INDEXに戻る

水と砂漠と文明、それぞれの因果関係


 人間文明とそこに不可欠な水資源との関わりかたに興味を持っている。本誌にそくして言えば、大きな意味で、河川とその水に関わる人間の文化だからだ。
 水は地球上に無尽蔵にありながら、その所在する場所、時期にかたよりがあり、また質の制約をうけるので、(希少)資源の扱いとなっている。無尽蔵といっても、大部分は塩分質の水(海水)であり、それらは沿岸地方での冷却用途以外では資源であるとは言えない。残りの淡水は、主として海水から蒸発・降雨という自然の循環過程をへて繰り返し得ることができ、水全体から見てごく一部になるが、それでも量は莫大だ。しかし、広い地球上では様々な気候(降雨パターン)があり、乾燥地帯で、あるいは乾季という時期にはきわめて貴重な資源となるのである。これら特異条件を考慮すれば、水は比較的豊富(でかつ重要なことだが、再生可能)な資源として賢明に(繰り返し)利用することが可能である。
 「再生可能な資源を賢明に利用する」という意味は、天から与えられ折角そこに存在する水資源なのだから、全体をフルに(豊富にあれば、文字通り湯水のごとくふんだんに、また当然だが、人間以外の生物のことも考え)利用して構わないということだ。利用しない分は無駄に海に流れ去ってしまうだけなのである(もちろん海に淡水が必要な場合もある)。「再生可能」ということには、水はなくなるわけでないので、使用したら処理をしてもとへ戻すということが必要条件としてある。
 このような資源であるのに、我が国ではその性格の特殊な一面にしかすぎない希少性のみを一般化し強調した議論が盛んだ。それも人間の文明の栄枯と因果づけようとする「文明論」として。
 そこで、以下のような議論を展開したが、その中には大胆な仮説も含まれているので、読者諸氏の大いなる反響を期待したい。

  ■砂漠化は文明の仕業か?
 水が希少な場所の代表は砂漠である。水が比較して豊富な我が国から見ると、砂漠は人間文明とは対極の位置にあるように思える。水が枯渇し文明が滅んだ土地としての砂漠の印象が拭えないのだ。  その砂漠が、現在でも「砂漠化」によって拡大しているという。
 過放牧による植生破壊、農地利用の大規模灌漑の末の塩害、更にはそれらの結果裸地化した表土が風食、水食され、表面の植生土壌を喪失して、砂漠化は進むと説明されている。以上は人間活動によるものだから、その最たるものとして文明が敵視されるのである。
 私の疑問は、果たしてそれらが砂漠化の第一原因だろうか?ということだ。
 当然ながら第一原因はそもそもが乾燥地帯だということで、以上の要因は乾燥地帯にもかかわらずギリギリの植生を保ち続けてきた土地を砂漠化(砂漠の拡大)させる引き金になっているだけなのである。
 いったん砂漠化した土地を復元するにはどうしたらよいか。
 それには土壌を改良するなど、植生が回復する努力を積み重ね、緑に覆われるようにする。いったんそうなれば、土壌の保水力が増し、地域が湿潤化し降雨も増して、元の土地に戻るというものだ。しかし、乾燥地帯であることに変わりが生じるほどではない。そもそも雨が降るかどうかはもっと別の要因によるところが大きい。
 雨の原因になる地球表面から大気中への水分補給(蒸発)は海洋からのものが大部分であろう。大陸内部ではその海が遠いことだけでもって降雨は少なくなる(内陸砂漠)。風向も重要だ。風が陸から海にばかり吹く場合は、海岸地域といえど雨は期待できない(海岸砂漠)。
 サハラ、ゴビなどの砂漠は前者の理由により、アフリカ西海岸のナミビア・ナミブ砂漠あるいは南アメリカ西海岸のペルー砂漠、チリ・アタカマ砂漠は後者などの理由で有史以来砂漠であり続けている。雨雲の発生にかかわる山岳のあるなしにも関係する。わが国の日本海側冬季の降水(降雪)はその代表例だ。砂漠の存在は文明の興亡とは無関係である。
 以上の説明はもちろん大陸移動のあった地質時代のことではない。地球上に占める位置が変わってしまえば気候はもちろん変わることになる。

  ■文明はなぜ砂漠地帯に発生したのか?
 エジプト、メソボタミヤ、インダス、黄河の四大文明の土地はいずれも現在砂漠・半砂漠かあるいはそのちかくに位置している。だから文明が栄えその結果として周辺が砂漠化し、さらにその結果として文明が滅んだとの誤解を受けやすい。
 大きな間違いである。文明はもともとの砂漠地帯に生まれた。そこでは水資源に制約はあるが、それは使い方次第で、文明発生の要因は別にあったのである。
 そもそも文明が起きるのは、農業が可能であるとかの暮らしやすさの条件によるものではない。日本で言えば縄文時代は森林地帯で採取・耕作文化により人々は豊かな生活をおくっていたと言われる。人々が豊かな生活をしていても、文明は生まれない。現代でも、ニューギニアの森林の民も同じだろう。石器時代さながらの生活だが、餓死する人はいない。彼らなりの幸せな生活が営まれている。むしろ文明に出会うことにより不幸なことになることすらある。
 文明の成立の第一条件は多くの人間が集まり、大社会を作ることにある。集まるための条件の第一は、移動が楽だということだ。砂漠は一般には酷暑乾燥の過酷な土地で、旅行するのも命がけだと思われている。しかし、点在するオアシスを結んで行けば意外と楽である。足もとは砂だからどこでも歩くのは比較的容易だ。砂漠というと歩きづらい「砂丘地帯」を連想させるが、砂ばかりとは限らず、土漠、岩漠などもある。反対に歩くのに難儀するのは、湿潤地帯ではなかろうか?現在のような道路はないから、平坦であれば水はけが悪く、間違いなく湿地ばかりで、泥濘に足を取られながら歩くのは不可能に近く、特別の目的がない限り隣の村まで行くこともないであろう。ニューギニアの現状もそうだ。自分の土地で食っていけるなら、苦労して移動することもない。
 さらに四大文明の土地では人々は集まり暮らす特別な目的があった。他も同じだが、例えばエジプトではナイル川の水がある。水はナイル川にしかないから、人々は川沿いに集まることになる。ナイル川の水のもととなる雨は遙か上流に降ったものだ。貫流するエジプトは昔も乾燥地帯だったが、ナイルの賜であるおかげで、周辺地帯から人が集まる。さらには大河川からの水利事業には多くの人間を必要とすることもある。人間が多く集まれば、権力者が生まれ、余剰穀物などの富が集められ、権力のために使われる。そこで文明が生まれた。エジプトと縄文時代の日本とは個々の人間の生活の豊かさにたいした違いはないのに、社会が大きくなると、文明という歴史上の区分を受けることになる。

