No.S4 私のグレートジャーニー・・・北九州市H氏より(2013年8月11日)

  30数年程前、赤道直下ケニヤに3ヶ月程滞在した経験がある。当時はただひたすらに業務に集中する毎日で、雪を被るキリマンジャロを見ても登りたいとの意 欲さえ湧かなかった。ただ、帰国直前に訪れた小さな博物館で、アフリカ大地溝帯が700万年前の人類発祥の地であるとの展示を見て、何となく興味を覚えた 記憶がある。
 定年後、海外の僻地を訪ねる機会が増えた。2年前には初めての南米大陸を目指し、アンデスの5000m峰に登った。その時のキャンプ地で、南十字星を仰ぎ見ながら秘かに決意したのは、この大陸をさらに 南下し続ければアフリカ大陸から5万キロを旅した我が祖先の到達地があり、加えて、かねてから思い描いていた風のパタゴニヤの景観にも出合える旅が実現す るはず、何とか五体満足なうちに出かけてみたいとの思いであった。ただ、昨今、長丁場の歩きをした後など、何かと気力が損なわれがちになるのが気になり決断できないでいた。一方で、本当の天国=楽園に召される前に、少しでも楽園の境地を味わっておきたい。ならば出来るだけ早く実行しなければ、時間的猶予は ないと・・・。そんなわけで計画を開始した。同行は親友のYと2人。
  福岡を正午に出発。成田からアメリカへ、ここでダラス、マイアミと2回乗り換えアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着。2晩を飛行機内で過ごしたこと になる。時差は12時間。まさに地球の裏側である。パタゴニヤを経て、マゼラン(ビーグル)海峡を望むフェゴ島ウシュアイアまではさらに3600キロの旅 程をこなさねばならない。今回は、アンデス山脈の南、パタゴニヤの名峰を心行くまで堪能する山旅に徹するため、現地旅行社とコンタクトし、事前予約を済ま せた。それでも、空港が突然変更されるなど、長い行動の都度、緊張を強いられることも多々あった。
  ブエノスアイレス市内観光を済ませた後、先ずはパイネ周遊の拠点、カラファテへ移動。初日はペリトモレノ氷河探訪。私にとっては、氷河見学自体は珍しくも ないが、それでも直面する氷河末端が轟音をたてて氷河湖へ崩れ落ちる様は圧巻であった。この地より、長駆、国境を越え隣国チリへ。パイネ岩峰群を真近に見 るラス・トーレスに3日間滞在した。逗留したホテルは、ロケーションもさることながら極めて居心地が良く、まるで上高地の帝国ホテルに滞在しているような 至福の時を過ごすことができた。その間に、パイネの角を眼前にするルート、パイネグランデを指呼の間に仰ぎ見るフランセス谷のトレッキングなどが実現し た。トレックは景観の素晴らしさもさることながら、外国人のツァー仲間と同道、交流し、さらには湖面を渡る船や乗馬なども体験できる楽しいものであった。
  次いで、今回の旅で、とりわけこだわったパイネ最深部に位置するフイッロイ、セロトーレと対面するため、エル・チャルテンへと移動した。小さな村落から 800mほどの標高差を登って名峰と言うよりも奇峰とされるフイッロイの3つの先鋒を望む事ができた。ヒマラヤやペルーアンデスなどで見かけた山様とは明 らかに異なる。ドロミテのトレッチーメに似た外国人好みのスックと天を指す姿、ゴシック様式の教会建造物を彷彿とさせるものがある。まさに、念願の楽園を 垣間見た気分である。もう2度と訪れることもないだろうと、何度も何度も山頂を見返しつつ、また色鮮やかな氷河湖、やや緑の濃さを変え始めた樹林帯を抜け て山を下った。
  2つの山塊を歩いた後のおまけの旅は続く。カラファテへ戻ってさらに1時間のフライトで南米アルゼンチン最南端の地、ウシュアイアに到着。当地はまだ夏期 の2月。夜は9時頃まで明るい。昼間は半そでの遊客も見られるが、小雪が舞った日もあった。雪を乗せた山を背にした小さな街だが、なんとなく心浮き立つ気 持ちにさせる気配に満ちている。最北の国の一つ、かつて滞在したことがあるアイスランド、レイキャビックに何処か似ている。この地では、ビーグル海峡ク ルーズでペンギンやアザラシの群れる島を訪れた。また、最南端の地を走るSLで国立公園内を巡る小トレックをも経験した。
  ブエノスアイレスへ戻り、帰国調整日を利用して隣国ウルグアイの古都コロニアへ出かけた。これまた、中学生の地理授業で頭に残っているラプラタ河を渡って の入国になる。大河を渡る1時間程のクルーズ気分を満喫。コロニアは世界遺産に指定され、かつての大国、スペイン&ポルトガルが互いに覇権を争った地だそ うな。路上レストランに立ち寄りビールで乾杯した。
  この数年、ヨーロッパアルプス、ヒマラヤなど世界各地の山々を歩き巡る機会が多々あった。今回は、念願と言ってよいパタゴニヤ、そして南米最南端の地を歩 くことができた。ささやかではあるが、私にとっての“グレートジャーニー”を完成させ、かつ、天国=楽園を垣間見る旅が実行できた思いに満ち、今、心から 安堵している。さて、次は何処へ?まだまだ、私の旅が続くことを信じたい。

                   「山の賛歌」に友との絆を思う (S先輩のこと)

  毎月、ご近所の山仲間と里山歩きを楽しんでいる。先日のこと、山道のすぐ脇で、夜露に濡れた小物入れを拾った。下山後に交番に届けておいた所、翌日、持ち主から御礼の電話があった。その後、数枚のCDが 届き、同封された手紙には「若き日にタイムスリップしてみて下さい」とあった。直ぐにお礼の電話を入れると、その送り主は、何と、私が若き時代に所属して いた山岳会の先輩と同じ職場で、その頃から山歩きを続けておられる方だった。今は、山歩き以外にオーデイオなどを趣味としておられるとか。
 退職後、国内外の山歩きに出かける機会が増えた。しかし、それ以外の時間は、暇にまかせて本を読み、音楽聴く毎日。早速、頂いたCDを 聴いた。山登りに夢中になっていた青春期、登頂後のキャンプ地などで歌っていた懐かしい山の歌が流れてきた。私が敬愛した山の先輩と共に過ごした山の情景 が次々に思い出された。穂高の大岩壁を制覇した夜などは、大いに歌い、かつ人生の無我を語り合った。山から足が遠のいた後も蕎麦打ちなどに託けて何度も出会う機会を与えて呉れ、人生の薫陶を得た。しかし、その先輩は、2年前に一足先に山の彼方に逝ってしまった。
 実は、先輩の知人の持ち物を山道で見付け、CDが 送られてくる数週間前、先輩に連れられて登攀した劒の岩峰を懐かしんで北イタリヤのドロミテ(劒のチンネの語源になった岩峰がドロミテにある)に出かけたことを墓前に報告すべく旧宅を訪問したばかりであった。今も暇をみて「山の賛歌」を聞いているが、この喜び、絆の妙を何時、先輩に報告できるだろうか。


ペリトモレノ氷河


パイネ全景・・・エルカラファテからパイネへ移動途中


パイネの角


フィッツロイ全景


ウシュアイア・・・南米最南端の地