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forest & agriculture  のページ

森林、農地等国土利用に興味のあるかた向けの意見論文を掲載しています(現在以下の2編)

1.遊休水田に木を植え、平野の森林をつくろう(「多自然研究」掲載)

2.里山の自然の価値と中山間地農林業について  (〃) 

3.日本は国土保全のため、農林業に非貨幣経済を用意すべきだ (〃) 

目 次
 

1.遊休水田に木を植え、
平野の森林をつくろう


■山が河川(の自然)を制する
■森林国日本の悩み
■山の森林は公益目的に
■平野林業のすすめ
■平野の森林で生活を豊かにしよう
■国土利用をもっと賢く
■日本人を幸福にする日本へ
■自然保護は国土の使い方から
2. 里山の自然の価値と
中山間地農林業について

■「里山」の自然の議論の所在
■里山の定義と性格
■里山は江戸時代からどう変わったか
■水田湛水環境の自然
■水田の自然の価値のひとつ、
治水機能は本当か
■現代の里山復活
■江戸期の里山利用の知恵を現代に
■おわりに−林業農業のゆくえ
3.日本は国土保全のため、
農林業に非貨幣経済を用意すべきだ

■提案の趣旨
■日本人の賢い土地利用
■日本人の賢い土地利用は壊滅した
■経済発展につぶされる国土
■国土を守る産業の支援方法
■農林業への回帰
■自然に囲まれた仕事・生活
■あとがき


里山の自然の価値と中山間地農林業について  

■「里山」の自然の議論の所在
 自然には大きく分けて、原生自然と人為が加わった自然(人為的自然)とがあるが、本稿の主題である「里山」は人為的自然の代表であろう。
 「里山」の代表として、関東で言えば、東京多摩の「トトロの森」として親しまれている武蔵野の雑木林などがある。それらは、原初からの自然の森林ではなく、人間の手になる「二次林」(原生林を伐開したあと植林した利用林)なのだが、今日、人工物に囲まれた都会人にしてみれば、貴重な自然の扱いとなっている。
里山の定義は次項に解説するが、最近この「里山」として、これら人工林地に加え、一帯の地域に挟まれる水田などの農地を含ませ、拡大して議論する傾向が見られる。
 筆者が問題としているのは、(この広義の)里山の自然を守ろうという動きが農地問題の議論のポイントとなってしまっていることである。広義の里山に含まれる水田は狭小不定形で生産性がとくに低く、「中山間地」水田として、ウ・ラウンド対策でも助成の対象になっているが、都会の人の自然保護の目的ともなれば、助成の意味づけは強化されるのであろうか。

■里山の定義と性格
 里山の定義については、江戸時代初期に全国的に開墾が進んだ時期に、農村を「集落、農地」「里山」「奥山」の3圏域に分け、「集落、農地」は、生活と食料生産、「里山」は肥料・飼料・生活材の生産、「奥山」は治山・治水・水源涵養を行う場所と、機能により区分された時に始まるとの説がある。同じ「山」でも「奥山」は物理的に接近が困難なことに加え、上記機能を守るため、入山規制(場合によっては禁制)が行われたところから、神秘の状態に置かれていたのに対し、「里山」は農民の生活圏域に隣接し、集落メンバーにより入会地として協同利用がされていた「身近な」「山」であり、かつ、当時の人が意識したかどうかは別として、「身近な」「自然」とも言えたのではないだろうか。  

■里山は江戸時代からどう変わったか
 里山は土地所有の形態で言うと、集落メンバーによる利用権付きの共有地(入会地)だ。日本ばかりではない。遊牧民、森林利用の民族にも共通の土地共有(無所有)制が一般的だったが、それら社会に、欧州諸国起源の土地個人所有制度が、近代化とともに雪崩を打って入ってきた。入会地のままだと、他の目的への開発が困難だったのが、個人所有となると所有権移転が容易になり、近代化のための土地開発の対象となってしまった。当初は食糧増産のための農地(牧地)開発(開拓と称された)だった。戦後高度成長期にはそれら開拓農地などのうち大都会に近接するものがさらに住宅地へと二次転換された。
 この間、住宅地等都市的利用からかろうじて残った都市近郊の林地、農地さらには開拓農地を、現在では「里山」として、自然が残っていると評価の対象にしているのである。  

