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water life & responsibility  のページ
 

水のある生活と自己責任社会に興味のあるかた向けの意見論文を掲載しています(現在以下の2編)
 

1.安全第一国家日本で、厳しさ教える川を見直そう (日本河川協会「河川文化」掲載)
2.リスク空間とキャンプ事故と不知火高潮       (〃)

目 次

1.安全第一国家日本で、厳しさ教える川を見直そう 

□ はじめに(ひ弱な子供と力強い中年)
□ 川のもつ多くの面とのつきあい
□ 水辺の楽校は楽しさばかりでよいのか
□ 安全第一の都会の中で河川は唯一の自己責任エリア
□ 川から人を遠ざけるもの、フェンスと柵の大きな違い
□ 人工河川の「フェンス」と管理責任
□ おわりに

2.リスク空間とキャンプ事故と不知火高潮
■自己責任社会と河川管理(再論)
■玄倉川キャンプ事故とサバイバル術
■不知火町の思いがけない高潮災害
■想像力不足の反省事例

安全第一国家日本で、厳しさ教える川を見直そう
 

□ はじめに(ひ弱な子供と力強い中年)

 現在の日本が昔と比べ、あるいは世界の他の国と比較してどこが決定的に違うであろう。これは海外旅行をしてみればすぐわかることだが、日本が世界でもっとも安全な国だということである。事件・事故の面でも健康面でも。安全になっているのでなく、みなが努力して安全にしている。安全が国是同様になっている。
 
 一昔前太平洋戦争を戦っていた時代は、戦地ではもちろん、内地でも空襲により命を失う恐れが十分にあった。戦後でも、病気、栄養失調など身体に重大なことが普通のようにあった。それが、半世紀の高度成長時期に経済的に余裕が出た結果、以前の悪夢のような状態だけはいやだということで、安全第一を指向してきたのではないだろうか。

 記憶に新しい、O−157騒動があった。生野菜あるいは牛肉ハンバーグなどが疑われたが、対策は何しろ安全第一で、調理場の完全殺菌と食品調理で熱を通すことの徹底だった。

 細菌が完全に死滅すればその場は問題なくなるが、無菌状態にされた子供たちは、次の外界からの新たな攻撃にますます無力になってしまう。精神面でも過保護といじめに弱い心とは因と果になっているのだろう。これらのことからは、か弱いものを守れば守るほど危なくなるということになる。何という皮肉なのだろうか。

 そのような今の子供の状態と比べ、中年以上の世代の、O−157にうち勝つ腸内細菌の多様さと、昔貧しい家庭に育った経験からの精神の強靱さは良い対照をなす。安全でない時代を生き抜いてきた経験が現在のたくましさをもたらしている。

 その中の一つに川で遊んだ思い出がある。大部分はよい思い出だが、危ない目にあってひやりとしたこともあったろう。川遊びから、世の中には危険なことがままあり、危ない目にあってもそれから生き抜く知恵を体得していくのである。いわば川は人生の厳しい面も教えてくれる。これも河川の文化の一つであろう。

□ 川のもつ多くの面とのつきあい

 川はその時代の人間が生活する上で、都合の良い面をとらえて、利用されてきた。原初から川との関係が密接だったのは農業である。河川の氾濫域に水稲栽培がされ、豊水期に稲が生長し、渇水期に合わせて収穫がされる。稲の生育の一年のサイクルがうまく回っていた。これは今でも東南アジアなどでみられる河川氾濫水利用農業の例だが、河川の流れの中での自然生活だったとも言える。

 ただし、この方法だと、その年の流況(氾濫水位)の変動に収穫量が大きく左右され、さらには平野を網の目のように流れ又それも洪水ごとに変化する流路では収穫ができないので、農業も原始的段階にとどまらざるを得ない。そのため、江戸時代の新田開発等の農業開発の過程で最大の事業は、大河川の流路を固定することだった。堤防を構築することにより、河川の流れを堤防内に閉じこめ(最初は輪中堤から始まったので、堤防外と言うべきか。また霞堤の工夫もあったので、堤防はつながっていなかった)、用水は旧河道部分の堤防に樋をもうけ、必要な量だけを取水すればよくなる訳だから、これ以降、この土の堤防を洪水から守る治水の活動が始まる。ひきかえに河川と生活の間に堤防という障壁が出来たことになる。

