判 決 書


平成16年12月16日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 三村 修
平成16年(ネ)第2393号 名称使用差止等請求控訴事件
 (原審・東京地方裁判所平成15年(ワ)第23164号)
当審口頭弁論終結の日 平成16年9月7日
           判     決
 長野県諏訪市大字豊田439番地ノ2
  控  訴  人                 宗教法人天理教豊文教会
  同代表者代表役員              山 田 博 明
  同訴訟代理人弁護士            岡 田 弘 隆
 奈良県天理市三島町271番地
  被 控 訴 人                 宗教法人天理教
  同代表者代表役員              飯 降 政 彦
  同訴訟代理人弁護士             今 中 道 信
  同                         羽 成   守
  同                         日 野 修 一
  同                         鳩 谷 邦 丸
  同                         別 城 信太郎
  同                         大 畑 道 広
       主  文
 1 原判決を取り消す。
 2 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
 3 訴訟費用は第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。
      事実及び理由

    ― 中 略 ―

第5 争点に関する当裁判所の判断
 1 争点(1)(法律上の争訟性)について
  (1)裁判所法第3条1項にいう「法律上の争訟」とは,当事者間の具体的
   な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それ
   が法令の適用により終局的に解決することができるものを指す(最高裁
   昭和39年(行ツ)第61号 昭和41年2月8日第三小法廷判決・民集20
   巻2号196項)。
     本件についてこれをみるに,本件請求は,被控訴人が控訴人の「天理
   教豊文教会」なる名称の使用差止め等を求めるものであり,その訴訟物
   は,被控訴人の控訴人に対する不正競争防止法又は宗教法人の人格権
   に基づく差し止め等の請求権の存否であるから,具体的権利義務ないし
   法律関係の存否に関する紛争であるといえる。
     もっとも,訴訟が具体的な法律関係に関する紛争の形式をとっており,
   信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断は請求の当否を
   決するについての前提問題にとどまるものとされていても,それが訴訟
   の帰すうを左右する必要不可欠のものであり,紛争の核心となっている
   場合には,法律上の争訟に当たらないと解されるが(最高裁昭和51年
   (オ)第749号 昭和56年4月7日第3小法廷判決・民集35巻3号443
   項参照),本件請求の内容及び被控訴人がその理由として主張するとこ
   ろからすれば,本件においては,控訴人の名称が被控訴人の名称と同
   一又は類似であって,その使用が不正競争防止法上の不正競争行為な
   いし被控訴人の人格権に由来する氏名権を違法に侵害する行為に当た
   るか否かが争点となるものであり,したがって,争点について判断するに
   あたって,天理教という宗教の教義に立ち入って判断する必要は認めら
   れない。
     したがって,本件の紛争については法令の適用により終局的に解決
   することができるというべきであり,本件訴えは「法律上の争訟」に当たる
   というべきである。控訴人の本案前の主張は,採用できない。
  (2)控訴人は,本件訴えは,宗教的な性質を有する事項について裁判所
   の判断を求めるものであると主張するが,本件請求の趣旨,内容を正解
   しないものであり,採用できない。

 2 争点(2)(不正競争防止法に基づく請求の成否)について
  (1)不正競争防止法は,事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約
    束の的確な実施を確保するため,不正競争の防止等に関する措置等
    を講じ,もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とするもの
    である(同法1条)。
      かかる同法の目的に照らせば,同法1条の「事業」又は同法2条1項
    1号,2号,同法3条にいう「営業」とは,単に営利を直接の目的として
    行われる事業に限らず、事業者間の公正な取引秩序を形成し,その公
    正な競争を確保する必要が認められる事業を含むというべきであり,
    したがって,役務又は商品を提供してこれと対価関係に立つ給付を受
