連合艦隊をあらためて見たところ、この最後の「群青」のところには書ききれない演出の良さがあり
本編とは別に「群青」として書こうと思います
この「群青」は谷村新司がこの「連合艦隊」の為に書き下ろした曲です。
谷村氏は戦争映画の歌は書かないと何度も断ったそうですが、
監督の熱のこもった説得に心動かされ書いたのがこの素晴らしい曲です。
その曲に監督が映像を付けたのがこのラストシーンなのですが
これを見ると
”主題歌”とはこういうものであり
”音楽に映像を付ける”という事はこういう事なんだと改めて思います。
勉強不足でこの「松林宗恵」という監督の事はよく知りませんが
演出の素晴らしさに、ただ感心するばかりです。
群青
イントロ
零戦のエンジン音と共に静かにピアノソロ
海を表現する様に静かなピアノが激しくなっていき、また静かに流れる
静かな大和艦内。
死体、血と油の海
使命を果たし死んでいる武市(正人の父)
その顔はよくある「満足そうな顔」ではない。
場面変わって、身動き出来ないままの眞二
(空を染めてゆく この雪が静かに)
(海に積もりて 波を凍らせる)
力無く、わずかに目を開ける
遠い日本の陽子を想っているのだろう。
(空を染めてゆく この雪が静かに)
大和爆発を上空から見る正人
(海を眠らせ 貴方を眠らせる)
(手折れば散る薄紫の)
大和大爆発
(野辺に咲きたる一輪の)
(花に似て 儚きは人の命か)
巨大な黒煙を残し海の底へ没した大和
その黒煙を取り巻く海がもの凄く綺麗
(せめて海に散れ)
(想いが届かば)
(せめて海に咲け)
(心の冬薔薇)
黒煙の周りを旋回する零戦
<モノローグ>
「父さん、ほんの少しだけ長く生きていられるのが、せめてもの親孝行です」
「さようなら、妹たちよ・・・、姉さん・・・、さようなら」
その言葉を最期に南へ飛び去る。正人もまた特攻に向かうのだった。
このわずかな間奏部分がこの映画を更に上のものへと引き上げています。
始めのイントロもそうですが、この短い間に監督が表現したい事をピタリと収めています。
そして戦後
小田切家 父(武市)と兄(正人)を失った家庭
正人の姉が親代わりとなり、妹たちが慌ただしく弁当を持ち学校へ向かう。
間奏の後のほんの僅かな時間(数秒)に、あの家族の後日を入れ
小田切家を完結させています。
ここは監督の「あと5秒クレ!」って声が聞こえそうな気がします。
「仏壇の父、母、兄の遺影に手を合わせ〜」って場面が私には見えます。
まあ、観る側に伝わる最低限を無理矢理、数秒に詰めたって感じでしょうか。
砂浜
たたずむ老人(森繁久彌)
寂しそうに海を見つめ
「海神」となった二人の息子を想う
砂に書かれた亡き息子の名「英一」「眞二」
その名が波にさらわれ消えていく。
老人のもとて遊ぶ幼子(孫)
戦争が終わり、新たな命とその子たちの平和な時代
死んでいった者たちもこれで報われるのではないか
そして、それを遠くで見守る母、陽子。
(老いた足取りで想いを巡らせ)
(海に向かいて独り立たずめば)
(我より先に逝く不幸は許せど)
(残りて悲しみを抱く身の辛さよ)
(君を背負い歩いた日の温もり背中に消えかけて)
荒れる海
(泣けと如く群青の海に降る雪)
そこに舞う雪
(砂に腹這いて 海の声を聞く)
満開の桜
この手の映画でよく使われるが、やはりこういう場面での桜は良いですね。
(待っていておくれ もうすぐ帰るよ)
静かな海
<ピアノソロ>
青空、雲
(空を染めてゆく この雪が静かに)
画面いっぱいの黄色い菜の花。
(海に積もりて
綺麗な空と静かな海
波を凍らせる)
真っ赤に紅葉したもみじ
(空を染めてゆく この雪が静かに)
荒れる海
(海を眠らせて)
(あなたを眠らせる)
<ピアノソロ>
群青の海
そして朝焼けの静かな海に「終」の文字
曲と共にこの映画も終わります。
最後の所は物語とは直接関係無く”美しい日本”を映し出しています。
登場人物でもなく、零戦でも大和でもなく、
”彼らの犠牲の上に守られた美しい故郷”
を映し出し物語を終わらせています。
ひとつの映画の終わり方として最高ではないでしょうか。