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建築にもの申す
 


高名な建築家・黒川紀章氏の今年の都知事選等での派手な選挙活動を見て、いままで建築に対し抱いてきた想いが種々わき出てきた。土木と建築は親戚のようなのに、どうしてこのように行動の発想が違うのかと、再認識するきっかけとなった。

もちろんだが、建築設計は個人の技量によるところが大きい。その技量が高名な建築家の存在となり、有名が故の立候補なのかもしれない。土木において、そのような事情はあてはまらないのではないか。

土木工学と建築学は建設目的物が違うだけで、構造力学の学問としての根元は同じだが、前者が「工学」なのに対し後者が単なる「学」と違い、それが学問としての根源を異ならせているようにも考えられる。「工学」を超え、芸術的なものを第一に置いているのであれば、それが工学部分の建築構造設計分野への軽視につながり、過年の「姉歯一級建築士問題」の深因となっているのではないか。(以上のように述べてはみたものの、土木工学側でも東京大学土木工学科の場合、最近の流れから、学科名を「社会基盤工学科」に変えたまでは理解が容易だったが、さらに「社会基盤学科」へと「工学」を捨て去ったのには驚いている)

以下は、一土木技術者の筆者から建築学への異学的見方を列記するものだが、土木屋から建築家への「繰り言」と見なされても仕方のないものではある。文中、建築家と土木屋の言葉が出てくる。「家」と「屋」の違いは、政治家と政治屋では政治への志の有無だろうが、「土木家」とは普通言わないので、土木屋とは官庁言葉の「事務屋」「技術屋」の延長と考え使っている。

一つの建物

身近なところから話を始める。建築家は建築主(あるいは分譲購入予定者)のために完成予想図(スケッチなど)をよく描く。その場合、隣接する建物は描かないか、薄く目立たないよう(消したいのだが消す寸前)に加工する。町並みあるいは建物群への参入物としての評価を受けたくないのであろうか。

日本の風景、とくに、都市景観は欧米諸国等と比べてなぜ美しくないのだろうか?それは、建築家が個々の建物の設計において、町並みにマッチさせるという考えがないこともあると思う。

まちづくりのもう一方の主役である土木屋は「土地の上に作る」という仕事の特徴として、土地ひいては地域全体を勘案する習性があるが、建築家は自分の手がけた建物が良いかどうかだけだ。積極的な言い方だと、既存の町並みという旧習を打破し自己実現することが時代を拓くのだ、という考えがあるとも聞く。

都市の美しさは何からか?への万人の定説はない。

しかし、少なくとも言えるのは、色彩、形など目に入る印象が「落ち着いている」のが条件であろう。住み、毎日を暮らしていくには、「疲れる」風景は禁物だ。そのためには、建物の色、形に統一性が見られることも、異論が少ないところだ。

建築家は何をその商売の力としているか?言い換えると、建築主は何を建築家に期待しているか?建築主は自己の建物を周辺の平均的なものに合わせることを望んでいない。新たな建物は権力・冨の象徴なのだ。出来るだけ、立派に見え、周辺の建物を圧倒するものを望む。その結果、むしろ周辺から浮き上がるようになることが必要なのだ。

また、建築家は何をもって能力としているか?同デザイン同構造のものを作っていては、建築設計の技とは言えない。従って、以上のような存在理由の建築家にまかしていては、都市はグロテスクになるだけだ。

古くからの都市には、結果として幸いなことに、個々の建物に著名な建築設計者が携わることはなく、建築材料も地先で簡便に利用できるものしかあり得なかったので、建物の形、壁あるいは屋根の色などは統一されたかのようになった。一昔前だが、インドネシア・ジャカルタのホテル高層階から見下ろす「メインストリート裏」の風景はそうだった。どこまでも続く屋根また屋根の色は赤茶色一色で、たぶん、それは瓦の材料の土が同じものだからだろう。

もちろん、スペイン・バルセロナにおけるアントニ・ガウディの作品群は異彩を放つものだが、それでも前記の意味では町並みに溶けこんでいる。例外は天を衝く聖家族教会(工事中)だが、ほかはカサ・ミラはじめ、通りに沿っては探すのが困難なくらいなのだ。

建物群・地区計画

建築の仕事を少し面積を広げて考えてみる。地区開発と言われる建物群のことだ。個々の建物だけでなく、一群の建物を設計できれば、まとまりのある風景的改善も可能となる。

以下、東京だけの例だが、だいぶ昔には恵比寿のサッポロビールの工場跡地開発があった。開発後は「恵比寿ガーデンプレイス」と呼ばれている。旧ビール工場の倉庫の復元建物のビアホールを中心に広場(プレイス)的にまとまっている。

「六本木ヒルズ」にも行った。大型回転ドア事故あるいはホリエモン現象は結果としてこの建物群への悪印象となったが、全体の建築設計の罪ではない。つい最近は同じ六本木の防衛庁跡地の「東京ミッドタウン」にも行った。

いずれも、その地区だけを見、賑わいの創設を目的とすれば、よくできているのだろうが、東京都心というポテンシャルのある地域では何をしても成功が約束されているのだろう、との感想を持った。それでも、それらはあくまでも、移転跡空地として与えられた地区内の開発なので、その地区での理想と外側の既成の町並みの現実との「段差」が気になってしまう。前述した個々の建物の隣との関係に似ている。

