沿革
 
諏訪大社の御射山神社(通称原山さま)で知られる御射山神戸の中心に現在は建ちますが、以前は入笠山の中腹牛首の尾根を登っていったところにあり、現在でも寺林という地名が残ります。時は文明十八年(1486)時代は室町後期に四賀桑原のに祖峰という僧がいました。日頃信仰が厚かった薬師如来と守護神十二神将が三度夢に現れ「汝すべからく東方御射山の幽邃(すい)なる地に登るべし」とのお告げを受け入山したといわれています。
 この約五十年後の享禄元年(1528)に神戸は諏訪頼満と武田信虎が争う堺川合戦の主戦場となりました。こうした戦乱を経て慶長十年(1610)に甲州街道が開通し江戸から四十八里の塚も設けられました。それと共に瑞雲寺も観山和尚の時代寛永十三年(1636)牛首から一里塚近くの神澤に移り、やがて、堂宇を三度目の場所の現在地に貞享五年(1688)智音和尚代に動かしてきました。
そして、正式な曹洞宗の寺院となるために安永五年(1776)六月十日頼岳寺十三世提山見全大和尚の勧請開山、諏訪藩二の丸家老を開基に新たに出発しました。その時、祖峰和尚以来の薬師如来を隠寮にお祀りし薬師堂とし、以後、二世香牛和尚の帰崇者により寄進された釈迦牟尼如来を御本尊としました。以来現在まで住職は十一代続いています。
 平成十三年には前立厄除十一面観世音菩薩、翌十四年には六地蔵尊、般若十六善神、同十九年には三面出世大黒天と仏祖縁が益々広がりをみせています。