山門伝道掲示板 令和6年1月1日~  トップページへ

     
 4/15  「法王法如是」
一挙手一投足、仏のはたらき
 前回の従容録の第一則「世尊陞座(せそんしんぞ)」の続きです。「挙す世尊一日陞座、文殊白槌して云く、諦観法王法 法王法如是。世尊便ち下座。」 前回は「諦観法王法」で、その後に続く「法王法如是」を取り上げます。お釈迦様が法座に登られて、無言の大説法が繰り広げられました。文殊菩薩は、間髪入れずに、「お釈迦様が説かれた仏法の最高の教え、究極の教えは是の如し」と大声して、更にカチーンと槌を打たれた。という問答です。 

この「如是」ですが、禅学大辞典には「かくのごとし。このままこの通り。その解釈には種種の立場がある。」とされ、この場合は「印可を証明する語」として用いられています。

 この大辞典の「如是」の解釈が私には正直わかりにくかったのですが、秋野孝道禅師(1858 - 1934、曹洞宗大学・現・駒澤大学学長。總持寺貫首、曹洞宗管長。黙照円通禅師)の宝鏡三昧講話の「如是之法、佛祖密」の部分の解説がしっくりしたのでご紹介します。?『この如是についてはいろいろ古人の釋があります。~略~主峰宗密禅師は「聖人の説法は ただ妙を顕さんが為なり、ただ如を是と為す、故に如是と稱すと」いふて居ります。要するに如是の二字を以つて佛法は盡きてゐるのであります。~略~ 世界中一切の物は如是法の現成と申してもよい、つまり、如は形のない方をいひ、是は形のある方をいふのである、世界は本體の如と現象の是と離れたものではない、如の中に是があり、是の中に如があるのである。』とあります。

 この世の現象や形ある存在は、全て真如という目には見えない万有に偏在する根源的なはたらきとひとつであるというのです。ですから、目に見えるものだけに価値を置いたり、意味付けをすると、その背景にあるものが見えなくなってしまいます。目に見えるものの裏側にある「はたらき」に気がつくことこそ仏祖方が親しくきめ細やかに伝えてきた仏法の最重要点なのです。 

そこを般若心経では「色即是空、空即是色」と表現し、禅語では「明歴々露堂々」といって、目に見える大自然の姿、天地間の事々物々は、悉く仏のはたらきが現れたものであると説くのです。ですから、これから本番になる春も、この自分も、全てのものも悉く仏のはたらきがあらわれたものであるというのです。それを禅では特に「本来の自己」といい、それを明らかにしていく「己事究明」を禅の第一義として修行に励んでいくのです。 

また、「大学」という書物の冒頭にある「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親たにするに在り、至善に止まるに在り」(意訳:大学の道の第一は、自分が生まれつき持っている素晴らしい徳を発揮すること。その徳を人々にも及ぼして、それぞれの持つ徳を発揮できるように導くこと、そして、最高の善の境地に至って常に維持するように努めていくこと)はこの「如是の法」に気付き、社会や生活に活かし、さらに維持していくかを教えてくれますが、仏教でも儒教でも大切にしている世界は同じであります。 

さて、話を戻して、お釈迦様の無言の大説法も文殊菩薩の白槌も、その背景には大宇宙の大自然の法則、仏がはたらいています。今ここ、自分に、一挙手一投足にその仏のはたらきが現れています。この「世(せ)尊(そん)陞(しん)座(ぞ)」はそのはたらき「法王法である如是の法」「仏のはたらき」を見極めよ。そして発揮せよ。との文殊菩薩の力強い白槌の「カチーン」が時空を越えて今ここにまで響き渡ってきます。 ここで更に先ほどの「大学」の教えからさらに補足するなら、この如是法を発揮していくならば自らに止まらず、周囲にもその影響が及び、同じように法王法に目覚め、発揮していくようになっていくというのです。ですから、この「法王法である如是の法」を発揮している状態を維持していくことこそ仏道であるといえるのではないでしょうか。

