歴史的背景




【南京虐殺事件】

日中戦争中の1937(昭和12)年12

中華民国の首都南京占領前後に

日本
がひきおこした投降兵一般住民殺害した事件

日本殺害した中国人の人数については,数万から30万までの諸説があるが

この
事件は中国民衆りを高め,国民政府
武漢にうつって抗戦をつづけた。






 

1937)年77日夜半、北京の南を流れる廬溝河に架かる橋
──
廬溝橋を舞台に「日中戦争が勃発しました。
当時、廬溝橋の近くで、現地に駐屯していた日本軍は
夜間演習を行っていたのですが、不意に暗闇から銃撃を受けました。
日本軍駐屯地の近くには
支那・国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたのですが
銃撃を受けた日本軍は、その銃撃が国民党軍によるものと思いこみ
遂に日本軍と国民党軍の武力衝突

──
いわゆる「廬溝橋事件」が起こったのです。
そして、この事件を契機として
日中戦争は拡大の一途をたどり、同年南京大虐殺
が起こったとされる そして
太平洋戦争を経て、日本は敗戦を迎える。


 

 

 

 

南京大虐殺とは

日中戦争支那事変1937昭和12年)〜1945年に

日中間で行われた南京攻略戦後、日本軍中華民国の首都南京市を占領した後

6週間 にわたって中国軍捕虜敗残兵便衣兵及び一般市民を

不法に虐殺したとされる事件。

なお、この問題は事実規模、殺害人数などを巡って現在でも議論が続けられている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・南京大虐殺に付いての簡単なおさらい

当時、南京戦の前に日本軍は南京市内にビラを撒いたんだ
「これから南京を攻めるので一般市民は逃げて下さい
 逃げれない場合は攻撃を加えない安全区域を設定するので
 一般市民はそこに逃げて下さい」って言うビラ
大半の南京市民は逃げたが、20万人は安全地域に残った訳
日本軍は、この安全地域にいる中国人に手を出さなかったばかりか、
食料などを供給していた事をラーベが感謝している。

つまり、日本軍が南京で大虐殺するには、
南京市外から35万人も中国人を捕まえて来て殺す必要がある訳。
もちろん今現在まで証拠も残ってないから、
虐殺した人の骨まで処分する必要があるよ

南京戦直後の南京市内には外国記者や外交官が結構居たが、
彼等新聞記者や外交官は、こんな大規模な虐殺を記事にしたり、
本国に報告したりしていない。

暴動やパニックが起こったという記事も記録も無いから、
南京に残った20万人の中国人にも、
次々に南京市に戻ってくる一時避難していた15万人の中国人にも、
南京での虐殺の現場は見られていない事になる訳。



ところが、生き残りの証言で南京大虐殺は大音響の機銃掃射で
やらなければいけないんだ
もちろん川も死体で真っ赤に染めなければいけないし、
南京市内のいたる所で死体の山を築き上げる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敗戦で満州で国民党軍だか共産党軍だかにつかまった
日本軍の上官は、ただちに処刑後、剥製にされて
都市部のデパートで巡回展示されたそうで
ものすごい猟奇的な風土だよ。

国民党軍のやった残虐行為が、
すべて日本軍のやったことになっているのは
よく知られた事実。

 

 

 

 
 

日本の中国進出は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの起点だった。翌年、満州国が
 建国され、それらが原因となって国際連盟からの脱退につながる
 戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を中国各地に拡大していった。さらに
 日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、
 太平洋戦争に突入し、最後の破局に至る。

 
 


 中国側が抗日戦勝利と言っても、中国が日本を屈服させたわけ
 でもない。
 
 
 

便衣兵狩にしてもその前の南京郊外の戦闘で日本軍が戦っていた相手が
「塹壕に鎖でつながれた中国市民(女・子どもが中心)」
であることがわかり、これに驚愕した日本軍が多数の脱ぎ捨てられた軍服を
発見し、「あまりに卑怯」と頭にきて南京でスパイ狩り(女子どもを前線に立たせた卑怯な中国軍人探索) を行ったものがきっかけである (朝生での兵隊さんの証言)。