■水田湛水環境の自然
 広義の里山に含まれる水田はどう評価されるであろう。
 もともとが二次林の自然だったものが、開拓によりたとえば水田化されたときには、元あった生態系は激変せざるを得ない。起伏に富む土地の疎林環境が一面の単調な水面になるのだから、生息する動植物はがらっと変わることになる。しかしいずれは、水田湛水(それも一年の周期的に湛水落水を繰り返す)を前提とする生態系に落ち着くことになる。農地開発は自然破壊の本家本元と言われるが、違う生態系の自然が出現するだけと考えることもできる。
 ダム開発も自然改変の最大のものの一つと言えるが、湛水池環境という意味では、水田も似たり寄ったりである。  

■水田の自然の価値のひとつ、治水機能は本当か
 自然の山地、草地などは、コンクリートに覆われた都市的利用にくらべ、治水あるいは利水機能が勝り、それが自然保護の一つの理由にもなっている。
 (自然のひとつである)水田の持つそれらの機能はとりわけ優れているとPRされているが、果たして科学的に見て本当なのだろうか。水田から地下水が涵養され、降雨は水面に一次貯留されたあと徐々に河川に補給されるとする利水機能は、まあまあ是認されるであろう。水田の土壌基部は粘土で不透水層を形成しなければ水持ちが出来ないから、地下水涵養機能は大きなものでないことは確かだし、河川への補給機能も水田耕作の湛水時期でないと期待できないが、利水機能としてはゼロではないという言い方で是認はされる。
 一方、治水機能としては水田の湛水池が天然のダムとして働くとされている。しかし、本物のダムでもそうだが、貯留した水の放流時期によっては洪水の原因にさえなってしまう。間違って洪水ピークに合わせ放流すればそうなってしまうのである。水田ではどうだろうか。個々の耕作者にとっては、自分の農作業の都合が優先するから、降雨によって溜まりすぎた水位を、堰板をはずして洪水のさなかに下げることだって十分あり得る。さらに、通常の土地利用であれば、降雨が河川に短期に出てくる率である流出率は、必ず1を下回るが、水田の水面では1そのものになる(降雨の地中への浸透が期待できない飽和状態と同じ)から、治水のためにはかえって良くないと言えはしないだろうか。  

■現代の里山復活
 都市住民は生活の潤いの一つとして身近な自然を求める。その一つとして、本誌のテーマである都市河川の自然復元が期待されるが、里山の復活をねらったらどうであろうか。
 都市近郊農林地を都市開発の対象とする場合、もとからある傾斜地の林地と底の谷津を埋め立て大造成して平坦化し、全面的に住宅適地にするのが今までの方法だが、それより、造成は小規模にして、もともとの尾根部を開発し、適地でない傾斜地、谷をある程度残すのである。これら林地、谷が里山的環境となり、住宅団地住民の住居環境として残るのである。谷津には中山間地特有の谷津田の農業が営まれているかもしれない。周りが住宅となると農業継続が困難になるが、そこは都市住民の憩いの場として生まれ変わらせるのである。  

■江戸期の里山利用の知恵を現代に
 江戸期と比べて明治以降の土地政策の違いはどこにあるか。大きなものでは、土地利用の純化を進めてきたのが現代と言えよう。農業地域はまとまっていた方が生産性は上がる。住宅も団地状に集まった方が、利便施設、交通を考えると便利だ。
 しかし、この考え方はそろそろ変える時期に来ているのではないか。里山の考え方は、農村に近接して、利用のための森林を配置することを選んだところにある。近くの土地はすべて農地にするほうが現代的に言えば合理的だが、当時はその技術がなかったことも幸いして、里山のまま残して、あるがままに利用した。
 現在で考えれば、身近な自然になるし、森林生産物の利用ということで見ると、花壇菜園用の肥料として落ち葉を使えるとか、樹木をバイオマス資源と考えれば、化石燃料危機において、代替エネルギー源の一つとしてもリザーブできる。もちろん普段から薪ストーブ用としても利用して良い。  

■おわりに−林業農業のゆくえ
 私は日本の農林業の将来を危惧しています。その私が以上のように里山にも興味を持つようになったのは、江戸時代以来林業的利用がされてきた里山入会地を開発(農地開発も含め)の対象として消滅させ、他の開発が不可能な奥山に限定して林業を行うようになったことが、林業の今日的衰退を招いたと考えるからです。
 最近スペイン旅行をする機会があったが、国全体が準乾燥地帯の中、古都グラナダの周辺では、シェラネバダ山脈の雪解け水が利用できるので、なんとポプラ林の「畑」が平野に散見されたのには驚きました。乾燥が原因で、山では松の疎林しか見られません。だから用材は平地の「畑」で「栽培」するのだという合理性が見えました。平野をすべて水田にしてしまう我が国とは大違いです。
 農業について再論しますと、ウ・ラウンド対策で保護の対象となっている中山間地水田もたぶん里山が無理に(効率が悪いのに)水田化されたものでないでしょうか。