 最後に、この第一則の頌古をご紹介します(宏智正覚禅師が簡潔に詩の形式で表わしたもの)。頌云、一段眞風見也麼、(一段の眞風見るや也たなしや)綿綿化母理機梭。(綿綿として化母機梭を理む。)織成古錦含春象、(織り成す古錦春象を含む、)無奈東君漏泄何。(東君の漏泄を奈何ともすることなし。)

意訳一段とずば抜けた純粋な真実の仏法である真風万物を生育する根源のはたらきは絶えることはない(朝から晩まで機(はた)を織っている)。それによって変わることのない無限のはたらき(古錦・如)と姿形(春象・是)がひとつとなって出来上がっているのが今ここ自分だ。釈尊の無言の大説法はまさに春の神様が春の景色を漏らし通しのように、いつでも何処でも、このことに目覚めよと、発揮せよと、説法し続けている(それを文殊菩薩がハッと気が付いたので、もうわざわざ言葉で説明する必要がなくなった)。
 4/1  「諦観法王法」

春の訪れ。本来の自己を見極めよ。 
 従容録(しょうようろく)の第一則にある曹洞宗では有名な禅語であります。中国の北宋の禅僧、宏智正覚(わんししょうがく)禅師(1091~1157年)が百則の禅問答を撰び頌を附けられたものです。その後に萬松行修禅師が、有名な雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)禅師(980~1052)が百則の禅問答を撰び頌を附けられ、後世に圜悟克勤(えんごこくごん)禅師(1065~1135)が垂示、著語、評唱を附けて提唱された碧巌録に倣って、示衆、著語、評唱を附けて門人の為に提唱されたものです。 

 その第一則に「世尊陞座(せそんしんぞ)」があります。「挙す世尊一日陞座、文殊白槌して云く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、法王法如是(ほうほうほうにょぜ)。世尊便ち下座。」 場所は霊鷲山であろうと言われています。お釈迦様の御説法があるというので、大勢の弟子達が今か今かとお待ちしていました。するとそこにお釈迦様が現れて、高座に上りお座りになりました。そこで微笑まれたのか、禅定に入られたのかはわかりません。とにかく一言もおっしゃられない。何を語られるか待ちわびていた周囲の弟子達を前に、文殊菩薩が進み出て、カチーンと槌を打って弟子達に告げました。「諦観法王法、法王法如是」  それを聞いたお釈迦様はそのまま高座を降りてしまわれた。という話です。 

 【諦観法王法】。「諦観」とは物事の本質を見極めること。「法王法」とは、仏法の最高の教え、究極の教えのことです。ですから、今ここに置いてお釈迦様の大説法が無言のうちに繰り広げられた、それをはっきりと見極めよ。との文殊菩薩が示しています。なおその後に続く【法王法如是】については次回説明させていただくことにします。 今お釈迦様が高座にのぼられたばかりで、まだ一言半句も説いていないのに、本来、法話が終わってから唱えるべきこの語を発せられたのにはどんな意図があったのでしょうか。そこで、この本則に対して示衆といって、萬松禅師がこの問答の大意を聴衆に示した文章を見ていきましょう。 

「衆に示して云く、門を閉じて打睡して上上の機を接し、顧鑑頻申(こかんひんしん)曲げて中下の為にす、那(な)んぞ曲碌木上(きょくろくもくじょう)に鬼眼晴(きがんぜい)を弄(ろう)するに堪(た)えん、箇の傍(かたわ)らに肯(うけが)わざる底あらば出で来たれ、也(ま)た伊(か)れを怪しむことを得ず。」
意訳:怜悧な優れた修行者には説くまでもないので門を閉じて昼寝していよう。他の修行者には本意ではないが、引き締めたり、緩めたりといろいろな方便を用いて、なんとか導いていこう。かといって、偉いお坊さんが曲碌という椅子に腰掛けて一喝・一棒を加えたりするような(そんな演技のような)真似はできない。もし、それでも納得できない者は出で来たれ。もちろん、その人を怪しむようなことはしないから。  

