
『ギンちゃん日記』
    「豆句会25号」
  かりかりを湿らせ食べる春の雪 銀水
  吾輩が尻尾でうたう春の唄   銀水
      辞世(3月30日)
  爺ちゃんと猫が句を詠む春の宵 銀水
  
  銀ちゃんの亡骸かろし春よ哭け 硯水
  どうぶつの森に銀ちゃん眠る春 硯水
  曙を突いて銀ちゃん昇天す   硯水
  
  3月30日銀ちゃん死す。豆句会(小さい句会のこと)は25号を以って終了します。ご愛読ありがとうございました。
  
   「豆句会24号」
  ギンちゃんも健康であれ良い年を
  寒波来てギンは男だがんばるぞ
  銀ちゃんよい子だ寝んねしな豆句会
  衣更着や銀ちゃんお八つ食べとくれ
    2月6日朝日全国版入選
  爺短歌銀は俳句ぞがんばろう
  吾輩もちらりと見るやお雛様
  猫の食少し戻りて二月尽
  尻尾振り元気になれる弥生来い
  春や春猫も老い耄れ眼を病みて
  かりかりを食べてうれしや春の朝
  子守歌ギンに聴かせる春の朝
  ごろごろと咽喉を鳴らすや銀の春
  ぽったんこ銀ちゃん雲子春なれば
  
  令和4年の初めから3月末頃までの作品から任意に選び出した。銀ちゃん体調すぐれず食も細くなって満足に歩けない。もう少しで14歳の誕生日だ。がんばれよ。
  
  「豆句会23号」
  かりかりと鮨で高ちゃん誕生日
  ぱくぱくとかりかり食べる今朝の秋
  秋の日にニャンとあいさつ三恵子さん
  ぽったんこ雲子をするや秋彼岸
  吾輩と爺と渡らん天の川
  猫の耳掻いてもらうや秋寒し
  霜月やギンの爪切るお医者さん
  銀ちゃんの目っ糞取るや冬の雨
  招き猫われも真似せんゑびす講
  冬の雨猫踏んじゃったわしゃ嫌い
  冬が来て猫は屁をせず「放屁論」
  董子ちゃんの手紙を猫も読みたいな
  寒い猫ぎんぎん良い子寝んねしな
  
  初秋から歳末までの豆句会から優秀作品を選び出してUPした。いずれも猫会(にゃんかい)では評判の作品である。それでは良い年を迎えてください。
  
   「豆句会㉒」
  春なれや家猫われもステイホーム
  誕生日ギンちゃん13春の暮 (4月19日)
  猫尻尾大きく振れば聖五月
  猿すべり芽を吹き猫もすべるなり
  肉球を踏ん張って行く夏野かな
  廊下をば猫が走るぞ走り梅雨
  香箱座りすればいよいよ夏がくる
  夏が来て猫ちゃん雲子ぽったんこ
  爺の手のご飯を食べる涼しさよ
  台杉の新芽が伸びる猫背伸び
  マジッ句や猫はしっぽで雲の峰
  7・6母さん手術ニャンとまあ
  銀水も悲しからず夏痩せて
  ギン坊が体調わるし夏の暮
  かりかりを朝から食べて迎え盆
  衆霖や猫はしっとり毛繕い
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  春から秋のはじめ頃までの約80句の中から上記の句を再選した。吾輩にしか知り得ない内容の俳句もあるが、思い出になるので敢えてアップする。どれもどれも捨てがたいニャン。
  。
     「豆句会㉑」
  爺猫と留守番するやお正月
  新玉の年の初めのぎんちゃんよ
  初雪に肉球残し駆けてみん
  猫ちゃんの毛並みしっとり冬の雨
  猫くくと鳴いているなり春浅き
  猫砂をちょいと掻き分け脱っ糞だ
  歯ブラシで猫の耳掻く二月尽
  猫の眼もかすかに烟るつちふるや
  モンプチのお八つ鱈腹春爛漫
  猫まんま砕いて食べる春迎う
  春や猫爺の腹痛治さんと
  吾輩も子猫だったよにゃんにゃんと
  散る花を猫も見上げる万華鏡
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
  正月から四月半ばにかけての俳句約70句から選びました。銀水が詠むと硯水先生が豆句帳の手控えに書き込んでくれます。厳選したので名吟ばかりニャン。この4月19日には拙者13歳になりまする。(2021/04/16)。
  
    「豆句会⑳」
  銀漢の向きに尻尾を合わせけり
  秋晴れやうれしさ込めて尻尾振る
  猫の手も借りたや秋のお片付け
  ニャンとなく秋の川柳作っちゃた
  秋晴れや銀水さんは豆句会
  吾輩はストーブ好きな猫なりき
  冬が来た猫派毛並みを打ち揃え
  師走猫も祝うぞ爺の八十五
  雪だより聴くやニャンとも寒いなあ
  冬の雨猫はうんこをぽったんと
  
