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惜桜小屋日記

2007年9月8日(土)


 大空に浮かぶちぎれ雲を見ていたら、国木田独歩の詩想 『丘の白雲』を思い出し、書棚の隅から引っはりだしてみた。

 大空に漂う白雲のひとつあり。童、丘にのぼり松の木かげに横たわりて、ひたすらこれをながめいたりしが、そのまま寝入りぬ。
 夢は楽しかりき。雲、童をのせて限りなき蒼空をかなたこなたに漂う意(こころ)ののどけさ。(中略) 童はいつしか地の上のことを忘れはてたり。
 めざめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉火のごとくかがやき、松の梢を吹くともなく吹く風の調べは遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。(略) この後、童も憂きことしげき世の人となりつ。さまざまのこと彼を悩ましける。そのおりおり憶い起こして涙催すはかの丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。    (国木田独歩)

 自然を通じて人生を見る、独歩の世界が見える掌編。
残暑に潜む秋の気配が、もう十分生きたはずの身にも、感傷という名の物想う季節を運んできたようである。