さて、ここでアヴィラという街を調べておこう。

 アヴィラはスペインの首都マドリッドの西北約100キロメートル、標高約1,000メートルの高原に位置している。現在の人口は約四万人。歴史的観点からいえば、コンケスタの途上、モーロ人に対する防波堤として11世紀に建設された要塞都市であり、縦900メートル、横450メートル、東西に長い矩形をしている。周囲を高さ10メートルの城壁が取り囲んでおり、今でも中世の雰囲気を完璧に残している。

 彼女の生まれた家は、南側の城壁のほぼ中央のところに面していて、現在は聖テレサ修道院となっている。

 霊感(インスピレーション)にたいするこの種の考えは、ふつう私的精霊(プライヴェット・スピリット)と呼ばれるものであり、一般に他の人々によっていだかれる誤りを幸運にも発見することからはじまるばあいがきわめて多い。そして、どうのような推論の導きで自分がこれほど独特な真理〔と彼らは考える。じつは多くのばあい、偶然出あった虚偽なのだが、〕に到達したかを知らず、また思いだしもせず、彼らは即刻、自分自身を尊敬する。つまり、全能の神の特別の恩寵によって彼らは神の精霊により超自然的に真理を啓示された、と思いこむわけである。

    (世界の名著28『ホッブス』永井道雄、
                                 中央公論社)

 ホッブスは、テレサを狂人かつ嘘つきと指名したのだが、その当時の大多数の人は、テレサを狂人呼ばわりするホッブスよりも、混沌と無智と忍耐という「どん底」から、独力でよじ登って天界に至ったテレサの方を尊敬し愛したのだ。

テ レ サ の 評 価

 さあ、これから『イエズスの聖テレジア自叙伝』(女子跣足カルメル会訳、中央出版社)を読みはじめることとしよう。

 冒頭に、彼女の肖像画が掲げられている。彼女の後半生期のものと思われるが、目の大きく、鼻筋のとおったなかなかの美人に描かれている。その手は指も太ければ、手全体も大きく、労働者の手のようで、彼女の持っていた精神性との釣り合いがとれていないようにも思える。

 彼女が死んでから70年後に、ローマで時の天才彫刻家であったベルニーニがコルナーロ家の礼拝堂のために、「聖テレジアのエクスタシー(法悦)」と名付けられた大理石像を造り上げた。この彫刻は現在でもサンタ・マリア・デ・ヴィットリア教会に展示されている。このテレサのほうがもっと美人だ。石のなかでもとりわけ硬い大理石を臘のごとく取り扱ったベルニーニだけあって、テレサをクレオパトラよりも美しい天下一の美人に仕立てあげてしまった。

 ベルニーニが彼女を天下一の美人に刻んでしまったのにはわけがある。彼女の自叙伝は、ベルニーニの当時、キリスト教徒が著述した著作のなかでは最高傑作であるとたたえられていたからだ。そして現在読んでみても、他のいかなるキリスト教徒の著作よりも優れている、(つまり、聖アウグスティヌスの『告白』よりも優れている)、と思われるからである。

 第一、この本には、嘘というもののひとかけらも見いだすことができない。人がそこに見いだすことのできるものは、彼女自身のキリストに対する強い信仰と、彼女の異常に高い徳性と、その高い徳性が事実に対して慎重に被せた薄絹のヴェールである。周囲の人たちに対するくどいほどの配慮が二重、三重に張り巡らされているから、この本を読む人は、まずこのヴェールを慎重にとりはがす作業から始めなければならない。

 思慮の浅い人は、この本を、無教養の田舎女が書いた間違いだらけの本と即断するかもしれない。また、洞察力の十分ならざる人は、この本をして「思い込みの多い」、「ひとりよがりの」記述にすぎないと看過されることもあるだろう。

 聖テレサのような神秘主義家を、「単なる思い込み」と片づける人たちを,「けしからん」と難詰するつもりは筆者にはない。しかし、歴史上の論理は、たとえそれが超越的論理であったとしても、それを尊重しなければならぬ。文化の発展というものはつねに前の時代に生きた人の論理の延長線上に築かれるものだからだ。

 同じくテレサの死後、70年後に英国で活動した哲学者トマス・ホッブスの哲学は人気がない。ホッブスが絶対主義の擁護のための哲学を作り、それがすぐに時流に合わなくなったからだ、という理由ではない。ホッブスが、テレサのような人物を嘘つきだと非難したからだ。

 1651年ロンドンで出版された『リヴァイアサン』のなかでホッ
ブスは述べる。第一部第八章、(ある個人が霊感を受けたと主張す
ることがる。これは単なる狂気であると述べたあとで)、

写真:アヴィラの城壁
          http://www.spain-guide.com/foto/avila/muralla.html

 写真: 聖テレサ修道院、1997年撮影