  秋から年末にかけての銀水の作句から厳選してアップする。爺さんの手の平から「もんぷち」を食べると何だか旨いのである。爺さんも事のほか嬉しそうなので、吾輩もせっせと食べる。良い年を迎えてニャン。2020・12.31。
  
  「豆句帳⑲」
  白黒の尻尾を振れば梅雨明けよ
  猫島は忘れず都忘れかな
  仙人掌や猫も出ている西部劇
  雷屋臍の唐揚げ猫も好き
  吾輩もコロナの夏を乗り越えん
  銀水へ暑中お見舞い申します
  小窓から猫も見ているさるすべり
  吾輩の手の傷治れ秋迎え
  たけふじの往診うけて爽涼よ
  ニャンとまあ婆あ八十の秋の日よ
  銀爺さん俳句捻れば秋うらら
  ケージにて爺と僕との秋句会
  芒には騙されまいぞ猫じゃらし
  馬肥ゆるけれど吾輩ちょいと痩せ
  
  梅雨から初秋にかけての「豆句会」の句稿から名句を抜粋してアップした。往診専門のたけふじ先生によると12歳の吾輩を人間年齢に換算すると70歳とのことだった。銀水も爺さん也か。
  
    「豆句帳⑱」
  尾を以てお話するや猫の春
  耳痒し耳が痒しで四月尽
  行く春を惜しみて猫は尻尾振る
  オンライン春の句会や吾輩も
  猫ちゃんがストーブねだる立夏かな
  Iの字に尻尾立てれば皐月晴れ
  郭公が猫へと飛ばすテレパシー
  地動説百足虫歩きの猫ちゃんよ
  夏が来て猫と遊べや奈良井衆
  台杉の新芽が伸びる猫のびる
  梅雨入りや猫はケージで夢に入り
  毛繕いすればしっとり梅雨滂沱
  いかづちや猫の肝をば驚かす
  梅雨寒や「銀水」の号貰いけり
  猫ながら俳号もらう皐月晴れ
  涼しさや波立つ猫の水ちゃわん
  七月や朝一猫の脱っ糞だ!
  
  晩春から七月初めまでの猫句会の句録から抜粋してアップした。硯水宗匠から「水」一字を貰い「銀水」なる俳号を頂戴した。有難きしあわせにゃん。吾輩も人間の年齢に換算すると六十代初めらしき。ああ。
  
     「豆句帳⑰」
  右ひだり尻尾を振って春よ来い
  春寒や猫の話はククククク
  両の手で伸び伸びすれば春の雨
  糸とんぼそなた川辺の感嘆符 ぎん
  肉球の跡残しけり淡雪に
  吾輩は眠たくなった春じゃもの
  吾輩はちゅーるを舐める雛祭
  コロナなんぞに負けるものかと春の猫
  耳立てて聴かむ雪解けピアニッシモ
  またたびをちょいと舐めたや花の宴
  咲き分けの椿未だかよ猫も待つ
  春や春緊急事態猫の世も
  春の空雲のかたちの猫走る
  春の雨猫もがんばる脱っ糞だ
  ビデオ句会猫も入りたや誕生日
    4月19日12歳
  行く雁に託すや猫のこの思い
  
  晩冬から四月下旬までの豆句会のなかから抜粋してUPしました。この間には誕生日もありました。
  
     「豆句帳⑯」
  父さんに起こされ吾輩ねむい冬
  芒枯れ猫をじゃらすや風の道
  風花のちらちら猫の眼に映る
  猫の手も借りたいような師走かな
  ちゅーるちゅーるを舐める暖房取りながら
  父十二・十二 吾輩は四月なり
  Xマスイブよちゅーるを舐めまする
  行く年や猫のしっぽはCの字に
  目っ糞も湿りを帯びる温暖化
  猫の鼻ちょいと潤う冬の雨
  枯蔓も猫のしっぽもQの字よ
  寒昴キラキラキラとキャッツアイ
  鬼さんも化け猫さんも福は内
  
  冬から節分までの約80句から上記の俳句を再選してUPします。(2020/02/03)
  
    「豆句帳⑮」
  逃げ足の迅 防災の日の猫は
  さっぱりと毛繕いして九月入り
  馬肥ゆる猫もいささか肥ゆるなり
  ギンちゃんの鼻まで及ぶ月明かり
  聞き耳を立てれば遠く秋の蝉
  猫パンチそっと食らわす秋の蜘蛛
  秋雨や猫はやっぱり耳痒い
  うそ寒くストーブつけて猫うれし
  Iの字に尻尾立てれば野分かな
  猫騙し真似てゆれおる芒かな
  ゆく秋を惜しみて尻尾Qの字に
  十月は諏訪湖マラソン猫走る
  肉球のひんやりとする霜月や
  ストーブをつけて貰えばぬっくっく
  冬将軍猫は後からついて行く
  
  秋から冬に入る季節の約40句の中から選び出してアップすした。(2019/11/20)
  
