御諏訪太鼓osuwadaiko
御諏訪太鼓の特色
御諏訪太鼓の演奏は、太鼓だけでなく鉦鼓・竹筒・鉄筒・ホラ貝・笛などの楽器を整えたオーケストラ風のものである。
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御諏訪太鼓は音色の違う三つの種類の太鼓によって行われる。 |
複式複打・組太鼓形式打芸
多様多種の太鼓からなる太鼓編成を<複式>または<組太鼓>という。また、2人以上の打ち手を要する場合を<複打>という。
複式複打法は、御諏訪太鼓宗家小口大八氏によって、確立された。太鼓を打ち込むなかで、太鼓の魅力を直に感じ取り、それを生かそうとする中でかたちづくられた。ヒント、ベースとなったものは、一つはジャズであり、一つは武田の陣太鼓である。
御諏訪太鼓宗家小口大八氏
御諏訪太鼓は小口大八氏によって再興された。氏は、終戦後に戦地より引き上げ郷里長野県岡谷市に戻り、家業を手伝う傍ら、アマチュアジャズバンドのドラマーとして活動していた。昭和24、25年頃、パンづくりの会社を興したり、スケート選手をしながら子どもたちのコーチをしたりと、忙しい日々を送っていたが、時間を見つけてはドラムスを叩いていた。その腕前の評判は高く、「ドラムスの大八」として、地元では有名だった。
そんな、ある日近くの味噌屋の蔵から、幕末期ころまでに地元に伝わっていた神楽太鼓の譜面が発見され、「大八は、西洋の太鼓を叩いているからこれだってわかるだろう」と、譜面の解読を依頼される。ドラムスと和太鼓では土俵が違い、とりたてて引き受ける筋合いもなかったが、「面白そうだ」と二つ返事で応えた。偶然と気まぐれの一致が世界に響く、御諏訪太鼓になるとは、この時は考えもしなかった。
解読作業は難航する。楽譜のような速さの指定もなければ、どんな調子で打ってよいのかなども記していないかった。古老に尋ね、上・下諏訪大社をはじめ、辰野、小野、穂高、戸隠など各地の寺院を訪ね、神主さんなどから譜面の見方を教えてもらったり、神楽の打ち方をてほどきしてもらったりもした。知人や友人などの協力も受けた。中でも当時70歳を過ぎていた鳴沢佐馬次さんは、譜面を書いた人に太鼓の打ち方を教えてもらったことがあり、当時の打ち方を知ることができた。こうして、どうにか譜面を解読したのであった。
譜面の曲を打ち込んでいくうちに、和太鼓のおもしろさにとりつかれていく。
「ドン・ドン・カッ・カッ・ドン・カッ・カッ」、、、、、、、打ち方の基本やコツがのみこめ、慣れるにしたがってドラムスとはまるで違う異質な和太鼓の響きの中で自由に躍動しはじめていった。とにかく、打ち込むことによって曲そのものを把握することに努め、譜面を忠実になぞることから、御諏訪太鼓の復元ははじまった。
仲間たちと太鼓を打ち込むうちに、体で音そのものをつかみ取ることができるようになっていく。「打ち方を工夫すれば、太鼓の音はもっと生かせるはずだ」と、このひらめきが、復元から新生へ、御諏訪太鼓を現在のスタイルに確立するきっかけとなった。違った音の太鼓を組み合わせたり、新たな音を求めて楽器を創造したり、試行錯誤繰り返すうちに御諏訪太鼓の原形が固まっていった。
昭和26年、記念すべき第一作「諏訪雷[信玄法性陣礎]」を生み出し、ついに御諏訪太鼓がほぼ形を整え復興した。昭和28年には、「御諏訪太鼓保存会」を結成した。その後、御諏訪太鼓はテレビを通じて、多くの人に紹介され、また、他ジャンルとのセッションや精力的な活動をとおして御諏訪太鼓の愛好者も増えるようになった。
現在、御諏訪太鼓宗家小口大八氏の指導する太鼓チームのは現在約150もあり各地域、長野県内、国内にとどまらず、アメリカ、フランス、インドネシアなど世界各地で響き、共鳴しているのである。
編 山本幹夫「複式複打法教本-組太鼓-日本の太鼓」御諏訪太鼓楽園