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テレビ、新聞、家族の会話、仕事から、「花について」「米について」「農業について」 日々感じること思ったことを、綴りました。
それらについて夫が心の中でためていて口にはなかなか出してくれない思いを つぶやいた時に、
筆無精な夫にかわり妻が綴って公開しています。
(夫のつぶやきを「 」に、夫がどんな時につぶやいたかその背景を( )の中に、書いてあります。)
つぶやいた内容について、感じられたことをメールしていただけると参考になります。
過去ログ:2004〜2005
2010年
1「自分が1番年上で,長老?だよ。自分たちの年齢でパソコンでメーリングリストに入ってやる人はそうはいないから
長老になってしまうのは仕方ないな」」
(6月に米関係のメーリングリストのメンバーが我が家によってくれました。宮城、新潟、福島と米どころから視察に
来ました。皆さん、まだ40代で働き盛りです。米の視察は、はじめてかなと思います。楽しみにしていた感じでした)new!
2009年
4「自分の思っている以上の米に仕上がらないのは、自分が目標にしている水準が高いのかもしれない。もう少し
収量を減らして味のいい米にするように施肥設計を考えようかな」(12月)
(21年産の普通栽培の「ゆめしなの」の仕上がりが、もうひとつだったので、いろいろ考えて悩んでいました。
何が原因でいまいちのできになったのか、これからの栽培でどうしていけばいいのかわからなくなっていました。
そんな中で、考えたことのひとつが以上のようなことでした。)
3「次女は食うことだけには、贅沢だよな!
自分で食べたいものを自分で作って食べている。バイト生活でお金は大変だが、かたや贅沢なことを
している。」(12月)
(次女は、飲食関係の仕事をしていましたが、いろいろあって辞め、バイトで生活をしています。そして空いた時間は 畑をやっています。
食べたいものや作りたいものを自分で作り、それらを使って自分で料理も考えてやっています。)
2「食べる側の満足度と作る側の満足度とはちがんだよな。
作る側がいくらこだわって、例え完全無農薬でやったとしても美味しい米でなければ誰も買ってくれないだろう、
つまり食べる人が満足しなければ売れない。そのギャップがうまくいけばおいしい米になるだろうと思う」(12月)
(直売所の米について、いろいろな反応が届き改めて食べる側の感じ方を知りました)
1「標高の低い所でたくと、うちのこめも美味しいだろうな。炊くときの、沸点が高くなるからおいしいと思うよ」(8月)
(私の関西にいる友達から地元の農家さんから買っていたが、ここでなくなってきて分けてもらえなくなり米を分けて欲しいと、
しかもかなりまとめて欲しいと言ってきました。そこで、標高差によっておいしいさがちがう話になりました)
2008年
5「ゆめしなのの粘りは、コシヒカリとアキタコマチの間ぐらいかな。
高冷地で作るとどうしても、ねばりが出にくいな(高冷地で栽培するとアミロースが増えるから仕方がない)」(12月)
(平地の人が、自分の米はパサパサしているといったので、米の粘りの話題になりました)
4「有機栽培は、毎年のブレが大きいな」(12月)
(趣味をこえて、本格的に無農薬栽培の米作りに挑戦している大阪出身の人と有機栽培の会話から)
3「農業をするにあたって、サラリーマンのように時間内終われるような仕事をしたいと思っていた。
水田が荒れていくのが、いやで水稲経営が大きくなってきた
地域が高齢化する中で、農業を楽しく、また新規参入の人の後押しをしてあげたい。
魅力ある経営内容なら、外からきても自然とやってくれるのではないかと思う。
宮坂の経営は、安心できるな、あーいう経営をしたいなと思われるような経営をしていきたいと思う
今回の協定内容は、普段2人で話し合いしたことを、そのまま文に書き留めただけだが、
改めて再確認した。」6月
(家族経営協定を3家族が結んで調印式がありました。当日、代表で挨拶をしたときに話した内容です)
2「そんなふうに見えるかな。イヤ、大変なときだってありましたよ。
(そんなふうに言われたのは、初めてだったので嬉しそうに見えました)」(6月)
(田植えが終わって一段落したとき、手伝ってくれた人を招いて焼肉会をしました。その時手作りの黒米使用のどぶろくを飲んでもらいました。
その時、招いた人の中の一人から宮坂さんは人生を楽しんでいる感じがして、うらやましい!なと言われました
1「今度は、「籾摺り機」の能力が今の面積では低くて、大きい能力の「籾摺り機」を買わないと追いつかないな。
ひとつの機械の能力をあげると次から次へと周辺の機械の能力をあげていかないといけなくなり、
機械の買い替えの止まるところがなくなるから、どこかで一線を引かないといけない。
