作品展のその後
美術館での作品展では新たな出会いや体験をさせていただき、親子ともども人の温かさ、優しさに触れ、豊かな人生を感じさせていただきました。
絵を見に来て頂いた方々に「昌平君がんばってるね、きれいな色だね」と言われ、握手したり抱き合ったりして喜んでる息子の姿を見た時、親の立場でしか物事を考えていなかった自分を省みて、これからは、子供の体内時計に合わせて待ってあげる余裕をもちながら、ほめてあげることや話を聞いてあげることの大切さを感じ、子供から多くを学ばさせてもらい、親も成長させてもらった思いでした。
その後も、いろいろな会場で数回展示会をさせて頂く機会があり、そこではいつも新たな出会いがありました。 地域の中でも、町に出て行っても「よぉー、昌ちゃん 絵、描いてる?」と声を掛けられ、親以上に世界が広がっています。
ハンディを持った人が心地よく世の中で暮らすことはとても難しいことです。押し出される社会参加でなく一人ひとりが個性を生かし、いろいろなことを体験する中で、何か一つ好きな事があれば、世の中に出るきっかけになり、そうした形の社会参加が理想だと思います。でも、心休まる普段の生活場所は「家庭」であり「仲間のいる作業所」だと思います
親がいなくなった後の心配はだれしも思うところですが、予測はできても明日は誰にも分かりません。
親が子供のためにと、計画、活動をすることも大切なことですが、そのことが主となり子供が置き去りになってしまったとすれば良い事も半減してしまいます。いろいろな考え方があるかと思いますが、形のあるものを残したからといって親として心休まるものではないと思います。
未知の能力を見つけ出すには、身近な人(親)が普段の子供の姿を見る事が大切で、それには子供と共に限りある「今」の時間を有意義に過ごす事、子供と良い思い出を作り、子供を知り、いろいろな意味で他人に迷惑をかけずに、家族で生活することが親としての使命ではないかと、私は思います。
現在、親が考えるところの、昌平にとっての絵を描く事は、多くの人との出会いと、毎日の生活の中で心身ともに豊かに暮らすひとつの手段であり、それ以上に望むものではないですが、永く本人が楽しく時間を費やせるものの一つであればとても幸せです。
ハンディを持った自立が難しい人達が生涯、生活に困ることのない世の中を願うばかりです。
ほのぼの展で使用したプロフィール
会期中二百数十名の方が見えられたと聞きました。
展示させて頂く機会を作って頂いた事と、多くの方々に見ていただき感謝してます。
この場を借りてお礼申し上げます。 ありがとうございました。