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車社会・散居村の都市計画


 北陸の小県に旧建設省から出向した約三年間、頭を離れなかったのは、本職の土木は言うに及ばず、それにも増して県の活性化のことだった。地方の県なので、土木行政はその重要なプレイヤーでもあった。
 地方が真に活性化するには、物心両面で国中央を頼りとしない、まさしく地方「自治」のシステム作りが前提で、それにはまずは行政権限のあり方として「地方分権」が叫ばれた(ている)。地方分権と一口に言うが、権限委譲だけでなく、財源再配分が併わせてなければならない。更には行政範囲拡大の受け皿となる組織・職員の充実が必要だ。これらの事情については周知であるが、なぜ実行が遅々としているかについてここでは述べない。

   以上の課題よりもどこの地方でも基本的に問題なのは、何をもって活性化とするかの目標設定のことである。

   主権者たる県民の意識は高度成長期と同じミニ東京を目指しているとしか思えない。列島改造時代の全国ミニマムを目指す政策は一応の成功を収めた。問題はそのあと更に上に行ってしまった東京のあとを追い続けることだ。すべての地方が限りなく東京に近づくことができるだろうか?東京は首都として、またその地理的位置、人口産業の集積、国際的な位置づけなど、東京だけが持つ条件によって、その現在があるので、他の都市、地域の同じ条件での発展は無理である。TV網など全国的な情報手段が完備されたおかげで、東京の便利で高度な暮らしは全国民の知るところとなった。県民は知事に対しそれに少しでも近づけるようにと要求するのである。
 例えば当時流行った箱もの行政で、通常の多目的ホールはよいのだが、特殊芸術の例えば能楽堂、オペラ劇場まで要求はエスカレートする。それらを作るのは金があればできるが、運営に際し、観客動員が出来るかとなると否定的である。東京に飛行機で行ってもよいぐらいの頻度しか普通の人は鑑賞しない。「金があれば」というが、借りやすい地方債はいずれ返さなければならない。気がついたら、地方財政は借金で火の車である。バブル後の景気対策遂行上、地方財政の硬直が大きな壁となっている。
 もう一つの例は、テレビ番組の全国ネット偏重の弊害だ。地方局製作の地方に根ざした番組もあるにはあるが、概して不人気で、その時間帯に、好まれる東京キー局からの全国番組が放送されないことも不満の対象になってしまう。地方の人でも、全国画一(東京発)の情報を望むのである。この点でも、「心」の面で地方の自立は出来ないと思った。
 
 もっと自分の地方の「身の丈」にあった目標・価値観を持つべきだと思った。更には現在の生活環境で東京に勝っている点があることにも気がつくべきだ。自然環境あふれ、公害のない生活、渋滞なしで車が利用できる便利さなどだ。身の「丈」と言うと大小関係になるから、独自の「幸福感」に根ざした、あるいは地域の「物差し」を持つ、のほうがよいかもしれない。
 そのように何が幸福かと考えを巡らすにつけ、矛盾を感じたのは、都市計画の全国画一の考えだった。それらは大都市など三大都市圏向けにはよいが、その他の地方中小都市に対してはおかしな点ばかりがある。さらには東京で考えている都市計画は大都市向けというより、むしろ欧州直輸入でないかと疑うことがある。都市の効率という大義名分のもと、狭い地域に人間生活を押し込めるやり方には、中世の城郭都市の形態を想起させられる。市域を出来るだけ狭くして、短い城壁で堅守しなければ、全員皆殺しにあってしまう。狭い都市に大勢の人を住まわせるには、線引きされた土地利用などの都市(効率化)計画が必要だ。
 一方日本でいうと、外敵に対する城郭は言うなれば四方の大海だから、それに囲まれた列島内ではむしろ国土の許す限り広々と土地利用をすべきなのかもしれない。スプロールは良くないという反論が出そうだ。私のいた県ではそれを「散居村」と誇らしげに呼んだ。物事は何事も考えようである。広々と住んで、便利な車で移動する。そのようなライフスタイルに合わせた都市計画があるべきだと思った。現実の車社会に都市計画のほうを合わせるべきなのである。
 県議会での都市計画に関する議論に接していると、都市計画法が農振・農地法と同じく「規制法」の最たるものと思われているフシがあった。両法が分担して国土を二分し規制している。都市計画の規制は厳しすぎるから、規制緩和をすべきだとの主張である。もともと住民の「幸福な」生活のために皆で決めていくべき都市計画が外部からの邪魔者になってしまっている。
 
 国土交通省になって、八つの地方整備局がそれぞれの地域に根ざした国土交通行政を進めると聞き、以上の地方部の実状・苦況も的確に捉えるよう期待している。その活動は長く懸案であった日本の中央集権からの本格的な地方自立へのきっかけとなりはしないか。その一例だが、都市計画等インフラ関係の考え方については全国統一である必要はないので、関係する法制度あるいは技術基準なども地域毎に変えても差し支えないのではと思うが如何であろう。米国各州では州毎に法律まで違うと聞く。