東京ミッドタウンでは、新地区と六本木の裏町との落差が気になっていたが、緩衝として付置的公園(芝生広場主体)を境界に沿って帯状に配置しているので、まち全体としての違和感は少なくなっている。

都市計画

建築家の中には都市計画を指向する人がいる。一つのまち全体を計画建設できれば、前記の「段差」は克服できる。(土木系でも都市計画技術者はおられるが、同様のスタンスであろうと考えている)

その嚆矢、代表作は東京の「多摩ニュータウン」だ。かなり昔、建設途上であった同ニュータウンの真ん中に紛れ込んだことがあった。工事の喧噪と土ぼこりのなかに、やがて顔を見せる都市の未来像を感じたのは確かだが、はじめて接する人工都市に対し、漠然とした不安を感じたのをかすかに覚えている。

都市計画家の主張する都市の未来性とは、広い街路が幾何学的線形に展開し、高層住居と一戸建ち住宅が区域を分け、また、駅前には商業地区と、土地の用途が歴然と純化している。近隣には緑の公園を分散配置し、道路あるいは住宅地にも緑あふれるようにする。これらからはたしかに、「未来」は感じさせられるが、あまりにも整いすぎるので、住みやすいかどうかは人間の保守性の壁もあるのではないだろうか。

そのニュータウンでごく最近問題化したのは、当時、まちのコンセプトとして、若年世帯(だけ)を対象としてまちを開いたのはよかったが、いまになると、居住者が一斉に老齢化し、彼らの子供の世代が主として都心居住に出ていくとなると、老人一色の都市へと変わり果て、直接的には老人福祉的バリアフリーなまちづくりとなっていないため、困っていると聞く。くわえて、まちというものは、あらゆる世代から構成されて活気がでるのではないか、というそもそも論となってしまう。今になって言っても仕方ないのだが、都市というものは折角の計画倒れに終わることもあるという、反省例であろう。

純化より多様性という一土木屋の考え

それでも、都市計画家は理想の都市づくり、すなわち都市の「可能性」に賭けて、邁進するのだろうが、土木屋である筆者は都市の(自然)発展への公の介入(都市計画)にやや否定的な考えを持っている。

まずは「都市とはどういう場所なのか?」ということからである。「人間が集まって住んでいるところ」と言ってしまえばその通りだが、問題は、「人間はなぜ集まって生活するのか?」という問いに答えることが、この整理をすることになる。

この答えは、都市以外で人間の住む、例えば農村を考えるとわかりやすい。農村では住居及び周辺が生産の場でもあるから、回りに隣家があるより、田畑があった方が合理的である。筆者のもと居た富山の散居村はその典型だ。そこでは火災が多いこともあって、集まらない方にメリットがあったから自然にそうなった。

都市の方も古来自然発生的に出来てきたものだ。人間が集まると各人メリットがあるから集まる。集まって暮らすことには、まずは商売等の仕事が見つかり、さらには生きていくための様々な情報が得られるなど、結果的に日々の糧を得ることにつながるというように、そもそもの必然性がある。それが都市の成り立ちの、理想としての「可能性」に言及する前の、第一条件といってよい。

日本の現在の都市計画は、この必然性をあまりにも無視して、理想のみを追求した結果、決してうまくはいっていない。たとえば、用途区域など、土地利用の純化にこだわるのは、都市のそもそもの必然性である様々な価値観との出会いの場であるべきことに、全く反している。農村など生産の場であれば、そちらの論理である生産体制の統一(例えば水田のみの土地利用にすれば、水利施設、農道等の整備が合理的に出来る。そのため農業振興地域・農業専用地区が定められている)が望ましいが、都市へ人間が集まるメリットはそれと異なり、様々な職の人がお互いに役割分担をすることに意味があるから、土地利用もそれに沿った格好にすべき(むしろ放置すべき)なのである。(もちろんだが、純化すべきものとして、工業専用地域であれば農業専用地区と同じ合理性がある)

基本は放置だが、都市計画で残る公の仕事は、安全上、効率上のことである。延焼遮断帯としてのオープンスペースの確保が必要だし、消防に支障があり、車で移動するのに手間がかかる狭い道路では困る。さらに追求すべきは快適性であり、公共空間を確保し、その緑化など共用部分の美化を行う。一方、私有部分の緑化、個人の建築物の形状をそろえるなどは、その地区の住民の考えに委ねるべきであって、地区協定などによることが適当である。

公の介入が過度になり、「理想」の押しつけになると、「必然性」を遡って問うことになり、都市の衰退の原因ともなる。古くからの都市にはその伝統があり、公の完璧な介入は成功しなかったから却ってよいが、新都市では、理想が完全に追求でき、その結果、都市の持つべき最低条件である多様性が疎外され、例えばブラジリアなど、住民が住みたいと思う都市としては、衰退の一途となっており、多摩ニュータウン、筑波研究学園都市などでは当初の理想では住みづらく、修正し、多様性をより取り入れた方向になっていると聞く。

しからば「住む人に『可能性』を感じさせなくて良いのか」と問われれば、「都市の混沌の中に、ある種の秩序が見いだせないか」と答えるしかない。香港のような完全な無秩序都市であっても、映画「慕情」の恋の舞台となったように、「アジア的混乱の中に感じられる人間のエネルギーのようなものが、人生の舞台としての都市の姿の一つとなるのではないか」とでも言うべきなのだろうか。


2007年8月