     「豆句帳⑭」
  くくくくと声もこもるや梅雨最中
  耳の毛を擽るほどの涼しさよ
  尻尾以てお話するや朱夏の猫
  蒸し暑く耳の痒さの募りけい
  やや暑し毛皮を着たる猫じゃもの
  猫茶碗涼しき水を召し上がれ
  猫撫での声も涼しや朝まだき
  諏訪狙う夏台風へ猫パンチ
  猫球がつるりと滑る猿すべり
  猫の眼に映るや秋の白き雲
  猫鼻をぺろりと舐める大残暑
  Iの字に尻尾立てれば秋涼し
  小さき秋大きな秋へ尻尾振り
  
  2019年6月以降の俳句から厳選して以上の13句をアップする。(2019/08/30)
  
     「豆句帳⑬」
  硯水と猫と参らん晋翁忌
  われとけん日永を共に生きようぜ
  花冷えや猫は尻尾で語るらん
     11歳誕生日
  春の子として4月19日ニャンと鳴く
  Qの字にしっぽをふるや四月尽
  水晶のような瞳よ春行かす
  ギンちゃんも雀隠れに隠れたや
  五月でも日向ぼっこよ猫じゃもの
  信濃では猫の毛皮も涼しけれ
  梅雨近くやっぱり痒い猫の耳
  一張羅着ても何やら夏寒し
  雷ごろごろ臍の旨煮を食べるニャン
  けふよりは令和の猫となりにけり
  吾輩は鬱陶しいよ梅雨最中
  
  4月4日以降の豆句会手控えから厳選して以上の俳句をUPする。(2019/06/14)
  
      「豆句帳⑫」
  ♂ながらニャンと可愛いやお正月
  あらたまのお部屋を飾る招き猫
  厳寒や猫の涎は水晶よ
  ストーブは嬉し毛皮を暖めて
  痒っ痒っ耳が痒いぞ冬の朝
  ギンちゃんも豆を飛ばして福は内
  吾輩も全国版入選したや春の句で
  肉球の跡のありけり春の雪
  梅便り梅に猫干す一茶かな
  ニャンニャンの日が近付いて尻尾振る
  二ン月の猫の尻尾はCの字に
  虚と実と吾輩も読む春うらら
  啓蟄の小さな虫に猫パンチ
  夢二描く猫艶めくや春の雨
  エイプリルフールよ猫は虎になり
  花冷えや猫の小鼻もひんやりと
  
  約五倍の句数の中からの抜粋。類想は捨てた。お正月から四月頃までの俳句だ。(2019/04/04)
  
      「豆句帳⑪」
  天高く煌めきわたるキャッツアイ
  活惚れを踊りし猫よ捨て団扇
  秋深しうわさの猫は何色ぞ
  行く秋のわれの尻尾は右巻きよ
  猫パンチすれば団栗ころころと
  よだれ垂れ白き玉なす秋の雨
  秋深く猫はしっぽでQの字を
  ストーブを点ければ猫は丸くなる
  吾輩の手足冷えたり冬来る
  忙し気に耳そばたてる師走かな
  猫の眼にきらと映れる風花や
  爺猫の誕生日なり十二月
  左耳撫でられうれし暖うれし
  猫の毛のちと縮こまる冬至かな
  ニャンとまあ耳が痒いぜ冬の朝
  
  抜粋作品。実作は約三倍ある。吾輩は2008年4月19日が誕生日。十歳と八か月になる。人間の年齢に換算すると・・・まあ、そんなところだ。自分の名前の、ギンちゃん始め、お座り、待って、きれいきれい、ご飯、お八つ、お水ぺろぺろ、雲子、しっこ、なでなで、お耳くりくり、よいしょ、こら、だめ・・・などの人語がわかる。また時間の観念がわかるようで人間のライフスタイルに合わせる。壁掛け時計をときどき見上げる。光陰矢の如しニャン。(2018/12/30)
  
     「豆句帳⑩」
  海の日やお魚咥え猫走る
  かたつむり角出せ猫はしっぽ振れ
  肉球もすべることあり猿すべり
  かなぶんの羽音は猫の耳までも
  吾輩も諏訪で慣れたよ音花火
  涼しさや猫は夏でも毛皮着て
  緩やかに尻尾を振れば立つ秋か
  耳痒しここにも吹けよ秋の風
  秋冷やひょっこりニャンと貌を出し
  空晴れて花野を走るトントかな
  吾輩もくねくねするや猫じゃらし
  猫パンチすれば廻るよ木の実独楽
  台杉に秋風わたる吾は見き
  ひもすがら毛繕いして冬支度
  猫の眼の宝石に似て爽やかよ
  股旅を舐めたや秋の呑み歩き
  
  夏から秋にかけての抜粋作。実作はこの三倍はある。この頃ケージから出してもらってお八つを食べ、1時間もすると自分からケージに戻ってご飯を食べて寝てしまう。たまには父者(ちちじゃ)と日向ぼっこするが・・・吾輩も年取ったか?(2018/10/06)
  