 里山の自然の価値と中山間地農林業について (終わり)


遊休水田に木を植え、平野の森林をつくろう

          遊休水田に木を植え、平野の森林をつくろう

■山が河川(の自然)を制する

 筆者の専門は河川工学です。洪水対策などが仕事になりますが、戦後相次いで我が国を襲った、カスリーン台風(昭和22年9月)などによる未曾有の洪水被害を繰り返さないことが、課題となっています。当時の洪水の原因のうち大きいと言われたものに、禿げ山が洪水を集中させたことがありました。戦中戦後の木材需要で山の森林が皆伐されたからです。そういうこともあり、河川技術者は河川上流の山の状態に今でも多大の関心があります。

 さらに、本「多自然研究」誌の目指す、河川の自然環境のあり方の議論については、河川の流水の存在が基本となります。水がなければただの荒れ地にすぎませんし、水が豊富であって初めて河川のあるべき自然を議論できるのではないでしょうか。河川の水はどこからくるかというと、それは山であり、また平野では大部分は農地からです。河川を構成するもう一つの要素である砂(河床土)を考えると、これも山あるいは農地において治山砂防、農地保全が適切に行われないと、川は砂で埋め尽くされ、自然を議論するどころの話ではなくなります。この点においても山の保全がまずは重要です。

 河川を担当し、あるいは河川と共に暮らす人々の手の届かない上流での状況がそれらの死命を制していると言っても過言ではありません。

 川に限らず自然保護一般に興味のある方にとっても、理由は違うものの、同様と推察します。人の手が及ばない本当の自然は山にしかないからでしょう。

 以下の話は、その山で行われている、日本の林業の将来への提案(注文)でもあるし、さらには国土利用方法の抜本的な転換のありかたにも言及するものです。

■森林国日本の悩み

 日本は世界有数の森林国です。国土の70%もの面積が森林に覆われ、ランドサット衛星写真で見ると、地球の他の部分で茶色が支配的なのに比べ、緑一色といっても過言ではありません。この緑あふれ、自然豊かな国土は日本の造林運動の成果でもあると言ってよいのですが、その林業が現在、経営の危機に陥っていると言われ、久しいと聞いています。

 個人の話になりますが、以前富山県で暮らしたことがあります。富山県の県土は山また山で、冗談に県名の由来は「山に富むから富山県」と言われるくらいです。県内には、有名な北アルプス立山連峰以外でも、2000メートル級の全国的には無名の山が多数あり、休日にはよく登りました。それらの山では戦後の植林運動の結果なのでしょうか、杉の植林地がここかしこにみられ、急峻な登山道の小径の脇にも標高の低い場所では必ず植えられています。たぶん当時は杉苗を人力でかついであがり、至る所に可能な限り植林したのだと想像され、その熱意には感心してしまいます。現在それらの杉の伐期にきていますが、もし伐採した場合、それら木材をどのように自動車道路まで降ろすのか考えると、人件費が高騰してしまった今日では、採算にとうてい合わないので、山持ちの中には伐採しないどころか、間伐などの育木作業もせずに放置する人もいると聞きました。

 材木の値段は大半が運搬費と聞きます。北米材を大型船で日本の港に運ぶ方が一本あたりにすると安いのだそうです。森林から伐採し積み出し港まで運ぶのも、大陸であれば、地形は緩やかで、大型機械が入り、林道建設のコストも少なく、極端な例では、TVで見たのですが、海岸近くに自生している大径木を伐採し、そのまま海に落として筏を組む方法をとり、それから港まで運ぶので、それはわけないことと思われました。まさに一番コストの少なくてすむ場所から伐採を始め、できるだけの収益をあげようという資本主義そのもののような光景で、こういうのが「収奪的林業」というのだろうと思いました。見方によっては、アメリカ、カナダなどは、日本の紙とツーバイフォーの住宅を安く供給するため、自国の自然を収奪しているという、日本の消費者にとっては有り難いことなのだと、言えなくもありません。ただし、この論理でいくと、治山あるいは自然保護の役目(余分な義務)も持たされている日本の林業経営ではかなうはずはありません。