そして便衣兵(市民に扮したゲリラ)はテロを起こしまくった
非正規の武装勢力の便衣兵(戦闘服を着ていないゲリラ兵)にはジュネーブ条約は
適用されず、捕縛後の身柄の扱いに関する規定はなかった。よって処刑も

行われた 
当然、一般市民も犠牲になることはあったはず

 

ベトナムでは、ベトコンへの協力容疑がかかった村々を米軍が
ナパームで焼き払ってたし、韓国軍も徹底したベトコン狩りをした

南京事件は通常の戦闘行為であり、それ以上でもそれ以下でもない。
通常の戦闘行為で市民が巻き添えになることは虐殺とは呼びません。
便衣兵を処刑することは国際法上も認められています。
たとえば、東京大空襲や原爆は市民を直接ターゲットにした虐殺です。
ユダヤ人のホロコーストも一般市民に対する虐殺です。
二・二八事件も市民が殺されました。
ドレスデンも天安門事件もチベットもそうです。
市民をターゲットにしたかどうかが虐殺の基準です。  
南京事件は、通常の戦争であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

 

「南京の犠牲者と中国側が言っているのは、
戦闘による戦死者、便衣隊処刑、戦闘に巻き込まれた一般人、国府軍による強盗殺人などで、
日本軍の軍命による一般人無差別虐殺はなかった」  


 

 

 

 

社説】南京大虐殺の犠牲者数30万人、いくら何でも多すぎないか朝日新聞 

 

 原爆2発でやっと30万だぜ?
当時の日本軍は何装備してたんだよw
本当にそんな能力有ったなら負けるわけね〜。

 

 

昭和40年代 アサピ新聞南京大虐殺キャンペーンを開始

アサピがキャンペーンを始めるまでは、世界中の誰ひとりとして、これらの問題が有ることを知らなかった。

 

 

オランダがインドネシアで何をやってきたか?
イギリスが印度で何をやってきたか?
文化を破壊し、人権を蹂躙し、無茶苦茶やってきてるぞ?
中国共産党も国民党も各地で乱暴狼藉を働いている。
むしろ日本軍が歓迎された地域さえもあるんだが。

 

 

 

 

 

南京大虐殺は37年冬から38年初頭。

 

 

朝日は戦時中には南京城内の写真を撮っていた
民衆と日本軍が仲良くしてる所をだ

しかし虐殺の証拠写真は一枚もない
10
万人以上の遺体の写真とか
日本兵が中国人を殺している写真とかもないのだ

 

 

 

例えば、有名なところだと、南京事件のときに毛沢東は失脚して電文係に詰めていて、
共産党本部に寄せられるありとあらゆるニュースに目を通していて、後年この頃のことを
何度も人に語っていて、非常に思い出深い時期で、当時のニュースは大概のことを
覚えていて詳細に語っているにも関わらず、南京事件については一言も語っていない、とかね。

 

 

 

 

普通に考えて30万人殺すのに何年かかると思ってるんだろう?
毎日毎日効率的に殺しても1日820人休みなしに殺して1年かかる
また30万人を埋める穴ってどのくらい必要だ?
一人1立方メートル(1m×1m×1m)の穴で30万立方メートル
深さ2mの穴を掘ったとしても15万平方メートル必要で、残土が30万
立方メートルの残土が出る(半分隙間に入れても15万立方メートル)
さて、この穴は誰が何処にどうやって掘った?そしてそれを誰が埋め戻した?
ナチがアウシュビッツで工場ののうにユダヤ人を殺しても30万殺すのに何年
かかったと思っているのか?
もし南京でやったとしたら南京のどこを掘っても骨が出るだろうし、
その近くには山が出来ているから簡単に30万の遺骨が出るだろう。
しかしそれはなかった

 

またその後南京は大規模な開発で地面はかなり掘られているんだが、遺骨すら出てこない。

 

では遺骨が出ないので焼いたのか?

