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右肩下がりの経済           
 
   最近、道路がすいている。おかげで、筆者の利用する都内のバスもほとんど定時走行状態だ。
 
 それは極端な渋滞をあまり経験しなくなった程度だが、道路の理想の状態というのは、なにより、定時に移動できることなのだと、再認識させられた。
 
 最近はやりの「アウトカム指標」の道路版、渋滞による損失時間の短縮は、今後交通量が(さらに)減ることになれば、自動的に達成されるところもあるだろう。道路事業の目的の大半は容量不足解消の量対策にあったわけだから、今後はその主力を環境面あるいは規格不足解消など質対策に向けることができるようになる。
 
 ところで、増加の一方だった自動車交通量がいずれ頭打ちになることは当然予測されることだったが、その時をそろそろ迎えることになるようだ。2030年がそのピークの年だと言われている。ピークを前に全体の伸びが鈍化しているので、冒頭述べたように、場所によっては既に減少に転じているところもあるのだろう。
 
 交通量予測のおおもととなる人口予測はどうなっているだろうか。
 
 経済大国日本ではその豊かさ故の少子化傾向がだいぶ前から始まっている。この傾向を未来に予測し、平均寿命予測も加えれば、戦後一貫して伸び続けた総人口がピークに達し、減少に転ずる時代になる。2006年がその年だという。
 
 この半世紀来、未経験の人口減少は何をもたらすのか。国民総生産(GDP)は一人あたり所得に総人口を掛けたものだから、GDPが減少してもおかしくない時代に突入するのである。今まで、すべてのことが「右肩上がり」の経済を前提として行われてきた。「右肩下がり」ということになればやり方を大転換しなければ進まない。

 

  問題は経済全体より、その部分である産業構造の変化のほうだ。
 
 ITなどにより脱工業化社会となって、産業構造の激変が始まった。社会経済をそれにあわせていかなくてはならないが、あまりにも変化が速く、追いつかない。そこで、小泉内閣の構造改革となっている。経済で問題があるとすれば、脱落させられるべき構造不況業種だ。いままでは、公的な救済がなされてきたが、産業構造の主流からはずれているのだから、救済でなく、経営あるいは雇用の新分野への転換が必要だ。そのためのセーフティネットは必要だが、まるまる救う愚はとらない、というのであろう。また、この構造改革は供給側の合理化となり、供給力をつけることになるから、デフレを助長することになりはするが、決してデフレ脱出対策にはなり得ない。デフレ対策には有効需要の創出だが、バブル時代の狂乱・虚飾需要の反省がある。そのようなデフレ対策よりも改革のほうを進めよ、というのが国民の了解だ。
 
 改革に伴う苦しみは構造転換のほうからなのだが、改革の結果にすぎないデフレ経済がやり玉にあげられている。

問題なのは構造不況業種という「部分」だけであり、今まで、我が国で、企業内失業というかたちであるいは流通の複雑な構造のなかなどに半ば社会主義的に温存されてきた「ぬるま湯的」部分が是正されつつある。

それは資本主義が徹底していく現象なのだと、現今の日本経済を評価することが出来る。

「右肩下がり」は肥満した日本経済が健全部分を残してスリム化される過程だとも説明できる。

「痛みを恐れず」改革を進める、と言うからには、「痛み」が付随するのは承知のことなのだ。
 

 我々建設業界もある意味でその痛々しい構造不況「的」業種だ。社会・経済そのものの活動が「右肩下がり」になれば、その基盤インフラの役割も自ずと「右肩下がり」の考え方に追随せざるを得ない。その意味で、自らが不況業種に陥ったというより、社会基盤整備の役目が(相変わらず重要だが)少なくなったという理解だ。「右肩下がり」の意味するところは、量の要求が少なくなったことは勿論だが、質的にも、「スリムな日本でのインフラはどうあるべきか」を理解すべきで、そうしなければ、本当の構造不況業種になってしまう。

 

  戦後高度成長の時期には、人口も増えたが、所得倍増計画など、一人あたりの所得も増える一方で、掛け合わせた結果の経済規模は最大毎年二桁伸びの成長を達成した。昭和が平成に変わる頃、その所得が伸びきって、物質的に満たされた生活が得られるようになったときに合わせたかのように、バブルの崩壊が始まった。バブルは、その前の円高対策経済・低金利政策で、土地・株の異常な伸びの仮需要により、経済が実体をはるかに超え膨張した結果だから、その反動で崩壊するのは当然なのだが、崩壊しきったあと、回復が想定されたにも関わらず、1990年年初(株価でのピーク)以来12年以上も「右肩下がり」が続いているのは何故だろうか。
 
 バブルの崩壊というのは、適正経済規模までの強制収縮、一種の調整ともいえる比較的短期の景気変動なのだが、そのあと今日に至る現象は、景気変動というより、戦後数十年右肩上がりできた経済が、ちょうど時期を合わせ、定常状態あるいは下り局面へのトレンド変化点に達したのである。金融不全の問題、米国経済(IT)バブルの崩壊など、経済の局面の説明は多々あるが、おおもとは、以上の長期的なトレンドから説明ができる。
 
 トレンド変化の理由には日本国民の世代交代がある。
 
 私たち戦後の成長経済を担った世代と、次の世代の現在中堅までの人たちとは、「豊かさを得たい」という切実感 ─それが経済の原動力と言ってもよい─ に明らかな違いがある。親ゆずりの住宅があって、カットされたといっても、国際的に比較すればまだまだ高い収入があれば、何をあくせくする必要があろうか。デフレだとは言っても、戦前の世界恐慌の時の悲惨さに比べれば気楽なものだ。「売家と唐様で書く三代目」と言われるが、日本も(よく言えば成熟した)その時代に入ったのだ。あとは、ベンチャー精神に富む若者が頑張れば、それなりの日本の(以前よりは安定した)経済になるという理解でよいのではないか。

 
  「スリム」というのはどういうことだろうか。
 
 「右肩上がり」に慣れた我々世代は、今まで何らかの施設を計画する場合、将来の不測の需要増に対して十分だろうか?もっと規格の良いものにしておかなければ、将来禍根を残すのではないか?と金にあかして、場合によっては過度に多量良質のものを目指してきた。

豊かさを未来に獲得しようという成長の時代の雰囲気がそれを許してきたこともある。

「スリム」さが要求されるこれからは、日本人と日本国の身の丈にあったちょうど良いものを目指す(当たり前のことだが)ことで、すべてが言いあらわせるのかもしれない。
 

 今後、過度のデフレ修正のため、一時的に公的需要創出の役割で公共事業が盛んになることはあるが、「右肩下がり」がトレンドであることは基本の考えとしなければならない。
 
 日本の全ての産業が、この「右肩下がり」の経済に合わせ個々に転換を図らなければならないが、以上、建設業界も同様だということを述べた。