 毎朝坐禅・朝課、六時の梵鐘の後に寺から山側にのぼって三十分から約一時間散歩をすることが習慣になっています。夜が白々と明けていく時に、東の空は色が何層にも重なり、時々刻々と濃さを増していきます。そして、ある瞬間を境に一気に光が今度は薄く変化していきます。その時々刻々とめまぐるしい変化には、説明は全く必要ありません。言葉では言い尽くせない世界が展開しています。そして、そのような大自然、大宇宙の運行に接することで一日の生きる力が不思議と自分の中から湧いてきます。その時、理屈を超えた言葉では説明がつかないものが己の中にあることに気づくのです。  お釈迦様の大説法も同じです。大自然、大宇宙の丸出しです。ただ、その丸出しに気がつけるかどうか。もし気がついたら、お釈迦様の無言の大説法に感極まることでしょう。なぜなら大自然、大宇宙の姿は本来の自己そのものだからです。丸出しである本来の自己に出会えた、気付いたその瞬間は、歓喜や感激が沸々と湧き出して来るのです。

 さて、曹洞宗ではよく新しい住職が晋山式において本堂の須弥壇上に建って説法、問答をします。これを上堂と言います。その際に、白槌師と呼ばれるお役の和尚がそのはじめに「法筵龍象衆 当観第一義」(今から座上の和尚が法を説かれるから、今ここに集まっている龍象の如き大衆よ、各自、本当の仏法、本当の自分を観よ、究めよ)と注意を与えます。その後、法演があり、終わって、また白槌師が歩み出て槌を打ち鳴らし「諦観法王法、法王法如是」と唱えることになっています。

 次回は「法王法如是」を取り上げたいと思います。 

 3/15  「修禅定」
活力を養い、心を治める坐禅
  もうすぐお彼岸です。お彼岸とは春分の日、秋分の日を中日とした前後三日間(入りと明け)、計七日間であり、日本発祥の仏教行持であります。一般的にお彼岸というとお墓やお寺にお参りする先祖供養の期間と思われがちですが、本来は六波羅蜜という徳目を修める、仏道修行の一週間であります。
 禅学大辞典によると彼岸は「生死輪廻の迷いの世界を此岸とするのに対して、解脱涅槃の悟りの世界をいう」とあります。この彼岸に至ることを、「波羅蜜」といい、般若心経に出てくる「波羅蜜多」と同じ意味で、サンスクリット語の「パーラミター」を音写した語です。
 その修行には六つの徳目があり(六波羅蜜)は、この世にいながらにして彼岸に至るために実践すべき修行のことです。
①布施波羅蜜 ②持戒波羅蜜 ③忍辱波羅蜜 ④精進波羅蜜 ⑤禅定波羅蜜⑥智慧波羅蜜

 今回は五番目にある「禅定」を取り上げます。梵語である“禅那”を漢訳した「定」との組み合わせた梵語と漢語の合成語であり、一般的に坐禅と同じ意味で用います。また、静慮も訳されます。

 曹洞宗ホームページによると『曹洞宗は坐禅の教えを依りどころにしています。坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」となります。日々の生活を意識して行い、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方です。』とあります。坐禅を根本中心とした宗派ですので基本的には毎日修行をしております。

 また、お釈迦様の遺言である遺教経の中にも「八大人覚(大人・だいにんが目覚めていく八の修行項目)」の六番目として修禅定が挙げられています。

「若し定を得る者は、心則ち散ぜず。譬へば水を惜(おし)む家の、善く提塘(たいとう)を治するが如し。行者も亦た爾(しか)なり。智慧の水の為の故に、善く禅定を修して、漏失(ろしつ)せざらしむ。是れを名づけて定と為す。」

意訳:もしこの禅定の修行を続け保ち得たならば、心が散ったり、乱れたり、乱されることはない。譬えば水を大切にする家は、堤防をよく管理保全するようなものである。修行者もまた同様である。智慧の水を得るために、よく禅定を修めて漏失させることがない。これを名づけて修禅定という」

 先日私用で京都に出掛けました。所用を終えて時間があったので二十三年ぶりに臨済宗のある寺院に拝観に行きました。以前訪れたときにたまたまご住職が在院されていてお話を伺う機会を得ました。ご住職は全身に活力と気がみなぎって、ほんの十分ほどでしたが随分と元気と活力をいただいたものです。後にご住職は大変著名な和尚さまであると知ることになり、冷や汗をかきましたが、底の抜けた禅僧とはかくあるべきと大変印象に残りました。