    け,これらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行われる非営
    利事業もこれに含まれると解される。
      しかしながら,宗教法人の本来の業務である宗教活動は,教義を広
    め,儀式行事を行い,信者を教化育成することを内容とするものであ
    り,収益を上げることを目的とするものではなく,信者の提供する金品
    も,寄付の性格を有するものであって,宗教活動と対価関係に立つ給
    付として支払われるものではない。このように宗教活動は,これと対価
    関係に立つ給付を信徒等から受け,それらを収入源とする経済収支上
    の計算に基づいて行われる活動ではない。また,不正競争防止法は,
    営業(事業活動)の自由が保障される市場経済の下で事業者間に行わ
    れる競争を公正の理念に基づいて規制することを目的とするものであ
    るところ,宗教活動について競争を観念することができても,それは,
    当該宗教法人の布教を通じての信者の拡大や教義の宗教的・哲学的
    な深化の程度といった市場経済と関わりのない分野においてであっ
    て,市場経済の下における顧客獲得上の競争ないしこれに類する
    競争ではなく,不正競争防止法が公正の理念に基づいて規制しようと
    する競争には当たらないというほかない。
      したがって,宗教法人の宗教活動は,上記の各規定にいう「事業」又
    は「営業」には該当しないというべきである。
  (2)被控訴人の主張について
      被控訴人は,本件に不正競争防止法の適用がある旨るる主張する
    が,以下のとおりいずれも採用できない。
   ア 被控訴人は,宗教法人の宗教活動についても,他の宗教法人との
    競争を観念することができ,かかる競争についても公正な競争を確保
    する必要がある旨主張する。
      しかしながら,宗教法人の宗教活動について市場経済の下における
    顧客獲得上の競争ないしこれに類する競争を観念することはできず,
    仮に宗教活動について競争を観念することができても,それは市場経
    済の下における顧客獲得上の競争等とは著しく性格を異にするもので
    あり,不正競争防止法が規制の対象としているものに当たらないこと
    は,前記(1)に説示したとおりである。
   イ 被控訴人は,宗教法人には永続性が求められ,宗教法人に対し収
    支報告書や財産目録の作成が義務付けられていることからしても,宗
    教法人の業務は収支計算の上に立って行われるものであると主張す
    る。
      しかしながら,宗教法人が宗教法人に財産目録,収支報告書の作
    成,備え付けを義務づけ,信者及び利害関係人の求めに応じこれを
    閲覧させなければならない旨規定している(25条)のは,宗教法人の
    信者やこれと取引をする者等が当該法人の資産状況を知ることがで
    きるようにし,これにより信者において当該法人の財産管理,会計が
    適正に行われているかどうかを監視し,あるいは取引をする者等にお
    いて取引の便宜及び安全を図ることができるようにしたものに過ぎな
    い。しかして,宗教法人も,社会的に独立した存在として,本来の業務
    である宗教活動を行うものであり,その活動に必要な財産を管理し,そ
    の活動に伴う収支計算を行うことは被控訴人が主張するとおりである
    が,宗教法人の活動が不正競争防止法の「営業」に該当するといえる
    ためには,それが,市場経済の下で役務等を提供し,その対価ないし
    これと対価関係に立つ給付を受けるという性質を有することが必要で
    あるところ,宗教法人の宗教活動がそのような性質を有する活動とい
    えないことは既に説示したとおりである。
      被控訴人のこの点の主張は採用できない。
   ウ 被控訴人は,現在は,控訴人が公益事業その他の事業を行ってい
    ないとしても,規則の変更により容易に事業を行うことが可能であり,
    その場合には事業上の競争が生じることになると主張する。
      確かに,宗教団体も教育施設・福祉施設の経営,霊園・墓地の分
    譲,儀式・礼拝の用品の販売,書物の出版等の活動を行うことがあり,
    かかる公益活動等の事業は,役務等を提供してこれと対価関係に立つ
    給付を受け,それらを収入源とする経済収支上の計算に基づいて行わ
    れる非営利事業に該当することは明らかであるから,このような事業
    活動の分野において,他の宗教団体が同一又は類似の名称を使用す
    るときは法的な不利益を被ることがあり,不正競争防止法による規制
    を行うべき場合がありうるといえる。しかしながら,そのことは,上記事
    業の分野に限定して不正競争防止法を適用し,当該事業分野に関し
    被控訴人が控訴人の名称を使用することを差し止める法的根拠となり
    得ても,宗教活動の分野をも含めて控訴人の名称の使用差し止めるこ
    と等の法的根拠とはなり得ないというべきである。のみならず,本件
