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システィナ礼拝堂
ミケランジェロ「最後の審判」
(部分)
『ヴァティカンにおける
ミケランジェロとラファエロ』
ヴァティカン博物館特別版
Monumenti, Musei E Gallerie Pontificie
1978
「最後の審判」の修復前の画像
である。
ミケランジェロはその雰囲気を
うまく描いている。
左には、カロン悪魔が、呪われた人を
渡し舟で地獄に移している。地獄では
(この写真では写っていないが)ロバ
の耳を持つミノス悪魔が待ち受けてい
る。
81 巻きつける ――メッカ啓示、全29節
慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において……
1 太陽が(暗黒で)ぐるぐる巻きにされる時
(頭にターバンをぐるぐる巻きつけるように太陽に暗黒が巻きつけられて光を
失う時。勿論、天地終末の光景である)、
2 星々が落ちる時、
3 山々が飛び散る時、
4 産み月近い駱駝(アラビア人にとってこの上なく貴重なものである)を
見かえる人もなくなる時、
5 野獣ら続々と集い来る(恐怖のあまり、みんな一箇所に集まって来る)
時、
6 海洋(わたつみ)ふつふつと煮えたぎる時、
7 魂ことごとく組み合わされる時
(復活のため、いままで離れていた魂が肉体とまた組み合うのである)、
8 生埋(いきうめ)の嬰児(みどりご)が、
(前述のごとく古代アラビアでは女の子が生れるとそのまま生埋めにする風習
があった)
9 なんの罪あって殺された、と訊かれる時、
10 帳簿(各人の行為が詳細に記されている天の帳簿)がさっと開かれる時、
11 天がめりめり剥ぎ取られる時、
12 地獄がかっかと焚かれる時、
13 天国がぐっと近づく時、
14 (その時こそ)どの魂も己が所業の(結末を)知る。
15 誓おう、沈み行く星々にかけて、
16 走りつつ、塒(ねぐら)に還る星々にかけて、
17 駸駸(しんしん)と迫る宵闇にかけて、
18 明けそめる暁の光りにかけて、
19 げに、これぞ貴き使徒の言葉。
20 力もたけく、玉座の主(ぬし)(アッラー)の御前(みまえ)
に座を占めた、
21 万人の従うべく、かつ頼るべき使徒の(言葉)ぞ。
22 これ、お前がたの仲間(マホメットを指す)は決してもの憑き
などではない。
(天使ガブリエルの姿を見たというマホメットの言葉を聞いてメッカの人々は
彼を「もの憑き」すなわち気狂いだと思ったのである)
23 たしかに、ありありと地平の彼方(かなた)にお姿を彼
(あれ)は拝した。
(マホメットが初めて神に召された時、彼はヒーク山上でありありとガブリエ
ルの巨姿を見た)
24 彼(あれ)(マホメット)は(己れの見た)不思議を隠しだて
する男ではない。
25 これ(今下っている啓示)は決して呪われのシャイターン
(サタン)の言葉ではない。
26 それをまあ、お前たち、なんと大それたこと考えるのか。
27 まことに、これはこれ、生きとし生けるものへのお諭
(さとし)、
28 お前がたのうち正しい道を歩みたいと願う者への(お諭)で
あるぞ。
29 と言っても、もともと万有の主(しゅ)、アッラーの御心
(みこころ)なくば、そういう願いがお前がたの胸に起る
こともあるまいけれど。
1-6 終末の日の光景
4 産み月近い駱駝はおそろしく高価なもの。宝物扱いです。そんな
宝物を見かえる人もなくなってしまうような状況。
6 海がまるで沸騰したお湯のように煮えかえる。
7 終末の日に続く復活の日のこと。終末で天地が一たん無に帰して、
それから復活がくる。その時、今まで死んだ人たちの魂がことご
とく、それぞれがもとの身体に組み合わされてもとに戻る。
8-13 最後の審判
8-9 生埋めの嬰児(みどりご)が、なんの罪あって殺された、と訊かれる時、
「生埋めの嬰児」――古代アラビアでは、女の子が生れることは
不名誉であった。だから、生れたばかりの娘をよく生埋めにする
習慣があった。彼女たちが復活して審判の場に出てくると、何の
罪あってお前たち殺されたのか、と尋ねられる。罪なんかなかっ
たろう。つまり、埋め殺した親が悪いという。そこで親が地獄へ
行くことになる。
10 最後の審判を受けるさいには、人々はみんな天の帳簿を渡され、
その帳簿によって天国へ行くか地獄へいくかきまる。各人のこの
世での所業が一つのこらず帳簿に記載されている。
14 賞罰。
15-19 誓言形式。シャーマンのイマジナルな言語用法の一つの特徴。
(井筒俊彦『コーラン(下)』岩波書店2004 p263)
この詩もまた、メッカ期の最初の時代に属するものであり、この時代の
言葉の特徴は次の通りだと井筒俊彦はのべる。
ムハンマドは生れてはじめて突然啓示を受けて震撼されてしまう。
預言者としてのムハンマドの深層意識は異常に刺激されイマジナル
な次元の言語用法。
巫者的(シャーマン的)我を失った状態。
天地終末の日の情景、終末の感覚、復活の感覚、最後の審判の光
景、地獄・天国の有様。
西暦610年乃至611年のある日、ミナの近くのヒラー山で瞑想に入った
ムハンマドは、最初は大天使ガブリエルに強制されて、神の言葉を発音
させられたのだが、その後、ムハンマドが瞑想のなかで見たヴィジョン
を克明に説明するようになる。
星が落ち、山が飛び散り、太陽は黒く塗りつぶされて、暗黒の世界へ
とおちこんで行く。その際、極端な恐怖の感情が伴い、駱駝は見捨てら
れ、海洋(わたつみ)ふつふつと煮えたぎり、間引きされた嬰児が蘇っ
て犯人を告訴し、地獄の蓋が開けられる。
人間は深い瞑想に入ったときに、生命感の高揚した歓喜の感情に到達
することもあり、反対に、恐怖の坩堝ともいうべき閉鎖空間に落ち込む
こともある。ムハンマドの場合は、生命感の高揚した歓喜の感情には到
達せず、初めから恐怖の坩堝ともいうべき閉鎖空間に落ち込んだ。