 あれから二十年。さすがにもう、拝観のお相手はされてはおられないだろうと思って入ったところ、なんと、あの時と同じ場所に凜然と坐っておられたのです。それも英語で観光客の相手をされていました。さらに驚いたのは、そのお顔の張り、溌剌としたお声が当時と変わらず、それどころか、更に輝きが増しておられるようにお見かけ致しました。なんと御年九十二歳とのことで、今でも時間のある限り観光客のお相手をされているそうです。

 禅僧の生き様、底力を垣間見た思いでした。おそらく九十二歳の現在でも坐禅を日々継続、修行なされているに違いありません。その不断の坐禅によって「提塘を治むる」ように、禅定を養い、丹田に生きる活力やエネルギーを堤のように蓄え、智慧の水を散逸させないで、自由自在に治めておられているのでしょう。その禅定力によって九十二歳の今でも参拝者や観光客に元気を与えておられるのだと拝察致しました。

 最後にその和尚さんの「今こそ出発点」という言葉を紹介します。いつ聞いても、生きる勇気が湧いてきます。今にもご住職の声で聞こえてきそうです。

「今こそ出発点」

人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶことなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう
わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る
 3/1
 「桃花笑春風」桃花春風に笑(え)む
人の世は変わっても、春は変わらずやってくる。
 桃の節句の頃の軸物です。桃の節句といえば三月三日ですが、特に信州では四月を過ぎないと咲きません。よく子どものころ春休みに母の実家である東京に行くとき特急あずさの車窓から、山梨に入ると一面の桃花が見えました。今でも卒業と進級のシーズンとこの桃花の淡い紅色が重なって思い出されます。
 この「桃花笑春風」は中国の唐の時代に活躍した、崔護(さいご)の漢詩「人面桃花」の一節をから、『依旧』の二字を省いて五字にしたものです。次のような恋の物語の中に出てくる言葉です。
※「笑」は「咲」と表記してある場合もありますが、どちらも「えむ」と読みます。

 崔護は清明の日(二十四節気 毎年四月四日前後)都城の南の郊外にある桃の花咲く人家を訪ね、門を叩いて飲物を求めたところ、美しい娘が厚遇してくれました。それが忘れられずちょうど一年後の清明の日に、再びその家を訪れると門が閉じていて逢うことができなかったので、崔護は詩を門の左扉に次のように書きつけました。

去年今日此門中  去年の今日、此(こ)の門の中
人面桃花相映紅  人面桃花相い映じて紅なり
人面不知何処去  人面は知らず、何処にか去る
桃花依旧笑春風 桃花旧(ふるき)に依(よ)り春風に笑(え)む

意訳
ちょうど一年前のこの清明の日、この門の中であなたと出逢った。
あなたの頬に庭に咲いていた桃の花の淡い紅色が映って美しかった。
しかし、一年後に訪れてみると、あなたの姿は此処にはない。いったい何処に去ってしまったのだろうか。
ただ、庭には桃花が昔と同じく春風を受けて咲きほころんでいる。

 すべての存在は移り変わってやみません。命は露の如しといわれますが、人の姿や世の中は歳月に流されて一瞬たりともとどまることはありません。しかし、私たちは日常の中であまり大きな変化に遇うことはあまりありません。例えば、畳の一日の見た目の変化に気が付くことはありませんが、一ヶ月、一年と経つと、そのあせた色がはっきりと区別できます。ということは、人間の視覚では認知することはできなくても、たった一日でも、一秒でも確実に変化をしているわけです。ただ、人間にはその変化が目でわからない故に、この自分や相手という存在あるものは実体のある存在、変わらないものと錯覚してしまっているのです。

 この詩の最後の「桃花旧に依り春風に笑む」は、その変化に裏には、変わらない大自然の法則があることを詠っています。これは中国最古典の易経の三義である、不易・変易・易簡で説明ができます。「変易」宇宙万物はいつも変化しつつあり、季節も春夏秋冬と変化し続けています。その変化の流れのなかで、私たちは生きています。人間社会も例外ではありません。その変化は一定の変わらない法則でなりたっています。春夏秋冬の循環も一定です。これを「不易」といいます。そして、その法則はシンプルであって簡単であるとするのです。陰と陽の繰り返し。プラスとマイナスが法則通りに現れているというのです。これを「易簡」といいます。