■山の森林は公益目的に

 一方日本ですが、前記の富山での事情が代表例で、今にして思えば戦後の植林の努力は水の泡で、結果論で言うと、山をそのままにして、自然の植生に任せておいた方が、自然保護にも防災上もよかったのではないでしょうか。その土地にあった極相林は、気候も土壌も豊かな我が国では、土壌を保持する限り、放っておいても得られるものだからです。

 一方、森林経営を目指せば、それに必要な林道建設は、日本のような急峻な地形では高いものにつくし、費用を惜しんだ粗悪な林道は崩壊土の供給源となり、自然破壊あるいは防災上の弱点となり、大変です。さらに、立派な林道でも伐採が終わり使われなくなると、当然排水処理工などの維持管理がなされなくなり、あふれた雨水が法面、路面を侵食し、それらの積み重ねにより、崩壊を繰り返すようになります。これは、あたかも林道により傷つけられた山肌が、自己治癒の過程にはいるように、元の斜面に戻ろうとしているのだと言えなくもありません。林道は山の敵だと理解しなくてはなりません。

 場所によっては、急勾配すぎて林道が造れず、リフトなどの余計な設備がないと木材をおろせないところも多く、経済性が一層悪くなっています。このような場所では、伐採をいっそあきらめれば、そのあとは倒木更新を経て、いずれ極相林が形成され、防災上の懸念は生じないのです。日本の急峻な山地では林業経営はペイしない、と悟るべきです。

■平野林業のすすめ

 だから日本での林業は、今後はこの教訓を受け、「平地林業」を目指すべきではないでしょうか。平地とは平野農地の大部分を占める水田のことです。何しろ米あまりの時代が今後も続くと予想されるのですから、平野の一部は減反用に常にあいています。大昔は森林を切り開いて農地にしたのですから、その一部を元に戻す格好になります。米作は食料安全保障上必要で、食料自給率を上げるためにも1トンたりとも減産は許されず、そのための水田面積は減らせない、という(もっともと思われる)主張があるかもしれませんが、(もっともでないことに)米だけでは栄養バランスがとれませんし、米は炊飯の燃料がなければ食用にはなりません。安全保障と言うからには、世界から孤立して生きていく手段が必要です。そのためには、石油がない日本では、森林から生産される薪炭もいざとなれば大切で、運搬手段のガソリンなども逼迫することから、森が住居近くの平野に必要なのです。以上のように、単なる数字に過ぎない(それも米だけの)食糧自給率のみを考えるのは片手落ちで、いわば生存手段自給率のような考えをとるべきです。

 日本では先祖代々の土地がなぜ水田になっているかというと、農民が食糧安保に協力しているわけでなく、(売却処分はご先祖様に申し訳なくできないが、かといって現在遊んでいる)土地を守って行くには水田が一番手間がかからないからであり、生計の大部分はとっくの昔にサラリーに頼っている第2種兼業農家が多いのです。どうせ休耕田として遊んでいる土地に木を植えれば税金等が得ですよ、と言ってやれば雪崩を打って森林利用になるでしょう。もちろん、林業経営としてもそれに見合う(都市保養林としての公共機能も評価した)土地税制等の優遇策を考えてやれば、木材消費地に近いので製品化費用は最小で済み、外材に立派に対抗する経営が出来ます。

■平野の森林で生活を豊かにしよう

 最近縄文時代の人々の生活の豊かさが再認識されています。森林の恵みを十二分に受け、毎日の暮らしを楽しんでいたというのです。

 それに比べ、弥生時代からの伝統を、米作という形で受け継いでいる、我々現在の日本人はどうでしょう。実質江戸時代まで千年以上続いた米経済、米による支配構造などから米作信仰みたいなものがあるのでしょうか、米さえ作っていれば安心だ、という精神構造が受け継がれ、国土の一番良い部分が、水田として、現在の経済でみると最悪の土地使用しかできていません(それらの土地は水田耕作にも適している場所が大部分なのは言うまでもないことですが、一方では、過去の米作優遇策から、生活空間を犠牲にしてまで無理して水田にしている場所も多く見られる)。そのしわ寄せで、日本の都市住民は、狭い土地にウサギ小屋の生活しかできない民族である、との悪名を受け、金はあるのに不幸な生活を余儀なくさせられていると、諸外国からは不思議がられています。

