山門伝道掲示板 令和4年12月15日~



 12/15   「山中無暦日 寒尽不知年」
時に縛られず、己の行き着いた「これだ」に生きる。
 十六世紀末から十七世紀初頭に、明の李攀竜(りはんりゆう)が編纂したといわれる唐代の漢詩選集で『唐詩選(とうしせん)』の、太上隠者(生没年不詳)の「人に答うる」と題する句にある五言絶句にある言葉です。
答人 (ひとにこたふ)
偶来松樹下 (偶(たまたま)松樹の下に来たり)
高枕石頭眠 (枕を高くして石頭に眠る)
山中無暦日 (山中暦日(さんちゅうれきじつ)無(な)し)
寒尽不知年 (寒(かん)尽(つ)くるも年を知らず)


たまたま山中で松の木のもとを通りかかり
そこの石の上に横になって、熟睡してしまった
山中の生活には俗世間の暦などなく
寒がつきて新年を迎えても今年が何年だったか、どうでもよいことだ。

 太上隠者は名前からも覗えるように“隠者の中の隠者”という意味で、仙人のような存在です。そんな太上隠者が俗人に、こんな山の中で何をしているのですか、と聞かれての答えです。

 今年も残りわずかとなりました。年の瀬を迎え、大掃除や年末の仕事納めなどと、新年を迎える前に何かと忙しい日々が続きます。師走の名の通り、一年の内で一番慌ただしい時期といえます。また、「光陰矢の如し」年を重ねるごとに一年の過ぎるのが速く感じます。この言葉はその慌ただしさの中、時間に追われるようにあくせくと日常を送っている我々にハッとさせられます。

 あくせくと急かされるが如く生きて、いったい何処に向かっているのか。何処に行こうとしているのでしょうか。ここがはっきりしないと時間をただこなしているだけ、使われるだけの一日、一年、一生になってしまします。

 大事なのは、この人生で行き着くところに行き着いた「これだ」というものが見つかったなら、それを自分の軸として、生活の中心に据えて取り組んでいく。もちろん人生には他にもやるべきことがあるし、時間的制約があります。しかし、自分の本当にやるべきことが見つかったなら、その意思は来世にも次世代へ引き継がれていくことでしょう。

 私にとって人生行き着くいたところの道は仏道であります。そして、その中心となるのは坐禅です。坐禅を毎日続けることによって、不思議と大きく四つの願いに沿った生き方に繋がっていっていることを実感しています。「四弘誓願文」で表されています。

四弘誓願文
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

【訳】
迷いの中にあって悩み苦しむ人は限りがないが、誓って救おうと願い、
煩悩(過剰な欲)は尽きることないが、誓って断ち切ろうと願い、
仏の教えは無量であるが誓って学ぼうと願い、
仏道はこの上なく清らかなものであるが、誓って成就せんと願う。

 私の場合はこの逆の順番、すなわち四番目から意識していくのがしっくりくるように思います。

 仏道に生きようとすれば、自ずとその教えや実践としての坐禅行に取り組むようになります。そうすると欲の過剰さ、煩悩によって自分自身が苦しんでいることに気づき、それをコントロールできるようになってきます。さらには自分だけではなく同じ苦しみを抱えている存在を放っておくことができなくなり、他の存在のためにも生きるようになってくるのだと思います。

 この一年間伝道掲示板御拝読誠に有難うございました。皆様のお陰でなんとか続けることができ、法門を学ぶよい機会となっております。

 よいお年をお迎えください。
 12/1  「寒清入骨不成眠」寒清(かんせい)骨(ほね)に入(い)って眠りを成さず
寒さ・眠さを忘れて坐る清々しさ
 この禅語の出典の従容録(しょうようろく)は碧巌録と共に禅宗の双璧と称せられる中国宋時代の二大祖録で、宏智正覚(わんししょうがく)禅師(1091~1157)が編集した「宏智禅師頌古百則」を元に、万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう)禅師(1166~1246)が垂示と著語(部分的短評)、評唱(全体的評釈)を加えたもので、二人とも曹洞宗に属する為に同宗において重んじられています。

その第七則に「薬山陞坐(やくさんしんぞ)」の中の頌に出てきます。まず本則を紹介します。

本則
「挙す、薬山久しく陞坐(しんぞ)せず。院主白して云く、大衆久しく示誨(じかい)を思ふ、請ふ和尚、衆の為に説法し玉へ。山、鐘を打たしむ。衆方に集まる。山陞坐、良久、便ち下座して方丈に帰る。主後へに随って問ふ。和尚適来、衆の為に説法せんことを許す、云何(いかん)ぞ一言を垂れざる。山云く、経に経師あり、論に論師あり、争でか老僧を怪しみ得ん。」

【訳】薬山禅師は長い間説法の座にのぼらなかった。そこで寺の事務長が願い出て、どうか、「修行僧達に説法をして下さい」と願い出た。そこで、薬山禅師は鐘を打たせて、修行僧達を集めた。薬山禅師が説法の座に上がると、しばらく坐っていたがそのまま座を降りて方丈に帰ってしまった。事務長はその後についていって聞いた。「なぜ和尚は説法されようとしたのに、一言も発せられなかったのですか?」。薬山禅師は「私は講釈師ではない。講釈や論を聞きたいなら講釈師、論師のところに行きなさい。なぜ(真実の姿を丸出しに説法したのに)私を怪しんでいるのだ。」と答えた。

 坐禅会を開催し門戸を開いていると、様々な方が参禅に来られます。別に坐禅に来たからといって儲かるわけでも、劇的に何かが変わるわけでもないのです。特に日曜日などせっかくの休日の早朝、この時期は寒くて布団から出るだけでも大変なのにわざわざ足を運んで来られます。そこで、初心者の方に「なぜ来られるのですか?」と問うてみると「自らを鍛えるため」「自分を変えるため」等々明確に答えられるでしょう。しかし、久参の方に「なぜ来られるのですか?」と聞いてみると、意外と明確な理由を答える方は少ないと思います。私自身もなぜ毎朝坐禅するのかと問われても、言葉では上手く説明できません。どうしてもしたくてしているとはいえません。ただ、何かに突き動かされて坐禅している感覚はあります。ですので、もちろん、自分の意志でもあるけれども、導かれるように坐禅しているとしかいえません。理由が先にあって坐禅をしているのではなく、理屈を超えた部分で坐っているのです。ですから「なぜ坐禅するのですか」と問われたら私は実際に「坐る」しかありません。おそらく薬山禅師はその「坐る」を丸出した“大説法”をされたのではないでしょうか。

 この問答について宏智正覚禅師は次のように頌をよまれています。
癡児(ちじ)意を刻む止啼銭(していせん)
良駟(りょうし)追風(ついふう)、影鞭(えいべん)を顧みる
雲、長空を払ふて月に巣(す)くふ鶴
寒清骨に入って眠りを成さず

【私訳】
院主が修行僧達のせがむのをなんとかなだめて、薬山禅師の説法にこぎ着けた。
そこで繰り広げられた薬山の言葉なき大説法。修行僧の中にも名馬のようなものがいて、その鞭の影に気が付いたものはいただろうか。
その大説法を喩えるなら、天空のもと、遥か高所を住かにしている鶴が、月光に照らされている尊い姿。まさに崇高な境界。
それはまた、、寒さが修行を一層と引き立てて、寒さすら忘れて一筋に坐禅をしている清々しさであり、眠りさえも寄せ付けない境界ともいえるだろう。

 今日から十二月。禅寺では臘八大摂心という最も大事な行持が始まります。お釈迦様が今から二千五百年前の十二月八日の未明、菩提樹の下で7日間の坐禅の後にお悟りになった成道を追体験すべく、一週間坐禅三昧の生活を送るというものです。

 只々坐禅をするだけなのですが、時節柄寒さも厳しくなるとともに、少し身体が温まってくるのと比例して眠さも絶頂になってきます。しかし、それはまだ初心者の坐禅。寒さも眠気すらも三昧・禅定力に転換するが如く、体中から湯気が立ち上るくらいに成り切って打坐するとき、清々しい本当の自分に立ち帰ることができます。これこそ摂心といえます。是非禅寺に出かけてこの臘八接心で清々しい本当の自分に出逢ってみて下さい。
 11/15  「合掌」
自他ひとつの姿
わたしとあなたはひとつ
 仏教の礼拝法である合掌は日本人の日常生活に根ざしています。かといって現在の日本では仏教に対して深い信仰心を持っている人はごくわずかではないかと思います。仏教の伝来したインドや熱心な仏教国であるタイなどでは、今でも日常の挨拶として合掌することがあるようですが、日本でも慣習として食事の時、寺院をお参りした時、法事、葬儀の際などでは自然に手を合わせる人が多いと思います。

 この合掌にはどんな意味があるのでしょう。

ウィキペディアによると「右手は仏の象徴で、清らかなものや智慧を表し、左手は衆生、つまり自分自身であり、不浄さを持ってはいるが行動力の象徴である。両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を示すとされる。また、特に他人に向かって合掌をするときは、相手への深い尊敬の念をあらわす。」とあります。尊敬の念は、感謝の念、祈りの心ともいえるでしょう。

 ですから合掌は相手への尊敬。感謝の念、祈りの心と共に、仏と自分とがひとつであることを示しています。その意味では仏教の教えそのものが合掌という行為ひとつに表れているといっても過言ではありません。

 皆さんは毎朝お仏壇の前で手を合わせ、合掌礼拝されておられますでしょうか。お仏壇が自体がない方もおられるかもしれません。お仏壇はその家の心の拠り所でありますから、毎朝出勤通学の前に手を合わせる習慣をつけて頂きたいと思います。また、もしお持ちでなくても、仏教徒であればたとえ朝の一分でも合掌して自分の先祖や家族の平安を祈る時間が欲しいものです。ただ、形式的に手を合わせるだけではなく、合掌に込められた精神も意識していただければと思います。

 なぜなら、私はこの合掌には生きる極意が込められていると思うのです。右手は仏との説明がありましたが、それは自分以外の存在と捉えることができます。ですからそれはご先祖様でもあり、家族でもあり、自分を取り巻く周囲の人でもあり、さらに広がって世界中の人々、ありとあらゆる存在とひとつであるということです。それはまさしく「全てのものがひとつ命でつながっている」という釈尊が目覚められた真理を体現した姿であるといえます。また、般若心経ではこのひとつ命のはたらきのことを「空(くう)」と説かれています。

 人類を含めてすべての存在はそのひとつ命で繋がっているわけでありますが、ここにきて世界情勢が急速に混沌としてきました。毎日何万という人が戦渦に巻き込まれている現状であり、世界中を巻き込むような戦争が一触即発で広がってしまう可能性がある局面です。

 あのインド独立の父といわれたマハトマ・ガンディーは「平和への道はない。平和こそが道なのだ」と言われたそうです。おそらく「世の中が平和になる道はあるでしょうか?」と問われての答えではないかと思われます。どこかに平和があるのではなく、まず、自分自身が平和になる。自分と他人とがひとつであるのですから、相手に求めず、まず自分が変わることが先決なのです。まさに合掌の精神であり、今こそその心が人類に求められているのではないでしょうか。

 最後に、曹洞宗開祖道元禅師にまつわるエピソードを紹介します。道元禅師は合掌のお姿が素晴らしかったと伝えられています。「法師、常は合掌は仏法房(道元禅師)の如くなるべしと仰せられたり」と京都泉涌寺の法師“俊芿(しゅんじょう)”が常々道元禅師の合掌、またその背景にある精神を見習うように周囲に話していたとの記述です。それは形式的な合掌ではなく、道元禅師の御心、即ち、日々丁寧に行じられておられた仏法そのものが現れていたのではないかと目に浮かびます。

 私自身僧侶として合掌する機会が多いわけですが、このエピソードを常々思い出すように心がけています。
 11/1
 「体露金風(たいろきんぷう)」
心の輝きは、周囲に温かい風となって吹き抜ける。
  中国の唐代の禅僧、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949)雲門宗の開祖で、特に「碧巌録」には公案として多く取りあげられ、有名な禅語が現在でも多数残っています。
 さて、今回の禅語は碧巌録第二十七則のタイトルそのままずばり「雲門体露金風」からです。

【本則】挙す。僧雲門に問う「樹凋(きしぼ)み 葉落つる時如何」雲門曰く「体露金風」

「如何なるか是れ仏」など、修行僧が師家に問答をするときはだいたい型が決まっていることが多いのですが、この僧は、樹がしぼんで葉が落ちる晩秋の山野の風景を借りてきて二つのことを問うているとみえます。まず一つ目は「樹がしぼみ」修行によって貪り、怒り、愚痴を象徴とする煩悩妄想がしぼんだところ、修行僧が目指す悟りの境地であります。二つ目は「葉落つる時」で、その悟りの葉っぱすらも落とし尽くしたところまで言及しています。そのあたり並の修行僧ではないことがわかります。ここでは迷いも悟りも共に落とし尽くした境界を問いただしています。