 形あるものは、刻々と変化を繰り返し、人は必ず死を迎えます。「愛別離苦」といって、愛するものでも必ず別れが訪れます。特に毎日ふれあっていた存在が、目の前から居なくなる。その時に如何ともしがたい悲しみに襲われます。世の無常を感じるときです。道元禅師は学道用心集の中で「唯世間の生滅無常を観ずるの心も亦また菩提心と名づくと」その時こそ本当のことに目覚める時だ。菩提心、本当のことを求めていく心、道心を発すときだと示されています。

 崔護もきっと変わらない美しい娘さんが居ることを期待してちょうど一年後に訪れました。期待は裏切られたわけですが、桃花が春風に微笑んでいるかのように咲きほころんでいる姿にハッとさせられます。娘さんの本当の命、不生不滅の命は何処にもいっていない。桃の花と一緒に今ここに咲きほころんでいるとも読み取れるのです。

 三月は別れの季節。

「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ。」行基 
たとえ、悲しい別れであっても、その相手は、今ここ、大自然、すべての中にはたらき続けている。その変わらない命に目覚め、今ここ自分を尽くして生きることによって、本当の意味で自分も相手も活きてくるといえるのではないでしょうか。

 2/15  「不滅」
仏は説き続けている。
 二月十五日は今から約二千五百年前のお釈迦様のご命日です。涅槃の語源は古代インドのサンスクリット語「ニルバーナ」で、貪瞋痴(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒煩悩の火を吹き消すこと、吹き消された状態をいいます。
 なお、お釈迦様は生前に肉身を有する状態でお悟りを開かれました。この肉身のまま、涅槃の状態に入っていることを「有余涅槃」、お亡くなりになって肉身を滅した状態のことを「無余涅槃」と言い、涅槃の状態を生前・後で分けています。
 全国の各寺院では、二月十五日(月遅れで三月に行う場合もある)にあわせて涅槃図を掲げます。インドのクシナガラの沙羅双樹のもとで、今まさに涅槃に入られようと頭を北に向け、右脇を下にお休みになっているお釈迦さまが中心に配置されています。その周りを菩薩や、天部の神々、鬼神や夜叉や多くの弟子達、動物たちが取り囲んで悲しみにくれている様子が描かれている絵であります。その涅槃図に向かって最後の教えが説かれた「遺教経(ゆいきょうぎょう)」を読誦して報恩の供養を行います。これを涅槃会といいます。
 お釈迦様は亡くなられ、荼毘に付されたので、肉体としてお釈迦様の命は尽きてしまったので、この世にはおられませんが、法華経の第十六に如来寿量品というお経の中には、後述しますが仏の教えやはたらきは不滅であると説かれています。

