こうして念祷を続けると、しばらくして恩寵のさきが
けがやってくる。
恩寵の初穂をごく短い時間、味わうお恵みを数
回いただきました。私がお話したような方法で、
聖主のおそばにとどまるよう努めておりました間、
あるいは時としては読書をしておりました時、突
然、神の現存の内的感じが起こり、神が私のうち
においでになる、または、私が神のうちにまった
く沈められているということを、少しも疑うこと
ができませんでした。この恩寵は一種の幻視では
ありません。それは神秘神学と呼ばれるものだと
思います。 (自10-1)
さあここで神なる聖霊(ペルソナ)が顔を出す。聖アウグス
ティヌスの場合は、初回の一回で完全に聖霊を見たのだが、テ
レサの場合はどういうわけか、段階的に現出し、その都度具体
性を増す。しかし、にもかかわらず、テレサにとっての初回の現出は充分に聖霊の特質を備えている。
霊魂は、まったく無我夢中となったかのようで停止状
態となります。意思は愛します。記憶は失われてしまっ
たかのように見え、悟性は私の考えでは働きませんが、
失われているわけでもなく、ただ推理の様式では働きま
せん。それは自分の見ているすべてに驚いているかのよ
うです。 (自10-1)
この現象の特徴は次の通りであるとテレサは報告する。
1. 頭脳の思考はその働きを停止する。
2. 記憶の働きも停止する。
3. 推理も働かない。
4. つまり、現在見えているものに集中させられる。
そして、その直後には、歓喜の気持ちが湧きあがり、喜び
の涙が溢れる。
霊魂は喜びを味わい、心は感動し涙が流れます。時
としてはむりやりに自分で涙を流させるように思えま
す。他の時には、聖主が私どもを強制なさるかのよう
で、私どもは涙をおさえることができません。 (自10-2)
私たちは、このテレサの体験が、先述した玉城康四郎と林
武の(神秘体験A)体験とぴったり符合していることに注目
せざるをえない。
画題:Statue of a kneading
woman, Sakkara.
Dated to 2465-2325
B.C.
Inv.
no. 910
アテネ国立考古学博物館
聖霊と、この4,400年前の女性との間に
どんな関係があるのか? 筆者も知らない。
しかし、この女性像は感覚的に「それ」を表象している。