1. 所有者の諒解を得ることなく、プロイセン政府が押収した個人資産である。
2. プロイセン政府はしたがって、これを国有財産とすることができず、宰相直轄の秘密管理団体を作り、宰相の指示にしたがい「秘密資金」として使用することとなった。
3. 当初は約半額を旧ハノーファー王国領の社会整備費として使用し、のこりを政治資金として外務省と内務省で使用したが、普仏戦争ののち政治資金の割合が激増した。
4. 全てが機密下におかれたので、実情は宰相ビスマルクによる自由裁量のポケット・マネーと化した。
5. 秘密政治資金として使われたもののなかで、最初の多額資金は、(ドイツ帝国を建国するために必要な賄賂として)、1870年11月、バイエルンのルードヴィッヒ二世王への秘密資金の提供であり、金額は年額10万ターレルであった。(現代の金銭感覚に置換えると年額100億円)。この資金提供は1886年(明治19年)のルードヴィッヒ二世の死の直前まで続いた。(ビスマルクの資金提供の打ち切りによりルードヴィッヒ二世は謀殺された?)
6. 1883年1月、皇帝命令により、個人資産の盗用は刑罰の対象となることなく、不問とされ、証拠書類は一切焼却された。
7. 実質的には、ヴェルフ資金は1890年3月17日ビスマルク自身による退職金231,000マルクの支出まで継続した。
8. 法律的には、1892年4月10日付廃止法の公示で終焉した。
説 明 (3)
ヴェルフというのは欧州における最も古くて由緒のある王家である。ブルンズヴィック-リュウネブルク家、ハノーファー家、英国の現王朝がヴェルフ王朝に所属している。
ヴェルフの起源については長くなるので別項を設けて解説する。全欧州の歴史を体現するような豪華絢爛な家系である。
画像:エステ家の紋章。エステ家の兄系がヴェルフ-エステ(Welf-Este)家である。
B. ヴェルフ基金についての敷衍説明(筆者作製)
当時の同盟ターレルは,
一個あたりの純銀重量が16.666g
であったから、現在の価額は
銀価格 @¥80.43/g
(2013/09/03、田中貴金属工業
買取り価格)
ゆえに、
16.666 x 80.43 = ¥1,340/ターレル
と計算される。
注:押収した王家財産は、
ハノーファー王国
ヘッセン選帝侯国(選帝侯の死後、差押えは1875年
7月26日の法令によって廃止された)
ナッサウ公国
岩倉使節団が記録している諸国の通貨制度と交換レート
(日本の国家予算は、5000万円前後)
国:
普魯士(プロイス)
首 都:
伯林(ベルリン)
人 口:
2469万人
元 首:
維廉(ウリヤム)
通貨制度:
1ターラー=30コロセン
1マーク=10コロセン
欧米の交換レート 1ターラー=3/20[英] ポンド弱
1マーク=1/20[英]
ポンド弱
日本円:
1ターラー=68銭*
1マーク=24銭
欧米の労働者の賃金
プロシャ/ベルリンの大病院/看病人/年
80ターラー/5円/月
イギリス/ロンドン近郊のビスケット工場/職人/周日
0.75ポンド/15円/月
なおこのころの日本の庶民(大工さん、巡査さんなど)の1ケ月の賃金は、
5~10円程度
『文久二年のヨーロッパ報告』宮永孝 新潮選書 1989 P168
福沢の『西航記』に「病院Charisie(Charitéが正しい)に行く。別林(ベルリン)最大の病院、政府より建(たつ)る者なり。臥床千五百、医五十人、一歳(一年間)の入費二十万ターレル一ターレルは我二歩二朱許と云(いう)」とある。(文久二年、1862)
と記載されている。
この換算率を使えば、
プロイセン王国からの補償金額、16百万ターレルは、
16百万ターレル x ¥100,000 = ¥16,000億(1.6兆円)
となる。
これに旧ハノーファー王家財産を加えたものが原資となり、この二つの運用収益として、利子として支払われる年間歳入額(ヴェルフ基金)の現在価値は
百万ターレル x ¥100,000 = ¥1,000億(1,000億円/年間)
と計算される。
現在の貨幣価値に引きなおすと、このような金額的なインパクトであった、と理解してよいだろう。
同盟ターレルの表象する貨幣価値
歳出 合計135万ターレル
(内訳) 管理コスト 35万ターレル
秘密資金として外務省/内務省併せ
26.5万ターレル(1869)
(外務省別除15万ターレルを加え)
41.5万ターレル(1870)
ハノーファー/ヘッセン州での公的活動/建設計画:
残額
ヴェルフ基金の現在価値
このような経過をたどって創始されたヴェルフ資金の性格は次のように説明できるだろう。
1両=4分=16朱=64糸目
であるから、福沢によれば、
1ターレル=2分2朱=0.625両
となる。すなわち
10万ターレル=62,500両
と換算される。仮に1両=¥40,000と仮定すると、
10万ターレル=¥25億
画像:ウィルヒョー病院、すなわちベルリン大学のシャリテ(Charité)。
ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーは、1856年からベルリン大学で病理学の教授を務めた。
プロイセン王国からの補償金(16百万ターレル)
+
旧ハノーヴァー王家(個人)財産
画像:ポケット・マネーのイメージ
注:ほかに換算に使えそうな記述を拾い出すと、
ターレル換算率1
もう一つ考えておかなければならないファクターは、国家の経済規模である。経済規模が小さかった時代のターレル貨の実質的な価値は、経済規模の拡大にともない増加させないと、貨幣の「重み」がくるってくる。
ドイツ国の1866年当時のGDP(67640)と2008年時のGDP(1713405)(注:単位は:million 1990 International Geary-Khamis dollars。出典)を比較すると、GDPの拡大率は25.3。貨幣の現在価値は社会的経済規模の拡大にともなって、拡大して考えられるべきだ、という考え方にもとづけば、
GDPの拡大率を投影した当時の同盟ターレルの現在価値は:
¥4,000 X 25.3 ≒ ¥100,000/ターレル
経済規模の拡大
当時の貨幣は銀の重量換算であったから(銀本位制)、疑いない数字のように見えるが、実は1871年からの金本位制移行の流れによって、銀は基軸通貨からはずれ、価値が大きく下落した。だから、1867年当時のターレル価値がどれだけであったか、正確にはわからない。まあ、この三倍程度であったと考えて良いのではなかろうか??(後刻もうすこし詳しく調べるつもりですが)
とすると、現在価値としては¥4,000/ターレル程度ではなかろうか。
(この項については様々な見方があると思いますので、参考にとどめてください。)
画像:アルブレヒト・デューラー『エリザベス・テュッへル』1499、カッセルのウイリアムス・ホーエ美術館 ©Gemäldegalerie Alte Meister (mhk)
ターレル換算率2(出典)