 梅花流御詠歌の大聖釈迦如来涅槃御詠歌に「不滅」という曲があります。
「ひとたびは 涅槃の雲に いりぬとも 月はまどかに 世を照らすなり」 

この歌は曹洞宗の御詠歌の制定に尽力された久我尚寛老師が作詞されました。
 命がつき、入滅なされたお釈迦様の不滅の教えと、そのはたらきを輝く月になぞらえています。前半の歌詞は、月が雲間に入ってその姿が見えない状態、これは私たちの心を現しています。雲とは貪瞋痴(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の煩悩にたとえるとわかりやすいかと思います。私たちが貪瞋痴によって心が曇っていることに気づいて、修行をしていくことで心が澄み渡ってくると、実は既に、いつでもどこでも仏のはたらきによって照らされていたことを覚るのです。
 前述の法華経如来寿量品には次のように書かれています。「わたし(釈尊)はすべての存在を救おうとするが為に、方便として入滅したのであり、ほんとうは常に、今此処において教えを説き続けているのである。わたしは常にこの世に現れていますが、神通力によって迷っている人々には、姿を見せないようにしているのです。人々はわたしの死を見て、わたしの遺骨を供養し、わたしを懐かしく思い、慕い敬う心を起こしました。人々が信仰心を起こし、心が素直になり、仏に会いたいと願い、人々はわたしの入滅を見て、もう一度仏に逢いたいという渇仰の心を募らせ、命をも惜しまない強い気持ちを持つようになれば、その時わたしは弟子達と一緒に霊鷲山に現れるであろう。」とあります。
 昨年の十二月一日から七日までの釈尊成道の臘八接心会の時、坐禅の前に毎朝暁天の空を仰ぎながら歩いていました。日を追う毎に、お釈迦様も同じようにこの星空のもと坐禅をされたのだという想いが募ってきました。すると、もちろん実際にお釈迦様に逢ったことはないのですが、不思議と懐かしさが湧き出てきて、今此処にお釈迦様と同じ空間を共有しているような気持ちになりました。そして、特に八日の朝は嬉しさいっぱいに包まれたのです。一週間の坐禅を通じて心の奥底でお釈迦様のお説法が私に届き、照らされていたのかも知れません。そのとき「接心」とはお釈迦様と心を接するという意味としても受け取ることができました。

最後に道元禅師の「涅槃会」と題する偈頌を紹介します。

鶴林(かくりん)月落ちて暁(あかつき)何ぞ暁(あ)けん
鳩尸(くし)花枯れて春も春ならず
恋慕(れんぼ)何為(いかんせ)ん顛狂(てんきょう)の子
紅涙(こうるい)を遮(さえぎ)って良因を結ばんと欲す

私訳

沙羅双樹が白鶴のように真っ白に枯れた釈尊入滅の時、月が西に傾き、真っ暗闇のまっただ中。
入滅の地クシナガラは、春だというのに花枯れて悲しみの中にある。
それは釈尊への恋慕の念は取り乱した子どものようだ。
悲嘆にくれて流す涙を何とか遮って、釈尊の教えに従って良い因縁を結ぼうと仏道修行に邁進しようと心に誓う。

 2/1
 「雪裏梅花只一枝(せつりのばいかただいっし)」
寒雪の中で微笑み、逞しく咲く梅花。真の生き方。

 正法眼蔵梅花の巻にあるこの有名な句は、道元禅師のお師匠である天童山の如浄禅師の詠まれた偈頌にあります。
「瞿曇打失眼晴時 雪裡梅花只一枝 而今到處成荊棘 却笑春風繚乱吹」
『瞿曇眼晴(ぐどんがんぜい)を打失する時 雪裏の梅花只一枝 而今(にこん)の到処に荊棘(けいきょく)と成ず 却って笑ふ春風の繚乱(りょうらん)として吹くことを』
意訳:釈尊の心の眼(悟りの世界)から見ると、寒雪の中咲く梅花の一枝に真理が現れている。今見渡す限りの茨や棘といった妨げの場所にあって、春風が微笑みながら入り乱れて吹いていることこそ真理の姿である。

 この師匠如浄禅師の偈頌に対して道元禅師は次のように示しています。
「雪裏梅花は一現の曇花なり。ひごろはいくめぐりか我佛如來の正法眼睛を拜見しながら、いたづらに瞬目を蹉過(さか)して破顔せざる。而今すでに雪裏の梅花まさしく如来の眼睛なりと正傳し、承當す。」

意訳:雪の中に咲く梅花は仏のたぐいまれな教えである。日頃は幾たびか私の中にある仏・如来の一番肝心な眼「雪裏梅花」をみていながら、いたづらにお釈迦様の拈華瞬目をあやまってやりすごしてきた。今や「雪裏梅花」こそ如来の眼そのものであったことが、はっきりと頷くことができた。

 この梅花の巻は道元禅師が四十四歳の時、二十年前に中国の南宋に渡って、やっとのことで巡り会った正師の言葉を懐かしく思い出すとともに、今「雪裏梅花」を目の前にして師匠の境地がはっきりと明らかになった悦びが伝わってきます。