 

 そもそも石油がなかったから戦争した時代。
戦闘機が完成しても、工場から飛行場まで牛で引いていった時代。


当時貴重だった石油を30万人分の死体を焼くのに使用したとしたら

莫大な量の石油が必要だったはず、その貴重な石油を使って

骨も残らん程きっちり焼くとは考えにくい

ならば骨は残っているはず

しかしその発見すら無い  どう考えてもおかしい

 

 

 

ポルポト軍がひどい虐殺をやったは理解できる。
それは頭蓋骨が山ほど積まれた場所が今でも存在するからだ。
一方、そういうのが一件も見当たらないないのが南京大虐殺だ。

 

 

 

 

そもそも、中国では屠城文化があり、占領地の民衆も抵抗したのと同じ
とみなし、問答無用で皆殺しにする風習がある。
歴史ファンあたりにとって有名なのが、古くは項羽あたり。
それを無理やり日本人に当てはめようとするから無理が生じる。
虐殺は 中国人ならではの発想で、日本人の性質には全く当てはまらない。
また幼女までレイプして局部に竹槍つっこんだ映像が出されるが

基本的に日本人はそのような猟奇的殺害をする民族ではない
またお固い国民性から軍規にも特別厳しかったから、日本軍が

大衆を殺しまくるとは考えにくい。

また、中国人出資アメリカ人制作の反日の記録映画「南京夢魔」では

乳児を虐殺とか胎児を取り出したとかの映像をあたかも日本人がやったかのように

流しているが、これは

まるっきり中国文化。

 

 

 

 

当時南京の人口が20万から25万人とされていたが

中国側発表では30万人

 

 

上海には1941年に日本軍が占領するまで租界があって外国人もたくさん住んでいた。
そこに10万もの腐乱死体が流れていったら腐臭で目を覆わんばかりの惨状になる。
もちろん世界中に報道されただろうがそれすらない

 

 

 

 

 

 

 

 

反日デモの嵐が吹き荒れた一昨年春。デモ参加者の怒りには、「愛国教育」の影響があると言われた。  揺らぎだした共産党支配を立て直すために、抗日戦争を学習させ、共産党への不満をそらした

結果として日本への怒りを 再生産することになった

 

 

 

盧溝橋事件がきっかけで日本と中国は全面戦争になった。
盧溝橋事件は日本側が仕掛けた悪事だと宣伝されている。
ところが、この盧溝橋事件を仕掛けた真犯人は中国共産党員だと自分自身で白状した。
それは、中国共産党員エージェントが日本軍をあおって
盧溝橋事件を引き起こしたという内容だ。
戦禍が拡大すれば、中国社会が混乱する。事実、そうなった。
その混乱に乗じて中国共産党が弱った中国を乗っ取り、共産主義国を建国した。
そして、中国共産党は粛清を開始し大陸全土を人権のない地獄の世界に変えた。
すべては共産主義者のシナリオどおりに20世紀は終わったと。
やっぱり左翼はずる賢い。国家転覆を常に狙っている。

 

 

 

 