  ■サハラが砂漠になって人が移動した
 この項は大胆な仮説である。大陸移動とか地球の自転軸が現在とは大きく異なっていたとかの地質時代にさかのぼる仮説である。
 サハラ砂漠には河川の浸食による地形が残っているそうである。現在の乾燥気候は昔からのものでなく、地質時代の大昔には多雨の気候だったこともある証拠となっている。その当時に人類がサハラ地域に住んでいたとしたらどうなるであろうか。乾燥化は徐々に進んだので、居住条件の悪化に伴い、他の条件の良いところへ移動したはずである。東方には大河のナイルがある。ナイル川沿岸には砂漠化難民があふれかえったであろう。文明は集まった人によって作り上げられた。
 歴史で習ったアーリア人の大移動も、もとからの居住地のユーラシア大陸中央部の条件悪化で、ヨーロッパ、インド北部に移動し、そこで文明を起こしたものと考えられる。トルコ民族が中央アジアから現在の小アジアに移動し、二度にわたり帝国を築き上げたのも、前々者前者の例に比べるとごく最近の歴史時代に属するが、居住条件の変化があったのもきっかけであろう。
 居住条件の悪化をもたらすのは、第一には人間生活に不可欠な(用)水条件の悪化だから、原因としては、一に降雨等の気候変動だが、もう一つ考えられるのは河川流路の移動であろう。後者の例はインダス川の川筋が移動し、川から離れてしまったモヘンジョダロなどの都市の滅亡だろう。
 人が民族的規模で移動すると世界史的な何かが起きる。移動する原因は「水」であることが多い。
 日本列島ではどうだったろうか。大陸から切り離されたあと、その始まりを一万年以上前からとする縄文時代に、列島に取り残された人々は、水に恵まれていたから、居所をそんなに移動することもなく、幸福な生活をおくっていたに違いない。それぞれの身近な川沿いにささやかな文化を形成しつつ。

  ■河川の文化から文明へ
 人間の生存および社会に不可欠な水の存在する河川とそこに人間社会が営まれることにより、人間社会と河川とが関わり、あるいはそれは水資源への対応の仕方といってもよいが、そこから水に対する文化が生まれる。そこが世界的な大河川であれば文明となり、日本的な身近な河川であれば、本誌のテーマである河川文化となる。どちらも本質は同じだが、上記文明にみられるように水の偏在のスケールが大きくなると、身近な河川文化に慣れた我々には理解が届かなくなるようである。
 彼我で水資源への対応の違いはどこにあるのか。それは水利用の賢明さについての差が大きい。水の偏在が大きいと、それなりに社会的に賢い水使用にならざるを得ないが、我が国のように普段から水に恵まれていると、いざ渇水となるとあわてふためき、賢い対処ができなくなるようだ。冒頭で述べたように、水資源の特性をよく理解したうえでの水使用を心がけたい。
 本誌でも過去説明したが、渇水に限らず、洪水をあわせた水関係の災害あるいは地震などもあわせた一般の災害すべてに当てはまる、いずれもの異常事態に日本人は巧く対処できない。異常時での対処あるいは事前の対策をマネージ(リスクマネージメント)できない。渇水災害で言えば、日頃水資源供給施設の準備を怠っていると、否が応でも節水に追い込まれる。それではマネージとは言えない。逆に通常時での省資源的な意味合いの節水に重きを置く。省資源の考えで節水をすべきなのだから、その結果として充足していれば、水資源供給施設は不要だ、という理屈で対策を怠る。通常時で水がある程度豊富な場合は、この理屈は成り立つが、異常時の渇水状態を想起できない。
 以上述べた文明の土地の人々は、砂漠など乾燥地帯における水資源の限界を日常的によく理解したので、水に比較的恵まれない中でも文明を作り上げ得たものと思われる。
 一方日本では恵まれた日常において異常時をよく想定できないため、普段はおかしな議論が横行するようになる。たとえば(某知事ではないが)「ダムなしに植林で治水を」とか「渇水になったら節水で対応すればよい」とか、のんきな議論に終始し、ひとたび大災害に遭遇すると、「災害は忘れられた頃やってくる」のだから仕方がないと、そのたびごとの対応に終始し、教訓を次に残すことをしないのである。