 ここ諏訪地方は県内屈指の寒冷地であり、まだまだ梅が咲くような季節ではありませんが、この極寒の中にあっても梅はコツコツと花を咲かせるために精一杯命を燃やして生きています。もちろん梅だけではありません。毎朝散歩をするとアスファルトの隙間から草が霜に凍りながら生えているのをみます。寒さに耐えているというよりも力強さと逞しさがみなぎって、寒さを吹き飛ばしているように感じます。そんな霜まみれの草に朝日が差し込むと、まるで微笑んでいるかのような輝きを放っているようでもあります。また、近くの凍てついたため池には鴨が多数飛来していますが、これもまた寒さをエネルギー・元気に転換しているかの如く、活き活きと、まるで楽しんでいるように見えることがあります。

 どんな環境にあっても我を忘れて本分を尽くすことに専念しているとき、寒さすら生きる力に変え、悦びとする世界を雪裡梅花は教えてくれているようです。


 同じく正法眼蔵の現成公案の巻の冒頭に
「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。」とあります。私事ですがヨーガの教室で、身体の硬い箇所を伸ばすときなど、頭から全身まで「痛い」世界になることがあります。痛い世界になりきってしまったその瞬間、悩みや悟ろうとする心も何もかも吹き飛んで“それのみ”になった経験があります。

 この「痛み」を「苦しみ」であると自分の意識が勝手に結びつけて考える癖や意識があります。「寒さや雪」イコール「苦しみ」と勝手に思い込んでいるだけなのではないでしょうか。実は「寒さや雪」は私たち活き活きさせるものでもあり、生かしめている大いなる宇宙のはたらきであり、そのはたらきによって「花が咲く」という結果となって現れている。即ち「寒さや雪」イコール「花が咲く」。私たちの生活に譬えれば、悩み苦しみにあっても、微笑みながら力強く生きる姿こそ真実の世界であり、真の生き方なのかもしれません。
 1/15 紅爐上(こうろじよう)一点雪(いってんのゆき)
厳寒時こそ、何事も汗を滲み出して取り組む。
 碧巌録(へきがんろく)第六十九則「南泉圓相」の垂示に記された禅語です。一般的には「紅爐一点雪」の五字に縮めて茶掛けに使われます。

 燃え盛って紅色になった炉(または、紅蓮の燃え盛っている炎)に、一片の雪が舞い落ち、瞬時に蒸発し跡形もなくなっている様子を現しています。

 「紅炉」を心が燃え盛り智慧の光を放っている状態とみて、ひらひらと舞い落ちる一片の雪を私たちの煩悩、迷妄、苦悩と捉える見方です。自らの本来の姿・使命に目覚めて今ここに汗を滲み出すほどの熱量を込めて生きていると、余計な欲望や迷い苦しみが急に現れても、跡形もなく消え去るということです。

 禅宗の僧侶は毎朝坐禅を四十分行いますが、曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」であります。よく誤解を受けるのですが最初の「只」だけの意味をとって「ただ坐ればよい」と平易に解釈をしてしまう傾向があります。禅語大辞典にもありますが「只管」は「ひたすらに」「余念を交えずに」とあり、この余念がない状態というのは極度の集中状態であり、まさしく「ど真剣」であります。安谷白雲老師は著書の中で「本当に只管打坐を実行すると、厳寒の折でも汗がにじみ出るほどのものである。~中略~ だから、うっかりさわると、火花が散るとでもいったような緊張ぶりで、只管に打坐するのである。それをつづけると、自然に本来の仏に帰る。」と示されています。まさに自分自身が紅炉になって火の玉になって坐り、作務(作業)、事務仕事であっても同じような熱量をもって取り組むのです。

 そのように熱量をもって取り組んでいる姿は一見してわかります。私たちも熱せられたヤカンと冷めたものは触わらなくても何となくわかるものです。本人には自覚はなくても熱せられた紅爐からほとばしっている熱量が伝わってくるからでしょう。坐禅も後ろ姿を見れば一目瞭然です。安谷老師が言われるようにド真剣に坐っている姿にうっかりさわると電流で火花が散るかと思うほどです。