 それ以降でも、川の流れに舟を浮かべひとものを運ぶという、川とのつきあいは続いた。舟運が盛んになるにつれ、そのための河川工事がなされるようになった。江戸時代後半から明治時代のごく初期にかけて、大河川の低水工事が盛んになった。これは、経済の全国化に合わせ、物流手段としての河川舟運を活発にするため、水量の少ないときにも水深が保てるよう、水制を岸から出すことにより低水路巾を縮める方法だ。

 その後陸上交通の時代となって、交通路として期待されなくなると、人々の関心は完全に河川から離れ、川の役割は単に洪水をうまく流し、あるいはいつでも必要な水をとることが出来る機能のみとなった。それも、人々の生活が豊かになり、沿川の都市機能も高度になると、洪水、渇水の被害は絶対に許容できるものではなくなり、堤防は連続化され、丈夫になり、治水、利水のダムも多く造られるようになった。危険な自然現象は川の中だけのことであり、極まれにしか人々の居住空間に災害が及ばないとなると、以上のように、水の多いとき少ないとき、川との密接な関係で生きてきた人々の意識の外に川が行ってしまうようになる。

 しかし、川が安全になると、人々は川に戻るようになる。そこには自然があり、又過密な都市地域では残された大きなオープンスペースであることに気がつくからである。今回の河川法改正では、「川の365日」ということで、洪水、渇水の異常時以外の平常時の河川の機能も重視し、それはどうあるべきか、という視点で川づくりをすべきだ、という方向になっている。

 しかし、ここで忘れてならないのは、それだけの「自然の」「オープンスペース」が残されているのも、いざとなれば洪水を流す空間が必要なので、洪水時以外の大部分の期間は空いていても、都市的利用などの開発行為が不可能だからだ。

 このことを現在の日本人の都合である「安全第一」で考えると、大きな落とし穴となる。通常、穏やかな河川空間だから、箱庭的な絶対の安全性を求めることになりがちだが、洪水流下空間だからそれはどだい無理なのである。

□ 水辺の楽校は楽しさばかりでよいのか

 水辺の楽校づくりの制度がある。水辺を利用しやすいように整備し、子供たちが楽しみながら川を理解できるようにしたい、とするものだ。本物の学校では苦しいこともあるが、水辺こそは楽しみながら学習できるものにしたい、という気持ちが表れたネーミングだ。

 しかし、河川をすべて理解するということには、河川はときには洪水、渇水の被害ももたらすことがあることを学ぶことが必要で、河川の自然も、箱庭の公園のようなものだけでなく、場合によっては、恐ろしい危険な面ももつことを学ばなければ片手落ちである。

 水辺の整備というと、どうしてもこれら河川の危険な面を完全に除去し(結果的に隠し)、見せかけの安全性だけ残すような気がして心配だ。

 アメリカの文豪マーク・トゥエインの名作で「トム・ソーヤーの冒険」がある。ミシシッピー河中流の中州地帯で腕白坊主達が冒険をする物語だが、川遊びの達人である主人公トムの中州の小島での自然生活にあこがれ、小さい頃ワクワクしながら読んだ記憶がある。自然の河川には危険な場所がたくさんあり、それらを学びつつ少年なりに克服して冒険をする、というのが子供の感性に訴えるのであろう。川を筏で渡るとき、まず岸沿いに上流に筏を導き、それから流れに乗りながら斜め下流に対岸に渡るというテクニックもあったが、これも川の流れの特性、危険性を熟知したトム・ソーヤーならではだろう。当時のアメリカはフロンティア精神の時代だったから、子供の頃河川から学んだ冒険心が大きくなっても役に立ったことであろう。日本では河川を楽しむだけにしているが、アメリカと比べ少し寂しい気がする。