 ヨーロッパを見ると、都市のすぐそばには例えば広大な面積のウィーンの森があります。そのような国土を見ると、欧州人は森を活動拠点としたケルト人から続くロビンフッドの末裔だなとつくづく思います。歩いていけるところに森林がないと、自分の血が納得しないし、安心できないのでしょう。何しろローマ帝国が彼らの土地を攻めたとき、彼らは自陣たる森から丸腰同然で防戦したそうですから。

 我が方にも「桃太郎の話」で、「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは…」との日本人全員が知っている原風景があります。柴刈りとは、現代風に言えば、里山の林の生育管理のための作業でもありますが、森林副産物である下草、雑木を燃料、自給品材料、建築材等の生活材料として使うため、先人はそれらを採取し、合理的に利用する身近な森林生活をしていたのです。現在でも我々はその季節になると、目的は違いますが、山菜採りキノコ狩りに皆、血道をあげるのも、縄文以来の山での採取文化の伝統といえましょう。

 柴刈りを現代的に翻訳すれば、薪ストーブの普及があればいいなということになります。石油と違い薪は再生可能な自前の資源で、地球環境にも優しいし、資源安全保障にもなります。その気になれば、薪になるものはどこにでもあります。用木育成時に刈り取る下ばえの柴がまずあり、その次は枝打ち、又間伐材、最後は製品化の際出る製材くずなどです。用木以外に森からはこんなにもたくさんの燃料材料を有効利用できるのです。食糧危機に至らないまでも、地震などの災害時に薪炭のストックがあれば、何日かは止まるガスに比べ、強い味方となります。また、薪がストーブあるいは暖炉でチロチロと赤い炎を出し燃えるのを見るのはなんと心温まる情景でしょう。これこそ、猿から進化し、火を使うようになったホモサピエンスの証拠かもしれません。

 平野の都市に隣接して森林があれば、都市住民の憩いの場ともなります。日本の都市公園の整備率は先進国最低をようやく抜き出るようになったと言いますが、これは一人当たり面積だけのことであり、それら公園の質を考えると、一つ一つの規模が小さく、植わっている木もなんとせせこましいことかと思います。西洋の公園では広大な園地で、無剪定で、自由奔放に伸びてきた大木が森林を作っているのです。

■国土利用をもっと賢く

 以上の論点の繰り返しになりますが、よくこの狭い日本の、かつまた大部分を山にとられ(一口に山といっても外国のなだらかな丘のようなものと違い、木が生える以外に能がない急な地形の場所ばかりで、山村住民も谷のわずかな平地に住まざるを得ない)、一層狭い平野の、それも大部分を農地に取られ、ごく一部しか割り当てられていない住宅地に、日本人は押し合いへし合い住んでいるものだと考えます。狭いから土地利用はより賢くなければならないのに、過密の都市と、放棄農地に象徴される無策の農村と、一方山村はというと、林業は壊滅一歩手前で、もはや地域の主要産業でなく、老人しか住めず、無人化まであとすぐという状況ですが、これら三地域の土地政策が縦割りの弊害で全体的に調整されていません。そのため、狭い都市区域で低層のウサギ小屋に住み、通勤地獄に苦しむ都市住民、一方土地は比較的広いが、相続税に悩み後継者もいない、産業とはとうてい言えない農業の将来に絶望している農民、また過疎で既にコミュニティが崩壊している山村住民が三者三様に苦しんでいます。

 いっそ山間地を都市住民の保養地に特化してしまったらどうでしょうか。日本の山は急峻すぎて、林業経営には向かないと、割り切るのです。住民はいなくなるけれど、かえって過疎対策という一部住民が残ることによる出費がなくなるし、定住者の代わりに都市からの訪問者によりにぎわうからよいと割り切るのです。山間部によく見られる、猫の額ほどの棚田も日本的風景の一つですが、米あまりでは、森林に戻すしかありません。米は米作に適した平野の真ん中の大区画の水田で作るのが合理的です。その代表格の八郎潟干拓地などは減反ゼロにすればよいのです。(平野の水田を森林に戻すにあたっては、小区画で、水利が難しく、市街地に近いなど、生産効率性が比較的劣る部分から進めていくべきなのは、最低限の米作がなお必要な現状では当然のことです)

