横川山の茸山を友人と共同で買ったことがある。
日本の水源の森100選に選ばれた、あの緑と水の豊かな、横川山(岡谷市)である。
2001年晩秋の、その日。シーズンには遅すぎるきのこ狩りを早々きりあげ、ながめの良い山頂を目指した。
人の通う道はない。およその見当をつけて、茸山に続く森のふところ深く分け入った。そこは樅の巨木が鬱蒼と茂り、もののけの支配する異界の雰囲気をも漂わせていた。
「うす気味の悪い森だな」
少し年下だけれど、山には慣れているはずのつれの友人が、いかにも心細げにつぶやいたほどだ。
方向を見失ったまま、幾筋にも走る獣道(けものみち)に導かれ、背後にケモノの気配を感じながら、少しずつ標高を上げていった。
一時間ほどでやっと森が途切れ、まぶしい日差しが紅葉に躍る、明るい潅木の林に出た。ぐんと近づいた山頂を肩に見ながら、ほぼ等高線に沿う感じで、更に三十分ほど藪をこいだ先に、それはフイに目の前に現れた。
緑の壁に隔絶された見事な山ぶどうの畑である。
十数本のコナシやナラの朽木に、ヤマブドウの太いツルが覆いかぶさって、大きな房がいっぱいぶらさがっている。手を伸ばせば届く高さのものも沢山ある。大粒の実が熟しきっていた。
長年山になじんできたけれど、これほど心躍るような光景には初めて出会った。
「これはブドウジュースがたっぷりしこめそうだ」
ビクに収まりきれず、持参した大きなゴミ袋にもぎゅうぎゅう詰め込んだ。
ブドウ棚の下にコーラの空缶が一つ、ひしゃげた形で地面に半分埋まっていた。様子から随分と古いもののように見受けられた。
付近に山みちらしいものはあったけれど、ほとんど林に同化している。少なくもここ数年は人が足を踏み入れた痕跡は見あたらない。
「随分前にだれかが来ているようだ」
「年をとってこられなくなったのかな。だれにも教えない、自分だけの宝の山だったわけだ」
ふと山ブドウ畑に流れて帰らぬ歳月を想った。
目の前の山の幸にすっかり心を奪われながらも、しょうしょうと林を渡る一陣の秋の風に、一瞬物悲しさを覚えたのは多分年のせいだったろう。
房をもぎ取るのに忙しく、シャッターを押したのは、少し仰向いて撮ったこの一枚だけ
―日記からこぼれた里山暮らし余話―