宮澤富幸(みやざわ とみゆき)


Tomiyuki Miyazawa  スタジオ・エム

長野県岡谷市在住  1966年生まれ
 スタジオカメラマンとして写真スタジオ「写真スタジオ・エム」代表。
普段はスタジオ写真/婚礼写真の撮影。野鳥の写真はライフワークとし取り組み、主に長野県諏訪地方を中心に撮影しています。

写真スタジオ・エム 代表
(社) 日本写真協会  会員
(財) 日本野鳥の会  会員
   同 諏訪支部 役員
   同 伊那谷支部 会員

1996 季節の流れに 個人写真展
1998 四季彩鳥々  個人写真展
以降・・・ 毎年グループ展等開催

 現在の使用機材
EOS 5DⅣ/ EOS R5/EOS 5DMarkⅡ / EOS 7D
EF16-35mmF2.8L IS EF24-70mmF2.8L IS EF-S17-55mmF2.8 IS EF24-105mmF4L IS EF70~200mmF2.8L EF100mmF2.8 EF300mmF2.8 ISⅡ EF600mmF4
エクステンダー 1.4× 2×

私のひとことメモ!!
野鳥の写真をいつから、なぜ撮り始めたのかな?
1985年に日本野鳥の会に入会、ちょうど学生で東京の学校にいた時でした、そして住んでいたのは千葉県市川市でした、周囲は江戸川河口から三番瀬、行徳の野鳥園や谷津干潟とまさしく野鳥の宝庫でした、確かにそれまでも自宅であるこの諏訪地方でも野山が好きで歩き回っていたし、カメラを持って風景や花それに野鳥も撮影していました、しかしその地で見た野鳥達は今までの自分の見てきたものと少し違っていたように思います、いままでシギやチドリなど見た事もなかったし、その彼等が数千羽の群れをなし飛ぶ姿、また初めてセイタカシギを見た時などその美しさに興奮した事、今でも目に焼き付いています、そしてそれを期にそればかりを撮影するようになったように思います。
そして今、その時の思いを野鳥を知る事によりこの諏訪の地でもより大きく感じるようになったと思います。

私のひとことメモ!! No,2
私が野鳥写真に思う事?
私の野鳥の写真のテーマは『鳥』というよりは、風景画を撮影したい、そしてその中に鳥を配したい、そんな写真を目指して撮影しています、そのため2回の個展もそのテーマを『季節(とき)の流れに』第2回を『四季彩鳥々(しきさいとりどり)』としました。
信州、取り分けこの諏訪地方の自然は変化に富み、四季の移り変わりの美しくまた、厳しい所です、そんな自然の豊かさすばらしさを野鳥の姿を通して探していきたい、そう思います。

でも最近少しその思いから外れてきてしまっているかなと自分で感じています、パソコンで写真やデータの整理をするようになり、またHPを開設することでより多くの種類を集めたい、そんな気持ちが強くなってしまったようです、そのせいかつまらない写真に仕上がってしまっているように自分で感じています、また改めてテーマを思い起こしてフィールドに出たいですね!!。

私のひとことメモ!! No,3
自然との関わりについて思う事。
原生林と呼ばれる森、人の手の入っていない森はとても美しく、また神秘的でもある。人の手の入った森、整然とした美しさが有る、しかしその手入れを怠った時からその森は荒れていく、そしてその森が森自身の力でその美しさを取り戻すのに数百年から数千年の時が掛かる。
自然保護とは何だろう。
動物や鳥に対し餌付けが各地で行われている。可愛いから与えてみたら、それから来るようになった。冬で餌が取りずらいから可哀想だ。怪我をした動物や鳥を保護した。自然保護とは何だろう。
餌付けを仕始めて、見られなかった地にその鳥が定期的に来るようになった、その数がどんどん増えて来た。冬の間人間から餌を与えられ、本来なら自然淘汰されその数を保って来た鳥が、その自然界での許容範囲をこえてしまう。
また別々に生息しているはずの彼等が餌付けという力で1ケ所に集められてしまった、そこで事故が起きたら、伝染病が発生したら・・・。前の年まで餌付けをされていて、その餌付けはいつまでされるのか、数十年、数百年。餌付けの力で増え、集められた者が何らかの理由で突然餌をもらえなくなったら。自然界は弱肉強食で成り立つ、自然界で怪我をした動物を可哀想と保護する。本来傷付き、弱い物から餌となり、その餌により生きる動物から獲物を奪う。獲物を捕れずに死んで行く動物がいるかもしれない。保護した動物が死んでしまったから土に埋めてあげる。餌となるはずだった者が餌とならなければ、それを餌にする動物はさらに別の固体を餌としなければならない、人間が可哀想だからと自然界から奪ってしまったものの為に、死ななくてよかった別の者が死ななくてはならない。ほんの一部分の事であるが事実である。
自然保護とは何だろう。自然を保護する為に何ができるのだろう、それは何もしない事。
状況は様々有る、そこに線を引く事は難しい。人は自然を壊して成り立っている、人が壊してしまったもの、傷めてしまったものに対しては最後まで責任を持つべきだと思う、しかしそれは最小限でなければいけない。
人は自然を作ることはできない、人が手をかけたものは人工物にしかすぎない。ではどうしたらいいか、人は自然が自助回復力を邪魔しないこと、自然に敬意を持ち、謙虚でなければならないと私は思う。


399-4601 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪 8850-2
0265-96-7873