□ 安全第一の都会の中で河川は唯一の自己責任エリア

現在金融関係の改革の中で、自己責任の原則の徹底が言われている。数多い金融商品の中にはハイリスク・ハイリターンのものもあるが、その危険性を今までの護送船団の考えでいざというとき他人が保護してくれると考えるのでは駄目で、あくまで自己の考えで投資し、うまくいけば大きな利益を得るが、場合によっては失敗することもある。そのことを理解して自分の行動は自分の責任で決めなさいということである。

 河川も同じで、平常時の川でも、洪水が流れる空間には深い淵も隠れ残されているし、残されている自然の中には人間に危険な動植物がひそんでいるかもしれない。ハイリスクでないにしても、リスキーな空間であることは間違いない。河川以外の都市空間では、努力すれば限りなく安全にすることが出来る。しかし唯一河川だけは安全第一にはならないのである。

 それでは川には行かないようにしようというのでは、河川に期待する都市機能の大きな部分が欠落してしまう。各人の考えで、危険を承知で川をうまく利用しようというのが、賢明な方向だ。このことにより、現代の人間に欠落しがちな、自己責任の原則を思い出させてくれる。

 子供が川で事故に遭うかもしれない、という理由もあるのか、学校ごとにプールが整備され、監督教師の監視・保護のもと水泳を習うようになった。競技のための水泳は上手になることは確かだ。加えて、川の自然の中でプールの中でと同様の安全性で泳いでみたいとの願望から、「河川プール」という名の人工河川化がはやった。水流をせき止め、湛水する場所の底はコンクリートなどで平らにするのだから、これ以上の河川人工化、自然破壊はない。

 プールのコースに沿った泳ぎは上手になり、そのうちのエリートはオリンピックに行けるかもしれないが、川の自然の流れの中での泳ぎは出来ないままである。スキーで言えばゲレンデでは華麗なターンができるが、林間の自然の雪に出会うと、からきし駄目になるのと類似している。そのうちオリンピック競泳選手が川でおぼれたという笑い話になるかもしれない。

□ 川から人を遠ざけるもの、フェンスと柵の大きな違い

 川で子供がおぼれ死んだりすると、日本ではその反省から、子供が川に行かないように教室で指導するよう、教育委員会の通達が出たりする。はなはだしいのは、川に入れないように柵をしてしまえという主張が飛び交う。子供のことといえ、自己責任原則と全く反する主張だ。

 筆者が杜の都仙台で河川管理の仕事をしていたとき、街なかの小河川で子供が溺れ死んだ事故があった。筆者は事故後TVの記者からインタビューを受け、「川に柵をして子供が入れないように、なぜしないのか?」と真面目顔で聞かれた。また、深さ2メートルぐらいの淵で溺れたのだが、「なぜ淵を埋めないのか?」と詰問もされた。

 人の命が万全であれば、他のことはどうでも良いという、安全第一国家日本の代表意見である。淵が出来ることが川の自然の姿であることと、川に子供を入れないことより、子供に川での危険を学ばせることが本筋である、との当方の主張は、安全第一に凝り固まった相手とは、空しい平行線に終わってしまった。

 その小河川は都市河川特有の切り立ったブロック護岸で整備されていた。そこには川沿いの道路から川に誤って転落しないよう、ガードレール状の「柵」は必要である。これは「転落防止」の機能であり、子供が侵入しないようにもうけられるものでない。「侵入防止」機能なら背の高い「フェンス」が必要になる。この記者をはじめ、世間の常識は、「フェンス」の中途半端なものが「柵」だと思いこんでいるフシがある。その代表は公園の花壇に巡らされている柵だ。それらは看板に書き示された立入禁止の具体的境界を利用者に教えるものである。この柵では物理的な侵入防止の機能までは無理だ。これを完璧さにこだわり「フェンス」に替えたら、花壇の景観は台無しになる。