    全証拠によるも,被控訴人は現時点においてそのような事業を行って
    いるとは認められないし,また近い将来において事業を行う蓋然性が
    高いとも認められない。
      被控訴人のこの点の主張も採用できない。
   エ 被控訴人は,宗教団体の名称につき不正競争防止法の適用がない
    とすると,これを規制する法律がないという法の欠缺を認めることにな
    り不当であると主張する。
      しかし,不正競争防止法の適用がないとしても,後記3において検討
    するとおり,人格権に由来する名称権に基づく保護の可能性はある。
    しかして,宗教法人法は,宗教法人の名称に関して,これを直接規制
    する規定を設けていないばかりか,商法,商業登記法の規定を準用す
    る規定を設けていないのであって,このことからすれば,宗教法人法
    は,宗教法人の名称の使用が他の宗教法人等の人格権を侵害するな
    ど一般社会通念に照らし許されないという場合は格別,それ以外は,
    宗教法人がその名称を自由に定めることができるとしているものと解す
    るのが相当であって,その名称を規制する法律がないからといって,法
    の欠缺があるということはできない。

  3 争点(3)(名称権に基づく請求)について
  (1)被控訴人の名称権に基づく差止請求権
      自然人の氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する
    機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人
    として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権
    の一内容を構成するものというべきであるから(最高裁昭和63年2月1
    6日第3小法廷判決・民集42巻2号27頁)他人によりその氏名を違法
    に無断使用された者は,人格権である氏名権に基づき,その侵害行為
    の差止めを求めることができると解すべきである(最高裁昭和61年6
    月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。
      宗教法人の名称も,社会的にみれば,当該法人を他から識別し特定
    する機能を有し,同時に,当該法人が宗教法人として尊重される基礎
    であり,その宗教法人の人格的なものの象徴であって,法人について
    認めることができる個人的人格権の一つとして,自然人の氏名権に準
    ずるものとしてこれを保護すべきである。したがって,他人が同一又は
    類似の名称を無断で利用して,当該宗教法人の人格的利益を違法に
    侵害するものと認められるときは,人格権である自然人の氏名権に準
    じて,その侵害行為の差止めを求めることができると解するべきであ
    る。
  (2)控訴人の名称決定の自由と制約
      他方において,以下に説示するとおり,控訴人にはその名称を決定
    する自由が認められていると解されるから,控訴人の名称の使用が被
    控訴人の名称権を違法に侵害するものといえるためには,それが宗教
    団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められる場合に限ら
    れるものというべきである。
    ア 団体が自己の名称をいかなるものに決定するかは,法律にこれを
     規制する定めがない限り,基本的には当該団体の自由に属する事
     柄である。
      もっとも,名称の決定が自由であるとはいっても,不特定かつ多数
     の一般人を相手方として社会的諸活動を行う団体においては,団体
     の名称は,社会的に当該団体を他から識別する機能を有するととも
     に,その名称の下に行われる当該団体の社会的諸活動の活動の目
     的及び成果を象徴的に表象する機能をも有するものであり,かかる
     機能を損うような誤認・混同を生じる同一又は類似の名称を使用する
     ことは,社会生活上無視し得ない混乱を招来しかねないから,そのよ
     うな団体の名称決定の自由には,法的に見ても自ずから一定の制約
     があるというべきである。
       しかして,市場経済の下での利潤追求を目的とする私的経済活動
     の分野においては,他人が努力して獲得した名声をそのまま冒用す
     るなどの不正競争が行われたり,他人と同一又は類似の名称の使用
     により消費者の利益が損なわれりするおそれが高いことなどから,不
     正競争防止法等により他に団体が使用する名称と同一又は類似の
     名称を使用することについて法律上種々の制約が定められている
     が,団体の名称決定についてこのような法律上の規制がない場合に
     おいては,その制約の内容は,団体の行う社会的諸活動の性質を考
     慮し,社会通念に照らしてこれを判断しなければならない。
    イ  宗教団体も,不特定かつ多数の一般人を相手方として宗教活動を