 これに対して雲門は「体露金風」と一言で答えました。金風は一般的には秋風と言われますが、私は黄金のように輝きを放っている光景とみます。体露はその輝きが全てに現れていると言われるのです。

 この問答は人生の最晩年の生き方について尋ねたという向きもありますが、それだけではありません。人生のあらゆる状況において当てはまります。

 例えば今日一日を精一杯生きる。「やるべき事はやりきった。」という経験は誰しも持っていると思います。私も先日あることでそのような心境に至った時、毎日みている自坊の庭、草木、石にいたるまで光り輝いて、見えたことがあります。また、修行時代にも同じような経験があったことを思い出しました。

 朝早くから全身全霊で自分のベストを尽くしているときには、悩んでいる暇もありません、ましてや悟ろう、良い境地になってやろうという気持ちすら忘れきっています。忘れきって物事になりきったときそに全身心が金風になって全てが輝きを放ってみえるのかもしれません。

 最近、たまたまある宗派の管長老師に直にお目に掛かる機会を得ました。四年前に講演会でお見かけしておりましたが、今回その時以上に澄んだ輝きと温かさを放っているお姿に圧倒されました。「仏様だ」と思わず手が合わさりました。おそらく、管長老師という公職で毎日多忙な中にあってご自身の修行が更に深まっていらっしゃることは一目瞭然でした。お聞きした中ではどんなに忙しくても毎朝三時に起床され、僧堂行持が始まる四時までにご自身のご修行をお勤めされているとのことでした。その一時間も驚くべき内容であり、今でも様々な修行を取り入れながら進化されているとのことでした。「体露金風」のお姿を間近で拝見いたし、その良き影響のお陰で今でも私の心にもその金風が吹き込んだようで、温かさとして残っております。自らが体露金風なれば、相手にも金風が吹くのだということがわかりました。

 さて、この問答に雪竇(せっちょう)重顕(じゅうけん)禅師が頌をうたっておられます。最後にご紹介します。

問既に宗(しゅう)有り、答も亦た同じき攸(ところ)なり。
三句弁ず可し、一鏃(いちぞく)空(くう)に遼(とお)る。
大野(だいや)、涼?颯颯(りょうひょうさつさつ)、長天(ちょうてん)、疎雨(そう)濛濛(もうもう)。
君見ずや、少林久坐未帰の客。静かに依る熊耳(ゆうじ)の一叢叢(いちそうそう)。

超訳
この僧の問い、雲門の答え共に真理の姿が現れている。
雲門の三句のはたらきを「体露金風」の一矢で貫通した。
大地をみれば秋の草が凉風になびき、天を仰げば秋雨がしとしと降っている。
君は見たか、そこにこそあの徹しきった達磨大師の境界が現れているのを。まさに金風となって光り輝いて、全てのものに吹き渡っているではないか。
 10/15  不惜身命(ふしゃくしんみょう) 但惜身命(たんしゃくしんみょう)
「命を惜しまず、どこまでも命を大切に生きる。」
 出典は道元禅師の正法眼蔵行仏威儀(ぎょうぶついぎ)の巻にあります。行仏威儀とは日常のあらゆる行為が仏のあり方に適っていることです。その冒頭に「諸仏かならず威儀を行足す、これ行仏なり。」(諸仏はかならず道理に適った立ち居振る舞いを実践される。行いが仏を現している)。とあります。

 私の解釈ですが、本来の自分や仏性等とよく使われる我々の本質の世界を私は「如来の自己・大いなる自己」と表現することがあります。この自分の中の如来、仏に目覚めたならば、日常の行いそのものに仏の徳が現れてくるというのです。論語に「七十にして矩を踰えず」とありますが、心の欲するままに行動しても道徳の規準をはずれるようなことがないという境涯ともいえましょう。

 この巻の中に「不惜身命 但惜身命」が出てきます。曹洞宗宗務庁発行の“正法眼蔵”の注釈には「法のためには自分の身命を惜しまないことと、法を実践するためにの身命を惜しむこと」とあります。直訳すると一見矛盾する内容ですが、私たちの奥底に眠っている仏としての使命に目覚めたならば、命懸けで与えられた今ココに取り組むことができます。と同時に、使命のある与えられた命であるがゆえに、無駄に命を浪費したり、負荷をかけすぎて身心を痛めるようなことはしないということです。

 茶道の裏千家前家元の現在百歳になられた千玄室さんは戦時中徴兵で特別攻撃隊に配属され多くの仲間を飛び立つのを見送ったそうです。待機のまま終戦を迎えて自分一人生き残り「申し訳ない」という気持ちをずっと持っていました。その後千家の跡継ぎとして大徳寺で禅の修行を始め、師家の後藤瑞巌老師に「あなたは戦争で生き残った。そういう悔しさが出ている。その悔しさを捨ててこい」と言われました。

 そんなある時「あんたはこれまでどんな思いで生きてきたんか」と聞かれ、「不惜身命です」と答えたら、笑いながら「出直してこい」と、そして後日「この前、あんたは不惜身命と言うたやろ。不惜身命とは何かに命を捧げることや。しかしな、但惜身命という言葉もある。命は捧げるときは捧げなきゃいかんが、半面、命はどこまでも大切にすべきものや。それも単に大切にするのではなく、他人様のためになるように使うものや」と言われ、憑き物が落ちた感覚になったそうです。

 私はこの話を月刊致知で知りましたが、読んだときに自分自身も身震いがするほど衝撃が走ったのを覚えています。それを私なりに「命を惜しまず、どこまでも命を大切に生きる。」と副題をつけました。この命とは、まさしく本来の自己であり、「俺が」という自我意識ではありません。生きとし生けるもの全てが共有している大いなる自己です。ここに気がつくとこの命の懸けどころがはっきりしてくることによって、この命を甘やかすことなく大切に、恭しさをもって使っていくことができるようにもなるのではないでしょうか。人間の寿命はそれぞれ長短がありますが、必ずしも長さだけにとらわれることなく、その命を精一杯尽くして生きていることに主眼をおくことが、命を最大限に大事に使っていると言えると思います。

 このところがはっきりすると修証義の第五章にある「静かに憶(おも)うべし正法世に流布せざらん時は身命を正法の為に抛捨(ほうしゃ)せんことを願うとも値(お)うべからず」、「此行持あらん身心自からも愛すべし、自らも敬うべし」という道元禅師のお示しが深く頷けるようになります。
 10/1
 長空不礙白雲飛(長空白雲の飛ぶを礙(さ)へず)
「何事も受け入れ、何も遮らない秋の空。」
 十月一日。今年も残り三ヶ月。すっかり秋の気配を感じる季節になりました。今回の禅語は秋空(長空)がテーマです。秋の季語に「天高し」があり、「秋高し」「空高し」ともいわれ、秋の代名詞のひとつとして澄み切って突き抜けるような高い空をあげられます。秋は空気が実際に澄んでくるため、青空がより高く、広大に見えるそうです。その為、漂う雲も心なしかゆったりと浮かんで流れて見えます。まさしくこの禅語は大空と白雲が対立することなく調和している様子を示したといえます。

 出典は正法眼蔵仏向上時にある禅問答。この「仏向上時」とは「仏に至ったその先・仏の境涯を超えた世界」のことです。

「石頭無際(せきとうむさい)大師の会に、天皇寺(てんのうじ)の道悟(どうご)禅師とふ、如何ならんか是れ仏法の大意。」
(中国の唐代の禅僧、石頭禅師に弟子の天皇道悟禅師が問うた。真実の仏法とはどのようなものでしょうか)
「師云、不得不知。」(得たというものはない、知ったということもない)
「道悟云、向上更に転処有りや無や。」(さらに向上、踏み越えた境地はあるのでしょうか?)
「師云、長空白雲の飛ぶを礙へず。」(果てしない青空の下では、いくら雲が飛んでも邪魔もしないし、何も遮らない)

 この問答の主人公は中国の唐代の六祖慧能禅師から二代目の法孫であり、曹洞宗寺院で毎朝読誦される「参同契(さんどうかい)」を著した石頭希遷(せきとうきせん)(700~790)禅師です。

「不得不知」という答えには、私たちの本質の部分はいくら深めていっても底があるのではなく、無限であるがゆえに、人間の理智をもってこれで解ったとか、得られたというようなものではないと示されたように思われます。

 また、さらに求められて、「長空白雲の飛ぶを礙へず」と石頭禅師は答えたのですが、白雲は現象世界で、姿形に現れたものとみます。ひとつとして同じものがない千差万別、様々な形の雲は、そのまま私たち一人一人の個性のようでもあり、この世界の絶え間なく変化する事象のようです。悠々と流れる雲ばかりではなく、それこそ大空を覆い尽くすほどの雲もあります。どんな雲が展開されようとも、雲の上に出ればそこには一点の曇りもない青空が包み込んでいる中でのことです。ここでいわれる長空とは我々を生かしている大いなる命、本質の世界、本来の自己とみます。現象世界はまるで雲のように浮かんでは消え、消えてはまた湧き出てくる、人間の生死のようなものです。その背景には生死を超えた長空、即ち仏の命があるのです。

 その雲のような生死を、たとえば雨や曇りの時を逆境だと嫌なものとして、勝手に選り好みして一喜一憂しているのが人間の分別意識です。そこで、秋の空を見てみなさい。即ち自分の本質、本来の自己を観てみなさい。何事も受け入れ、誰も遮らない世界が本来我々の中にあるのではないか。という石頭禅師の声が響いてくるように思います。

 先日十月一日の法要の回向柱に「専ら祈る、仏日輝きを増す~」と書くとき少し迷いがあり、賴岳寺の門柱にその文言があったことを思いだし、見に行きました。ちょうどその門柱の前に蓮華が咲いていたのをみて、ふと「もともと祈らなくても、いつでも仏日が輝いているではないか」と気が付きました。我々の命の世界、本質的な世界はいつでも青空、長空、秋の天高しなのです。もちろん、眼に見える現実世界は雲だらけにみえますので、ひとつ目標を掲げて祈ることにも意味はあると思います。ただ、自分自身の中にこそ平和な心があることを知らなければ、他人や外に向かって訴えるだけに終始してしまう可能性があります。

最後によく似た禅語を紹介します。

「竹、密にして流水の過ぐるを妨げず、山高うして豈(あ)に白雲の飛ぶを礙えんや」

(竹がどんなに隙間無く根を生やしても流水を妨げることはない。山の峰はどんなに高くても、雲の運行を妨げることはない。我々の本質はこのように本来融通無礙な存在であると目覚めようではないか。)

 9/15 心地開明(しんちかいめい)
心が坐れば、心が開く。
 この「心地」は禅学大辞典によると、「心は一切法・一切功徳を生じ増長させること。あたかも大地が草木百穀を生じ増長させるようであるから、心を地にたとえて心地という。特に禅宗では、心地を指して心田ともいう」

 要するにここで言われる心とは「仏性」のことを示しています。誰もが心の奥に内在している純粋な心のことです。私たちの心の奥には大地のように素晴らしい宝の能力にあふれています。まず、その宝の藏を誰しもが持ち合わせていることに気がつかなくてはなりません。さらに開いていくには仏法即ち坐禅であると曹洞宗の両祖の大師が示しておられます。

 まず高祖道元禅師の正法眼蔵弁道話の中で「冥陽(めいよう)の神道もきたり帰依し、証果(しょうか)の羅漢(らかん)もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさずけるということなし。余門にいまだきかざるところなり、ただ、仏弟子は、仏法をならふべし」

意訳:目に見えるもの、見えないもの(天上界・修羅世界・餓鬼世界)をいくら信仰しても、また、修行を完成し悟りを得たという阿羅漢がきて教えを問うても、我々の仏性を開く手がかりにはならない。もちろん他の門でも聞いたことがない。仏弟子たるものは、仏法をならうことが第一である。

 また、太祖瑩山禅師は坐禅用心記の冒頭に

「夫(そ)れ坐禅は直に人をして心地を開明し、本分に安住せしむ。是れを本来の面目と名づけ、亦(また)本地(ほんち)の風光(ふうこう)を現わすと名づく」

意訳:坐禅をすると我々の心の奥底にある仏の性能を開いて丸出しにして、本来人間として生まれてきた使命に気がつくことで、どんなことがあっても安心して取り組むことが出来る。これを本来の面目があらわれた状態であり、人間本来の美徳を発揚しているというのである。

