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論より証拠・公共事業
 

公共施設の建設は一品現地生産だから、その出来不出来などについては個々の事業が完成し運用した事後評価しかありえない。各種公共事業の是非に事前の議論が盛んで、完全な納得がえられないままやむを得ず着工しているケースが多いが、出来上がった施設を評価して次の事業の教訓とするという本筋がなおざりにされているように思える。(もちろん国土交通省の政策評価のなかに公共事業の評価制度があり、新規採択時、中間の再評価に加え事後評価もあることは承知している)

イデオロギー論争に似ている。20世紀は共産主義イデオロギーが風靡した時代だった。左右に分かれた論争が先立ち、人々は主義主張という頭の中の作業に熱中したが、実際に共産主義を実行し失敗・崩壊したソ連などの惨状を見れば、「論より証拠」でわかりやすかった。21世紀の今、この事後評価の結果はだれにも明らかだ。

この稿では、公共事業で議論の多かったものがその後どうなったか、を「論より証拠」的に検証してみたい。

長良川河口堰のサツキマスはどうなったか

まずは河川事業。長良川河口堰建設事業では主として堰の設置・運用による環境問題の議論が白熱した。河川を横断し流水をせき止める堰の場合、魚類の遡上降下の移動に多大の影響を及ぼすことは間違いない。そのため、最新式の各種魚道を設置してその対策としていた。議論は、それでもとくにアユとサツキマスの移動ひいては生息状況に影響があるか、というものだった。

サツキマスについては堰の運用前と平成7年の運用、その後現在まででとくに差異は見られていない。

サツキマスは高級魚なので岐阜の魚市場で取り扱われる各年の漁獲数でほぼ生息数の消長が推測できる。ここで年ごとの自然要因による漁獲増減が当然あるのだが、これは隣接河川の木曽川、揖斐川でも同傾向だ。だからこれら二河川の漁獲数(これらも市場から調査)と対比し、三河川全体の漁獲数に占める長良川のそれの割合に減少の傾向がなければ、堰の設置による影響はないことが証明される。ちなみに、運用前の平成6年は72%、運用後の平成7年〜18年では最大88%(同15年)最小57%(同9年)だった。ばらつきはあるが、運用前後とその後年であきらかな割合減少はみられない。参考までに、絶対数では2,011〜171(三川合計)、そのうち長良川では1,438〜148(最大最小とも三川合計のそれらと同一年)と自然要因と思われる増減は著しいものの、三川毎の傾向は各年ほぼ同じで、結果として、これも堰からの影響がないことの証明となる。

アユについては実際に魚道を通過する数を抽出カウントし、全体数を推測している。堰の運用前は中流の橋の上からカウントしており、運用後もその地点でのカウントを継続し、魚道とも比較しているので、あわせて運用前後の比較ができる。アユの遡上についても有意の差は見られていない。(以上の二魚種観測データは国土交通省河川局ホームページのオピニオン欄からリンクされている「長良川河口堰ホームページ」より)

他の魚種で経済魚でないものも同一傾向と思われるが、魚道には観察窓が設けられているので、それら魚種の遡上が確認できる。

以上で、堰の設置に際し、有効な魚道を付置すれば堰の影響を最小化できることがわかった。なお、魚の生命力は人間が考える以上に旺盛なものがあり、魚道だけでなく、ゲート上の越流水に逆らってジャンプ遡上する姿もしばしば見られている。

なお、以上は運用後の国土交通省による状況判断だが、それらにも違う見方があって当然だ。平成11年11月15日付け朝日新聞夕刊の窓欄は、サツキマス、アユの遡上状況と加えて(ヤマト)シジミの生息状況への影響についての国土交通省(当時は建設省)の主張に「建設省のウソ」と批判した。この窓欄に対しては同省河川局の横塚開発課長が直ちに反論の書簡を送り、朝日新聞の佐柄木論説主幹も再反論、翌年の6月までに三往復半の議論のやりとりがあったが、朝日新聞側が一方的に議論を打ち切っている(これについても前記オピニオン欄より)。これらの議論については今後とも必要な正しい事後評価に資するものであり、新聞社の打ち切りの理由がわからないだけに、残念だ。ただ、新聞社による一方的なデータ判断のみによって「建設省のウソ」と決めつけるのはマスコミの守るべきルールを逸脱していると思う。今後は、朝日新聞のような国土交通省を先入的に誤りと考える「頭脳の作用」でなく、あくまで管理から得られたデータに基づく議論が欲しい。