 この(侵入防止)柵と転落防止用の「柵」とを混同しているのである。私に言わせると、「柵」がある場所は、うっかりしていると危険なので、よく注意してその「柵」を乗り越え(安全に河原に降りられる場所を探して)、自己責任で河川を利用すればよいということになる。

□ 人工河川の「フェンス」と管理責任

 「フェンス」があるのは、用水路等の人工河川である。水路はもとからあったものでなく、或る目的のために開削したものであるから、親水利用等の沿川のためになるかどうかは考えなくて良い。第一、水深があり、流速も速いので、親水利用していて、誤って落ちたら大変危険である。水質保持のこともあり、ひとを近寄らせない方がよい。

 ただ、水の流れを見るだけだったら、この用水路も立派な川の機能を持ち合わせている。滔々と流れる水を眺めるのも素晴らしいことで、その景色をフェンスが邪魔するのはどうであろうか。

 もしフェンスを柵(この場合は侵入防止柵)に替えるのであれば、沿川の親は「子供」に、「用水路は落ちたら危険だから、柵の向こうに入らないように」と教えれば、本人も死ぬのはいやだから必ず守られる。道路の危険を避けるための横断ルールを守るのも同じことからである。教えの言葉を理解しない「幼児」は保護者が離さないことである。幼児を放せば、川に限らず、トラックの行き交う幹線道路など(これらにフェンスを巡らすことは出来ない、フェンスが設置できない場合、管理責任は問われないという変な常識がある)世の中には危険な場所に事欠かない。入水自殺防止にはフェンスは大した役には立たない。

 事故が起きると、その施設の管理責任がよく問われることになる。しかし、フェンスに穴があいて、それを修理すべきなのにしていないとき、そこから侵入した人が水難に遭った場合問題になるのであって、そのフェンスがもともとなければ(フェンスという施設の)管理責任は最初からあり得ないことになる。一方、柵を越えて侵入した結果の事故であれば、越えたのは故人の意志によったものかどうかを争えばよい。意志に反し誤って越えてしまうような構造のものでない限り裁判には勝てる(というのは、言い過ぎで、安全第一国家日本では、危険施設管理者は事故防止のために可能なことを100%行わないと責任問題になる、と言わざるを得ないのは、自己責任社会を構築しなければならない考えからは、大変残念だ)。

□ おわりに

 本誌のテーマである「河川文化」にもいろいろな切り口があるが、そのごく一部である「河川のもつ危険性とそれへの対処(文化)」の(日本特有の)社会的対応のあれこれについて思うところを書いた。

 それら社会的対応について、世間「常識」と正反対の意見を遠慮を加えずに述べたが、河川は万人が利用するものだけに、百家争鳴でよいのではないかと思い、この一文で一石を投じたつもりである。
 

安全第一国家日本で、厳しさ教える川を見直そう(終わり)


リスク空間とキャンプ事故と不知火高潮


■自己責任社会と河川管理(再論)

 昨年12月の本誌(第4号)に、「河川文化」の一側面である安全の考え方について拙論を展開したところ、多くの方からコメント等を本誌上でいただいた。それら大部分は(私の論も同様)経験論的な観点からのものだったが、前号の三本木教授の「親水利用と危険責任再考」は他国の例も引きながらの理論的なもので、あわせて大変参考になった。誌上を借り、皆様にお礼申し上げるとともに、今後議論が更に展開することを切望したい。