 さて、この禅語には有名なエピソードがあります。

 それは有名な武田信玄と上杉謙信と川中島の戦いで、朝靄がまだ晴れていない間に、上杉謙信が単騎で武田軍の本陣へ攻め入り、作戦を練っていた信玄に一太刀を浴びせようとした時の話です。

上杉謙信「如何なるか是れ剣刃上の事(今まさに斬り殺される心境はいかがか)」と問い、刀を下ろしました。
そこでとっさに武田信玄は『紅爐上一点の雪(その刀はひとひらの雪のようなもの、瞬時に跳ね返す。斬られるものなど何もない)』と答え、持っていた鉄扇で謙信の刀を振り払ったとされます。

 「甲陽軍鑑」によると信玄は、甲斐の長禅寺の開山岐秀元伯禅師(得度の師として「機山信玄」の法名を与えた)に就いて「碧巌録」を七巻まで参禅したといいます。戦場にあって練り上げた禅の境界が祖録を通じてとっさに口をついて出たのだと思います。信玄と謙信のこのど真剣同士の逸話は後世に語り継がれています。

 最後に碧巌録第六十九則の垂示を紹介します。

啗啄(たんたく)の無き処、祖師の心印、状(かたち)、鉄牛の機に似たり。
荊棘林(けいきょくりん)を透る衲僧家、紅炉上一点の雪の如し。

意訳:言葉も及ばない、歯が立たない祖師方の悟りの世界は、まるで大きな鉄で鋳た牛のようにびくともしない境界である。

その境界即ち、生と死の一大事を透過するすぐれた修行僧は、いつでもド真剣そのものだ。

 
 令和6年
1/1
和気兆豊年 
和気豊年を兆(きざ)す

和やかさこそ良い年の兆し。
新年を迎え、この一年の平穏無事を誰もが願い祈っておられることでしょう。

 この禅語は正月や節分など年始めに、五穀豊饒や天下泰平などを祈って床の間にかけられるお目出度い禅語のひとつです。出典は南宋末の禅僧、虚堂(きょどう)智愚(ちぐ)(1185-1269)の語録「虚堂録」にあります。

只だ万乗の帝君の如きは、深く此の道を信じ、遠く御香を降して、瑞雪を祈求せしむ。祷に応ずる一句、作麼生(そもさん)。師云わく、和気豊年を兆す。僧云く、与麼(よも)ならば則ち化育(けいく)を逃れ難し。師云く、恩を知る者は少くなし。

【私訳】
僧:皇帝はめでたい印とされる雪を求めて祈るが、このことについてお示しください。
師:季節の順当に移ることがめでたい年の兆しである
僧:それでは自然のはたらきから人間は逃れることはできないではないですか
師:自然のはたらきの恩恵を知るものは少ない。

 「禅語字(じ)彙(い)」には、「五風十雨(ごふうじゅうう)は豊年の兆なり」とあります。「五風十雨」は五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る意から、世の中が平穏無事であるたとえであり、気候が穏やかで順調なことで、豊作の兆しとされています。

 ですから、一般的に「和気」を季節の順当に移ることとしています。私はこの問答に更に意味を加えて、人々の心が和やか、穏やかであれば、それこそめでたいことであるという意味も含まれているのではないかと思います。

 「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」と孟子にありますが、どんなに天候など絶好の機会を与えられ、地の利や条件があっても、人の和にはかなわないというのです。どんな逆境でも皆が一致団結して対応すれば、困難も必ず克服できるということです。「和気」をこのような広い意味に受け取ってみたいのです。

 そうすると後の問答も意味合いに幅が出てきます。「自然のはたらきだけでなく、人間関係の影響からは誰も逃れられないではないか。」「自然が順調であって、さらに人間同士が仲が良いことの恩を知る者は少ない」と受け取ることができます。

 昨今は気候変動が著しく、人間活動によって排出される二酸化炭素の増加に伴う地球温暖化がますます進んでいます。また、ウクライナやイスラエルの戦火も終わりが見えない混沌とした時代です。人間の進化は気候だけでなく、人間同士の在り方も問われているのではないでしょうか。

 この一年をより良いものにしていくための秘訣はこの「和気」ではないかと思いますし、まず身近なところから「和気」ある生活をしていきたいと思います。