 また、坐禅とともに自らの行為を正しくする必要があります。そのことを「戒・いましめ」といいます。私たちがこの身体と心は両親、ひいては先祖から受け継いできた、大きな意味・使命、託されたものがあります。ですから、この身心は大切に使っていかなくてはなりません。それにはまず、行いや言葉を正しくして、汚されないようにしていくことです。その上で仏祖が伝えてきた坐禅(禅定)によって身体や呼吸を実際に調えていくといきます。その意味で戒は禅定の準備段階ともいえます。

 例えば前日に人に対して言い過ぎてしまったり、心に引っかかる行為をしてしまうと、必ず翌朝の坐禅の心に影響が出てきます。ですから「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の三学(仏道を修行する者の必ず修めなくてはならない三つのもっとも基本的な修行)はどれも繋がっていて、車の両輪のように相互作用がはたらいているのです。

 このことを、同じく坐禅用心記に「坐禅は戒(かい)定(じょう)慧(え)に干(かかは)るに非ざれども、而(しか)も此の三学を兼ねたり。」と示されていて、坐禅を実践して心地を開明しようとすれば、自然と戒を守るようになるし、智慧(事物や道理を明らかに見抜く力)も出てくるようになるのです。坐禅によって心が静まってきて心地が開けてくるのだと示されています。

 また、高祖道元禅師は著作の普勧坐禅儀をこう締めくくっています。「宝蔵(ほうぞう)自ら開けて、受用如意(じゅようにょい)ならん。」(坐禅によって本当の道を求める心の蔵が開いてきて、自己本来持っている性能を最大限自由自在に発揮するようになっていく)

 入り口は坐禅からでも、自分の心を調えていく良き習慣である戒を実践することからでも構いません。そのことによって、心が坐ってきて、自然と心が開いてくるのです。



 9/1  「磨塼作鏡(ませんさきょう)」
結果を意識して磨くか、ひたすら磨くか。
  この言葉の故事となったのは、達磨大師から七代目の中国唐代の南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師とその弟子の馬祖道一(ばそどういつ)禅師の問答に因っています。

 馬祖は南嶽禅師から坐禅の要訣を授かり、伝法院という草庵で十余年、専ら坐禅三昧の生活を送られていました。その様子をみられた師匠南嶽禅師が、これは本物になる時がきたと、最後の総仕上げとの念いで、馬祖が坐禅に励んでいるまさにその時に問われました。

 師が「坐禅をして何をしようとするのか?」と問われると馬祖は「仏になるためです」と答えました。すると師は、一枚の塼(かわら)を取って、石の上で磨き始めた。それを見た馬祖は「何をなさっているのですか」と言うと、師は「磨いて鏡にしようと思う」と答えた。馬祖は「?を磨いても鏡にはできません」と言うと、師は「坐禅をすれば仏になれるのか」と切り返した。という有名な禅の話頭で、道元禅師の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)坐禅箴(ざぜんしん)(いましめの言葉)や景徳伝灯録に出てきます。

 この話を聞いて思い出すのは、私が通っていた中学校の木造校舎のことです(現在は建て直されている)。毎日清掃の時間に教室や長い廊下を全校生徒で雑巾がけをしていました。何十年もの間、何万回、何十万回繰り返し磨かれることによって板が黒光りし、雑巾がけした直後などは水分を含んだことで、まるで今にも動き出す生き物のように輝きを放っていたことを思い出します。地べたを這いながらの雑巾がけは当然大変な労力を必要としたはずですが、担任の先生自身も一生懸命一緒に雑巾がけをしてくれていたこともあり、全く苦労だと思いませんでした。また今でも当時の充実感、法悦感のようなものを思い出します。

 もちろん最初は日課として綺麗にするためにという目的があって掃除をしていたはずです。今思えば、目的意識が先行してやっていても、毎日只々身体を使って実践することによって、自分を忘れ、掃除そのものとなりきる「三昧」になったのだと思います。ひたすら打ち込んでいくことの大切さを学びました。

 さて、この馬祖禅師の問答では。「何の為に坐禅をするのか。それは仏になるために坐禅をするのだ。」という悟りに至るための手段として坐禅をすることは、一般的には至極当然ともいえる答えだと思われます。坐禅をはじめた段階では、手段として行っていたとしても、意識だけでは長続きしません。坐禅をひたすら実践していくことによよって「何のため」という自然と意識が消えて「坐禅イコール悟り・仏」「?を磨くことイコール鏡」になりきっている状態なのです。これは「坐禅がそのまま仏だ」と思って坐禅に取り組むことでないことは言うまでもありません。さらに、「磨くことになりきっている」ことすら、未だ道の中途にあると道元禅師は永平広録の偈頌に示されています。

磨塼作鏡籍功夫 (塼を磨き鏡となして功夫を籍(か)るも)
脚下須知滞半途 (脚下(きゃっか)須(すべから)く知るべし、半途に滞ることを)
若問西来真的旨 (若(も)し、西来(せいらい)真の的旨を問わば)
噴噴地上觜廬都 (噴噴(ふんふん)地上の觜廬都(しろと))

私訳
参禅弁道は?を磨き鏡とするような功夫を積み重ねることであるが
まだ本来の自己は中途に滞っていることを知らなければならない。
もし、達磨大師が伝えてきた真実の仏法を問うならば
只々地上に黙って坐禅するのみ。

 8/15
 風性常住(ふうしょうじょうじゅう)無処不周(むしょふしゅう)
仏道とは自ら風を起こすこと。

 残暑厳しい日々が続きます。今ではクーラーや扇風機がありますが、ほんの五十年ほど前には皆無だったわけです。ですから昔の人は団扇をしきりに扇いでいたわけです。時節柄今回の禅語を選んでみました。正法眼蔵現成公案にも出てくる有名な話です。

 麻谷宝徹(まよくほうてつ)禅師(馬祖道一(ばそどういつ)禅師の法嗣)は、ある夏の暑い日に扇をつかってあおいでいました。中国内陸部は海もないので相当暑かったのではないかと想像します。そこへ門下の僧がやってきて「風性常住(ふうしょうじょうじゅう)、無処不周(むしょふしゅう)なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかう」と問いました。風はいつでもどこにも満ちあふれているのに、なぜ今さら扇を使って風を作り出すのですか?という質問です。ここでは仏性を風性(風の本体)に重ね合わせて問うていますので、「本来仏性は誰にでも具わっているのに、なぜわざわざ修行しなくてならないのですか。」という問いをぶつけてきたのです(これを借事問といいます)。

 これに対して禅師は「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」(あなたは仏性は誰にでも常に具わっていることはご存じだが、それが行き渡っている状態(仏性がはたらいている状態)を知らないようですな)

そこで、僧はさらに、「いかならんかこれ無処不周底の道理(仏性がはたらいている状態とは)」と詰問しました。しかし、禅師は「ときに、師、あふぎをつかふのみなり。」ただ、黙って扇を使っておられた。

その姿を見てハッと気付き「僧、礼拝す。」

 道元禅師も若い頃経文にある「本来本法性(ほんらいほんぽっしょう)、天然自性(身(てんねんじしょうしん)(本来全てのものは生まれながらに仏性が具わっている)」になぜ、もともと仏であるのに、多くの祖師方は血のにじみ出るような修行をする必要があるのかと疑問を感じたそうが、若き日の問いを重ね合わせてこの巻に載せられたのではないでしょうか。

 ある市町村のゴミステーションがカラスに荒らされしまい広範囲にそれも大量に散乱していました。回収日翌朝になってもそのままで、通勤の車もそのゴミをよけながら通り過ぎていきます。皆さんならどうしますか。市町村の担当係に連絡する等いろいろ方法はあるでしょう。出来うるならば、そこでサッとゴミを拾いに出ればいいのですがどうしても躊躇して「仕事に間に合わない」「自分のゴミではない」「誰かがやってくれる」「恥ずかしい」等と言い訳が頭の中を廻るでしょう。頭で考えれば考えるほど結局は手が出ないものです。そういう理屈が出る以前のところ、サッと手が出るところが仏性だと思ったことがあります。

 さて、道元禅師はこの麻谷禅師の問答に続けて、現成公案の巻を以下のように締めくくっています。

「仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪(そらく)を參熟(さんじゅく)せり。」

意訳:仏法を体験として実証していくこと、正しく伝えられた仏道の活きた世界がこの麻谷禅師の問答に現れている。それを我々は本来仏性があるからと、修行の実践をしなくてもよい、修行しなくてもそのままが仏であるというのは、いつでもどこでもが仏法・仏道の実践道場であり、そこにこそ仏性があらわれているであることをしらないのだ。この実践修行をひたすら続けていくことによって、自己の生活がそのまま仏道になり、それ自体になることによって、この世界がたちまち輝かしい仏国土となり、どんな些細なことでも深い味わいのあるものとなるであろう。


 8/1
 「古(いにしえ)の道(みち)を執(と)りて今(いま)の有(ゆう)を御(ぎょ)す」
先祖とのつながりを自覚し、今をより良く生きる。

 出典は「老子(老子道徳経とも呼ばれます)」です。老子は、中国春秋時代紀元前4世紀頃の人物とされますが、謎が多く生没はわかっていません。この時代は諸子百家と言われる多くの思想家が現れました。後々まで大きな影響を与えたのは孔子を始めとする儒教の教えと、この老子や荘子に代表される道教であります。

 老子は謎の多く、生涯無名であり、立身出世に名を挙げることなく、市井の人々と仲良く暮らし、自由自在の境地を貫いていたようです。その主張するところは、常に大自然の生命に身を委ね、世間の価値観に振り回されることなく、自由に心豊かに生きることです。この老子の言葉は語り継がれ、紀元前三百五十年頃には書物としての「老子」八十一章、全文約五千四百字からなるものにまとめられたようです。

その第十四章の最後の部分に
執古之道、以御今之有、能知古始、是謂道紀。(いにしえの道を執りて、以て今の有るを御(ぎよ)すれば、よく古始(こし)を知り、これを道紀(どうき)と謂(い)うなり。)

【現代語訳】いにしえから伝わる知恵から、現代の複雑な状況をコントロールすれば、物事の起源がわかる。このことを「道の根本」というのである。

 八月はこの地方はお盆月(東京は七月盆が多いようです)。暑さと共にご先祖様をお迎えする準備し始めている方も多いと思います。コロナ禍も明けて、古里への帰省を考えている方も多いことでしょう。ご先祖様も同じ想いで、懐かしいこの世への帰省を楽しみにされているに違いありません。昔から「いますが如くおまつりする」といいます(祭ること在すが如く。出典:論語)。「目には見えないけれどそこにおいでになるように」と敬虔に真心を込めてお迎えしてお祀りしていくことを日本人は古来から大切に伝承してきました。

 そのこともあってか、日本仏教各宗派の行持には先祖供養のウエイトが大きく、祖先を敬う儀式・法要を大切に営んできました。先祖供養を通して、先祖と今を生きる自分とのつながりを強く意識することができ、命をいただいて今ここにある我々の在るべき姿が見え、先祖と直結した命を生きていることに目覚めることが出来るのです。この目覚めは今の自身の生活を見直すきっかけにもなります。「今の有を御す」とは自分を堕落させる誘惑がたとえ世の中に溢れていても「こんなことをしてはご先祖様に申し訳ない」などと、ご先祖様との繋がりを意識することで自然とブレーキがかかり、自分を制御しながら今を大切に生きることが出来るようになるのです。ご先祖様から戴いた命を活かすことが、結果的に今をより良く生きる智慧となるのです。

 特にお盆の行持はご先祖様を一番身近に感じる期間であり、ご先祖様を通して自分の命の尊さを知る大事な伝統宗教行持であります。ですから、次世代への種まきも必要です。お盆は家族が世代を超えて集まることもあるかと思います。是非、次の世代にご先祖のことやご自身が経験したことを伝えていく場にしてみてください。そのことはきっと子孫に脳裏に焼き付いて何年後、何十年後に花開いてくることがあると思います。これは家族だけでなく、地域社会などの場においても同様に必要だと思います。

 最後にお墓参りについて、以前ラジオで聞いたお話を紹介させていただきます。ある芸能の方が自身の進路に迷っていた時に、先輩から「お墓に行ってご先祖様に聞いてみろ」とアドバイスを受け、先祖代々のお墓に心を込めてお参りしたそうです。すると、ふっと祖父母の顔が浮かび、行くべき道が見えてきた話を聞いたことがあります。 