 よく「山を守らなければ」という言葉を聞きます。山村の産業を建て直し、そこでの生活が続くようにすれば、山の機能が守られるようになり、ひいては日本の国土のためになるとの考えでしょうが、山の主要産業の対象である材木は、米と同様今や完全な国際商品になってしまいました。貿易障壁等でそれらの産業を保護することはできません。現在の世界貿易秩序の中で、競争力を持っていないものは、日本国内でも自立した産業とは認められないでしょう。自立できない産業は結局のところその存続は無理である、という現実は残念ながら認めざるを得ません。認めた上で、山の機能を今後とも守って行くにはどうしたらよいか…前述の拙論もその一案ですが…を議論すべきです。

■日本人を幸福にする日本へ

 日本には1200兆円に及ぶ金融資産があるといいます。それほどリッチなのですが、使い道がなく、大部分は銀行に預けたままだし、銀行も貸出先が国内にはなく、アメリカの国債を買っているといいます。アメリカ人の幸福のために役立っている始末です。日本人の幸福のために使うには、国内での使い道、特に生活向上のために使うにはどうしたらよいのかを考えることが緊急課題です。そうすれば国内経済の活性化になり、投資そのものが生活ストックの向上になり、二重の意味で日本人のためになるからです。

 日本人は今まではものを買い、身の回りに置くことで、充足感を抱いてきましたが、もはやこの充足感は完全に満たされ、狭い家の中には、置く場所もないくらいです。そうであるのに、未だにものを作り続けるのは、経済を知らなさすぎます。置く場所の確保、すなわち住宅投資(それも宅地面積、床面積を十分確保した余裕のある住宅)が必要で、その隘路となっている高すぎる地価を解決する土地政策の抜本的な再スタートが待たれています。さらには都市の住環境を抜本的にグレードアップすることが、幸福への次の課題となり、そのためにも前記の山地、農地、都市の3地域の土地利用の総合的調整を行い、ゆとりのある都市の面積確保につなげていくことが前提となるのです。つまり、狭い国土を林業、農業のための「生産空間」に今まで最大限割いていたものを、「生活空間」へシフトさせることに意義を見いだすのです。

 本稿の主題である森林、農地のあり方はまずこのことに関係します。

■自然保護は国土の使い方から

 狭い日本の各地で開発と自然保護の対立が続出しています。根本の原因はこれまで述べたように、結局のところ賢い土地利用ができていないからではないでしょうか。

 国土を大別して平野と山地に分けた場合、大ざっぱに言うと、平野部は人間が主人公で、一億余の国民を養うためにはある程度の開発は仕方がないのでしょう。人口を縄文時代の昔に戻すことはできないからです。もちろんそれでも不必要な開発がないように、あるいは自然への影響がなるべく少なくなるように監視はすべきです。

 一方面積が大きい山地部は前述したとおり人間の利用には不利なところがあるので、自然が主人公と割り切るのです。そこでの唯一の産業とも言える衰退一途の林業の生き残り政策は、中山間地の活性化というせまい見方だけからは肯定される面はあるのですが、国土全体を見渡した場合合理的か、縦割りの弊害になっていないか検証すべきです。太古の昔から人間が国土の隅々まで進出し、山間部にも居住してきた変化と同様、現在、正反対に人間居住が撤退し、昔の自然に返りつつある、というごく自然の動きなのだと理解すればよいのです。

自然保護は人間活動との調和にその神髄があると言います。地域をゾーンに分けて自然保護を考える手法になっていますが、国土の大部分に相当する山地が自然に返るというこの趨勢の助長を、自然保護活動の中心に据えることが、大局的に見れば、より合理的と言えるのではないでしょうか。

 再び本稿の主題は我が国の自然保護とも密接に関係することを以上説明しました。

遊休水田に木を植え、平野の森林をつくろう(終わり)

 
 我が国では、国土の大部分を占用する農林業が危機に瀕して久しい。もしそれら産業が壊滅するならば、その影響は、その産業内にとどまらず、国土(の環境)政策にも大きな影響を与えるであろう。問題の根元はそれら産業従事者の所得が十分確保できないところにあるが、以下に、逆転の発想的「所得が少なくても成り立つ」農業のもう一つの経済体系構築を提案するものである。(林業については本誌2000年4月号拙稿「遊休水田に木を植え、平野の森林を作ろう」を参照してください)
 