    「豆句帳⑨」
  突っ走るとき猫の耳涼しけれ
  猫の眼に夏の星座がきらきらと
  吾輩は夏ストーブを楽しめり
  野良猫の鼻湿らせる走り梅雨
  夢二描く筆にも似たり朱夏の猫
  向日葵は日を追い猫は鼠追い
  猫パンチ食らわせてみる源五郎
  くりくりと耳掃除する梅雨じめり
  尻尾以て猫は涼しさ呼び込みぬ
  物事はなるようになる猫の夏
  猫鼻をぺろりと舐めて夏土用
     7月14日
  アビよ跳べ夏の草原まっしぐら
  肉球を効かせて渡れ虹の橋
  夏空へ猫魂送るありがとう
  
  夏の季節に入った豆句会。不充分な句は捨て、厳選してUPした。あびくん昇天。かなしい日。(2018/07/15)
  
    「豆句帳⑧」
  たんぽぽの絮追いかけて猫走る
  啓蟄やぴんと張りたる猫の髭
  紅梅に猫を干したる一茶かな
  鳥雲に猫は日向に入りけり
  吾輩を柳といふか猫柳
  御彼岸の雪です猫が見ています
  蟻穴を出る猫ちゃんのちら見かな
  活惚れをおどるや春の呑み歩き
  厩出しのポニーと遊ぶ子猫かな
  蛇穴を出て野良猫と睨めっこ
  またたびに酔うて踊らん花吹雪
  猫じゃらし桜散るなりさくらちる
  ネズ公の追いかけをやめ卒業す
  春更けて猫はしっぽをQの字に
  夢二描く芸妓の膝の朱夏の猫
  どら猫が咥えて走る初鰹
  かたつむり角だね猫はお髭だよ
  飛魚や羽があたら猫も飛ぶ
  短夜や手枕をする猫ちゃんも
  鶸の子がお庭にきたよ吾輩の
  
  3月上旬から5月下旬までにメモった、ギンちゃん俳句のうち約三分の一をここにUPした。ギンちゃんとゴーストライターによる共同作品である。季題のメモ用紙を出すとあいうえおを爪先で押すという作業である。(2018/05/24)
  
      「豆句帳⑦」
  吾輩もおおつごもりを迎えけり
  初雀ちゅんちゅん鳴いて猫招く
  二日はや斑の毛皮毛づくろい
  日脚伸び猫のしっぽのほんの先
  新玉をころがしてゆく子猫ちゃん
  大寒や猫立ち向かうにゃんとまあ
  寒すみれちょと尻尾で触れてみん
  兎と猫飼っていたいる諏訪の家
  吾輩も豆を投げ打ち鬼やらい
  思いっきり冬将軍へ猫パンチ
  ふわふわと猫のお八つか春の雲
  春寒や猫はしっぽで音頭取る
  青猫が月に吠えるよ朔太郎
  2を並べニャンニャンという猫の日か
  にゃんこらと春の曙猫あくび
  きさらぎや猫はいつでも一張羅
  春雨じゃ猫も傘などいらんわい
  春に三日の晴れなし猫も気分屋さ
  春疾風猫は廊下をまっしぐら
  眠るのが猫の仕事さ春うらら
  
  またしても久しぶりに俳句UP。1月から3月初めまでの豆句会から適宜選んで。三分の二は没だった。銀ちゃんも句会は馴れてきたが、季語を覚えるのに難儀しているようだ。頑張ってほしいね。2018/03/12。
  
     「豆句帳⑥」
  小鳥きてわれは尻尾を振り回す
  うすうすと氷張るなり猫ぶるっと
  木枯らしと駆けっこをする野良の猫
  ストーブが好きだよ猫もけんすいも
  冬立つや二つの耳をぴんと立て
  むかしから猫は炬燵で丸くなる
  冬将軍の顎を狙って猫パンチ
  吾輩も大寒小寒がんばるぞ
  肉球のいささか湿る冬の雨
  ケージから幽かに見える冬の月
  化け猫が化けて木枯し紋次郎
  冬が来た毛皮着ている一張羅
  鱈咥えた猫追っかけるサザエさん
  魚でもこれ食えんわい大鯨
  極月の猫は忙しく毛繕い
  くだら野をカンバスにする尻尾かな
  ぬっくっく点灯したよけふ冬至
  七面鳥猫も食べたいXマス
  年の瀬や猫も目っくそ取ってもらふ
  
  ★久しぶりのUP。約半分は没にしたよ。今回も遅れに遅れてしまった。とまれこうまれこれで約束は果たして2017年を送ることができた。12月30日。
  
     「豆句帳⑤」
  猫渡る風も吹けよと雁わたし
  瓜坊のうわさを聴くや吾輩も
  潮の香や海辺の猫は鼻くんくん
  七輪で秋刀魚を焼くや猫が番
  肉球の湿り秋霖しとしとと
  うそ寒や猫は決して嘘つかぬ
  猫ちゃんを淋しがらせるすがれ虫
  行く秋の猫の尻尾はQの字に
  穴あれば猫も入るぞ蛇穴に
  肉球以て駆けてみたいな野の錦
  秋深し隣も猫を飼えばいい
  ぼら泳ぐ岸辺の猫は物欲しげ
  小鳥好き見てよし鳴いてよし食ってよし
  猫ちゃんが追っかけきれぬ赤とんぼ
  吾輩は初ストーブにあたたまる
  肌寒や猫は毛皮を着ているが
  冬隣猫の隣は硯水だ
  猫殿のうんこ臭いよ野分吹け
  台風の予感や猫は予報官
  猫耳につける野菊のイヤリング
  鵯が啼くよ猫の額の庭では
  猫顔を洗うや明日は雨ならん
  牧閉ざすポニーも猫と近くなる
  晩秋もやはり痒いぞ猫の耳
  