     行うものであるから,前記ア説示したところがそのまま当てはまるとい
     うべきところ,宗教法人法は,宗教団体が宗教法人を設立するに当た
     っては,規則を作成して所轄の行政庁の認証を受け,また規則の変
     更についてもその認証を受けなければならないとし,その規則には当
     該法人の名称を定めなければならない規定している(12条)が,宗教
     法人本来の業務である宗教法人が不正競争防止法の適用を受けな
     いことは前記2に説示したとおりであるし,それ以外にも宗教団体の
     名称の使用を規制する法律の定めは見当たらないから,宗教団体の
     名称決定の自由にいかなる制約があるかは,宗教団体の行う本来
     的活動である宗教活動の性質を考慮し,社会通念に照らしてこれを
     判断すべきである。
       そこで検討するに,宗教の分野では,その性質上,一つの宗教か
     ら複数の宗派が生じてくる傾向が顕著であるところ,宗教団体の名称
     は,その宗教の教義上の立場・主張と密接な関連性を有し,これを象
     徴的に表象する役割を担っていることも少なくないため,先行の宗教
     団体の名称権の保護を理由に,後行の宗教団体の名称決定の自由
     を制約し,あるいは複数の宗教団体を包括する宗教団体の名称権の
     保護を理由に,この宗教団体との被包括関係を解消した宗教団体の
     名称決定の自由を制限することは,後者の宗教活動に対する不当な
     制限を伴いかねないのであって,このような事態は回避されなければ
     ならない。
       他方,他の宗教団体と同一又は類似の名称を選択使用することに
     何らの制約もないとすると、宗教活動の相手方になった一般人の間
     に,自己がいかなる宗教団体から宗教活動を受けているのかについ
     て誤認混同を生じることがあるし,また,宗教団体同士の間のおいて
     も,宗教上の教義の異なった他の宗教団体の行為が自己の行為と誤
     解されることがあり,社会的にも無視できない混乱が生じる可能性は
     否定できない。そして,この観点からすると,他の宗教団体と同一又
     は類似の名称の使用はできる限り避けられるべきものと考えられる。
        宗教法人の名称決定の自由については,これを制限する法律が
     存在せず,その意味で広範な自由が保障されていることを前提に,
     上記の二つの側面の調整という見地に立って制約の範囲を考えるべ
     きであり,この見地からすれば,後行の宗教団体等による先行の宗
     教団体等と同一又は類似の名称の採択使用が先行団体等の社会的
     活動の成果を不当に利用するなど不正の目的による場合,後行団体
     の設立の経諱及び宗教活動の実態等に照らして先行団体等と同一
     又は類似の名称を採択使用することに相当な事由がない場合,ある
     いは,上記名称の採択使用に相当な事由があっても,同一又は類似
     の名称の使用が先行団体等との識別を不可能又は著しく困難とする
     事態をもたらす場合,などには,上記名称決定の自由は制約を免れ
     ないというべきであるが,それ以外は,宗教団体の名称決定は基本
     的に自由であり,後行の宗教団体等において先行の宗教団体等と同
     一又は類似の名称を採択することも制約されないと解するのが相当
     である。
  (3) 控訴人の「天理教豊文教会」の名称の使用の適法性について
     前記(2)検討したところによれば,控訴人の名称の使用が,前記(2)
   で判断した宗教団体の名称決定の自由の範囲を超えていると認められ
   る場合には,その名称の使用は違法となるものというべきである。そこ
   で、以下,控訴人の「天理教豊文教会」の名称の使用がその自由の範囲
   を超えているかどうかについて検討する。
   ア 控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することが不正な目的に
    よるものか否かについて
      被控訴人は,控訴人は「天理教」をその名称に冠することによって,
    被控訴人の長年にわたる社会的活動の成果を不当に利用しようとして
    いると主張するが,具体的にどのような事実を指しているのか必ずしも
    明確でないし,証拠に裏付けられた主張でもないから,採用することが
    できない。
      かえって,前記第4の4に認定したとおり,控訴人自身も,豊文宣教
    所の設置から数えても約80年,川上沓次郎の入信から数えれば100
    年以上にわたる社会的活動を「天理教豊文」の名の下に行っているの
    であるから,その社会的活動となってきた区域(長野県諏訪市)及び現
    在の信者に対する限りにおいては,「天理教豊文」の名を用いること
    は,控訴人自身の社会的活動の成果を背景として宗教活動を行ってい
    ることにほかならない。そして,控訴人がこれらの区域外において,あ
    るいはこれら以外の信者に対して積極的な布教活動を展開しているこ