筆者は、魚類への影響が少しは出るのではないかと、想定はしていた。それでも、堰のもたらす治利水などの効用を考えれば多少の影響は仕方のないことであるが、そのことも(あくまで、今のところだが)杞憂だったようである。

なお、長良川の治水は下流部の河底マウンド部分の浚渫により達成されるため、浚渫後の河道での塩水遡上を堰により防ぐ方式となっていた。この治水方式に対し主として堤防嵩上げあるいは堤防強化の対案が出されていた。費用あるいはリスクの比較などの観点からメリットのある、浚渫+堰による当初の治水方式は変わらなかったが、他の河川でもこの治水方式比較の本来議論は大いに期待されるところだ。

議論は治(利)水に河川環境の観点も加味されなければならないのは当然だ。しかしその場合、環境のための費用を吟味することが少ないのは疑問に思う。河川環境を守るために無制限に費用をかけて良いとは思わないし、費用がかかるということは他のところの環境を損なっている、という事実を忘れてはいけない。

流域下水道は無駄な巨大施設だったか

これは個別の流域下水道がどうだったかではなく、流域下水道という事業制度の事後評価の必要性だ(国土交通省の評価制度は個々の事業に限っている)。

河川が地表に清水が流れるのに対比して、下水道は地下に汚水を流すので、静脈河川としての考えをもつ必要がある。地下といっても地表勾配に沿って下水管渠を敷設しなければならない。そもそもの下水道は都市施設として生まれたものだが、静脈河川であれば、地形などによっては、都市をこえて汚水を収集し、浄化処理し、河川の適当なところに合流(放流)させるのに、二市町村以上にまたがる流域下水道の制度が必要だった。

ところが、そうなると施設規模も大きくなるので、巨大施設としての批判も受けるようになった。施設の規模を大きくすることにより、全体建設費縮減のメリットも期待したのだが、一方では初期供用に要する先行投資の額が多くなり、事業当初の投資効率が悪くなるのが宿命だった。このデメリットを少しでも減ずるため、管渠整備においては二条管(一条目だけを当初は整備)、処理施設もさらなる分割施工の工夫が試みられた。批判は甘んじて受け、欠点回復の努力は惜しまなかったのである。その努力を経て全体の完成が間近な現在、大規模施設のそもそもの利点、スケールメリットが出てきているはずである。メリットは建設費だけでなく、維持管理費にも現れる。

ちなみに、全国平均の下水道維持管理費(汚水分、以下すべて同様)単価は63.5円/㎥(単独公共下水道、国土交通省H19年度予算パンフレットより)だが、これには都市規模別の単価も出ていて、指定都市では55.6円/㎥、5万人以上の都市で67.0円/㎥、5万人以下の都市で114.6円/㎥、特定環境保全公共下水道(特環下水道)で174.2円/㎥とある。都市の人口と施設の規模はほぼ比例するので、施設規模の大きさが単価のメリットとなっていることが伺われる。同じ資料に下水道使用料も記載されているが、都市規模にかかわらず、140円/㎥前後しか徴収できていない。特環下水道は小規模かつ汚水密度が希薄なので維持管理費すら賄えない(下水道財政論では、加えて建設費起債の償還額も賄うべきとしている)。

流域下水道ではその規模が比較的大きいところから、維持管理費の低廉傾向が見られるはずだ。全国平均では42円/㎥(都道府県分、処理場と幹線管渠)となっている。しかし、前記単独公共下水道のそれと比較するためには、末端管渠を受け持つ流域関連公共下水道の25円/㎥(市町村分)を加えた67円/㎥となり、5万人以上の一般都市の平均と同レベルでしかない。

そうであると、流域下水道(都道府県分)の維持管理費の単価平均42円/㎥が一見高いようだが、各流域下水道毎に見るとばらつきが多い。安い方では、猪名川流域下水道(大阪、兵庫、以下、流域下水道の呼称を省略)の17〜18、荒川右岸東京20、武庫川下流(兵庫)21、十勝川(北海道)22、荒川右岸(埼玉)27、多摩川(東京)27、淀川右岸(大阪)27各円/㎥である。いずれも古くから整備を進めており、計画量近くまで流入水量が増加していることがスケールメリットとともに必要な要因となっているのではないか※。一方、単価が比較的大きい箇所は供用開始後間もないなどで、先行施設分の維持管理費の占める割合が大きいためと思われる※。(以上、この項の原データはすべて日本下水道協会の下水道統計平成16年版より)
 さらに筆者がメリットと考えるものに、施設の時差使用がある。人間活動による水使用は一日のサイクルで変動し、朝と夕方のピークが避けられない。このピーク時の量が結局は下水の管渠・処理施設の必要能力を決めてしまうのである。一日の平均した時間量(日平均水量)とピーク量(一時間最大水量)とでは1.5倍もの違いがある。大きいということは地域的にも広がりを持つので、流下に時間がかかり、それが下流に行けば行くほど合流時差となってピークの山が均されてくるのである。このことからは、幹線管渠の大きさと処理施設の容量を減ずることが可能となる※。当初の設計にそのことが勘案されていなければ、それはそれだけ、施設の余裕となって、収集・処理の信頼性も高めることになる※。