昭和12年7月 7日 支那側からの発砲がきっかけで盧溝橋事件勃発。
昭和12年7月 9日 現地停戦協定により一旦終息。
昭和12年7月10日 200人以上の支那兵が迫撃砲で攻撃再開。
昭和12年7月11日 現地停戦協定により一旦終息。
昭和12年7月13日 北平(北京)大紅門で日本軍トラックが爆破され日本兵4人死亡。
昭和12年7月14日 団河で支那兵の襲撃により日本兵1人死亡。
昭和12年7月20日 盧溝橋城の支那兵より日本兵に対し一斉射撃。
昭和12年7月25日 電線を修理していた通信部隊及びその援護部隊が
             支那軍の包囲攻撃(小銃、軽機関銃、迫撃砲)を受ける。(廊坊事件)
昭和12年7月26日 北平広安門通過中の日本兵が城壁上の支那兵より
             一斉射撃を受ける。(広安門事件)
昭和12年7月29日 3千人の支那保安隊が220人以上の在留邦人を
             虐殺する。(通州事件)
停戦協定を結んだにもかかわらず、支那側はこれら事件を次々に巻き起こしたのだ。
これだけでも開戦の口実に十分足るにも関わらず、日本は外交交渉での解決を目指した。
そして、支那側に最大限譲歩した和平案を用意し、上海において支那側との和平交渉に望む予定だった
8月9日当日、支那保安隊による大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵虐殺事件が起こった。
続いて、支那政府は、英米仏伊四ヶ国の斡旋で締結された上海停戦協定に違反して次々と正規軍を上海に投入、
8月13日に日本海軍陸戦隊(国際条約により駐留)を包囲攻撃し、支那空軍も日本海軍の「出雲」や総領事館を爆撃し、
上海南京戦区の張治中司令官は総攻撃を命じた。
 支那空軍は日本海軍や総領事館だけでなく支那市民や他の外国租界の建物まで空襲して爆弾を投下し、
多くの犠牲者(数千人)を出し、8月15日の張治中司令官の記者会見で日本海軍航空隊が上海を空襲し陸戦隊が砲撃
していると嘘を発表した。その結果一気に反日感情が高まった。これで日本軍の侵略が世界を駆けめぐった。
完全に支那の謀略である。

 

 

 

 

 

 

 

<無抵抗な人間をゲリラとして殺したのに

まさにその部分が中国によるプロパガンダなんだが。
ゲリラは反撃して日本軍を攻撃してくるので、それを掃討した。
その上で、とある応召将校が風紀を乱した、という事件は別物。
こいつは近くから婦女子をさらってきて強姦を繰り返してたそうだ。
そいつはきっちり処罰されている。
つまり、ゲリラの掃討作戦と別個におこった事件を、
極端に極大化して30万人も住民を皆殺しにした、というのが
中国共産党の手口なんだが。

それによって民心を獲得し、対日パルチザン活動にオルグした。
戦後は、毛沢東の分析によると「日本軍の戦闘能力の根幹は
無形戦闘能力であり、天皇に対する忠誠である」とのことなので、
「それを分断するために多数の人民組織をつくり」という戦略通りに
推移しているのが現在なのだ。

 

 

 

 

 

ウチの大学来てる中国人留学生曰く
日本に来る前から、南京虐殺なんて誇張に誇張を重ねた嘘っぱちと思ってたらしいけど
何故か日本人がそれを否定しないもんだから、外交交渉で利用するのは当然だと
なんでわざわざ自ら外交カードを捨てる必要あるの?と

まぁ当たり前だよな
阿呆なのは日本の政治家と、それを選んだ国民

 

 

 

 

NHKや反日マスコミは日本軍の南京入城や、滞在時の写真や映像などを
一切報じないが、それを見れば南京市民が拍手で歓迎してくれているのが分かる。
それまでの中国軍による虐殺や略奪があまりにひどかったからだ。

「南京の安全区国際委員長から日本軍に感謝状が出されていた」
http://www.youtube.com/watch?v=jEdR65Y6I7o&mode=related&search=
難民区は安泰、感謝状を受け取る
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason05.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

没落直後の南京で日本兵と現地の子供たちが仲良く遊ぶ映像とか残ってんだよな。
日本兵のおっさんがひょっとこみたいな格好してドジョウすくいして現地の子供たち大喜びみたいな

実に穏やかでのどかな風景

 

 

 

 

毛沢東は一度も「南京虐殺」は言わなかった。
支那国民党は300回の記者会見で一度も「虐殺」を言わなかった。
南京人口は占領後20万人から25万人に人口が増えた。
殺人は26件、この内目撃は1件のみ。
虐殺を証明する写真は1件もない。

要するに江沢民による反日政策より、「大虐殺」が言われ出したということ。