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国土・交通チグハグ省
 

恒例となっている友達との町歩きで、「潮風に吹かれてみたい」と、東京湾の海上橋で歩道のあるところを探してみた。

湾奥のレインボーブリッジは首都高速の吊橋だが、一般道が下部に併設され、その路側歩道で橋を渡ることができる。対岸の旧十三号地(台場)は(人工の)島だから無料橋も必要なのだ。
結局は、横浜港口のベイブリッジ(斜張橋)に行くことになったのだが、そこは首都高速だけなので歩道はなく、見学者として車道下の有料展望歩道「スカイウォーク」を片側の主塔まで側径間を部分的に往復するのみだった。ベイブリッジには一般道が併設されていないのである。前記橋と違い、横浜港の両岸を結んで便利になるから、お金が取れる。

ところが、橋の構造上は一般部を後年に併設予定になっており、その工事が始まったばかりである。開通すれば、ベイブリッジを渡るだけの車両の払う通行料が入らなくなり、首都高速の料金収入に少なからぬダメージをあたえることになる。

聞くところによると、首都高速湾岸線の東京港トンネルに平行する一般部トンネルも計画されているという。そのほか、地方部でも道路公団高速道路に平行する国県道の改良整備が盛んに行われている。いずれも、有料道路を利用しない車両のためにも、一般道路を整備すべきだというものだが、世の中の常識では、折角、高い金を借金して整備、営業開始した有料道路の商売の妨害になる。

筆者は道路は無料で作るのが基本であるという方に与するものだが、道路四公団民営化委員会の主張に、ここのところでは、同調したくなる。四十兆円の借金は返すつもりがあるのか、一般道路財源だけでは足りないから、有料道路制度を採算を考えずに利用しているだけなのかと。

表題の「チグハグ」はこの道路間のことだけでない。各種交通インフラ間にも言える。鉄道、海運、自動車間の物流のモーダル・ミックスが進んでいない。国土交通省になって、これら交通インフラと交通行政が全て取り込まれたのにである。

四囲が海の日本では、海港の便には事欠かないので、物流の主要部分に海運が組み込まれて当然だ。一試算では、三百キロ以上の距離では、海運に長があるという。ところが、現状では、内航海運が担当するのは、主として、バルキーなバラ積み貨物だけである。貨物主流の「雑貨」に対応できるのはコンテナだが、内航では振るわない。せいぜい外航コンテナをハブ・ポートから諸港にフィードする場合だけだ。陸上コンテナの中間区間を海運で引き受けることをしない。

鉄道も同様だ。

以上のことには、鉄道、海運側の努力不足は否めないし、また、これら物流手段の起終点での自動車との積み替えの合理化が依然十分でないこともある。だから「環境負荷の小さい物流体系」構築の趣旨での努力がなされてはいる。しかし見方を変えると、これだけ自動車運送一辺倒になったのは、そのインフラたる道路側にも「責任」がありはしないだろうか。というのも、道路の整備がこれだけ進んだ(もちろんほかに比べてである)ことにより、物流の理想的な分担の在り方にひずみを生じさせているのではないかということだ。信じ難いほど悪かった道路を、今日、信頼できる公共施設の代表にした功績はきわめて大きいが、他に比べダントツだったのだ。

最近、高速道路でマイカーを走らせていると、併走する車の過半は貨物車だ。アルミボックス荷台の車で、何を運んでいるのか、あるいは満載なのかは、外見からはわからない。宅配便あるいはコンビニなどへの商品配送がいずれも少量かつジャストインタイムのものだということから類推すると、小口混載で、車速が出るところから、満載にはほど遠い量なのではないだろうか。

物流のエネルギー効率からすると、きわめて低い。おまけに、ドライバーがずっと貼り付けで、省力化ということからも問題だ。トラック業界の過当競争による労働条件の低さも問題で、最近の高速道路上の大事故の遠因となっている。安値運行を脱税で支えている不正軽油は深刻な大気汚染と副産物の有害・硫酸ピッチの不法投棄の原因になっている。

このようになってしまったのは、道路「だけ」が便利になり自動車交通へと偏重し、さらには自動車物流を前提とする贅沢な生活を当然と思うようになったから、と言うこともできる。自動車物流を後押ししたのは、道路交通手段内で費用負担の車種間プール(内部補助)があるとの疑いもある。乗用車と貨物車の比較で、税負担、燃料費負担(油種別価格差)、通行料金負担のいずれもが、応分負担ということからみて前者に重く後者に軽いのである。主として乗用車向けのガソリンは税も含め高い。これらは民生の犠牲のもとに産業を育成してきた政策の惰性からかもしれない。

道路公団民営化で通行料金一割(あるいはそれ以上)の値下げが可能になるという。マイカーにとっては結構なことだが、物流ということになると、道路だけが安くなれば、より便利になり良いではないか、ということにはならない。物流という国家基本の経済行為を適正化していくには、道路の建設・運営の費用を単に受益者に負担させればよいという(前記民営化委員会も主張する)考えでなく、有料道路であれば通行料金を物流を適正化するための「政策」として考えてもらいたい。

以上は物流だけの話ではない。道路が便利になり、マイカーが普及したおかげで、地方部では、圧倒的多数の人の生活スタイルとその舞台となるまちづくりが激変した。米国の車社会に似た、マイカー社会型都市というのだろうか、これが地方の生活の豊かな一面となったのは事実である。しかし、それが、一方では公共交通の採算性を落とし、衰退した結果、車社会のらち外にある老人と高校生以下の交通弱者問題が、解決策がないまま、放置されているのである。

道路というのは、揮発油税ほか自動車保有の費用を負担させやすいから、整備が進み、利用がそれに偏る、という愚にはなってほしくないと思うのである。