 現行の政策は、農産物の輸入制限をし、その価格を低値の国際価格より上に保って、農家所得を確保することになっているが、それでは農産物消費者の負担において、国土を保全する費用をまかなうことになり、大いなる矛盾を生じかねない。
 
 日本の国土は世界全体から見て、とるに足らないほど狭い。その狭い国土の7割以上が人間の利用困難な急峻な山地で、残るわずかな平地に生活のための農地、都市がかたまっている。ここに、世界有数の人口、1億3千万近くの国民が生活していかざるを得ない、きわめて過密な状態にある。
 
 日本人はその狭さを、様々工夫して克服してきたが、その工夫は江戸時代に遡る。平地農業の区域を少しでも増やそうと、平野を縦横に網の目のように流れる河川を改修して、流路を固定し、旧河川あとの荒れ地にも新田を開発した。丘陵地の水利がない場所にも溜池など灌漑施設を建設し、そこにも農地を広げた。極めつけは、急傾斜地にも千枚田とも呼ばれる棚田あるいは段々畑を広げてきた。それらの農地拡大の努力によっても、江戸期3千万の人口を養うのは大変だった。そのためさらには、限られた面積から最大の収量を目指す、(労働)集約農業が工夫されてきた。一方農地として利用されない集落周辺の丘陵地も、「里山」として、生活資材の共同採取場所として利用した。
 
 人々が集まり住む都市でも、都市内交通手段の制約(事実上徒歩のみ)から密住とならざるを得ないから、農村都市あわせて、日本人の生活の場は、国土の狭さ、利用できる土地の制約を「狭く賢く」克服する生活になってしまう状況だった。
 
 平成の今日はどうだろうか?戦後の高度成長に伴う工業開発、都市開発では新しい土地需要が発生したが、それには一方で続いてきた農業を犠牲にして対応してきた。農地をつぶしても、農産物は工業化の所得で輸入することができる。国民の食生活の変化で米食が減少し、平地農業の主役だった水田稲作が衰退したことも、農地転用に拍車をかけた。2次3次産業の所得の伸びに比べて、農業一次産業の所得が相対的に低くとどまったことからも、同様の結果を生んだ。生活資材が工業製品でまかなわれる現在、里山も無用の長物として、当たり前のように他の開発用地むけにつぶされていった。
 
 以上見てきたように、日本の国土がその経済の変化に必要とするまま変わってきたのだが、それで良いものだろうか?
 
 工業あるいは都市開発に転用される条件の良いところはそれでもまだよいが、農林業の衰退は全国的だから、転用先のない場合は、放棄され荒れ地となってしまう。
 
 問題は、日本では経済原則にあわない農林業等の一次産業が存続できないところにある。一次産品は輸入すれば手に入れることができるが、農林業が形作ってきた国土は他からは買うことができない。経済的合理性だけで動くと、経済の枠外にもある諸々の価値が影響を受けるのである。
 
 だからと言って、農林産品の輸入制限をして国内農林業を保護しようというのは、自由貿易立国である我が国がとるべき道ではない。また、農林業収入の不足分を補おうという、欧州などでとられている所得補填の方法も、根本策としてはありえない。産業としての農林業の自立に害となるからだ。
 
 放棄された農林地は荒れ地になるというが、野性的自然の方から見れば、人為からもとの自然に戻るだけだと考えられる。しかし、人為的自然という言葉があるとしよう。人間が営々と築いてきた人為的「自然」、それは山の美林とか美しい田園風景とかいうことになるが、それらを残したいとする人間の気持ちはそれなりの価値はあるであろう。
 
 そのための唯一の解決策は、農林業を低所得のままで、成り立たせることである。
 
 産業に携わる人の生活の糧を確保するにはどうしたらよいか。
 
 それは、所得の数字を他の産業並に引き上げることとは限らない。要は、産業従事者の幸福な生活が成り立ちさえすればよい。外国とくにアジア諸国を見ればわかる。彼らの所得を為替換算して円ベースにすれば、きわめて低い数字になるが、現地の物価も安いから、生活に困るということはない。日本など先進国からの輸入品の購入を家計支出の中心に据えなければ、全く支障はない。幸福な生活を保障するのは、必ずしも貨幣で換算できる数字によるわけでない。
 
 日本にかえって農業所得を考えると、農業をしていれば、自己の食料のある部分は自家生産できるから、その分の購入に充てる所得は必要ない。近辺の農林水産業の従事者との間で、互いに産品を交換すれば、自家生産の範囲が広がる。その場合、物々交換を課税対象としないことが必要だ。地方部だから、住居費も大したことはない。都会での見栄もないから、衣料費もそうは必要ない。衣食住足りて、あとは何が必要だろうか?
 