  ★遅れに遅れていたけど、やっとUPしたよ。ギンちゃんの肉球の雅印を押したメモがいっぱいになっていたんだ。これでほっとした。10月30日
  
  
  『ギンちゃん日記』
  
     「豆句帳④」
  春寒しひやり冷たき猫の耳
  ニャンと鳴きそぞろに春を行かしむる
  春のおじさんめがけて猫パンチ
  行く春やすわに引っ越すアビとニア
  夏近しまだ冷たいな猫の耳
  吾輩もたのしきかなや聖五月
  夏立つや右にならえの小猫どち
  五月晴れニャンとか佳き日願うなり
  吾輩の小耳にふれる青柳
  猫ちゃんはお魚好きよ鯉のぼり
  五月雨を聴きとめている家の猫
  ぶんぶんと蚊が飛ぶ猫はにゃんにゃんと
  ごきぶりの速さよ猫も追いつけず
  蛸釣りを猫が見ている防波堤
  梅雨入りや猫の毛波のしっとりと
  野良の眼に蟻の軍隊行進す
  八時半猫おどろかす音花火
  吾輩が哲学すれば身に沁みる
  秋まつり屋台を狙う野良の猫
  楓燃ゆ白き野良猫通りすぎ
  猫ちゃんも猿の腰掛ほしいのさ
  猫鼻をぺろりと舐めるそぞろ寒
  吾輩を擽りやまぬ猫じゃらし
  
  ★豆句帳の両面が埋まったので、とりあえず書き込みました、類句があったのでそれは割愛しましたよ。
  
  『ギンちゃん日記』72
  
       「豆句帳③」
  猫耳に羽音聴こえる春の蚊や
  春や春猫にもそぞろ憂いあり
  吾輩も乗込鮒の流れみる
  田螺ころころ肉球を以て転がしぬ
  猫の目にぴちぴち跳ねる公魚よ
  猫にまでちょっと来いかよ小綬鶏
  はなびらも猫に取っては猫じゃらし
  猫にとって手裏剣のごと手長蝦
  菜の花の黄色に染まり野良の猫
  猫殿もぼんやりかすむ霾晦(よなぐもり)
  仔馬駆け仔鹿も駆ける吾輩も「牧場の馬鹿」
  吾輩は嘘はつかない万愚節
  猫ちゃんの鼻孔くすぐる梅が香や
  吾輩も活惚れおどる花の里
  猫耳に止まって癪よ春の蝿
  どら猫が鰊くわえて逃げてゆく
  猫の鼻湿りがちなり菜種梅雨
  蜷の道猫は眼だけで追っかける
  花冷えや猫は小さく丸くなる
  何だろうと猫が見つめる春の蝿
  花冷えや猫は朝から尻尾ふる
  遠き遠き記憶の底の恋の猫
  公魚の鱗宝石キャッツアイ
  猫車押してゆくとき柳絮飛ぶ
  猫又がギャーオと鳴くや春の闇
  猫背にてけふも春眠貪りぬ
  
  「豆句会」の俳句の「手控え」がいっぱいになったので、UPしますにゃん。季語を入れ「猫」の語も入れることが必須条件なので類似句が多くなってしまうけれどご勘弁ください。(2017/04/19)
  