 先祖に向き合うことによって不思議と今の自分の進むべき道がみえてくることは実際にあると思います。そのようなお気持ちでお盆をお過ごしいただければと思います。

 7/15  「暗中(あんちゅう)に欺隠(ぎいん)せず」
人が見ていない時こそ神仏の眼を怖れよ。
  今回の禅語は菜根譚(さいこんたん)という中国明代末期の万暦年間(1573~1619)頃の処士洪自誠(こうじせい)が著したもので、菜根は宋の汪信民(おうしんみん)の「人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし(菜根は堅くて筋っぽいが、これをよく咬みこなせれば、何事も成し遂げることが出来る)」に依っています。儒教、道教、仏教の三教をベースに前後357の語録を収録し、修養を志す者の進むべき道、心のあり方を明示しています。
現代では松下幸之助が座右の書としていたことで有名です。

「暗中に欺隠せず」は前集の114に出てくる言葉です。全文は
「小処(しょうしょ)に滲漏(しんろう)せず、暗中に欺隠せず、末路に怠荒(たいこう)せず。纔(わず)かに是れ個の真正の英雄なり。」

意訳:①いかに小さな事柄でも、用意周到に少しの手抜かりのないようにする。②人の見ていない処で悪事をなし、他人はもちろん、目に見えない存在(神仏)さらには自分自身を欺き、誤魔化すようなことをしない。③失意の時に逸楽を求めて身を害(そこな)ったり、自暴自棄に陥り投げ出さない。このようであってこそひとかどの人物といえる。

 最近の世の中はあらゆる場所に防犯カメラやドライブレコーダーが設置され、犯罪の抑止に繋がっています。これは人目を気にすることで犯罪を未然に防ぐ効果は確かにあるでしょう。犯罪件数、検挙件数の推移をみると確かに減っているようです。ただし、必ずそれをかいくぐる巧妙化した犯罪の生まれますので、根本的な解決ではないということです。人が見ていないときこそ不善を行う機会になったり、怠惰になりやすいのものです。独りの時こそ細心の注意が必要なのです。

 道元禅師は「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)諸悪莫作(しょあくまくさ)」の中で次のように示しています。

「無上菩提(むじょうぼだい)の説著(せつじゃく)となりて聞著(もんじゃく)せらるるに転ぜられて、諸悪莫作とねがい、諸悪莫作とおこないもてゆく、諸悪すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまちに現成す」 

意訳:「仏の教え、説法を聞いているうちに、自ずから転換されて、悪いことをしないようにと願い、行動するようになってくる。こうなってくると、悪を作ろうとしても、とても作ることが出来なくなってくる。それが、修行の力が実現してきたということです。」

 寺院で仏や祖師方が遺してくれた教え、説法を聞くことだけでなく、各家庭で家主が毎朝お仏壇でお灯明お線香を上げ手を合わせて、鐘の音を鳴らしていく。出来れば般若心経をお勤めしていく。朝のひとときの家主の姿、鐘や読経の音、線香の香り等がその家に漂うことも言葉を越えた説法です。そのような環境が周囲の家族や子どもにも影響を与え、もし不善をしてしまいそうになったときであっても「こんなことをしたらご先祖様に申し訳ない」という気持ちが自然と起こってきて、抑止するようになると思います。

 鎌倉時代前期の法相宗(ほっそうしゅう)の僧である貞慶(じょうけい)上人は次のように示しています。
「人目を慎むといえども、まったく冥(みよう)の照覧(しょうらん)を忘れぬ」
意訳:「人目のあるところでは我が行いを慎むが、神仏やご先祖の視線を忘れてはいないか。」

 お天道様がみてござるの精神であり、四書五経の「大学」の「君子は必ず其の独りを慎むなり」と同じ意味であります。人目を気にしている間だけ慎んでも、心の中のことは必ず外に現れてますので、特に独りの時、人が見ていないときこそより意識して自らを律して不善を行わないようにするのです。それには常に修養を忘れずに、自然と出来なくなる自分を作り上げていくことが大切だと思います。

 7/1
 「泥中(でいちゅう)の蓮華(れんげ)」
泥があるからこそ蓮は咲く
  今年は春から温暖だったため蓮の成長も早く、花芽も既に顔を出しています。今年も半分が過ぎたこの七月一日から諏訪地方ではお盆の施食法要がはじまります。施食棚の浄飯はこの蓮の葉に載せてお供えしますので、蓮の生長とともにお盆を感じます。

 蓮を育てはじめの頃、ホームセンターで綺麗な土を購入し、肥料も沢山入れて育てたところ蓮根が腐ってしまったことがありました。やはり微生物がいっぱい住んでいるその辺の畑や田んぼの泥臭い土だとぐんぐんと大きくなって、大きな蓮の花が咲くのです。ですから泥と蓮は切っても切れない関係なのです。

 蓮はもともとインドで古くから愛好され、特に婆羅門教(ばらもんきょう)ではヴィシュヌ神の臍から蓮華を生じ、その中にいる梵天が万物を創造したという神話があります。仏教でも仏菩薩のシンボルとして台座を蓮華にしていて、仏典にも美しい花と香りによって浄土を荘厳する青蓮華や黄蓮華、紅蓮華、白蓮華など色とりどりの蓮華が登場します。泥土や泥水の垢穢に染まることなく水中より出て、清浄無垢の美しい色香を発している姿を、世間に染まらずに人々の救済の為に心血を注ぎ大乗の菩薩の願いや生き方に、イメージを重ねあわせたのでしょう。

 このように泥に象徴される煩悩妄執の俗世から、大輪の蓮華(悟り)を咲かせる蓮姿を重ねて、昔から「泥中の蓮華」「蓮は泥より出でて泥に染まらず」など諺になっています。

 維摩経(ゆいまきょう)の仏道品には病気の維摩居士に文殊菩薩が見舞いに行った時「菩薩はどのようにして悟りの境地に達するのか」という問いに対して「もし菩薩が自らの苦悩と罪に満ちた迷いの世界へ行き、そこを生き抜くならば、これこそ悟りへの到達です。」と答え、さらに「譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿(ひしつ)の淤泥(おでい)にすなわち此の華を生ずるが如し。~中略~煩悩泥中に、即ち衆生ありて仏法を起こすのみ」と答えました。

 泥の中におちこんだ我々凡夫こそよく仏法を起こすというのです。仏道を真剣に求めるようになるというのです。道を真剣に生きようとする気持ちが起こればどんな状況や環境にあっても、心を煩悩に支配されることがなくなり、さらに泥の中にまみれていくことこそ仏道の実践行になるというのです。たとえ空中に種があっても芽は出ませんが、泥中にあってこそ、泥水を水分、泥を養分として吸収して芽が吹きます。泥があるからこそ蓮は咲くのです。この悩み苦しみにまみれた世界だからこそ、生まれたときの無垢な心が、さらに磨かれて、人間として深まっていきます。

 ただし、泥の中に埋没し続けてしまってはせっかくの蓮根も腐ってしまいます。大事なことは本来自分は蓮根であり、今置かれた場所から必ず清浄な蓮華を咲かせることが出来る存在であることを信じて「精一杯真剣に生きる」ことです。蓮根が発芽することは、誰しもが持っている純粋無垢な心が菩提心を発すことに似ています。ですからこの蓮根を「仏心」、禅では「本来の面目(めんもく)」とか「父母未生以前の自己」等とたとえて言います。

 よく赤ちゃんや小さいお子さんを見ていると、今やりたいことを精一杯やり通しています。それが大人にとっては煩(うるさ)がられることもあるのですが、いつでも精一杯生きている赤ちゃんや子どもを見ていると、忘れかけていた大切な心を呼び起こしてくれることもあります。

 「精一杯真剣に生きる」ことは仏菩薩と全く同じ心を、この身に発すことなのです。
 6/15  「窮(きゅう)すれば変ず」
行き詰まりは新しい変化の予兆

前回に引き続き易経(えききょう)からの出典です。

原文は「易は窮(きゅう)すれば変ず、変ずれば通ず、通ずれば久し。是(ここ)を以(もっ)て天よりこれを祐(たす)く、吉にして利あらざるなし。」(繋辞下伝(けいじかでん))
【訳】易とは行き詰まれば変わるもの。変われば新しく道が通じる。道が通じれば、行き詰まらないから、永久に続く。そこに天佑(思いがけない幸運、天の助けのこと)があり、幸先よく万事有利ということになる。《本田濟著『易』より》

 「易」という字は象形文字です。トカゲやヤモリ類の形で、上が頭で下は四本の足を示しています。トカゲ類は身体の色が変わりやすいので、易は変わることを表します。また、平に横に伸びた虫なので、平易・やさしいの意味にもなります。

 この易経は宇宙・天の運行は固定や静止しているものではなく、無限に変化することを教えています。もちろん人間社会も例外ではありません。これを変易(へんえき)といいます。例えば四季の移り変わり。春→夏→秋→冬です。その一方で常に変化して息まない宇宙には恒常的な法則があり、整然と順序だって循環しているのです。春夏秋冬を繰り返している恒常的な法則、これを不易(ふえき)といいます。この天地宇宙のはたらきは簡単・明瞭・簡易であることを、易簡(いかん)といいます。この変易・不易・易簡の三つのことを『易の三義』と呼びます。

 我々の人間生活に当てはめてみると、苦難や逆境の時はこの状態が永遠に続くような錯覚を持つことがあります。しかし、どんなときも変化していくのでいつかは必ず順境の時がくるわけです。それは瞬間的に急に変化するのではなく、徐々に進んで物事が手詰まりになったり、膠着状態になって窮まったときだというのです。そこに大きな変化が訪れて、必ず新しい発展があり、道が開けてくるというのです。

 私事ですが先月にぎっくり腰になってしまいました。もともと腰はよくないので特に注意をして気を付けていたつもりでした。何の前触れもなく急になったのではありません。その経過を時系列で振り返ると、ぎっくり腰になる十日ほど前に重い物を持った事や、外作業が続いていたことで腰に違和感がありました。そのあたりから徐々に腰に疲労や負荷が蓄積していたようです。その蓄積がピークに達したとき、易で言えば窮まったときに、変化・即ちぎっくり腰になったのだと思います。二日ほど数段の階段を上がるのもやっとで起こたが、少しずつ回復してきました。今回の変化・痛みからどんな新しい発展・発見があったか次に述べてみます。

 以前は体操によって腰が良くなったこともあって、毎日念入りに行っていたのですが、今考えてみると、深く曲げることのみが目的化していました。そこで私のヨーガの先生からご指南をいただき、四原則を改めて教えていただきました。「①しているところに意識を向ける。②ゆっくりする。③呼吸をつけてする。④緊張と弛緩(しかん)を意識する。」の四つです。

 今私はこの四原則と無理をしないことを意識しながら行っています。あともうひとつ、以前から気になっていた坐禅の結跏趺坐(けっかふざ)という左右の足の組み方を三十年弱変えていなかったのですが、どうしても左右差や歪みに繋がっているようなので、意識して左右反対の坐法にも少しずつチャレンジしています。