それをどこでやるかだが、後継者家族との生活ができるようなところでやめようかと今は思う。
稼ぐばかりでなく余裕をもって仕事や生活をやりたいな」6月
(新品の米の乾燥機を購入しました。、今まで乾燥機の能力が小さくてコンバインとの刈り取りの能力が発揮できなかったが、
やっとフルに使えるので効率があがったと話しました。私など楽になってよかったと単純に思っていましたが、新たな悩みも出てきたというのです)
2007年
4「父親が委員長になって苦労して圃場整備したから、父の願いを思うと荒らしたくないので、転作田なしでやっている。
転作では規模拡大ができない。転作なしでは報われないのが今の現状だ。転作せずに済む方法はないか」(2007.11)
(11月に米生産者を招いての集いの記事が米穀新聞に掲載され、夫の意見が書かれていたので、かきました)
3「自給率が今、40%だが、小麦、とうもろこし、大豆、そばなどはほとんどが輸入だ。米だけが、なんとか国内でまかなえている。
その米を今は食べなくなった。これからの日本の食料はどうなるのか」
(日本の食料の自給率がいっこうに良くならないというニュースを聞いて、これからどうするんだろう、どうなるんだろうと)
2「あと5年もたったら、肥料もなくなるのではないか(石油がなくなると化学肥料がなくなる)。
それ以上に、耕すのに大事な燃料もなくなるのではないかと心配になる。
便利になったすべては石油のおかげだから、いまさら人間の手ですべてをやるのでは大変だ。」(2007.10)
(石油の高騰で先行き不安になって、臼引きのときに昼ご飯を食べながら話題にのぼった話です)
1「うちの米はおいしいでしょう。おいしさのちがいは、作る人によって、田んぼによって、場所によって微妙にちがってきます。
それにちょっとした作り方で味が変わるからね。それと、各々の田んぼの土の質や水の減り方のちがいもあるな。
そう考えるとお米っておもしろいけど、難しいですよ!」2007.1
(直接、お米を買いに来てくれる人が「宮坂さんのお米はおいしいですね!」と、言ってくれたことに本人がお米談義をしました)
2006年
6「なかなか、いい男にうつっていたよな。」それはいいとして、アナウンサーがこんなふうにまとめてくれたのがうれしかったです。
「生産者の夢は、ゆめしなのが多くの家庭の食卓にのるのが夢かもしれません」
(10月に長野の地元のテレビ局で「しなの」とつく食べ物集合というので、取材がありました。わが家の「ゆめしなの」がそれだったのですが
他にりんご、地鶏なども放送されました。ゆめしなのと言う名前も夢がある名前でいいでしょうと放送の中で話をした)
5「消費者も安心とかもあるけど、今の消費者はそういうことを含めいろいろ気にかけるようになってきたね。」2006.10
(何かの資料で、米の購入先の調査があり、農家から直接購入が20%少々だったというのを知った。「やはり、作った人がわかると食べるのも安心ね」といったら)
4「米の値段は今後上がるというはないと思うよ。それより、どこまで下がるかだろうな。今の値段から1000円以上下がるようだと
米だって経営は厳しくなるな」2006.3
(鉢花、切り花、セロリーを作っている家の奥さんと話していると、このところ「こんな不安定な経営なら後継者を迎えても二家族分を養う収入は無理ね。」
という話しがよく出ます。私達の周囲も後継者をどうするかという年令になってきました。わが家だってそのことについては日頃から深刻な悩みです。)
3「カメムシの被害で、黒い米(着色粒)が出てしまったからな。見た目をきれいにするには精米度をあげるしかない」2006.2
(農業新聞でカメムシの被害が甚大だと記事があったので、きいたところわが家も被害があって消毒はしたという。
大量に買ってくれているところから米の中に黒い粒が入っていて気になると言われ、はじめて私は気がつき
それがカメムシの被害だと教えてもらった。こういう黒い米があるだけで等級が下がり私達は経済的被害を被る。)
2「本当においしいのはほんの少しだけだな。どれも粘りは確かにあるが、甘みが(米に味がある)ほとんどない。
自分の米の味を基準にしているからかもしれないが
米に味がないのは、米が熟する間の自然条件の中味の違いかな、多分ほとんどの地域が昨年そこで
暑すぎたのではないかと思う。」2006.2
(新米の味比べを、生産者、米屋さんのグループで1月にやった。違う産地のコシヒカリがたくさん届いて楽しみに食べたが)
1「日頃から力仕事をしている人と、そうでない人はちがうと思うよ。けど、自分ももう体力が落ちてきたのが判るね。
だから、新しい機械を買ってそこをカバーしていけばもう少しやれると思う。
65才ごろまでは、このままがんばって走ってそれからスピードダウンしていこうと思う。」2006.2
(60才を過ぎたら急に体力が落ちるから気をつけないとと、サラリーマンを夫に持つ姉からいわれた。ついでに将来の展望も聞いた)