 さて、議論の進展のなか、私の問題提起に関し整理すると、まずは河川利用者に危険の可能性あるいは危機回避のための知識を提供した上で、各自の責任のもと(場合によっては「スリリング」(三本木教授)にもなる)利用をしてもらうべきではないか、というのがこれまでの意見の大勢だと思う。ここで皆様に再び問いたいのは、残る議論すべき大問題である「フェンス」の考え方だ。危険を知らせるなら、標識でもサイレンでも、安全「柵」でもよいわけである(これらは当然必要最小限にすべき)。「柵」には誤行動による事故防止の機能もある。それらに対し、「フェンス」は、「リスク判断は利用者自身によるのでなく、管理者が決め、それを強制する」という意味の構築物であり、一方で管理者が近年目標とする親水利用の幅広い推進と相矛盾するものだ。相次ぐ敗訴判例により管理者側から「仕方がない」とのあきらめの声が聞こえそうだ。これは裁判も時々の社会の意向と無関係であり得るはずがなく、「安全確保は管理者に第一の責任がある」と大部分の国民が思っているからではないだろうか?何か事件が起きると(明白な犯人不在の場合は特に)「行政はどうしていた」との反応がまず出てくることも同様のことからだ。

 以上のように、理想とする自己責任社会の構築には、今までの「管理者責任の無限追求」という安易な解決策をしりぞける必要があるが、国民大半の意識を変えるこのことに道のりは遠いと言わざるを得ない。しかし、この夏の神奈川県玄倉川洪水時のキャンプ流失事故への世論の反応を見ると、行政への批判は少なく、悲しい事故ではあったが、自然の危険を熟知して自然とつきあうべきだった、との指摘が大勢だったのは、我が国も自己責任社会への一歩を踏み出したのではないかとの希望を与えてくれた。

■玄倉川キャンプ事故とサバイバル術

 日本人は自然と親しみ暮らす民族といわれる。自然の四季の変化がすばらしく、それぞれの季節ごとの自然とのつきあい方を大事にする。私がもと居た東北地方では「芋煮会」なるものが広く行われ、それは毎秋、仲間で河原の自然の中に鍋を囲み、里芋他山野の収穫物をみそ仕立てで煮て食べ、紅葉の河川での一日を楽しむことが、春の花見と並ぶ毎年の「行事」となっている。

 不幸なのは大都市周辺の住民だ。自然の河原も行動をともにする「仲間」も少ない。それでも日本人の自然好きの血が騒ぐのか、最近はファミリーキャンプがおおはやりだ。車でかなりの距離まで都心から脱出できるが、そこでもキャンプサイトの供給が需要に追いつかない。人気サイトの必須は自然の水辺だが、車でアクセスできるとなると限られ、河原は公有地なのにアクセス道路使用料あるいは駐車料金の名目で有料にされている場合もある。そこでのキャンプも静かに自然のなかの生活を楽しむというより、発電機を持ち込み、いつものテレビ番組を見逃さず、カラオケで騒ぐなど、都会の便利な生活を自然の中でも楽しみたいとする、少々勘違いの人種が増えている。

 この前のお盆の時は、以上の困った状況がピークの状態になった。あぶれたグループは中州の水辺へと移動する。お金も取られないし、自然そのものの中で親水性も抜群だから、グッドアイデアだとひそかに思っただろう。不幸は、河川の増水の危険を予想しなかったことにあったことは指摘するまでもない。普段堤防で河川と隔離され、洪水流の恐ろしさを実感していないと、穏やかだった河原が短時間のうちに濁流が荒れ狂う空間になることは、想像すら出来なかったであろう。

 事故そのものは不幸な出来事だったが、一般化して考えると、日本人の自然とのつきあい方が、何と自然の穏和な側面しか見えていないのかと考え込んでしまう。外国だと、自然から連想される言葉は第一に「サバイバル」だと思う。恐ろしい非情な自然とは対峙していかなければならないもので、決して人間を包み込んで優しくしてくれるものではない。

 そういう意味で、河川は自然とのつきあい方の教育訓練の場として適当ではないかと思う。自然を楽しむための雑誌、書物は数多くあるが、水の恐ろしさの克服方法を教示してくれるものは少ない。この事故を貴重な教訓として、自然あるいは災害の恐ろしさを知り、それからのサバイバルの知恵を大事にする社会へと変貌してほしい。