  
  『ギンちゃん日記』71
    「豆句帳②」
  
  蜜蜂を追って吾輩蜜蜜っけ
  猫の眼に雪形見える硝子越し
  花馬酔木猫が食べてもいいのかな
  軽やかに猫廊下跳ぶ春がきた
  吾輩の尻尾の先へ日脚伸ぶ
  穴を出た蟻の列見る猫のたま
  蛙けろけろ猫ニャンニャンで世は移り
  春雪や猫の足跡すぐ消える
  淡雪や肉球の跡雅印めく
  よな曇り猫は薄目を開けてみる
  てふてふにさっぱり効かぬ猫パンチ
  陽炎を追いかけながら猫パンチ
吾輩が寝そべる位置の春日射
  啓蟄の蟻を見つける猫のわれ
  地虫出て地虫びっくり吾輩も
蒲公英の絮にじゃれつく仔猫かな
仔猫ちゃん時代もあった吾輩も
猫の耳くすぐってゆく春の風
春の朝猫が鎮座の「豆句会」
猫又が肉球で跳ぶ春疾風
猫の目にちらちら見える小米花
朧夜の恋の兆しのキャッツアイ
猫脚やぺんぺん草の道つづき
吾輩は柳にあらず猫柳
仔馬駆け猫も駆けゆく牧場かな
猫の眼に映りて小さき菫草
以上アップする。
「豆句会」はほぼ毎朝開かれ、吾輩もだが河童先生も「豆句帳」に書き込んでくれる。その俳句をこうして開示しているわけだ。先達ては河童先生の俳句のお仲間が読んでくれて下記の「豆句帳①」から名句として二句選んでくれた。その俳句に〇印をつけておく。愛読者がいてうれしいかぎりだ。(2017/03/07)
   「豆句帳①」
春来るや吾輩いつも一張羅
恋猫の鳴き真似したが恋はせぬ
淡雪を肉球で踏むこころよさ
生みの親居たころ僕は子猫ちゃん
猫脚の跡がつづくよ春の雪
吾輩も爪先立ちや春立つ日
咲く梅に猫を干したる一茶さん
〇招き猫もどきに座り福は内
〇野良ネコと遊んでおくれ外の鬼
時たまは玉のふりして炬燵入り
ストーブが何より好きさ猫族は
風花がかつお節なら猫グルメ
吾輩と育ての親のお正月
ニャンとまあ毛糸のような毛玉ゲロ
朝の6時~6時30分にかけて河童先生は必ず吾輩のケージを訪れ、ご飯の残量の確認と食器の取り下げをしてくれる。そして「ギンちゃん伸び伸び」というので吾輩は思い切り背伸びをし、ケージの二階から一階にぽんと跳び降りるのである。
それから河童先生は電気ストーブを点けてくれる。部屋には暖房が入っているが18度くらい。吾輩の快適な室温は22度なので電気ストーブは至極ありがたいのだ。
ストーブに当たりながらケージの内と外、つまりケージの金網を挟んで吾輩と河童先生はお話しをする。河童先生の手指で喉元や鼻先を撫でてもらいながら会話する。吾輩は尻尾をふってコミュニケーションをとる。最近吾輩は不覚にも涎をたらしてしまうのだが、原因は撫でられるうれしさ、そして吾輩の加齢の粗相が一因かもしれない。
「ギンちゃん、俳句を作ろうよ。俺さまは俳句の宗匠だから何でも教えてあげるよ」。「吾輩は猫であるから、俳句についてはニャンにも知らないよ」。
――それからというもの、河童先生は吾輩に俳句を教えてくれる。俳句は季語が必要だと季語を選んで提示する。吾輩が尻尾を振って考えあぐねていると、河童先生が俳句に仕立ててくれる。
「ギンちゃん、君の爪はガラスペンだからインク壺に浸して「豆句帳」に俳句を書き込み、俳句の下に肉球の雅印をぺたんと捺印するのだ」。「でも吾輩の作った俳句じゃないよ」。「いいのだ、いいのだ。夏目漱石だって猫に成りすまして『吾輩は猫である』を書いたのだから。漱石さんはゴーストライターさ」。「河童先生は俳句のゴーストライターってわけか」。
寝起きの早い河童先生が最初にケージを訪れ、引き続いてお河童先生が訪れる。お河童先生はケージの二階の猫布団やトイレの掃除、ご飯や水茶碗の取り換えをやってくれる。ケージから出て風呂場への散策、ガムテープでの「浮き毛」取りなど吾輩の朝は結構忙しいのだ。
――とまれこうまれ2017年1月ころから、そんな遣り取りがあっての朝まだき、雁首を揃えた二人?の「句会」が行われている。「豆句帳」から適宜アップしたのが上記の俳句である。ご鑑賞あれ。(2017/02/11)
『ギンちゃん日記』69
今日は節分で豆まき。例年通り豆は大豆ではなく、殻付きのピーナッツを投げることになっている。お河童先生がスーパーで買ってきたピーナッツのポリ袋の封を切って、大小二つを吾輩にくれた。大が福、小が鬼という。
うなぎの寝床のように長い廊下を、吾輩は「小」を肉球で吹っ飛ばしながら脱兎のごとく駈けてゆく。「鬼」は廊下の隅に隠れてしまった。
次は「大」を肉球で威勢よく吹っ飛ばし、吾輩のテリトリーであるケージ部屋に運びこむ。「福」は吾輩の手元に置くわけだ。「福を内、福は内、招き猫、招き猫」。今年の節分もこんなんにやん。(2016/02/03)
『ギンちゃん日記』68
「ドリーちゃん」と称するおやつがある。吾輩は最近これにはまっている。この名称は河童先生が用いだした略称で、正しくは「ドリーミーズ」といい、マースジャパンが輸入元の猫用スナック間食だという。チーズ味とかいろいろあるが、吾輩の手元(肉球)にあるのはシーフード味だ。