 今回のことが新しい道を開くことが出来るかどうかは自分自身の今後のあり方によりますが、行き詰まりは新しい変化の予兆であり、必ず道は開かれると信じて取り組んでいきたいと思います。 
 6/1  「自彊不息(じきょうふそく)」
私欲に打ち克って、心は光に満ちて健やかなり。
 この言葉は,およそ五千年前古代中国の書物で、世界最古の書物といわれる「易経(えききょう)」にある言葉です。易経はもともとは占いの結果を読み解く書でありましたが、後に儒教に影響を与え天地の法則や道徳を教える四書五経(ししょごきょう)の筆頭として、また、古代中国の王の「帝王学の書」として現代まで読み継がれています。
 易経では天地の変遷の場面を六十四種類に表していますが、その最初に出てくるのが乾(けん)為(い)天(てん)という卦(か)です
 『天行健。君子以自彊不息』と記され,「天行(てんこう)健(けん)なり。君子(くんし)はもって自(みずか)ら彊(つ)めて息(や)まず」と読みます。「彊」は「強」と同意語で、自己を強制する。私欲に打ち克つという意味があります。
 日本を代表する哲学者、思想家である安岡正篤(まさひろ)先生は「(天地万物の)創造進化、すなわち「天行」は健やかである。天の歩み、万物生成化育の働きは止むことなく行われていて、その徳をうけて人間の代表である君子は自彊息まず―自ら修養努力するという意味であります。」とあります。
 この天地宇宙の運行は無限の過去から今に至るまで、恒に規則正しく、整然として正しくめぐっていて、休むこともありません。これを「健やか・健全」であるとしています。
この健やかな天地の運行を模範として、私欲に打ち克ち、自ら努力し、自分に与えられた使命を全うし、怠ることなく、整然として規則正しく生きようとするのが、我々人としての生きる道であると示しているのです。
 更に、天地の運行のように生きているとき、その人は光り輝いて見える、と江戸後期の儒学者である佐藤一斎(いっさい)(1772~1859)は、『言志後録(げんしこうろく)』第二条で次のように示しています。
「自ら彊めて息まざるは天の道なり。」
そして、第三条に
自彊不息の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思か有らん。何の嬰累?想(えいるいけいそう)か有らん。
【訳文】人が自ら勉め励んでいるときは、心は輝き、眩(まばゆ)いくらいに明るい。そこには妄念も怠け心もまったくない。また、心にまとわりつく気がかりや憂いもまったくない。
 早朝の坐禅会を開催していますが、参禅者の皆さんは義務や仕事として参加している訳ではないし、寺に強いられて来られているわけではありません。ご自身の意志で来られております。特に休日ともなればわざわざ早起きし、更にはそれを五年・十年と続けていくには、強固な意志とともに忍耐力が必要です。
 そういう参禅者の皆さんを迎え。それぞれのお顔を拝すると、清風が胸を駆け抜ける爽やかさを感じ、それは明月のように曇りなく澄みわたっています。ご自身は眠さや疲れ、昨日までの様々なことが胸に去来していて、決してそのようには感じていないかも知れません。しかし、自ら私欲に打ち克って、進んで行動している姿には、内側から発動している“何か”が後押ししています。その“何か”こそ天地の運行健やかなはたらきではないかと思います。私欲を越えるとは自分を越えることです。自分を越えた天地の運行の健やかさが後押ししているのではないでしょうか。これを禅では禅定や三昧という無我・無心の境地といいます。
 なお、自彊術体操という治病を目的とした三十一の医療体術があり、私が以前お世話になっていた道場で真向法、足心道と共に毎朝行っていました。もちろんこの易経が出典であろうと思われます。
 
 5/15  「通身是手眼(つうしんこれしゅげん)」
命いっぱいに生きれば活き仏なり。
碧巌録(へきがんろく)第八十九則の「雲巌大悲手眼(うんがんだいひしゅげん)」に出てくる禅語です。
 雲巌曇晟(うんがんどんじょう)禅師(782~841)は、薬山惟儼(やくさんいげん)禅師の弟子で、この問答に出てくる道吾(どうご)とは兄弟弟子であります。また、その弟子には曹洞宗の高祖、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師がいて、曹洞宗寺院では毎朝朝課でこの順に読み上げる馴染み深いお祖師様であります。

【本則】 挙す。雲巌、道吾に問う、「大悲菩薩(だいひぼさつ)は許多(そこばく)の手眼(しゅげん)を用(もち)いて、什麼(なに)をか作(さ)す」。(大悲の千眼千手観音様はなぜそんなに多くの手や眼をもって、いったい何をするのですか)
吾云く、「人の夜半に背手(はいしゅ)して枕子(ちんす)を摸(さぐ)るが如し」。
(真っ暗闇に中で手を後ろに回して枕を探すように自由自在にはたらいているぞ)
巌云く、「我(われ)会(え)せり」。(わかりました)
吾云く、「汝作麼生(なんじそもさん)か会(え)す」。(いったい、おまえはどのようにわかったんだ)
巌云く、「偏身是れ手眼(へんしんこれしゅげん)なり」。(全身がすべて手眼である)
吾云く、「道(い)うことは即ち大煞(はなは)だ道うも、只だ八成(はちじょう)を追い得たるのみ」。(よく言ったが、まだまだ完全とは言えない、八分であるぞ。)
巌云く、「師兄(すひん)は作麼生(そもさん)」。(私の会得が不十分であるなら、師兄のご意見は如何に)
吾云く、「通身是れ手眼」なり。(身体いっぱいの手眼である。)

 三十三間堂で有名な千手観音は「十一面千手千眼観音」とも言われ、あの手の多さに圧倒された方も多いと思います。この禅問答はあんなに手があってどうやって使うのだろうかとの問いから始まっています。

 観音菩薩は実在の人物ではありません。迷えるものをあらゆる方法や手段を使って救い出そうという、大宇宙の全体に行き渡っているはたらきのことで、これを仏教では「慈悲」といいます。ですから観音様の尊像の姿は「慈悲のはたらき」の象徴であります。これは我々人間にも具わっているはたらきでありますが、それを十分に発揮できているかどうかが大切なところです。

 坐禅会に時々初心者が来られます。私はよく「何でも質問してください。」と促します。ただ、何を質問してよいかわからないと言われる方もおられます。しかし、何も疑問がなければ、わざわざ朝早くに坐禅に来られるわけがありません。本人自身はっきりとした理由が浮かばないにしても、必ず心の奥底に動機があるはずです。こちら側がそのこころを読み取って、言葉を付け加えながら、坐禅に来させている理由や疑問に気づかせて、なるべく本人の口から質問させるようにしています。

 それには相手の一挙手一投足から読み取っていくこともありますが、坐禅に関して言えば、自分自身が一生懸命只管坐禅に打ち込んでいると、不思議と全身がアンテナとなって相手の心境を受信していると思えることがあります。我々人間も命いっぱいに尽くしきってみると、仏と同じはたらきが現れてくるのではないかと思います。観音様とは自受用三昧(自らの置かれた立場や状況を正念場として全身全霊でなりきっている状態)の世界のはたらきです。我々も自分自身を尽くしきったときに、自分・相手を分ける二元対立のない、「ひとつこころ」になりきって、それぞれに応じた導きが生じてくるのではないかと思います。

 また少し異なる視点からですが、作務を見ていて思うことがあります。やらされて半ば嫌々しているのと、自ら進んで行うのとでは、同じ作務でもはっきりと違いがわかります。やらされてやっていると、小手先でなんとなく手を動かしているように見えます。その反面「さあやるぞ」という内側からのやる気いっぱいの気持ちで打ち込んでいると、当然姿に勢いがでてきて、全身が作業そのものになりきって自由自在にはたらいています。これは作業に限ったことではなく何事にも言えることです。

 道元禅師はそこのところを正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)現成公案(げんじょうこうあん)に「身心を擧(こ)して色(しき)を見取(けんしゅ)し、身心を擧して聲(しょう)を聽取するに」とお示しです。何事にも真剣に打ち込んでいるときには、見るも聞くも何をするにしても全身心・命の総力を挙げて行っています。そうすると己を忘れて、相手も忘れて自他一如の世界に入り、今が充実し、活力が湧いてきます。また、次の行動へも自然に繋がっていきます。

 今回ご紹介した観音様の大悲千手眼は、誰しも具わっていて己の中にあるわけですが、その眼を自覚していかなくては宝の持ち腐れです。その自覚への実践として曹洞宗で勧めるのは「坐禅」であります。全身心・命を挙げて坐禅してみようではありませんか。


 5/1
 柳緑花紅
「自然の逞(たくま)しさに習え」
 この有名な「柳(やなぎ)は緑(みどり)、花(はな)は紅(くれない)」の出典は一般に中国宋時代の政治家であり、詩人である蘇東坡(そとうば)、名を蘇軾(そしょく)(1036~1101)の詩であるといわれていますが、私が『東坡禅喜集(とうばぜんきしゅう)』を調べた限りにおいては見当たりませんでした。

 『禅語字彙』には、「色も違ひ形も異るが、何れも眞如法界の表相で、差別のまゝ眞實平等の性相を現はして居るの意。東坡の詩句に、『柳緑花紅眞面目』とあり」と説明されています。また、『禅学大辞典』には「蘇軾の詩に“柳緑花紅眞面目”とある。自然のありとあらゆるものが、それぞれの真実相であるという意。」とありますので、いつか出典を明らかにしてこの詩の全文に触れてみたいと思います。

 今年は例年に比べて春が早く進み、この諏訪地方でも既に新緑眩しい五月を迎えました。毎朝散歩をしながら思うのは、この季節は日々刻々と大地自然の風光の変化が著しく、新鮮で、まぶしさを感じています。

 緑も木々や草花によって、微妙に異なっていながら、調和していて、大地全体が緑色に燃えているようであり、眼にするだけでも不思議に生きる力が湧いてきます。柳は燃えるような緑に、花は紅に染まっているのは、冬の間蓄えた生命力を今ここに最大限発揮している姿であります。その生命力の逞しさが周囲にほとばしって、同じ生命体である人間にさえも影響を及ぼします。人間は生命は個別だと思っていますが、大自然には個別というものはなく、「すべての存在・ひとつの命」をひたすら生きています。それこそ人間が忘れてしまっている大自然の本来のありようです。私自身、その精一杯命を生かし切っている緑や花からどれだけ勇気づけられたかわかりません。

 その緑や花に関連することが先日あったので紹介します。ある和尚の草取り後に国道沿いの一番目立つ場所に大きなタンポポがひとつ残されていました。私なら迷わず抜いてしまうのですが、、その周辺は綺麗になっていたので、抜き忘れではないと思い、本人に理由を聞いてみると「花が咲いているので…」との返答がありました。翌日彼が別の場所を草取りをしていた時に「今取っている草と昨日残したタンポポ何が違うのか」を問うと「花が…」と言葉に詰まってしまいました。彼の中で理屈では割り切れない何かがあったのだと推察しました。

 そこで、私なりにタンポポを抜く理由を考えてみました。

 禅門では食事の前にお唱えする五観(ごかん)の偈(げ)があります。その最後に「五つには成道のための故に、今この食(じき)を受く」とあり、私たちが人としての道を全うするために、この食事や命を頂戴している。タンポポも人間の為に役だって命を捧げることで成仏されるだろう。等々。

 しかし、いくら最もらしい理由をつけても、どこまでもこちら側の理屈であります。精一杯生きている命を頂戴している側に本当に正当化できるような理由などないのではないでしょうか。ですから、彼のその割り切れないところが大事なところです。割り切れないからこそ、懺悔しないではいられない自分の存在に気が付くのです。今回その和尚との問答は私にとっては意義のあるものになったと思います。国道を通る度にそのタンポポを見ながら想いを巡らしています。

 最後に賴岳寺にある初代藩主諏訪頼水(よりみず)の九女「亀姫(かめひめ)」の墓所に刻まれていた偈頌に「柳緑花紅」が含まれていました。作者は時の住職でしょうか。不明ですがご紹介します。

時節因縁擡首見
花紅柳緑色猶新
一基塔様無他物
物々頭々面目眞

私訳
今まで何気なしに生きていたが、よくよく物事の本質を見ることができる時節が来た。
花は紅に精一杯咲いて、柳は緑に精一杯燃えている。その色は大自然の逞しい姿であって、いつでも新鮮に色彩を放っている。
それはひとつ命の有様であって他にたとえようがない。
これこそ存在するもの全ての眞の姿である。
4/15   「満(まん)を以(も)って覆(くつがえ)る」

やり過ぎず、やらなさ過ぎず
 出典は菜根譚(さいこんたん)。中国明時代の万暦年間(1573~1619)に書かれた洪(こう)自誠(じせい)の著。儒教をベースに仏教(主に禅)と道教の長所を取り入れた名著で、前集と後集からなり、前集では人と交わり、事を治め、変に応ずる道を説き、後集では退静閑居の楽しみを論じています。その前集六十三項に

「欹器(きき)は満(まん)を以(も)って覆(くつがえ)り、撲満(ぼくまん)は空(くう)を以(も)って全(まつた)し。

故に君子は寧(むし)ろ無に居るも有に居らず、寧ろ?(けつ)に処るも完に処(お)らず(処(しよ)せず)。」

意訳:「変わった形の傾いた器は水をいっぱいになるとひっくり返り、貯金箱は中が空であるときこそ完全な形である。故に君子は無心の境地に身をおき、常に不完全な状態に甘んじ、完全円満な境遇にはいない。」

 欹器(きき)は宥座(ゆうざ)(客座)ともいいます。孔子(こうし)家語(けご)(『論語』に漏れた孔子一門の説話を集めたとされる古書)に「宥座の器、虚なれば欹(そばだ)ち、中なれば正しく、満れば覆(くつがえ)る」とあるように、ちょうど半分水が入った状態であるときこそ、安定した状態であるのです。

 若いときは無理が利きます。徹夜をしたり、食事を抜いたりなど誰しも経験があることだと思います。私事でいえば、睡眠時間を削ったり、無理をしてでも仏道修行して何かを成し遂げることが美徳のように思っていた時期があります。しかし、五十代になってだんだん自分の身体が無理が利かなくなっていることを感じるようになりました。