 要は、農林業地域の経済を別に構築し、「農林業経済地域」とすることである。それは貨幣換算した数字の経済でない。幸せな生活実態を目的とする経済だ。生活に必要なものが調達できればよいとする経済だ。その場合税制も応援すべきだ(すくなくとも邪魔をしないことだ)。所得の数字は低いし、農林業自体が国土形成に役立っているのだから、所得税、固定資産税などは無税に近くすべきだ。何かの流通製品を買えば、消費税は平等に払うのは当然だが。
 
 明治初年に、我が国をそれまでの米経済から貨幣経済に完全に変えるため、農民にも換金農産物の生産を奨励した。彼らも貨幣経済に組み入れられ、米の物納でなく、現金収入に課税し、国家の税収を確保してきた。これが我が国の近代化の道だったが、その部分を江戸時代に戻すことをしたらどうかと言っているのである。
 
 農林業地域から得られる税収より、つぎ込む税金の方が多いのだから、税務・財政上の合理性もある。
 
 以上の農林業経済地域の経済であれば、日本の主流を行く工業化経済から分離でき、国内が二重経済にはなるが、十分自立していけると確信する。中央、地方の違いで言えば、地方でも中央の後追いという無理な道を選ばなくとも、農林業で活性化できる。活性化とはそこに住む人の満足、生き甲斐の問題だからだ。
 
 問題は、その農林業従事者を確保できるかどうかだ。若い人が都会の便利な生活を求め、地方を捨てる傾向は今でも続いている。だから「低所得でも満足な生活」に十分説得性がなければならない。
 
 日本人はそもそもが自然を愛する民族だ。恵まれた自然があり、その中での生活を何よりも大事にしてきた。しかし「ゆたかになりたい」という向上心が他民族よりも強く、世界第二位の経済大国にまでなった。その代償が皮肉にも自然と隔離された生活だったのだ。
 
 現在の経済不況の中では、都会で仕事が見つけ得ない人、そのなかでもとくに中高年齢者には、自然のなかのこのような生活に戻ることに最も魅力を感じるのではないか。
 
 農林業も機械化され、非力な老齢者であっても十分従事していけるものになっている。
 
 その好例が、水稲耕作だ。機械化の結果などもあり、一反歩の水田に実質かける労働時間は4ヶ月後の収穫までに合計してわずか一週間だという。後継者のいない農家が高齢者だけでとりあえず農業を継続できるのは水田作業が合理化されたからという。
 
 米ばかりとれすぎたらどうするか?親戚知り合いなどへの贈答米としたらよい。それでも余分があれば、近所の店に直接「手作り米」として出したらよい。そのように、農協集荷あるいはその先のグローバルな商品流通とは無縁な世界に安住すれば、安定的な販路あるいは価格が保証されなくとも、気にならなくなる。価格競争力をつけるための無理な機械化あるいは圃場規模拡大をしなくてもすむ。
 
 消費する側に立ってみると、米にしてもそれ以外の野菜などの農産品にしても、物々交換ないしは地域で小規模に流通するものに依存するわけだから、規格大規模流通によるメリットは享受できないが、生産者の顔が見え「安心」できる食生活が実現できる。
 
 農林業経済区域では、自然の中の仕事を愛する人たちが、互いにコミュニティを形成し、貨幣所得の多さより生活の質に価値を見いだす。自分の仕事が美しい国土保全に役立つというプライドを持つ。この会誌の読者に即して言えば、多自然の環境の中に働き、暮らす理想を実現できるのである。陶淵明の「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす」との気持ちを現代の日本において共感するのである。
 
あとがき
 
 読者には、都会の周辺で、水辺の自然回復に興味を持たれる方が多いと推察する。それらは重要なことだが、全国に目を転ずれば、地方部では基幹の産業であるべき農林水産業等の衰退により地盤沈下し、活性化のために努力した工業化策などが無惨にも失敗した結果、とばっちりで国土がさながら廃墟になったかのごとく疲弊している。日本国民が誇ってきた「美しい国土」が、高度成長期あるいはバブルの宴のあと、気がつかないうちに損なわれているのを目にするのである。それらにも是非関心を持っていただきたく、小論をまとめた次第である。

 


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