Michelin France, Green Guide, 1991, P272翻訳(続):

***サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂

 最初に建造されたのは1096年と1104年の間であり、1120年の火災の後修復された。外観の主な特徴はこの教会の素晴らしいロマネスク構造(フライング・バットレス(=飛び壁)は13世紀に付加された。)、サン・アントニー塔、ならびに放射状に礼拝所のある特に調和のとれたシュヴェ(教会後部端の屋根組み)である。テラスからはキュール川の谷越しの素晴らしい眺め注2が楽しめる。薄暗いナルテックス(1140-60)のなかの中央戸口に見事なタンパン注3がある。これはほぼ1125年のもので(したがいオータンのタンパンよりも古い)、キリストが12人の使徒達を世界に送り出すにあたって祝福しているのを示す。構図の意味を強化するために全体の均整が計られている。;人間のサイズを超えて表現されているのは手を外に向かって突き出したキリスト像注4であり、それは十二使徒達に彼の神聖な能力のなにがしかを伝えている。一方で彼の足の特別な長さは彼をすべての地上の事柄を超越して彼を飛翔させているように見える。これとは対照的に十二使徒と異教徒の姿はずっと慎ましい大きさである。この彫刻家の偉大な手腕は、十二使徒とリンテル(入口の上の横木)の素晴らしい人物像の表現注5、黄道帯標識と12ヶ月労働図の描写注6、並びに着物の襞の熟達した取り扱い(キリストのローブに著しい)注7などに明白に示されている。

ヴェズレー関係資料

3ナルテックス(1140-60)のなかの中央戸口に見事なタンパン

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画像:”Vézelay”, P7

2

 最も重要な位置に描かれているのは、ヴェズレーで白い法衣と黒いスカプラリオを着けた聖ベルナールの面前で十字架を受け取るルイ七世。(BNP, ms. Fr5594, f.138

 私見だが、この大聖堂は1050年頃より220年ばかりフランス宗教界でトップの位置を占め、巡礼者が押しかけ大繁盛したので、その当時の超一流石工芸術家が招聘されたに違いない、と考える。

オータンとくらべてみると、服の襞が渦巻く栄光のキリスト像には、オータンのような関取土俵入りの平板さはなく、あたかも巨大な掌で私たちを受け止めてくれるかのような力強さがあり、私には、サント・マドレーヌのタンパン彫刻が12世紀芸術の(すくなくとも宗教上の)最高峰であるように感じられる。

以上。

十一月の黄道帯標識と12ヶ月労働図

四月のシンボル、雄牛の黄道帯標識と12ヶ月労働図

画像:”Vézelay”, P23

1:
 もともとこの寺院は洗礼者ヨハネに奉じられていたが、1050年、マリー・マグダレーナの聖遺物がローマ教皇の証明書つきであたえられたので、これ以降、ヴェズレーはマグダレーナ信仰中心地となった。

 この結果、ヴェズレーはサンチャゴ・デラ・コンポステラへの巡礼出発点のひとつとなり、殷賑をきわめることとなった。

 マグダレーナの聖遺物はサント・マドレーヌ聖堂地下室(クリプト)にある。ただし、もともとの聖遺物は1550年代ユグノー宗教戦争の最中に焼失したので、ここに見えるのは1870年代にSens大司教が贈呈したもの。

4手を外に向かって突き出したキリスト像

画像:”Vézelay”, P21

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2キュール川の谷越しの素晴らしい眺め

写真:2015.05.22撮影

注1:サント・マドレーヌ・バジリカ聖堂(ヴェズレー)

3

  現在、フランスにサン・マリー・マドレーヌ・バジリカは二ヵ所にあり、一つはヴェズレー、もう一つはプロヴァンスのサント=ボームである。マグダラのマリアの頭蓋骨はプロヴァンスのサン・マリー・マドレーヌ・バジリカの地下納骨堂の聖遺物箱に納められている。

Michelin France, Green Guide, 1991, P272翻訳:


    **ヴェズレー

ヴェズレーの絵のような村はモルヴァン山地の北麓の岩だらけの背尾根に作られた。その名声は素晴らしいバジリカ風のキリスト教聖堂によるものである。最初にこの丘の上に定植したのはケルト人であった。西暦878年、一軒の修道院がここに建てられ、1050年にマグダラのマリアに奉納された。注1 この場所はまもなくフランスの大きな巡礼目的地となり、至聖所が建てられた。これは一度ならず火災の被害に遭った。1146年に聖ベルナールが第二次十字軍に唱道したのはここである。注2 しかし、1279年に、プロヴァンスのサン・マクシムの修道士達が洞穴の中でマグダラのマリアの骨注3を見つけた。;この聖遺物が真正なものであるとの証明がなされ、ヴェズレーは巡礼目的地としては凋落した。;ここはユグノーによって略奪され、フランス革命のときに破壊され、落雷によって最後のとどめを受けた。

1840年、この国の遺産の国家調査の任にあたっていたプロスパー・メリメがヴェズレーにやってきた。;彼はこの廃墟の価値と重要性を認識し、若年のヴィオレ・ル・ドゥックを復元作業の建築家に任命した。

7:  着物の襞の熟達した取り扱い

6黄道帯標識と12ヶ月労働図の描写

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画像:”Vézelay”, P20

5十二使徒とリンテル(入口の上の横木)の素晴らしい人物像の表現

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画像:サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼順路
出典:”Vézelay”, P5
Éditions La Pierre d’Angle – Magasin monastique
ISBN: 978-2-9538318-1-8/Édition française/juillet2011

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