 先月いろいろが立て込んでいた状態で更に睡眠時間を一時間削った時、身体の「もう少し休んで欲しい」との声が聞こえたような気がしました。全くその通りだと思って、なるべく休むように心がけるようにしました。以前であればそんなことぐらいに甘えてどうすると自分に一喝するところですが、最近この身体はご先祖、み仏のものであるから大切に扱わなければならないという念いが急に強まったような気がします。

 修証義第五章の最後に「即心是仏(そくしんぜぶつ)というは誰といふぞと審細(しんさい)に参究(さんきゅう)すべし、正(まさ)に仏恩(ぶっとん)を報(ほう)ずるにてあらん」とありますが、この私の身心はみ仏の現れだということがはっきりすると、仏様のものを使わせていただいているんだという謙虚な気持ちが自然と発してくるものです。そうすると、無理を重ねてみ仏の身体を壊すようなことも出来ないし、かといって、持て余したり、無駄に使うことも出来なくなります。

 人間はだいたい「やりすぎか」「やらなさすぎ」に大別できると聞いたことがありますが、どうしても極端に振れてしまうのが人間の性なのかもしれません。私などもその傾向が強いことを自覚しています。お釈迦様には「まさにその中をとるべし」と中道を説いたことで有名な説話があります。

 ソーナという弟子が大変激しい修行をしていたのですが悟りの境地に至れず、修行をやめて財産を持ちの実家に帰ろうかと迷っていました。そこでお釈迦様は彼を訪れ、ソーナが以前琴を弾く名手であったことから、琴の弦を喩えに出しました。琴が張りすぎていたり、弱すぎていたらよい音が出ない、あまりに強からず、あまりに弱からず調子にかなうように整えてこそよい音が出ることを本人の口から導き出します。そして、次のようにお釈迦様はソーナに説かれます。「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それと同じであると承知するがよい。刻苦にすぎては心たかぶって静かなることあたわず。弛緩にすぎれば、また、懈怠におもむく。ソーナよ、ここでも、また、なんじはその中をとらねばならない。」と、ソーナはこの琴の喩えをじっと胸に抱いて悟りの境地に至ることが出来たそうです。

 是非「ソーナ」を自分の名前に置き換えて味わってみたいものです。仏典は他人事ではなく、自分事としていかに受け取るかですから。
 4/1  兀然無事坐 春来草自生
(兀然(ごつねん)として無事に坐すれば、春来たりて草自ずから生ず)
「ひたすら歩めば、必ずわかる時が来る。」

 この禅語は景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)という中国北宋代の多くの禅僧の伝記を収録している燈史の第三十巻南嶽懶?(なんがくらんさん)和尚の歌の最終句に出てきます。なお、中国の文献には全て「草自ずから青し」とありますが、禅林句集に採録する際に「自ずから生ず」としたようですが、意味はどちらも変わりません。

 兀(こつ)は動かない様。「兀兀(ごつごつ)」は一心に努力するさま。勤苦するさま。「兀然(ごつねん)」は山のごとく不動なさま。一心不乱に勤めるさまをいいます。

「無事」は一般的には問題がない。事が起こらないという意味で使われますが、禅的な意味としては寂静無為の境涯。本来の自己に立ち還った安らかさのこととして使われます。

 ですから、「一心不乱に本来の自己を求めて坐禅をしていれば、いつの間にか春が来て草が萌え出るように、悟りの境涯が開けてくるだろう。」という意味です。

 我々は自然の運行の中に生きていて、それが当たり前だという認識でいるのですが、大自然ほどそれぞれの役目を尽くしきっているものはありません。よく草がアスファルトのほんの小さな隙間に根を張っているのに驚かされることがあります。全身全霊で土から養分や水分を集め、懸命にひたすら生きています。よそ見をしている暇さえもなく精一杯生きています。

 禅の修行でも、本当の自分の生き方、ホンモノを求めて坐禅に専念して打ち込んでいる雲水は、修行仲間であっても談笑する時間さえ持たないといいます。あの良寛禅師は十年ほど岡山の円通寺という道場で修行をしました。普通は何年かいれば自然と近隣にも知り合いが増えてくるものですが、良寛禅師はひたすら修行に専念していたのでしょう。門前に沢山の家があったにも関わらず、ひとりも知り合いをつくることもなかったと詩にしたためています。それほど修行以外のことに余念がなかったのだと思います。

 良寛禅師の「円通寺」と題する詩
「円通寺に来りてより 幾度か冬春を経たる 衣垢(えあか)づけばいささか自ら濯(あら)ひ 
食尽くれば城?(じょういん)に出づ 門前千家の邑(いえ) 更に一人をも知らず 
曾て高僧伝を読むに 僧伽(そうぎゃ)は清貧(せいひん)を可とす」

とありますが、私たち修行者もいつの間にか、物の豊かさや名利に関心を持つようになって、いつしか余念の方が主たる目的になって、本来の役目から外れてしまうことがあります。

 ですから、この禅語はただ自然に生きていればなんとかなる。というのではなく、大自然をよく見てみれば、それぞれの役割を精一杯尽くして生きている結果として春が来て草が生える。ただし、無理をして春を通り越していきなり夏になろうとはしません。決して無理することなく、かと言って怠けることなく、命いっぱい生きる。これは人間は自然から学ぶべき所だと思います。

 最後に景徳伝灯録にもう一カ所「春来草自青」が出てきますのでご紹介します。十九巻の雲門文偃(うんもんぶんえん)の章にあります。

 ある僧が雲門禅師に「如何か是れ仏法の大意」と問いに対して「春来草自青」と答えたという短い問答です。ここでは仏法とは大自然の摂理ともとれますが、他の意味するところとして「他人に答えを聞いても決してわからないではないか。自らが仏道にひたすら歩み進める他にないではないか。踏み出してみればわかる。」とも聞こえます。

 昨年亡くなったプロレスラーのアントニオ猪木さんが平成10年の引退の挨拶で、次のように言ったそうです。

『この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ』
この猪木さんの言葉も「兀然無事坐 春来草自青」ではないでしょうか。

 3/15  「体究錬磨(たいきゅうれんま) 」
磨いたら磨いただけの光あり

今回の禅語は臨済録(りんざいろく)が出典です。臨済録は中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済(りんざい)義玄(ぎげん)禅師、(? - 867)の一代の言行をまとめた語録であります。弟子の三聖慧然(さんしょうえねん)によってまとめられ、広く流布し、「語録中の王」と称されています。

臨済禅師は黄檗(おうばく)禅師のもとで大悟して、独自の宗旨をもって門弟を指導し、なかでも「臨済の喝」は現在でも禅の代名詞ともいえます。

 臨済録は四部から構成されていています。上堂(じょうどう)(法堂に上って説法すること)、示衆(じしゅう)(衆僧に対する説法)、勘弁(かんべん)(問答集)、行録(あんろく)(伝記)です。今回の禅語は示衆のなかに掲載されています。

「是れ娘生下(じょうしょうげ)にして便ち会するにあらず、還(かえ)って是れ体究錬磨して一朝に自ら省(しょう)す」
前文も含めての現代語訳:
「出家者に修行の肝要さを説き、次に本物の師匠(黄檗禅師)に逢って仏道を求め禅に参じることで真正の悟りを得たことで、天下の和尚達の悟りの正邪を見分けることが出来るようになった(以上前文)。
それは、母から生まれたままで自然にそうなれたのではない。修行し抜いて、磨いて磨き抜いた時に、はたと悟ったのです。」

 人間は生まれながらに天真爛漫で純粋な心を持っています。その心は素晴らしくありがたいものです。だからといってそのままでよいと独り早合点して何もせずにいては、折角ご先祖様から頂いたこの身体と能力を発揮せずに、無駄に時を過ごしてしまうかもしれません。「願生此裟婆(がんしょうししゃば)国土」と言われますが、誰しも人それぞれ天分、天命を授かり、自ら志や願いを持って生まれてきているはずです。

 私も今年五十歳を迎え孔子聖人の言われる「五十にして天命を知る」という意味がおぼろげながら見えてきたような気がします。「生きる」とは自分が生きているというようなちっぽけなものではなく、大いなる命を生きている。即ち「天命を生きている」と思うようになってきました。
 折角この世に生を受け、限りある天命を授かったのですから、その能力を精一杯尽くし磨きながら志を果たしていくことが、本当の生き方であり、悦びのある人生になると思います。そして、その悦びこそ、人を輝かせます。これを法悦とか法喜禅悦といいます。

 さて、私もこの天命を忘れないように精進しようと思いますが、ついつい安きに流されてしまいがちです。五十代は己の天命とは何か、志に沿って生きているかに焦点を当て、己を磨いていく土台を作りたいと思い、毎日実践する七項目を拾い出してみました。

①「毎日坐禅をする。」静慮。禅定。心を静め、集中力を養い、そのものになりきって今を取り戻して精一杯生きる基礎とする。

②「毎日体操をする。」人生を共にする先祖から授かった身体を大切に、感謝を込めて手入れをしていくことです。誰しも病にはかかるわけですが、調えておく努力をすれば早期に不調和に気が付くと思います。必然的に寿命にも影響し、その分出来ることも増えるはずです。 私は真向法体操と習っているヨーガの体操をしております。

③「毎日歩くこと」日常からなるべく歩いたり動く努力をする。不思議と歩くことで頭が冴えて、自分の方向性を修正するヒントが浮かぶことがよくあります。

④「毎日先人の智慧に学ぶ」温故知新と言われますが、先人の残した膨大な教えや語録を学ぶことで、今の自分の状態と、目指すべきものが見えてきます。一日数ページでもよいから古典に触れるようにしています。

⑤「毎日陰徳を積む。」陰徳とは陰ながら善行をすること、見ていないからと言って悪いことをしないことです。人から認められたいという承認欲求や、自己保身といった自分を計算に入れて考える癖によって純粋に物事を行い難くしています。だからこそあえて、陰ながらの行が大切だと思っています。

⑥「毎日清掃をする。」掃除は心の浄めることに繋がっています。また、浄められた場所は誰にとっても清々しいものです。自分の使っている玄関やトイレくらいは毎日掃除したいものです。

⑦「毎日祈ること」。たとえ心身共に丈夫であっても、世の中全体がよくならなければ個人の幸せに繋がりません。世の中の為、全てのものの天命が成就するように神仏に祈りを捧げることです。

 先月、銀河鉄道999の原作者である松本零士さんがお亡くなりになりました。生前おっしゃっていたそうですが「人は志を持って生まれてきたのにそれを果たせずに終わっていく悲しみを描きたい」と戦争をモチーフにした作品を手掛けてきたそうです。現在も世界では戦争が進行中で一年たった今も収束の兆しすら見えてきません。人として折角生まれてきながら、人間の最も愚かな行為である戦争によって罪のない多くの犠牲が出ていることに悲しみを禁じ得ません。人間を不幸にする愚かな戦争がなくなるように祈るばかりです。

 まだまだ、臨済禅師の「体究錬磨」には程遠いものですが、人生の後半期、時間は限られてきています。この七項目を基礎として自分なりの「体究錬磨」に繋がればと思っています。また、各人それぞれ実行している項目があると思いますので、もし善いものがあれば御指南くだされば幸いです。いずれにしても、誰しも己を調え、磨いていくことで、世の中に役に立つ自分でありたいし、それが天命でないかと思っています。

 今回のサブタイトルは、山本玄峰(やまもとげんほう)老師の「磨いたら磨いただけの光あり根性(こんじょう)玉(だま)でも何の玉でも」の引用です。磨けば光る。当たり前のことですが、人生の折り返しを過ぎて、先人達を見習いながら精進し、己の道を全うしたいと思います。
 3/1  惺々著(せいせいじゃく)。
諾(だく)
己を励ます言葉を持とう。
  以前にもご紹介した無門関十二則「巌喚(がんかん)主人(しゅじん)」に出てくる言葉です。その時は「主人公」を紹介としましたが、今回の禅語はその問答に出てきます。

 瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、復(ま)た自ら応諾(おうだく)す。乃(すなわ)ち云(いわ)く、「惺々著(せいせいじゃく)」、「諾(だく)(原文では口偏に若)」。他時(たじ)異日(いじつ)、「人(ひと)の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ。諾(だく)諾(だく)」。

意訳:瑞巌師彦(生没年不詳:唐代の禅者)は、常に盤石に坐して、終日愚の如く毎日自らに「おい主人公!」と喚んで自ら答え、「おい、ぼんやりするな。」「他人に騙されるな」といって、自問自答して自警していた。