「中はトロッ!」「外はカリッ!」は歌い文句で猫ちゃんを夢中にさせるカジケルおいしさとあるが、なるほど、なるへそと首肯できるものがある。1袋60gで約160円。
「カリッ!トロッ!」が吾輩の去年今年(こぞことし)。言い換えれば行く年、来る年である。それではおめでたく、招き猫に変身といこう。(2014/12/31)
『ギンちゃん日記』67
思えば吾輩、「ギンちゃん日記」を約七か月ぶりの執筆ということになる。元気だったけれど兎にも角にも、この無沙汰をみてみれば怠惰のそしりはまぬがれないだろう。
河童先生もお河童先生も日常生活のリズムがまいにち同じように流れてゆくので、吾輩もそれに同化して学習してしまった。トイレタイムは二人と同時刻。三時のおやつ、夕飯の時間もほとんど同じ。多少のずれがあっても腹時計はしっかり守られている。吾輩は猫であることをとんと忘れ、人間であると決めてしまっている。これを人は「猫の犬化」というだろうか?
2~3歳のころの吾輩は河童先生のパソコンのキーボードに乗っかり、先生をいたく困らせた。折悪しく作業中のときは、四肢の肉球が出鱈目にキーボードを圧しつけてトラブルになることも再三。またカーソルを追って液晶画面をぺろぺろと舐めるなど、いたずらの限りをつくしたものだ。
人間好き、構ってもらいたい一心からの発露だった。いまは河童先生のパソコン中は、先生の背後の机や炬燵の上からじっと待っている。「いまに飽きるぞ!いまに飽きるぞ!」と予測してじっと待っている。そういう意味では、いつまでも子猫ちゃんではない。大人猫である。しかし「やんちゃ」にできない自分が我ながら意気地なく思われ、寂寥感に苛まれもする。
話はかわるが、尻尾を入れないで計測して体長4センチほどの鼠を買ってもらった。なんでも兎の皮でこさえてあるという、鼠色と白鼠の二匹だ。これで遊ぶのがなんとも楽しい。口で咥えて1メートルほど放り投げ、落ちざまを二本の前肢で威勢よく交互に廊下をふっ飛ばすのだ。鼠はハンティングの対象として持って来いのペットである。(吾輩は鼠を「ネズコ」と呼んでいる。)
鼠は楽天の「快適ねこ生活」で買った。一匹39円。「花ささみ」を購入して、もうちょっとで送料無料になる。ギンちゃんが遊ぶかどうか分からないので、とりあえず二匹だけ追加購入した。これほど雀躍するなら、購入制限一杯の10匹買うべきだったと河童先生は小火(ぼや)いていた。(2014/12/12)
『ギンちゃん日記』66
思えば吾輩、又しても、約四か月ぶりに筆を執ることになる。こうなると、もう怠惰というほかはない。
4月19日は吾輩の6歳の誕生日だった。河童先生は「ギン坊、おめでとう」といってくれた。日記にもそのことを記述し、赤ペンで二本のアンダーラインを引いていたのを盗み見た。「ありがとニャン」と、吾輩は声にならない声で返事した。
4月22日にはお河童先生が「ギンちゃん誕生日おめでとう」といって、三日遅れのプレゼントをスーパー「綿半」のペット売り場から買ってきてくれた。
プラスチック棒の先に紐がついており、その先に鼠色の兎毛の「丸っこい鼠の画像」(Windowsの不手際で画像が出ません)がぶら下がっている奴である。ニャン界では定番の「おもちゃ」であり、吾輩は欣喜雀躍、雀躍りに負けない猫躍りをしたものである。
このおもちゃは「ネズ子」と名付けられ、お河童先生が「プラ棒」を持って廊下を走ると吾輩が「棒先のネズ子」を脱兎のごとく追跡し、両肢でひっ捕らえぎりぎりと齧るのである。ハンティング本能が刺激され、やめられない、とまらないのである。
このネズ子は吾輩にとって二代目。初代は吾輩がいじめて壊してしまった。壊れたネズ子は「痩せこけた鼠の画像」(Windowsの不手際で画像が出ません)左のようなありさまで、河童寓の「おもちゃ病院」に入院中である。とまれこうまれ、吾輩は元気で6歳の誕生日を迎えたのだった。(2014/05/05)
『ギンちゃん日記』65
思えば吾輩、九か月ぶりに筆を執ることになる。怠惰もいいところと言われそうだが、吾輩の一日いちにちは良く寝ることは寝るけれど、必ずしも怠惰という指摘はあたらないだろう。それなりに(この言葉嫌いだが)真剣に生きてきたと自負できないこともない。
さて、1月23日の当ホームページ「コラム」に、河童先生が「吾輩の乱心」について書いていた。それに対して吾輩からのメッセージが求められることになるのだろうが、これが何とも書きようがないのである。
あの日の吾輩は、まったく日常通りの脚捌きと感情でケージから跳び出たのであった。ところが吾輩の嗅覚が異常に研ぎ澄まされていることに、吾輩自身が驚いた。「クンクン、クンクン」・・・この臭いは何だ?こんな臭いを嗅いだのは始めてだ?!