    とをうかがわせる特段の証拠もないのであるから,控訴人が,「天理
    教」の名のもとに被控訴人の社会的活動の成果を利用しようとしている
    と認めることはできない。
      他にも,控訴人が不正な目的をもって「天理教豊文教会」の名称を採
    択使用しているものと認めるに足りる証拠は存在しない。
   イ 控訴人が「天理教」をその名称に冠することの相当性について
    (ア)前記第4の3及び4のとおり,明治21年ころ被控訴人の前身であ
      る「神道天理教会」が設置されたが,川上沓治郎は,明治27年ころ
      中山みきの教えに入信し,布教活動を行っていた。そして,川上は、
      当時の法制に基づき,大正14年の豊文宣教所の設置に当たり,明
      治41年制定の教会規定により天理教本部の許可を受けて「天理
      教」の名称をこれに冠し,「天理教豊文宣教所」を設置し,以来,「天
      理教豊文」という名称を使用して,宗教活動を行ってきたこと,控訴
      人は,昭和28年,被控訴人と被包括関係を結び,宗教法人として
      設立された宗教団体であり,天理教豊文宣教所の後身として当該
      宗教団体を継承したものであり,被控訴人との被包括関係を廃止し
      今日に至っていることが認められる。
        このように,控訴人は,本件被包括関係解消にあたって新たに
      「天理教豊文」という名称を選択したものではなく,その前身である
      天理教豊文宣教所の設立から数えても,約80年にわたって「天理
      教豊文」という名称を使用して,宗教活動を行ってきたものである。
      そして,このような経過及び弁論の全趣旨によれば,「天理教豊文」
      の名称は,本件被包括関係解消当時,控訴人を表示する標章とし
      てその所在地を中心とする周辺地域その他において一定の周知性
      を獲得していたものと認めることができる。
        一方,前記第4の2の摘示した百科事典及び高校教科書の記載
      並びに弁論の全趣旨によれば,控訴人が名称として採択した「天理
      教豊文教会」のうち,「天理教」の語は,被控訴人の信者の間にお
      いて,及び被控訴人と被包括関係にある宗教団体の所在地の周辺
      地域においては,被控訴人を表示する標章として知られていると認
      められるが,社会一般においては,むしろ,中山みきが創始した宗
      教を意味するものとして認識されているものと認められる。
        上記のとおり、控訴人の名称は、「天理教豊文」の名称の歴史的
      由来と周知性を踏まえたものであり,また,控訴人が本件被包括関
      係解消後も中山みきを教祖として仰ぎ,中山みきの教えを記したも
      のとされる「おふでさき」及び「みかぐらうた」を基本的な教典として
      位置付けていること,及びこれに則った宗教活動を現に行っている
      ことは,前記第4の5のとおりであるところ,弁論の全趣旨によれ
      ば,控訴人がその名称に「天理教」の語を冠したのは,その語につ
      いて社会一般の認識する意味合いに照らし,自らの信仰する宗教
      を表すものとして相応しいとの判断に基づくものと認められる。
        したがって,控訴人が「天理教豊文教会」の名称を使用することに
      は相当な事由があるというべきである。
   (イ)この点につき,被控訴人は,被控訴人が定めた天理教教規に依拠
     して教義を広めるもののみが「天理教」であり,「天理教〇〇大教会」
     「天理教〇〇分教会」を称する被控訴人の被包括法人である一般教
     会もすべてこの前提の下で被控訴人の本部の許可を得ているのであ
     り,被控訴人と同一の教義の下で被控訴人と一体となった宗教活動
     を行う団体以外に「天理教」の名称が用いられた例がないから,控訴
     人が天理教教規を否定し,本件被包括関係解消に伴い当然に上記
     許可も失効した以上,控訴人が「天理教」を名乗ることに正当な理由
     はないと主張する。
       被控訴人の上記の主張は,「天理教」の名称の使用について,被
     控訴人がいわば独占的地位を有しているという主張のものであると
     理解される。しかしながら,このような主張は,前記(ア)のとおり,「天
     理教」という名称が中山みきの創始した宗教を意味するものとして社
     会一般に認識されていることに照らしても,採用することはできない。
     そもそも,宗教法人の名称の使用について,特定の宗教法人に独占
     的地位を付与する法律の定めはないのであるから,過去において控
     訴人が被控訴人の許可を得て「天理教」を冠した名称を使用していた
     という経緯があったとしても,それは控訴人が被控訴人と被包括関係
     にあったことに起因するものであり、また,過去に被控訴人との被包
     括関係を廃止して離脱した宗教法人で「天理教」の名称を利用した法
