山奥に放置された廃屋には、たいがい滅入るような寂寞とした空気が漂っているものですが、ここは不思議なくらい明るいのはなぜ!?。
初夏の日差しに若葉が輝く、季節の後押しもあるでしょうが、中央を流れる渓流に時おり岩魚を追う釣り人の影が動き、その川沿いの道も入笠山に通じているために"どんずまり感"がないなど、季節的、地勢的な理由も考えられますが、それだけではないようです。
十数軒ある廃屋の多くは、土台が朽ちて傾いたりすでに崩れ落ちて、時の流れの残酷さを物語る半面、何軒かはIターン、Uターンの移住者が新しい営みを始め、夏場だけセカンドハウスとして使う家も目につきます。さらに数軒のログハウスも木陰に見え隠れして、田舎暮らしブームという時代の新しい風が、沢風に乗って届いている感じです。
せわしなげに刻む無粋な時刻は、ここにはありません。
ただ古(いにしえ)から途切れることのない"時"だけが、自然の鼓動にあわせて、ゆったりと流れているようです。
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入笠山を水源とする小室川を、およそ10キロ遡ったところに、人気のない民家が点在する高遠町芝平という廃村があります。
道路端の石造物は、この地区の歴史が少なくも江戸時代まで遡ることを、また、いまにも崩れそうな軒に残る「入笠山登山土産」の看板が、かつての沿道の隆盛を語ってくれています。
時の流れの残酷と、再生の光がからみあった不思議な空気が、魚影濃い渓流の里に流れていたのでした。
惜桜小屋日記
2005年6月8日(水)
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