長野県下諏訪町 来迎寺
来迎寺脇塀新築工事
来迎寺庫裡新築工事
泉式部持ち送り

来迎寺住職 服部徳瑞様

富士小松工務店さんの評判はかねがねお聞きしていました。
諏訪市四賀普門寺に独特の屋根のある工務店でした。
お寺の御住職の皆さんもよく話題にしていました。

来迎寺に本堂は立派にできていましたが、環境整備はまだまだでした。
住職になってどのようにしてお寺を守るかで悩んでいました。
その頃富士小松工務店さんは下諏訪町のお寺の山門を完成され、そこに落慶の法要があってお目にかかったのが最初です。

お寺で何か建築するときは、このような棟梁にお願いすれば”いいのかなあ”と、思いました。
それでも建物は一度建ててしまえばやり返しがつかないので、一度腕をみせていただくがよいと思いましたので、駐車場から入る門と塀をつくってもらいました。

ヒノキと軒下はけやきの板を張ったものです。 来迎寺の隠居所の名前から尋声門といいます。「こぎみのよい」という感じがする門です。
今でも通るたびに思っています。「こぎみがよい」ので気持ちが良いのです。

明治40年に来迎寺は火災に遭いましたので、塩尻の洗馬より大きな建物を移築して本堂庫裡に使っていました。
昭和の初めに本堂は当時の立石棟梁によって新築されましたので、移築された建物は庫裡として使われるようになりました。
古屋の造作と言ってはいけませんが、住職就任以来毎年毎年、多額の営繕費がかかりました。

移築された建物ですので寸法にも誤差があるのです。敷居の長さと、長押の長さが違うのです。移築にはよくあることだと聞きました。
住職して20年経った頃、営繕費の計算をしますと、多額なのに驚きました。
これから住職を続ければ、護持運営に莫大な費用が移築されてきた建物にかかるということで、まだ若かった住職の私にも決断を迫られました。

来迎寺庫裡を改修するか、新築をするかで檀徒総代、役員の皆さんと、幾度となく協議しました。
そのときに始めから富士小松工務店の小松金治棟梁に相談しました。

改修ならばこういうこと、など改修が主の意見でした。古い建物のここを切り取って、この箇所を増築してということでしたが、来迎寺の役員から、改修に改修ではだめだから、檀家の皆さんの協力をえて新築の方向でいかなければとの意見が出ました。
ここで大きく方向が変わりました。
新築するならば、檀家の皆さんや、皆さんの子供さんや、お孫さん等に継承できるものを作ろう、将来維持管理に困らないようなものを作ろう、ということで富士小松工務店の大隅流が表に出てきたのです。

建物の構想の段階から小松金治棟梁の建てた建物を見てまわりました。
建てたお寺様のご住職からもお話を伺いに行きました。

やがて下倉さんの設計です。この方も大隅流の流れ一杯に設計して下さいました。
屋根の上に気抜けを造るところなど、よく描いていただきました。
当時、古い街道筋を通る時は屋根ばかり見ていたものでした。
よい「気抜け」はないか、「気抜け」の美しいものはないかと研究していただきました。

着工するにもお寺の行事に差し支えないようにと富士小松さんは考えて下さいました。お寺は急にお葬式があったり、法要があるから不便にならないように取り計らってくれました。

工事が始まりました。
基礎といいますか土台といいますか、石がはられました。
栗の土台です。栗の土台を見たときに富士小松工務店の姿勢を見た感じがしました。一生懸命にやっているという感じが伝わって来ました。
大きな材木がどんどんお寺に入ってきます。
棟梁がトラックで材木を運んでくるのです。ユニックというもので降ろすのです。
降ろし方にも、次の仕事の段取りを考えて降ろすのだと説明を聞きました。
長い長い丸太の桁が届きました。棟梁の自慢の顔が輝いていました。

    あとは又次のときに書きます。
    いろいろ忙しいし、書けばまだ続きそうですし、
    なんだか未来がずっと続きそうですので、ひとまず 休憩