 瑞巌和尚は巌頭(がんとう)禅師(828~887)の弟子で、若くして出家し、毎日油断なく「主人公」に参じていたばかりでなく、大悟の後も一生終日岩石のように坐り、死ぬまで「主人公」と呼びかけて修行しました。人々は彼を敬慕して瑞巌寺の住職に迎えられ、修行僧の指導に当たっては厳格綿密であったと伝えられています。

 悟る前も、悟った後も同じように油断なく本来の自分を忘れないように自問自答していたのです。以前はこの問答を昔の中国の祖師の話くらいに思っていましたが、先月檀家のおばあさんをお送りしたのですが、その方がまさしく瑞巌和尚の現代版を生きたようであったのです。

 享年九十七才、ずっと自立して独り暮らしをしておられました。お盆の棚経でお宅に入ると広い土間が塵ひとつなく掃き清められ、打ち水がされ、お宅の中は整然として無駄な物がないひとつなく、京都の厳しい禅寺に訪れたような凜とした空気が流れていました。昨日今日綺麗にしたのではなく、日頃から努めておられることは一目瞭然でした。法衣の私を見るとサッとお仏壇に向かい火をつけて準備をされ、お経中はずっと後ろで拝まれる。そして、私が帰る際にはいつも「こんな九十過ぎたばあちゃんだけど甘えちゃいけねえ」「甘えちゃいけねえって生きてるだ」と自らのほっぺをたたいておられました。始めてお会いしたときから非常に印象的なおばあさんでした。ご葬儀の際ご遺族の方も「甘えちゃいけねえ」が常日頃から口癖だったと回想されていたほどです。

 年を取って独りであれば毎日自由自適で、例えば万年床にでもなってしまうように思います。しかし、ご姉妹が言われるにはご両親に大変厳しく育てられたそうで、自分に厳しい精神を一生持ち続けられ、極力人に頼ることなく自らを律し、デイサービスなどのサービスも一切受けないと貫いたそうです。

 ご葬儀の導師として棺前に立ったとき、ばあさんの真剣なまなざしと、「甘えちゃいけねえ」と自問し自らのほっぺを叩きながら自答する姿が脳裏に浮かび、この瑞巌和尚と重なり合ってみえ、「えらいおばあさんだったな。」と心の中でつぶやいていました 

 翌朝いつものように暁天坐禅のために四時前に起床した時、寒いのでストーブをつけて眠い目をこすりながら、少し暇をつぶしていました。その時ふと、おばあさんの「甘えちゃいけねえ」とつぶやきました。するとスッと立ち上がり何回も「甘えちゃいけねえ」と口から突いて出てきました。もしかしたら己の中の主人公、本来の自己が発動したのかもしれません。

 誰しも他人には厳しく自分自身には甘いものです。誰かに頼りたい。誰かに自分のことをやってもらいたい。楽をしたいのです。しかし、そういう自分は頼りにならない自分であり、それでは心はいつでも他人中心であり、本当の自身の安心が得られるわけはありません。

 お釈迦様は法句経の中で「己こそ己の寄る辺、己をおきて誰に寄る辺ぞ、よく調えし己こそ、まこと得難き寄る辺をぞ得ん」と示されています。法句経は釈尊のことばが比較的原初的な形で伝承された経典ですので、ストレートに響いてきます。

 「よく調えし己こそを貫き通し、一生涯甘えることなく自分に厳しかったおばあさん。枕経の時に拝ませていただいたお顔は、輝いているように見えました。九十七年間本当にお疲れ様でした。その生き様をしっかり受け取らせていただきます。
 2/15  「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」

己を正す習慣を持とう
 二月十五日は釈尊涅槃会(ねはんえ)といってお釈迦様がお亡くなりになった日です。お釈迦様がお姿を隠されることを「涅槃に入られた」と表現します。また、三仏忌と言って、お生まれになった「降誕会(こうたんえ)」、お悟りを開かれた「成道会(じょうどうえ)」とともに、寺院ではお釈迦様の遺徳を偲ぶ法要を行います。 

 「涅槃」はニルバーナの訳語で「吹き消すこと。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒煩悩の火を吹き消すこと、または煩悩の火が吹き消されている状態」をいいます。要するに迷いがなくなった悟りの状態です。もう一つの意味としては「その悟りをひらいた人が亡くなること」であります。

 お釈迦様は八十歳。二千五百年前のインドにあってはおそらく驚異的な長寿であったと思われます。インドの北にあるクシナガラという地において最後のご説法をされ、皆に遺戒(ゆいかい)を示されました。そして、大勢の弟子たちが見守る中、沙羅双樹(さらそうじゅ)の木の下で頭を北に向けて右脇を下にし、体を黄金に輝かせ、両足を重ねて静かに入滅(にゅうめつ)されたのです。その時八本あった沙羅の木は四本は枯れ、残りの四本は時ならぬ花を咲かせたと伝えられ、今でも涅槃会の法要においてその情景を描いた「涅槃図」を掲げて、その遺徳を偲びます。

 その時の様子や説かれた教えについては大般涅槃経(だいはつねはんきょう)(大パリニッバーナ経)や、日本の各宗派で読まれる仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)に詳細に記述されています。この波羅提木叉は、「戒(シーラ)」と同じ意味であります。

 仏遺教経に「汝等(なんだち)比丘(びく)、我が滅後に於いて、まさに波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重(そんじゅう)し珍敬(ちんぎょう)すべし。闇(あん)に明(みよう)に遇い、貧人(びんにん)の宝を得るが如し。當(まさ)に知るべし、此れは則ち是れ汝等(なんだち)が大師なり。若(も)し我れ世に住すれども此れに異なること無けん。」

訳「僧達よ、私が入滅した後には戒を私だと思って尊いものとして大切にしなさい。この戒律は暗闇の灯火であり、貧しい人が財宝を得るようなものである。戒こそ修行者達の師匠であることを知るべきである。もし、私がこの世の中で生きていたとしても、この戒以上のことを説くことはできない。」

 よく戒律と一言でいいますが、厳密には「戒」は内面的なもので佛教者としての自覚を持ちながら、諸悪を抑制して自分で正しいことを選択し、実践していく、自己に対する戒めであります。罰則はありません。また、「律」は集団の秩序を規定したもので違反すると罰則があります。

 大般涅槃経ではお釈迦様の遺言の中でアーナンダ(阿難尊者)に、自分の亡き後に何を拠り所にしていくべきかについて「もはや師(お釈迦様)は存在しない。そう考えてはいけない。私の説いた法(おしえ)や戒こそが、あなたの師となるのである。」としています。

 教えと戒を自らの羅針盤としていけば、それによって修行が成就できる。お釈迦様と同じ涅槃の境地に順応できるというのです(正順解脱(しょうじゅんげだつ)。

 現在ではお葬式の時に亡くなった方にこの戒を授けて、仏弟子としてお見送りしますが、本来は生前に戒を受け、拠り所として社会において生活をしていくというのが本来の姿なのです。なぜなら、戒を拠り所にすることによって、諸悪に対しての抑止力となり、結果的に戒によって護られるからです。

 また、禅宗では「禅戒一致(ぜんかいいっち)、禅戒一如(ぜんかいいちにょ)」といって、私たちが本来持っている仏心がそのまま戒であるといわれ(仏心戒、仏性戒)、道元禅師が正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうぞうずいもんき)で「学人最も百丈(ひゃくじょう)の規縄(きじょう)を守るべし。然るに其儀式、護戒坐禅也。昼夜に戒を誦(じゅ)し、専ら戒を護持す、と云事(いうこと)は、古人の行(あん)李(り)にしたがふて、祗管打坐(しかんたざ)すべき也。坐禅の時、何の戒か持たれざる、何功徳は来らざる。古人の行じをける処の行履(あんり)、皆、深心あり。私の意楽を存ぜずして、只、衆に従て、古人の行履に任せて行じゆくべき也。」

と示されている通り、坐禅をすることがすなわち戒を持することとされています。

 この坐禅を毎日続けていくことによって、次第に自己が調ってきて、過剰な欲に対しての抑止力になり、意識せずとも自然に戒をたもつ生活になってきます。坐禅によって戒がたもたれ、不思議と護られるという経験はあるものです。戒には主に十の戒め(十重禁戒)があり詳細は省きますが、今回は「波羅提木叉」と「禅戒一如」を覚えていただければと思います。
 2/1
 「雪後(せつご)始めて知る松柏(しょうはく)の操(みさお)」
困難や誘惑に遭っても原点は守り抜く。
 出典は虚堂録(きょどうろく)。圜悟語録(えんごごろく)。五灯会元(ごとうえげん)などに収録されているようですが残念ながら当方に蔵書がなく、原典から全体の内容に触れることは出来ませんでした。

 この言葉の後には「事(こと)難(かた)くして方(まさ)に見(み)る丈夫(じょうぶ)の心(こころ)」と続いて、合わせて一つの禅語となっています。

 『禅句名句辞典』には「雪が降った後に、始めて変わらない松柏の節操の強さがわかる。人は艱難に直面して、はじめてしっかりした人かどうかがわかる。」とあります。また、「操(みさお)」は自分の意志や主義・主張を貫いて、誘惑や困難に負けない姿(節操)や、常に変わらない姿を意味しています。

 松などの常緑樹は、地味な緑の色合いから、あまり人目をひくことはありません。しかし、厳寒の冬でもその緑を変えることなく保ち、一面真っ新な銀世界になってなお、青々とした枝葉と堂々とした佇まいを見せてくれます。それが松柏の美しさであり、その姿を見るだけでも勇気が湧いてきます。

 よくご葬儀の後に、ご遺族の方が言われることの中に、弔問者から今まで知らなかった生前の言葉や業績、苦労話、思い出等を聞かされたことで、改めて故人の偉大さを感じた。と耳にすることがあります。たとえ家族であっても、ある一面、一部分のみを見ていて、特にその人の陰ながらの努力や苦労というものは意外に知らないものです。

 先日新聞に松本山雅というプロサッカーチームを昨年退団した田中隼磨(はゆま)さんの“絆”という記事が掲載されていました。

抜粋して紹介すると

 「自分のサッカー人生を振り返った時、胸を張って人に誇れるようなことは特別ない。それでも、サッカーに失礼がないように真摯に向き合おうと決めた原点は、ユニホームを脱いだその瞬間まで守り続けることが出来たと思っている。~中略~プロになれたことに満足し、華やかな世界でスポットライトを浴びたことに調子づき、道を外れていく選手たちをたくさん見てきた。先輩、同年代、後輩にもいた。~中略~横浜M時代監督だった岡田武史さんに言われた『何かをつかみ取るためには何かを犠牲にしなければならない』という言葉に、僕は忠実であり続けた。~中略~(食べることも練習の一環だとして)キャンプ中にビュッフェ形式の食事でも、僕は毎日決まって同じメニュー。チームメートからは不思議がられたけど当たり前のことをしているというでしかなかった」

 誰でも人生には好不調があります。好調の時には自惚れて慢心をおこしがちであり、不調の時は自暴自棄になりがちです。人生には誘惑や困難がつきものであり、努力してもすぐに結果が出ないことの方が多いと思います。しかし、どんなときでも原点を忘れずにやろうと決めたことはやり遂げる。続けることは続けていく。守り抜いていくという強い意志によって、揺るぎない心が培われていくものです。それを「丈夫の心」と呼びます。我々禅僧にとってのそれはまさしく「坐禅」といえるでしょう。

 田中選手はプロとして約二十年間サッカー一筋の人生、最後は怪我が原因で現役を終えることになったようですが、どんな困難にあっても自分を貫き、誘惑に負けず、常に変わらない精神を持ち続けるその姿こそ「松柏の操」「丈夫の心」でありましょう。今後は指導者としての道を目指されていくとのことですが、これからも原点を忘れず真摯に最後まで守り抜くその精神力を発揮されていかれることと期待しております。
 1/15  「光陰(こういん)虚(むな)しく度(わた)ること莫(なか)れ」
一時の享楽に耽(ふけ)っている暇はない。
 今回の禅語は、昨年に引き続き「参同契(さんどうかい)」(中国唐代の禅僧石頭希遷(せきとうきせん)禅師著)の最終句を紹介します。参同契の締めとして、また、この一月の寒中に気を引き締める訓戒の一句にさせていただきました。

 前文も合わせると「謹(つつし)んで参玄(さんげん)の人(ひと)に白(もう)す、光陰(こういん)虚(むな)しく度(わた)ること莫(なか)れ」となります。

「謹んで」は居住まいを正して、謹んで拝聴しなさい。「参玄の人」は玄は深い熟達した奥底深いで、仏道の玄旨奥義に参じている修行者に申し上げる。「光陰」は光は日、陰は月の意で月日。年月。時間。を意味する言葉です。

