オマル・ハイヤームは、イラン東北部の都市シャブールに1040年頃生まれ、1123年同地で没した数学者、天文学者、医学者であったが、その詩書『ルバイヤート』の冒頭で神秘主義にたいして反抗の声をあげる。
1. 哲理に意味の宝石をちりばめる人たち、
神についてもろもろ語ったが、
神秘の糸口だれにもつかめず、
無駄口たたいて眠りこんだ。
彼は神秘主義を充分に理解したうえで、なおかつ神秘主義者を軽蔑する。彼らの言葉は「無駄口」だ、と断定する。
41. 生命(いのち)の書(ふみ)から占いをたててみた。
突然神秘主義者が心から叫んだ。
月のようなよき人といて、一夜を
一年ほどに過ごす人は幸福だ。
軽蔑の理由として、彼は「死」の存在を挙げる。
188. 全智の主が自然の形を創ったのなら、
なぜのちに破滅の淵に落とすのだろう。
うまくいったなら、こわすのはなんのため、
うまくなかったら、いったいだれの科(とが)。
生命、神だけで宇宙のすべてが解きあかせると考えるのは間違いだ、と彼は主張する。神秘体験Aのその瞬間だけで、すべてが分かると考えるのは間違っている。「無」の概念が欠けているからだ。
36. 久遠(くおん)の神秘はわれらにはわからない。
運命の謎はわれらには解けない。
幕のうしろでわれらの話し声がする、
幕がおりたら、われらはもういない。
142. われらが去来するこの世には、
終わりも初めもないのは明らか。
この謎を正しく解いた者はない、
いずこから来て、いずこに去るのか。
向こう側がわからないのに、こちら側だけを説いていったいどうなるのかね、と彼は自問する。
273. 魂(たま)奪われて去り行くこの身、
虚無の神秘の幕(とばり)に消え去るこの身、
酒を飲め、どこから来たのかわからない。
楽しめよ、どこに去るのかもわからない。
帳の向こう側に存在するらしい虚無の世界については、考えても結論のでないことに天才オマル・ハイヤームはとても苛立つ。
275. はじめから自分の意志で来ないなら、
意志なくて、去り行くことも確か。
起きて早く用意せよ、おお酌人(サーキー)よ、
世の憂さを酒で晴らそう。
自分ですべてを知り、ことの道理を知りつくしたうえ
で行動することが、「主体性」の本質であるとするな
らば、自らの主体性の無さに彼は憤激し、消沈する。
293. 視よ、世に閉じ込められて無だ。
人生より何を得たろう、無だ、
饗宴の燭(ひ)も消えたら、無だ。
ジャムの酒盃も砕けたら、無だ。
294. 世の中で何を見ようと無だ。
何を言おうと、聞こうと無だ、
地平の果てまで駆けようと無だ、
家で横になろうと無だ。
(以上、『ルバイヤート』黒柳恒男訳、筑摩世界文学大系9、
筑摩書房)
残る問題は「無」、あるいは近い将来体面しなければならない
「虚無」だけなのだが、死んでもいない俺にわかるものか、と絶
望し、憂さを酒で紛らわせようと努力するオマル・ハイヤームの
気持ちがよく伝わってくる。
なお、ジャムとはジャムシードの愛称である、と黒柳は説明す
る。イランの大民族詩『王書』に現われる伝説的な王で、その酒
盃には世のあらゆることが映じたと云われている。神話の第一
王朝ピーシュダーディー朝の英王であった彼の治世は700年に
及んだ、という。
画題: Elihu Vedder
(Illustration for Rubaiyat of Omar Khayyam)
"The Suicide"
1883-1884
Smithsonian
American Art Museum, Washington, D.C.
Artcyclopediaより。
底なしの虚無を描くのに
Vedderよりも卓越した画家はいない。
そこには色彩というものがない、
そこにあるのは、
流れ巻き上がるリズムだ、
とVedderは説く。
画題: Elihu Vedder (1836-1923)
"The Sorrowing
Soul between Doubt and Faith"
ca.1887
Herbert F. Johnson Museum of Art,
Cornell University, New
York
疑いと信頼との狭間で悲しむ魂。
オマル・カイヤームを象徴するような絵ではないか。
事実、Vedderはオマル・カイヤームで一世を風靡した。