デフレ的環境生活のすすめ


■デフレは原因でなく、結果

 いま、日本は長引くデフレーションに苦しんでいるという。

 でも、デフレで苦しいのではなく、構造改革の対象となった不況業種を中心にリストラクチュア(建て直し)が進んでいるから苦しいのであって、結果として需要が収縮し、デフレとなっている。苦しさを我慢し、がんばればがんばるほど、デフレが進むから、逆に犯人だと誤解される。

■悪夢のインフレ時代

 デフレのことを単に悪し様に言う人はインフレ時代の悪夢を忘れている。昭和40年代からの高度成長時代とついこの間のバブル景気の時代はインフレだったが、土地、ものなどの値段が際限なく上がった。逆に見ると、貨幣の価値が下がったということで、ささやかなストックに頼る弱者の生活を直撃し、一方では、フローの経済にうまく乗る「投機的な才覚」が一攫千金を生み出す、実に嫌な時代だった。

 デフレの時代のリストラとは、別名、インフレ時代からの悪貨が駆逐され、優秀・着実なものが残るということで、インフレで水膨れしたものが、スマートになる過程だと考えたい。

■デフレ的環境生活のすすめ

 デフレがさらにすすむ原因として、長い間期待されていた循環社会の形成が実はかなり進捗していることがあげられる。「循環社会形成基本法」など公的なてこ入れもあったが、人々の心の中に、「もったいない」という気持ちが復活し、「ゴミにしない」から、ゴミのもととなるものを買わないようになったのが主因ではないか。「もったいない」という気持ちは、廃棄物の氾濫を心配したからでもあるが、デフレ的社会の到来が倹約・質実な生活をさせていることが大きい。

 よくデフレの危険を言うわかりやすい話として、「ものの値段と給料も一緒に下がる」と警告することがあるが、下がった給料で暮らすことができれば怖くはない。デフレ的生活はそのことを可能とするものでもある。もちろん、この環境生活で地球、日本国土と生活周辺すべての環境がよくなる。

■ゴミを出さない生活

 廃棄物減量の方法で3Rという言葉がある。これは、従来からのリサイクル(Recycle)がゴミを分別したなかから有用な物質材料あるいは燃やした場合でも熱エネルギーとして再利用しようというものだが、加えて、リユース(Re-use)はものをそのものとして再使用、以上二つにより最終廃棄量を減じようというものだが、三つ目のリデュース(Reduse)はゴミそのものの発生を減少させることで、頭文字のR3つで3Rと呼ばれている。

 デフレ的環境生活では、ものはなるべく買わない、あるものはなるべく大切に長く使う、壊れたら直す、だからゴミはそうは出ない。3Rの第三のR、リデュースをめざす。

■成長の経済学は浪費・廃棄の経済学

 経済学の目的は、人々が幸福に暮らすことができるように、経済規模の成長を目指す「右肩上がり」の考えをとってきた。いま日本では経済成長を遂げ、別の経済の考えが求められている。

 資産デフレ、株価下落から金融不全の問題に発展しているが、インフレ・バブル時代の負の遺産をもつ金融機関あるいは企業が市場から退場し、新しい堅実なものが出てくれば済むことである。

 デフレ下で税収が縮減し、財源不足と累積赤字の問題意識から、公共の基本的な仕事まで抑制的になっている。これは、税制が右肩上がりの経済に対応したままだから、成長しない経済のもとでの税構造、たとえば、外形課税などに早期に移行すればよい話である。

 経済が活発になり、お金が回って、皆がリッチになるといういままでの経済では、陰で浪費・廃棄が必ず付随し、人々が本当に幸福になったのかわからないところがある。どちらであるべきとまでは言えないが、デフレになったのだから、デフレを覚悟して暮らせば、案外それもいいものではないか。

 以上、経済という、本誌にはふさわしくない話になった。以下、デフレ時代の暮らし方で、インフレ時代に当たり前だったことを見直したらよいこと、そしてそれが環境にとってもよいことを、提案したい。

■タクシーをやめて歩こう

 インフレ時代と違って痛快なのは、タクシーの運転手の愛想がよいことだ。当時は「乗せてやる」的態度だったが、それよりもすぐに乗れることがラッキーで、終電後のタクシー乗り場は長蛇の待ち人の列だった。

 デフレの今は、長蛇の待ち車の列にと逆転した。

 でも、今も昔も、そもそも必要が無いのにタクシーを利用してはいないだろうか?短い距離だったら、歩けばよい。そうでなくても、バスもあるし、電車だったらタクシーより速く着く。

 歩けば、健康のためになる。タクシー利用などからの日頃の運動不足の解消に、スポーツジムに通い、多額の会費を取られるのは、二重払いの愚である。

 歩くなどして、タクシーを真に必要な利用に限るようにすれば、大気汚染など交通公害が減少し、道路渋滞による経済損失を回避し、人手・燃料など省力化・省資源となるのである。そして一番個人に関係するのは、省マネーなことである。