ふと気がつくと、吾輩が猛獣になっているではないか。カフカ『変身』の主人公のグレゴール・ザムザは、ある朝目を覚ますと巨大な毒虫になってしまうのだが、吾輩もそんな感じであった。
自分自身なにがなんだか分からない。よく頭が真っ白になるというが、それと共通するもの。
お河童先生は吾輩のショクジやシモの世話をしてくれ、遊んでもくれ、お河童先生の動きには腰巾着のように付いて回っている身でありながら、猛獣のように猛り威嚇してしまった。
・・・吾輩が平常心にもどるには三日を要したのであった。(2014/01/28)
『ギンちゃん日記』64
「猫は飼い主の声を聞き分ける」という、東大の研究グループの実験結果が発表され、ネットや新聞を通じて伝えられている。四人の声を録音し、それを猫に聞かせて反応を調べたものだそうな。
これはネットや新聞にわざわざ報道される情報だろうか。猫の飼い主には当然と思われている、いやいや、もっとレベルの高い「猫の聞き分ける能力」を猫との日常生活で感じているのだが・・・と、吾輩の飼い主である河童先生はこぼしておった。
吾輩は犬ではないが「待て」ができる。河童先生がおやつの花ささみをくれるとき、紙の器にすべて盛るまで「待て」の合図をする。盛っている端から吾輩が食べてしまうのを嫌う。ちゃんと盛るまでお行儀よく待っていよ、とうい躾らしい。
最初はなんで「待たニャー」いけないか分からなかったが、毎回のこととて理解できるようになった。河童先生は交通整理のお巡りさんがストップを掛けるように、吾輩の鼻先に手の平を差し出す。それが「待て」の意味だと合点したのだった。
「おはよう」の挨拶もできる。河童先生やお河童先生が毎朝、「おはよう」と吾輩に声をかける。朝の寝惚け人間の発する声は低音なので、同じ声で返すのは猫にはむずかしい。思わず知らず「ニョオー」と変な声で発声してしまう。猫としては不可思議な鳴き声だろう。
「きれいきれい」は温泉を湿らしたタオル。これを持ったお河童先生が吾輩を拭いてくれる。ときには拭かれるのが嫌で遁走すると、お河童先生が追っ掛けてくる。
「ご飯」「おやつ」「花ささみ」「お悧巧さん」「寝んね」「雲子」「疾呼」「ぴんぽん」(ピンポン玉遊び)「ガリガリ」(爪とぎ)「こら!」(一喝)「シュッシュ!」(霧吹き)「ちゅうちゅ」(小鳥)「むしむし」(昆虫)などの言葉も分かる。むろん「ギンちゃん」が自分を呼ぶ音声であることも。
かくして吾輩は猫でなく、自分では人間だと思っているのである。(2013/04/01)。
『ギンちゃん日記』63
2月22日、きょうは「猫の日」ニャンだって。猫の日といっても人間さまの考えた、人間さまのために都合がよい記念日(「2」数字の三並びで覚え易い)であって、吾輩らこちらに取っては、さして恩恵もご馳もあるわけではニャイ。
ま、ここで吾輩が「いぼずって」(「いぼずる」不満があってふくれる、むくれる意味の方言)。いても仕方がないので、この記念日はさりげなく送ろうと思う。
じつは昨日、お河童先生と吾輩と「ケンカ」した。吾輩の虫の居所がわるかったか、「キレイキレイ」といって吾輩の背中などを温かい蒸タオルで拭いてくれるのだが、そのとき「シェー!」とお河童先生にやらかした。いつもは納得してやってもらっているのだが。
それが尾を引いていたのか、きょうもお河童先生との2Fでの遊び時間が遅れたとて、再び「シェー!ニャンだ、ニャンだ」とやってしましった。
お河童先生は「ギンちゃんは、何を怒っているのかしら?」と怪訝な様子だったが・・・・
河童先生はおやつの「花ささみ」を多めにご馳走してくれた。「きょうは猫の日だからたっぷり上げようね」と。(2013/02/22)
『ギンちゃん日記』62
吾輩が諏訪の子になって、2013年1月で丸4年になる。月日の経つのは速いものだ。はじめ河童寓の二階で暮らしはじめたのだが、歌にあるように「♪鳴いてばかりいる子猫ちゃん」でよく鳴いた。将来どうなることかた思った。しかし間もなく「ギンちゃんのお家」を新築してもらい、吾輩は一階の河童先生たちの住まいに隣接して暮らすことになったのだった。
思えば江戸っ子が諏訪っ子になった。感慨深いものがある。法被ー
にゅーいやー。ハッピーニャンイヤー。(2013/01/01)
『ギンちゃん日記』61
吾輩は猫である。しかし吾輩は猫ではない。人間である。という感を強くする。河童寓にきてからそう信じ込んでいるのだが、昨今はとりわけ猫である気がしない。規則正しい人間の生活になじんで、人間の感情を持つようになったと錯覚するほどである。
吾輩が人間である事例の子細はさておくが、今日はXマスイヴ。河童先生は休肝日でお酒は呑まないが、吾輩にマタタビを献上してくれた。粉末のマタタビをぺろりぺろりと舐めた。
これがニャンとも乙である。たまらない。吾輩は河童先生に頬っぺをすりすりして感謝した。(2012/12/24)