去る2005年10月、重い腰を上げて、もとい満を持してドイツを訪問しました。旅行の企画は本
研究所の翻訳者である札幌のうさぎさんによるものです。語学に堪能ということも有って、現地 での心強いパートナーになること請け合い。
日本からの飛行時間は11時間以上に渡り、眠さや疲労との戦い。腰痛持ちの私には危険な賭
けでした。フランクフルトに到着し、国内線でドレスデンに行って一泊。翌日DB(特急電車)でラ イプツィヒ入りしました。
ライプツィヒ初日の晩はかねてより予約しておいたゲヴァントハウスでのオルガン演奏を拝聴。
さすがの大ホール、音響は抜群でした。オルガンは演奏台の上方にあるスリットの開け閉めで 強弱がつけられるという変わった機能が付いていました。演奏は若手オルガニストのミヒャエ ル・シェーンハイト氏です。その演奏は・・・若手なりといいましょうか(苦笑)。 ![]()
翌日は日曜日。あわよくば礼拝に参加できるかも?と思いつつ、朝9時頃にトーマス教会に向
かいました。早速、有名なバッハ像の前で一枚。本人はポーズを真似ているつもりのようです。 ![]() ![]()
緊張しながら教会に入ってみたところ、案の定日曜礼拝の準備が行われていて、入り口で礼
拝用の冊子を配っていました。その日は三位一体の日でした。席について待っていると、頭の 上から突然オルガンの音が!礼拝の中で演奏される曲の試奏をしていたのです。その響きた るや感動的。当日のオルガン演奏は知る人ぞ知るウルリヒ・ベーメ氏。フーガの技法のCDも 出しているオルガニストです。
礼拝中に演奏されたのは合唱隊によるルターのコラールやジョスカンデプレのモテット、それ
からオルガン独奏でブクステフーデやメンデルスゾーンなどなど。コラールの何曲かは会衆と 一緒に歌わせてもらいました。失礼ながら、これほど上質な「コンサート」はなかなかありませ ん。まさに至福のひと時でした。
などと感動しているところへ、何やら不思議な笑みを浮かべた男性が袋を持って席を回り始め
ました。何かと思ったら、お布施の催促(笑)。
次の月曜日はバッハの故郷、アイゼナハへの電車旅行を敢行しました。ライプツィヒに比べる
と静かな田舎町。ヴァルトブルクという古城が有名のようで、かつてマルチン・ルターが聖書を ドイツ語に訳した部屋などがあります。 ![]()
そう、ご当地はルターのメッカの1つ。ルターが住んでいた家とバッハの生まれた家は、歩いて
数分の距離にあるのです。バッハが敬虔なプロテスタントなのも無理のない話。
バッハハウスの前には有名なバッハ像があります。またしても本人は銅像の真似を・・・
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バッハハウスの中は資料館になっていて、当時の楽器や生活用品、楽譜のコピーなどが拝見
できます。裏には美しい庭があって、きれいに手入れされています。 ![]() ![]()
定時には古楽器の演奏が行われるのですが、これが見たくて集まる人が多かったです。説明
に出てきた博物館の職員さんが、おもむろに弾き始めます。曲目はアンナマグダレーナバッハ のためのクラヴィア小曲集など。 ![]()
バッハハウスの近くにあるゲオルグ教会も覗いてきました。バッハゆかりの地だけあって、入り
口には有名なバッハ像があります。ドイツには有名なバッハ像が何体あるのやら。 ![]()
「よし、次は楽譜だ」と張り切ってライプツィヒに戻り、トーマス教会の近くにある店へ直行。古い
楽譜も扱っている気の利いた店で、旧バッハ全集の大半が並んでいました。張り切りすぎて店 の写真を撮るのを忘れちゃいました・・・。残念ながらフーガの技法の楽譜はありきたりのもの ばかり。戦利品はアンナマグダレーナバッハのためのクラヴィア小曲集です。有名な1725年版 だけでなく、1722年版もすべて含まれており、まさに完全版です。 ![]()
3泊のライプツィヒ滞在、他にも色々なことがあって充実していました。企画者の札幌のうさぎさ
ん、本当にありがとう。そしてさようなら、ライプツィヒ。また会う日まで。 |