 災害頻発国日本の住民に、災害から生き抜く知恵が相変わらず乏しいというのはパロディですらあろう。

■不知火町の思いがけない高潮災害

 高潮災害は、今ではごくまれなこととなってしまった。そもそも高潮の現象は、台風などの接近により、気圧の低下が著しく、たまたま最満潮時で、風向きが湾奥方向に合致して、潮位が異常に高くなるという、悪条件が重なったときにしか起こらない、きわめてまれな自然現象だ。昭和34年の伊勢湾台風の時に5000人もの死者を出したところから、全国の危険海岸で高潮堤防の整備が急ピッチで進んだ。そのおかげで、高潮「現象」が起きても、高くなった堤防を越えなければ、高潮「災害」にならなくなり、一層まれな種類の災害となっている。

 町の防災計画書には高潮の危険は記載されていたそうである。しかし、行動する人間に危機を想像することがないと、記載は何の意味もない。東海村の臨界事故がその典型だが、絶対に起きないと思っていたら、災害対策は成り立たない。

 私が以前高知で勤務していたとき、地元の人が高知の海岸に出て、5メーターにもなる高波を見物する危険をおかすのが、海岸管理の悩みの種となっていた。誤って波にさらわれ、行方不明になる事故が時々あったからだ。勿論それは当地の勇壮なものに接したいとの気風ではあったが、台風銀座での、じかに災害の強弱を目撃し、自分たちの地域を守っていこうとする、本能的な行為の現れがそれでなかったかと今になって感じている。

 不知火町の場合、高潮堤防はある一定計画のもと完成していた※。コンクリート堤防だから、越水一歩手前までは、堤内側には何の変化もない。今までの何百回はそうであったろう。今回は、天端の高さを越え一気に災害となったのである。自分たちと海を隔てる、普段は異常に高く思える堤防が、何のためにあり、その機能を実際に果たしているのか、危なくなっていないかを思いつき、強風の中、潮位と高波を見に行く誰かがいなかったのだろうか。町役場の観測あるいは連絡手段の不備にだけ責任を押しつける訳にはいかないことだ。

 災害大国日本で、防災対策が進んだおかげで、災害の恐ろしさを忘れ、災害と共存していく知恵がなくなってしまったのは、何という皮肉であろうか。不知火町でも、最近頻発する山崩れは想定し、避難準備などの対策はしていたそうである。阪神大震災でも、破壊が著しかった橋脚、コンクリートビルなどはその後強化され、再度災害のおそれは少なくなったが、その他経験しなかったことには未然防止策が採られていない。限られた経験を普遍化できるのが人類の知恵なので、その意味でも日本の将来はお寒い限りだと感じた。

※越水した船溜り堤防は外海に面する本堤防より低かったが、それは波浪高を考慮しない分であって、計画通り完成していたとの情報による

■想像力不足の反省事例

 災害対策はある意味で想像力の勝負だと思う。寺田寅彦の「災害は忘れられた頃やってくる」の名言には、滅多に起きない災害でその記憶が薄れたころ、対策がおろそかになり被害が増幅される意味も含まれよう。さらには、人の一生で記憶されないほどまれな大地震等の災害、あるいは社会の発展に伴う新しい種類の災害では、想像力を働かせて対処するしかない。以下それらの事例をあげて今後の想像力アップに資したい。

○東海村臨界事故

 裏マニュアルの存在などJCOの姿勢の問題点とは別に、原子力災害対策としては、高濃度ウランを扱う事業所で、加工の過程だから決して臨界量以上にならないとした、フールセーフの甘さ、間違いを犯す人間性への過信がみられる。

○頻発する地下室水害

 東京、福岡などで昨夏頻発したが、地上が一定以上の浸水深になれば、地下へはその水が無限に浸入し悲惨なことになるのは、災害後考えれば誰でもわかる。問題は事前に誰もが想像できなかったことだ。

○98年の栃木県余笹川水害

 その場所に降雨がなくても、上流に(局地的)豪雨があれば洪水になる、という河川水害のイロハを失念していた。水防に際して、上流流域全体の状況を常に念頭に置きたい。

リスク空間とキャンプ事故と不知火高潮(終わり)