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デフレより悪いインフレ(2001.3.13)


現在のデフレの時代は生活者の感覚でいうと理想状態に近い。

 反対に、戦後何回か経験したインフレの時代は、今思うと悪夢にすら感じる。ものの値段は否応なしに例外なし一律に上がる。対応すべきこちらの収入は上がるには上がるが、いつも遅れて上がるし、上がり方も各人の「才覚」により極端にばらつく。先を見る動物的な嗅覚のみが「才覚」の実質で、賭に近いところがあった。戦後最初でハイパーインフレだった焼け跡時代をそれらの典型として思い出すが、実にいやな時代だった。

 現在のデフレは物価の下降が続く過去に経験しないものだ。給料が上がることはないが、購買力は少しは増えるから、生活実感は豊かになる。そもそもはものが有り余っているから、買わない。買わないから値段が下がる。下がっても、欲しいものがないから、買わない。売る方は人々が欲しがるものをあれこれと工夫するから、消費者は王様のような気分になる。リストラにあって収入がなくなる、あるいは激減するのでなければ、生産者の立場に立っても、売れる製品を作ろうという目標ができて励みになる。人々が本当に努力する時代だ。

 インフレの時代は逆だった。見境もなくすべての値段が上がった。本来なら売れもしないものとか、能力のない人の給料までもが上がった。すべてがおおざっぱに「救済」されたのである。

 さて、今回のバブルとその崩壊のことだ。

 バブルではインフレ現象といってもものの値段すべてが極端に上がったわけではない。地価とか株価の値上がりが顕著だった特徴がある。ほかの一般の製品は値上がりしても限度がある。価格の変動に対して、供給の能力が十分であれば、そんなに上がりはしない。オイルショック後のインフレ時代にトイレットペーパーを買い占めた気持ちになって後で生産が追いつき馬鹿を見た経験がものをいっている。一方、土地・株は供給が限られた特殊な商品なのである。投機の対象になりやすい。

 ものの値段はなぜ上がるか。人は誰でもより安く買いたがる。ときに、それを高く買う人が出てくるから、ものの値段が上がる。社用族が贈答品を買う場合が典型だ。自分の財布でないし、高価な方がもらう人は喜ぶ。もうひとつは土地・株のように値段がよくわからない場合だ。株は昨日の値段にプラスマイナスするしかない。土地は取引事例からだ。生産したものでないから、原価はない。利用価値から判断すればよいが、土地の利用価値あるいは株の配当から説明できる価格より遙か上に行ってしまっている。近い将来上がるという目算があれば、今いくらであっても買って、転売の時に備える。いわゆる投機の状態だ。

 今回のバブルでその傾向に追い打ちをかけたのが税制だ。土地、株を売ったとしよう。取得原価を控除してもうけた部分には重税がかけられた。日本国民は税金を払うのが嫌いだ。ありのままにに納税するのは、節税(脱税)の能力なしと見なされる。簡単な節税法は収入に見合う支出をなすことだ。代替の土地を購入すれば、その分は控除される。しかし、土地が売れて、代わりの土地がそう簡単に見つかるはずがない。そういう話があれば、値段をよく検討せずに、すぐに契約してしまう。税金でもって行かれるより良いからだ。たしか3年以内に代替土地を購入すべしという判断を急がせる条件も税制には付いていた。土地・株において値段の上昇に鈍感になった結果が、バブルであったのではないか。

 バブルの後始末にいろいろな策が講じられつつある。基本は、「調整」にあるのではないだろうか。すべてをバブルがなかった状態に戻すのである。バブル前の経済成長トレンド線からバブル時代だけこぶのように突出し、経済規模が実力以上に拡大してしまっているが、それを取り除き、トレンド線にまで「落とす」調整が必要だ。現在の日本経済の適正規模の状態にまで強引に収縮させるのである。しかし、たとえそれをしなくとも、デフレという(正義の使者)現象が経済規模の縮小に向け自然と矯正してくれることであろう。