     人がないという事実があるとしも,それは,当該宗教法人が特定の名
     称を採択することについて独自にその是非,利害得失を考慮して「天
     理教」を冠しない名称を採択した結果であるとみるほかない。被控訴
     人との被包括関係を廃止した以上,控訴人は被控訴人内部の規律
     に拘束されることなく,宗教法人の名称決定について自由の範囲を
     逸脱しない限り,自由に自らの名称を決定することができるのであ
     り,このことは既に説示したところから明らかというべきである。
       なお,被控訴人の上記の主張が,一般社会が認識する広い意味
     の天理教のうち、被控訴人が「天理教教規」において定めるものだけ
     が「正しい」天理教であって「天理教」の名称を用いることができるとい
     うのであるとすれば,それは,人格権に基づく本件請求において,天
     理教の教義に関する正統・異端の判断を求めるに等しいことになる
     が,そのような事項が裁判所の判断事項でないことはもとよりである
     し,被控訴人自身,教義の中身に関する判断は求めないことを明言
     しているところである。
   ウ 控訴人が「天理教」を含む名称を使用することにより控訴人と被控訴
    人の宗教活動を識別することが不可能ないし著しく困難となるか否かに
    ついて
     弁論の全趣旨によれば,控訴人の名称である「天理教豊文教会」の
    うち「天理教」の部分は、被控訴人の通称でもあり,被控訴人の正式名
    称と同程度に全国的に一定の周知性を獲得しており,また,被控訴人
    の宗教規則34条(甲1),一般教会規程(甲3)によれば,被控訴人に
    包括される一般教会には「天理教〇〇大教会」,「天理教〇〇分教会」
    との名称が付けられていると認められるから,「天理教豊文教会」の名
    称は,「天理教」の語と「豊文教会」(前記第4の3のとおり,豊文地区に
    所在する教会であることを意味する。)の語を結合したものとして,宗教
    活動の対象となる一般人に対し被控訴人の被包括団体であるとの印
    象を与えるものであり,一般人が,控訴人と被控訴人の各宗教活動を
    識別することは必ずしも容易ではないといわざるを得ない。
      しかしながら,前記第4の5のとおり,本件被包括関係解消にあたり,
    控訴人はその信徒に対して,被控訴人が中山みきの教えを歪めてい
    るから中山みきの教えに復元するために本件被包括関係解消という道
    を選んだことを明確に表明しているところであり,これら信徒の間には,
    本件被包括関係解消後控訴人が被控訴人と一体的な宗教活動を行っ
    ているという誤認混同を生じるおそれは認められない。
      また,そもそも,人が宗教に入信するにあたっては,宗教団体の名称
    のみで判断するわけではなく,その現実の教義及び社会的活動に対
    する理解と共感が基礎となるものであるところ,本件被包括関係解消
    の経緯にかんがみれば,信徒以外の一般人に対する布教活動におい
    ても控訴人は被控訴人と教義を異にすることを明確にしたうえで布教
    活動を行うものと推認されるから,控訴人が「天理教豊文教会」の名称
    を使用することにより,一般人において控訴人と被控訴人の識別が不
    可能又は著しく困難となる事態は生じないと考えられる。
  (4) 以上によれば,控訴人の名称の採択使用は宗教団体の名称決定の
    自由の範囲を超えた違法なものとは認められず,したがって,控訴人
    の名称の使用が被控訴人の名称権を違法に侵害するということはでき
    ない。
      被控訴人は,「天理教」の名称が被控訴人固有のものであり(被控訴
    人を表示する標章として社会一般に認識されている。),その名称の使
    用について独占的地位を有し,あるいはその名称権は強い法的保護
    に値するものであるとの前提に立って,控訴人による「天理教」を冠し
    た名称の使用が被控訴人の名称権を侵害する旨主張するが,「天理
    教」の語は、一般においては,被控訴人を表示する標章としてよりは,
    中山みきの創始した宗教を意味するものとして認識されていることは既
    に説示したとおりであり,被控訴人のこの点についての主張はその前
    提を誤るものであり,採用できない。
 第6 結論
    以上の次第で,不正競争防止法違反ないし人格権の侵害を理由として
  控訴人の名称の使用の差止め等を求める被控訴人の請求は,いずれも
  理由がなく,棄却すべきものである。
    よって,これと異なる原判決を取り消したうえ,被控訴人の請求をいず
  れも棄却することとして,主文のとおり判決する。
    東京高等裁判所知的財産第1部

          裁判長裁判官  青  柳     馨

              裁判官  清  水     節

              裁判官  上  田  卓  哉




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