時に、丁度君の家を通りかかったのだ」
「あぁ。そういうことか。俺様の輝かしい七星士の気を頼ってやって来たというわけやな!」
得意そうな顔になる俊宇を見て、芳准は吹き出した。
「あ、こら!そこ、笑うとことちゃうやろが!」
「すまないのだ。君があんまり、オイラと正反対だからつい……。君は、自分が七星士であることをしっかり受け止めているのだね」
「せや。自覚とか、んなカッコいいものとはちゃうやろうけど、この腕の文字は俺の自慢や」
今は出ていないが、ぐいっと自慢げにたくし上げた右腕を見せ付ける。
「いつか、俺の前に巫女が現れて、その人守るために戦い抜くんや。最も、それより面白そうなこと
……他に、俺やないと勤まらん大事なことがあれば、その時には俺はそっちに傾くかもしれんがな」
彼にとって、今のところの七星士の自覚はそんな感じなのだろう。
それでも、大事な人を失って自分ばかり生き延びる結果となってしまった原因のこの文字を、疎んじている今の芳准よりかは
よほどまっすぐに運命の星を受け入れている彼のほうが、数倍大人のようだった。
「大丈夫なのだ。君だったら」
「けど、七星士はひとりやないやろ?」
「?」
「もし、一緒に戦う仲間の中に腰抜けがいたら俺、嫌やな〜。そんな奴に、大事な命預けられるわけないやないか」
その道理はぐさりと青年の胸に突き刺さった。
「……なるほどそうなのだ」
「なんで、あんたが落ち込んどんのや」
心の中ではけけけと、意地の悪い笑いを浮かべていた。
「え?……あ、そういえば良い物あげるって約束なのだ」
「お?」
そういえば、という顔はお互い様だった。
芳准にとっては逃げ道で、俊宇にとっても出来れば「七星士か?」なんてこの状況で訊きたくはなかったから、思いがけない助けになった。
芳准は懐を暫く探ると、「あったのだ」と、お札のような紙切れの束を取り出した。
「えー?お札!?俺そんなんいらんで!」
それを見た俊宇がすかさず抗議したが、芳准はにっと笑うとおもむろにその札の一枚を手に取ると、何やらさらさらと書き始めた。
「?」という顔でそれを見ていた俊宇だったが、好奇心の塊のような年頃の彼は、興味深深といったふうに暫くすると芳准のすぐ横まで寄って、
その札を覗き込んでいた。
と、その時!
ワンッ!!
「な!?……どわっ!?」
ばふんっ
柔らかい感触に押しつぶされ、俊宇はもがいた。
ぺろぺろ……
「う?なななんや!?よ、よせ!やめっ……!!」
べりっと顔に引っ付いていたそれを強引に剥ぎ取ると、俊宇は固まった。
い!いいいいい、いぬぅ〜〜〜〜〜〜!!!???
黒い自分と同じくらいの大きさの犬が、覆いかぶさりじゃれていたのだ。
い、良い物ってこれかい!?
「こ、こらー!はよどけてくれー」
だが、返事は返ってこない。
「!?芳准!!」
今度は頑張って少し待ってみたが、やはり結果は同じ。
おらんのか!?
暫くすると、犬は何事も無かったように突然ふっと消えてしまった。
やれやれと、疲れきった顔で部屋の中央の机のほうを見やると、そこには先程まで芳准が食べていた夕飯の食器が綺麗に重ねられて置かれていた。
全部食べた証であったが、肝心の本人の姿が寝台にない。
しかも、立て掛けてあった錫杖もいつのまにか消えていた。
……完璧にはかられた。
しかし、その寝台の上には確かに束になったお札が置かれていた。
これで、さっきの犬を……?という考えに行き着くまでにさほど時間はかからなかった。
だが、
「あのバカ。忘れていきおったな」
と、それを受け取る。これは最後の最後にしてやられた、自分なりの抵抗のつもりであった。
窓を開けさせたのは、このためだったのだ。
身体はもういいみたいやったけどな。
「……大事な人の死、か」
死別などまだ経験していない。
けど、家族の中で誰かが突然いなくなったりしたら、俺もああやって引きずってしまうかもしれん。
どんなにいびられとってもやっぱみんな俺の大事な人やから……。
この先、まさか彼といくつもの大事な人の死を看取っていくことになろうとは、夢にも思わずに、未来の翼宿はひとり思った。
七星士の中で、最後までこの世界で生き残る定めの星を持った、たったふたりの星宿の出会いは実は誰よりも早かったのかもしれない。
その出会いはなんとも唐突に、そして、突然終わった。
彼を追おうとも思わなかったし、星宿の名を訊きそびれたことを悔やんでもいない。
いずれはまた逢うことになるのだから、そんな必要はないのだ。
そして、その三年後に彼らは皇宮という、行き着くべくして行き着いた場所で再開を果たした。
「はじめまして井宿さん」
「はじめましてなのだ!」
……なんや、えらい明るなったやないか。
張宿と挨拶を交わす彼を見て、そう思ったのは翼宿だけだ。
そして、
「芳……」
「はじめましてなのだ。翼宿」
はじめまして?
自分は、にこにこ笑うこの特徴的な顔を見たのははじめてだったか……。
「はじめまして」
ま。そゆことにしといたるか。
「あ、愛瞳さん」
「!?」
それがたとえ小さな声でも、この名前には反応するように身体が出来ていた。
いるわけはないのに、井宿の呟きをまともにうけ、翼宿は一瞬あたりを警戒した。
「どうしたの翼宿?」
今や、かつて自分が守ると決めていた巫女である美朱が心配そうに見上げる。
その横でくつくつと笑う井宿にも、柳宿がどうしたものかと覗き込んでいた。
「この……」
星宿が礼装に身を包み、姿を現したのはこの時だ。
今ここに、仮にではあるが、七星士が集った。
運命の歯車は、この時わずかに合い目を間違えたのかもしれなかった。
それでも、彼らは進み、乗り越えていく。
それは、仲間の死ではなく、果てしない心のすれ違った世界でもなく、愛という激しく、でもどこか幼い心が引き起こす地盤の緩み。
踏み外しても、支えてくれる仲間がいるから迷うことなく進んで行けるのだという事を、これから互いに学び取っていくのだ。
愛ゆえにすれ違う心があれば、散りゆく命もあろう。でも、それがより互いの心を強く結び付けてくれることを信じて。
そのために、出会いがあり、また別れがあるのだということを忘れぬように。
終
スランプ一時脱出!
とりあえず状態ですが^^;
なんとなく書き易かったので、翼宿と井宿のけんかのほほん…え?けんか!?のほほん!?
のほほんらしいところがなひ〜(泣)
井宿お願いだから暗くしないで(笑)なんて心境で書いてたら、こんなことに…。
だったら微妙な舞台背景作るなよって感じなんですが、なかなか最近ギャグセンス(!?)が冴えなくて。
ギャグセンスのめっちゃよい星夜さまにこんな物を差し上げることをどうかお許しを。
スランプ時期脱出のために今できるせいいっぱいの作品なんです。
頑張りました!(力説)