■旅行鞄に持ち物をいれ、自分で持って行こう

 宅配便がインフレ時代に急普及した。TVでも紹介されたように、物流の合理化で、安く速く「雑貨」を運ぶことができるようになったのが普及の理由だ。コンビニの普及も商品「雑貨」の物流革命が後押しをしている。発着地、規格大きさが種々雑多な「雑貨」は、以前であれば、大量でバルキーな荷物を得意とする鉄道、海運等の物流主役の上客ではなかった。「雑貨」荷物の仕分け合理化とトラックによる小口運送が、(高速)道路網の整備により、遠距離まで可能となって、以上が実現した。おかげで、日本全国くまなく、トラックが走り回ることになった。

 物流で合理的なのは、モーダルミックスと言って、自動車、鉄道、海運、航空など、それぞれのよいところを組み合わせるところにあるが、道路をトラックがものを運ぶという一色になってしまった感がある。(経済性を追求するあまり)高速道路での無理なトラック運転からの事故も多発している。

 日本は海に囲まれている。海港にはいずれの地域からも遠くないので、海運をうまく物流の中に組み入れれば、さらに安く、省力省資源で運ぶことができる。

 だだし、(トラックにしかできない)翌日までにとか、いま便利の極みに達した贅沢さえ言わなければだ。つまり、旅行で、ゴルフバッグ、スキーセット、スーツケースなど自分の荷物は自分で携行するのが当たり前だった昔の習慣に戻ること、それがひいては環境を守ることになる。

■薪ストーブで暖房を

 いま暖房というと石油ストーブが代表で、安価な石油資源に頼るものが主流だ。室内空気汚染を嫌うので、比較的高価になるがFF式、ガスあるいは電気によるものもある。

 これらいずれもが、石油(および随伴ガス)そのものを消費するか、電気など石油由来のエネルギーを使うものなので、石油という有限な資源をいずれ枯渇させる問題点のほか、地球温暖化ガスの二酸化炭素を増加させる危険もある。

 自動車のように現状では石油でしか走れないものは仕方がない。しかし、単に熱としてエネルギー資源を利用するなら、それを木材など(のバイオマス資源)に求めれば、これらは地球上で無限に循環する資源であり、このエネルギーの究極の源は太陽光だから、自然エネルギーそのもので、人類が持続的に利用できるものと言える。

 薪ストーブの普及が待たれるところだ。今の薪ストーブは、昔と違い、燃焼をきめ細かくコントロールできるタイプがある。ダイヤル一つでとまではいかないが、適温を持続させ、薪の消費も最少にできる。

 問題は、薪の確保である。山村ならいざ知らず、他の都会等では薪の確保は不可能に近い。しかし、ストーブが普及すれば、それなりの輸送体制、流通体制が確立し、林業経営の隘路とも言われる間伐材の画期的な販路となるであろう。薪材採取用の林「畑」も消費地の都会近くにできるかもしれない。

 林業間伐材でなくとも、都会近くには未利用木材が発生する。河川・海岸の流木、公園街路等の都市樹木剪定廃材、さらには、産業廃棄物で最も大量かつ処分困難な建築解体廃材も、処理すれば薪資源に生まれ変わるのである。

■流し水はムダの極致

 SARSが蔓延している。伝染経路は飛沫感染だが、手についたウィルスがあとで口、目等にふれるケースが多いのだという。だから、「手洗いは綿密に、水を流し放しで」となるが、この流し水は必要だ。シャワーをたっぷり使うことがムダと思われようが、こちらだって、その分リラックスできるので人の役には立っている。全くのムダというわけではない。

 ムダな流し水とは、洗面所の蛇口から排水孔に直行する水のことだ。手を洗おうとする。石鹸をつける前に、蛇口を開き、素洗いをするであろう。そのあと石鹸を手に取り、まんべんなく手のひら、甲をこすり、最後に清水ですすぐことになる。この手順の石鹸をこすっている間、蛇口を閉めていないと、上水はそのままムダに下水になってしまう。

 人感の自動水栓か足踏み水栓が欲しい。石鹸の手で蛇口を閉め、開けると、あとで蛇口そのものも洗わなければならない。トイレの手洗い場の蛇口は汚いとの気持ちから、水をかけられベチャベチャになっているのを見かける。

 手洗いは、こまめに蛇口を開け閉めすれば、流し洗いで構わないが、台所の食器洗いなどは、「ため洗い」をしないと、水量が多いだけに実質的なムダとなる。その点、自動食器洗い機は合理的だ。食器洗いの手間を省くだけでなく、ため洗いを極限まで実行している。流し洗いは、最初とすすぎ始め(での給水)と、最後の仕上げすすぎだけだ。節水の機器(従来の方法・手洗いに比べ)と言える。

 上記「デフレ的環境生活」の四つの例を述べた。いずれも省資源・省エネルギーに関係し、ひとりひとりには一番の省マネーになることが結果的に環境を保全するものだ。

 本誌のテーマとする「環境」も、結局は人間社会生活を遠因として、問題化しているものが多い。我々の生活を「デフレ的環境生活」に転換し、「もったいない」という気持ちを復活させれば、解決する問題も多いのである。