以上の筆者の主張のうち(※)はデータの裏付けがない推測の部分だ。だからこの稿で問題視している「論」になってしまうが、「証拠」を今後集めていくべきだと考える。

高速道路のETCは

平成13年から我が国の有料道路でも始められた「ノンストップ自動料金収受システム」(ETC)は導入当初、マスコミなどの批判を多く受けた。いわく、機器の購入取り付けに多額の個人負担が生じる、諸外国ではもっと簡単で安価だ、などなど。ところが、最近ではETC車載器のセットアップ台数が1,600万台に迫り、高速道路走行車両の延べ7割近くが利用するまでになった(国土交通省道路局ホームページ>ETC利用案内>ETC利用率及び車載器セットアップ件数より)。その結果、最近では料金所渋滞がほぼなくなり、高速道路をほとんど利用しない車でも、ETC無しで利用したとき、有人料金ブースの待ち時間が少なくなっている。また、併行する一般道路の一層の渋滞軽減につながり、その利用車もメリット(これらはいずれも副次的利益)を得るようになった。全ての車がハッピーとなったのだ。もちろん、有料道路会社において料金収受の省力化と費用節減になり、料金値下げへとつながる好循環となる。

案ずるより産むが易し、の典型例だし、今後も好いことが続くだろう。

首都高などの都市高速道路は、立地上の制約から、やむを得ず入口収受の単一料金としていたものが、ETCでは出口でも記録でき、入口との間での距離別料金を設定できるようになる。これは、利用距離による課金という公平性確保ばかりでなく、必要な区間だけをその距離に応じた料金で利用できることになり、現在の都心区間通過車両による渋滞を相当減ずることになろう。単一料金のままだと、渋滞回避のための降り乗りをせず通過しようとするからだ。筆者が更に考えるのは、入口出口間の直線距離による料金採用の可能性だ。渋滞対策のため新設される環状線などへは、たとえ遠回りになっても、利用してもらわなければならない。その場合、複数ある経路を問わず直線距離(あるいは最短距離経路でもよい)での料金が設定できるのである(鉄道の大都市近郊区間料金が最安経路で計算されるのに似ている)。

これらにより私が想定するのは、首都高都心環状線は、環状機能を一つ外側の中央環状線(品川線完成の全通時に)に譲り、部分的には廃止することができる。例えば、日本橋川縦断占用区間などで高架橋が撤去できれば、河川環境あるいは歴史的建造物の日本橋の景観の問題が解決するのである。

導入当初に批判・比較された諸外国の採用する簡易版機器では、以上の高度機能は実現できないことに留意すべきだ。

後日ばなしひとつ

流域下水道に対して、その発足時から色々と批判の論陣を張った代表学者のお一人として、中西準子助手(当時、東大工学部都市工学科、現(独)産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センター長・工学博士)があげられる。彼女の論点はつまるところ、汚水処理の責任から言って、(流域下水道どころか公共下水道の)集合処理よりも個別処理(各戸下水道、浄化槽)を基本とすべき、ということではなかったかと筆者は理解している。

その中西博士が最近、「どんどん水を取って使ったらもうおしまい、・・・流域下水道は、その使い捨ての考え方の究極とも言えるものだと思い、強く反対いたしました・・・(しかし)流域下水道がすべて完全に悪いと言えるかというと、そうとも言えないことがあるのです。それは、水道水との関係です・・・こういう(環境)問題に対して、私たちが、単なる常識や正義感で立ち向かうのは、むしろ危険であると私は思っています。・・・科学で立ち向かわなければいけない」【「環境リスク管理と予防原則」学士会会報平成17年11月より、( )内は望月による補足】と、流域下水道の河川水質への寄与を実態的に評価し、科学的・現実的に考えを変えることもあり得ると率直に表明した。真の学者は自己の考えに固執しないの典型で、わたしは感服しました。

公共事業は施設が完成してからが真には唯一重要で、そのためには、事後の状況を不断に観察し、評価をし続けることだと、このこともあり、再確認しました。


2007年3月