 意訳すれば「謹んで真理に参じている仏道修行者に申し上げます。今ココ今日一日、目の前、足もとにこそ道があるのですから、一刻たりとも決してむなしく過ごさないように」となりますが、特に石頭禅師が「謹んで」最後に語尾を「莫れ」と強めて語られているところからも、それだけの熱量を込めて修行者に訴えかけているのが伝わってきます。

 人生を無駄に過ごしている暇はないとして、この「光陰」を使った句や禅語は言葉は多くあります。例えば曹洞宗の修証義(しゅしょうぎ)というお経には次の二カ所が出てきます。

○「命は光陰に移されて暫(しばら)くも停(とど)め難し」:第一章・正法眼蔵恁麼(いのちは月日とともに一瞬たりともとどまらない。)

○「光陰は矢よりも迅(すみ)やかなり、身命は露よりも脆(もろ)し」:第五章・正法眼蔵行持上(月日流れは矢よりも速く、人の命は露が消えるよりも儚いものです。)

 また、中国南宋時代の中(ちゅう)峰(ほう)和尚座右銘の最後の部分には

「生死事大(しょうじじだい) 光陰(いん)惜(お)しむべし 時人(ときひと)を待(ま)たず。人身(にんしん)受(う)け難(がた)し今(いま)既(すで)に受く。仏法聞き難し今既に聞く。この身今生(こんじょう)に向かって度(ど)せずんば、更に何れの所に向かってかこの身を度せん」

 「たった一度しかない人生は、あっという間に過ぎ去っていきます。決して待ってはくれません。どうやってこの人生を生き、必ず迎える死に向かい合い、この生をどう完結していくかが、人生の一大事であります。たまたま、得難き人として生を受け、真理を解き明かしたお釈迦様の教えに出逢うことができた。今生はこれほどの難値難遇の人生である。寸刻を惜しんで弁道精進せよ。」との教誡であります。

 一休禅師がお正月に読んだとされる歌が残っています。

「門松は冥土(めいど)の旅の一里塚(いちりづか) めでたくもあり めでたくもなし」『狂雲集(きょううんしゅう)』

(新しい年を迎えておめでたいと浮かれているが、門松は、まるで冥土へに近づいたことを示す一里塚のようなもの。あの世に一歩近づいたことを忘れるな。)

もうひとつ一休禅師の歌に

「あす有と(明日ありと) 思ふ心にほだされて けふ(今日)もむなしく日をおくりけり」

道元禅師は
「閑(いたず)らに 過ごす月日は多けれど 道をもとむる 時ぞすくなき」:傘松道詠
以上については贅(ぜい)言(げん)を加える必要はないでしょう。

 各祖師方は皆、切々としてこの人生の一大事を我々に訴えておられます。

「月日の流れは止まらない。人生を無駄に過ごしている暇はない。一時の享楽を追いかけ、耽っている暇はない。道は足もとにある。今ココ、目の前にあることが道である。いま自分ができることを惜しまずやりきろう。」と

自らの訓戒としていきたいと思います。

 令和
五年
1/1
彩鳳舞丹霄(さいほうたんしようにまう)
今ここを生きていることが御目出度い

 明けましておめでとうございます。

新年によく茶掛けで使われるこの一年の弥栄(いやさか)を願う禅語をご紹介致します。
「彩鳳(さいほう)」は五色の羽根を持つ一双の鳳凰で、聖王が世に出ると現れるという天下泰平の瑞鳥のこと。「丹宵(たんしょう)」はあかね色の空で夕焼け朝焼けのこと、或いは澄み切った大空。一切の曇りのない澄み切ったあかね色『丹宵』の空に、色鮮やかな『彩鳳』が舞うという意味です。即ち「天下泰平」、「平穏無事」を表現したお正月に相応しい慶事の禅語です。

 お正月はこの禅語のように錦鮮やかな美しい縁起物を飾ったり、着用をします。当然ですが誰しも、おめでたい縁起物にあやかって、この一年世の中が太平であり無事過ごせるようにと願います。ですから、この禅語もおめでたい言葉だと素直に受け取っていただければそれで結構です。ただし、本来の出典の意味合いは少しニュアンスが異なるので紹介させていただきます。

 出典は五灯会元(ごとうえげん)という、中国南宋代に成立した禅宗の灯史です。当時の禅僧五祖法演(ほうえん)禅師(~1104)が3人の弟子と共に、ある晩連れだって寺に帰る途中の出来事です。前を照らす頼りの灯明が、突風で吹き消され周囲が真っ暗闇になってしまいました。突然の出来事でありましたが、師匠である法演禅師がすかさず「さあ、各々一句を言ってみろ」といきなり禅問答が始まったのでした。

 まず、仏鑑(ぶっかん)という弟子が「彩鳳、丹霄に舞う」と答え、次に仏眼(ぶつげん)が「鉄蛇(てつじゃ)、古路に横たわる。(まるで真っ黒な大蛇が横たわっているようである)」、最後に仏果(ぶっか)(圜悟克勤(えんごこくごん))が「脚下を看よ」。とそれぞれの心境を述べました。

 すると法演禅師は「吾宗を滅する者は、すなわち克勤のみ。」と答えたというものです。禅では「抑下托上(よくげたくじよう)」と言って、弟子がたとえ相当な境涯に達していても、更なる向上を願い、あえてけなして褒めたり、褒めてけなすという老婆心切からなる指導法があります。ですから、最後の仏果の有名な「看(かん)脚(きやつ)下(か)」を大いに褒めたとも受け取れます。しかし、決して仏鑑の答えを否定したり、未達だというわけではありません。

 私なりにこの3人の答えを解釈してみます。この真っ暗闇の中というのは我々の人生そのものを現します。いつ何時、何処で何があるかわからない一寸先は闇の世界がこの世であります。天災は忘れた頃にやってくるといいますが、近年の新型コロナや戦争も誰が予想したでしょうか。そういう状況であるのに、我々は何となく過ごしているのが現状ではないでしょうか。

 法演禅師は灯りが突然消えたその瞬間に弟子達の境涯を探り、人生に対する心構えを問うたと思います。

仏鑑は「人生は今生きていること自体が有難く、おめでたいことだ。どんな暗闇でも輝いて澄み切っているではないか。自分自身を拠り所とする。」

仏眼は「人生はいつ災難が起こるかわからない。いつでも慎重を期して歩む。」

仏果は「人生は足元にある。今ここをしっかり生きることだ。」

どの答えにも一理があり優越をつけることはできません。また、この言葉は皆さんそれぞれが置かれた状況の中で受け取ってもらえれば良いのです。私の解釈に縛られることはありません。

 お正月の年頭に際して、何が「おめでたい」のか。己自身が生きていること自体がおめでたいではないか。弟子の仏鑑さんは、その本当に悦ばしい自分に気がついているかと問うているようにも思われます。また、おめでたいものに更におめでたい物を着飾っていると皮肉めいた二重の美辞麗句にも聞こえます。

 今年も山門伝道掲示板をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 令和 四年
12/15
  「触目(そくもく)道(どう)を会(え)せずんば」 サッと手助け仏の手
 山門伝道掲示板 十二月十五日

 今年最後の掲示板は、引き続き「参同契(さんどうかい)」という唐代の禅僧である石頭希遷(せきとうきせん)禅師(700-790)の著作を紹介しています。前回の「自ら規矩を立すること勿れ」の次に続く言葉になります。
 「触目(そくもく)」は「目に触れる。目にみえるそのまま」ということ。「道を会する」は「理会、物事の道理を会得すること。さとりのみこむこと。気づくこと。合点。納得」であります。、ここでは触目と眼を代表として出していますが、他にも、般若心経で説かれる六根の「眼(げん)」「耳(に)」「鼻(び)」「舌(ぜつ)」「身(しん)」「意(い)」も対象となります(眼は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、舌は味覚、身は触覚、意は意識)。目に見えるそのまま、耳で聞くそのまま、鼻で嗅ぐそのままが、真実をあらわしていると会得することです。また、目に触れ、見えた瞬間に瞬目に道を会得することも意味しています。
 前からの文脈から訳すと、「言葉に惑わされず真意を見抜き、規則や姿形にとらわれず、今ココに露わになっている目の前にあるものがそのままが道(我々の本質・本来の自己)であると瞬時に察することができなければ」と後半に続いています。
 道元禅師は正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)夢中説夢(むちゅうせつむ)に「いはゆる拈華瞬目(ねんげしゅんもく)、すなはち夢中説夢(分別のない世界で分別のない悟りを実現すること)なり」とありますが、以前紹介した「拈華微笑」はまさしく世尊と摩訶迦葉(まかかしょう)尊者が触目道を会した場面そのものです.(世尊が説法の場で無言で一輪の花を拈ったのを見て、摩訶迦葉尊者一人のみが微笑んで法が伝授された話)。
 このように瞬時に道を会する実例は禅宗の祖師には数多く存在します。
中国の唐代の禅僧である潙山霊祐(いさんれいゆう)禅師(771ー853)の弟子の霊雲志勤(れいうんしごん)禅師は三十年もの間ひたすら道を求めて修行していました。あるとき山道で休息のため腰を下ろし、麓の村里の桃の花が満開に咲いているのを一見して、忽然として目覚められたというのです。その時の偈が残されています(正法眼蔵谿声山色(けいせいさんしき))。
「三十年来、剣客を尋ね、幾回(いくたび)か葉落ち、又た枝を抽(ぬき)んずる。一たび桃花を見てより後、直(じき)に如今(いま)に至るも更に疑わず」
(三十年このかた道を諸方の善知識に訪ね、その間大自然は葉を落とし芽を生ずること幾たびもあった。ここにおいて、ひとたび桃花を見て目覚めてよりのちは、今に至るまで一切の疑いがなくなった)
 何事にも一生懸命、真摯に向き合っていると、何かの機縁によって間髪を入れずに本当のところをつかみ得ることができるという好例であります。

 悟りとまでいかなくても、このようなことは我々の身近なところでも溢れていませんでしょうか。例えば、困っている人がいたときに瞬時に手助けをする。声を聞いただけでその人の心の状態を察して声をかけること、頭で考える前にサッと手がでる。誰しもこの能力を持ち合わせています。
 「忖度(そんたく)」という言葉は、最近政治の世界で「立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動すること」の意で用いられます。これは、自分というものを計算にいれて、どのように振る舞えば損をせずに得をするかという意識が入り込んだ上での配慮です。決してよい意味としては使われません。
 しかし、本来の意味は、他人の心情を推し量って相手に配慮することであります。そこには自分の損得など考える隙間はなく、瞬時にかつ本能的にサッと察する力がはたらいています。これは本来誰にでも具わった能力(本来の自己)であり、本質的なものであります。これを「仏性」ともいいます。さらに察するだけではなく、そこからサッと助けの手を行動として出せるかが人として大事なことであります。よく「見て見ぬ振り」といいますが、状況によってはなかなか手が出ないものです。しかし、自分を計算に入れる前、考える前に察したことは大切にしたいものです。また、その無意識に察したのは誰なのか。自分が入り込む前の本来の自己を追求していくことが修行の第一歩でもあります。そこがはっきりすることによって本来の自己を尽くしきっていく生き方に転換していくのです。いずれにしても日常の精神修養によって自我意識に振り回されないように制御し、乗り越えていくことが不可欠であります。
 幕末の混乱の中様々な難事を切り抜けた勝海舟は若い頃丹力養うために禅寺で坐禅をしたそうです。自伝の「氷川清話(ひかわせいわ)」に「いわゆる心を明鏡止水(めいきょうしすい)のごとく磨ぎ澄ませておきさえすれば、いついかなる事変が襲ってきてもそれに処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。いわゆる物来たりて順応するのだ。」更に「それゆえに人は、平生の修行さえ積んでおけば、事に臨んで決して不覚を取るものではない」と言っていますが、そのような心構えと日々の鍛錬によって一瞬目に本質を見抜いて行動できる力に繋がっていったと思います。

 最後に、この「触目道を会せずんば」の続きを見ていきましょう

「触目道を会えせずんば、 足を運ぶもいずくんぞ路(みち)を知らん。
歩みをすすむれば近遠(ごんのん)にあらず、迷うて山河(せんが)の固(こ)をへだつ。」
(今あなたの目の前に現れているものが大道を示していると気がつかないと、いくら外を探し回っても目的地に到着は出来ません。答えは今ここ目の前にあるので、それを追い越して歩みを進めても道に遠くなるばかりか、迷っていつまでも身動きできなくなるぞ。)

どうぞ良いお年をお迎え下さい。