「がんになっても、あわてない」の中の1項目です。 <告知をするかしないかを考える> なにがなんでも告知をしなければいけないという気は毛頭ありません。告知をしない方がいい場合も、もちろんあると思います。私も、今この人に告知をしたとしても、利益よりも損失が大きくなってしまうだろうと判断したときには、原則として告知はしていません。ただ、この人にがんだと言うのはかわいそうだとか、この人はがんだと言われることに耐えられないだろうという感情論で、まわりの人が勝手に判断してしまうのは、告知によって本人が受けられる利益を奪ってしまう可能性があります。 自分や家族ががんになったときに、告知をしてほしいかどうかという調査は数多く行われています。どの調査でもほぼ同じ結果が出ていますが、平均的な結果では自分ががんになったときに告知を受けたい人が八割以上、家族ががんになったときに本人に告知して欲しいという人は半分以下です。たとえ治らないがんでも自分に言ってほしいという人も七割を超えています。最近の調査では自分でも家族でも告知をした方がいいという人の割合が徐々に増えてきていますが、基本的には同じ傾向です。 この調査結果を良心的に見ると、自分ががんになった場合はつらい情報でも受け止めざるを得ないだろうけれども、家族はそんなつらい目に合わせたくないという気持ちの現れだろうという見方ができます。しかし意地の悪い見方をすれば、自分が病気になったときは蚊帳の外に置いてほしくないけれども、家族が病気なら蚊帳の外に置いてもいいと考えているという解釈もできます。 病気になっているのは本人です。本人に告知をしないで欲しいと頼むのは多くの場合家族ですが、その家族には病状の詳しい説明がなされます。本人の情報を本人だけが知らない状況で病状が次第に厳しくなってくると、家族はだんだん目を見て話をするのがつらくなってきます。本人が何かをやりたいと言っても、「もうちょっと治療を頑張って、元気になったら」と答えざるを得ません。 患者さんが告知されずに病状が進んできたとき、家族が今までと変わらない態度でつき合うためには、家族の「演技」が必要になります。説明されている病状と自分の体調が合わないことは、患者さん自身が一番よくわかります。家族や医者が自分にうそをついているのではないか、隠しているのではないかと疑います。うそをついていることを悟られないために、家族は演技に磨きをかけます。映画に出るわけでもないのに苦労して演技力を身に付けて、何の役に立つでしょう。結局は患者さんとの心のずれが大きくなる方向に、努力し続けているのです。 この「ずれ」が原因でお互いがつらくなってくるときには、本人にも病状を知ってもらうことが解決になる場合が結構あります。ずれを解消する作業は簡単ではありませんが、本人も治る病気ではないと身体で感じている場合も多く、話した結果よそよそしい雰囲気がなくなって笑顔が戻ってくるという変化を、よく経験します。 逆に家族で話し合って「やっぱり言わないことにします」「最後までだまし通すことにしました」といわれることもあり、医療従事者としては基本的にその決定に従っています。十分本人のことを知っている家族が決めたのですから、その方がいい場合もあるのでしょうが、口裏合わせに終始してしまって、しなくてもいい苦労を背負い込んでしまうことも多い気がします。 「がん」ということばに大きな恐怖感を持っている場合には、そのことばを使わずに身体の状態を理解してもらうこともできます。以前、肝臓にがんが拡がっている人に「内臓の中で、肝臓の力が一番弱っています。肝臓は栄養を組み立てたり、要らなくなったものを処理したりするとても重要な内臓です。その力が弱っているので、身体の力が減ってしまっています。今までの経験から判断すると、命の残り時間がだいぶ限られてしまうのではないかと思っています」と話したことがあります。その結果、「なるほど。それで体の力が出にくいのか」と本人が納得し、ご家族もまっすぐ本人と向き合って話ができるようになりました。病状に関する情報を共有することで、同じ方向を向くことができ、がんであるかどうかは大きな問題ではなくなり、演技する必要もなくなります。 このように、告知は患者さんを中心とした人間関係をややこしくせずに、患者さんを中心にものごとを進めていけるようにするために大変役に立つものです。思いやりのつもりで患者さん本人を一人だけ土俵の外に置いておくことが、本人を孤独にしている場合も多いと感じています。必要があるときには、本人への告知という壁を乗り越える勇気が、家族にも医療従事者にも求められると思うのです。 |