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新しい光をあびて

伊藤千代子生誕100年記念事業の記録

目次 澤地久枝さん同行記
さまざまな余韻・・・    参加された方から寄せられた感想・エッセイなど
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伊藤千代子生誕100年記念事業を終えて

写真 墓前・肥前祭であいさつする木島日出夫実行委員長実行委員長 木島日出夫

 「あんな大きな会場を借りて大丈夫だろうか。」「ガラガラだったらどうしよう。」
伊藤千代子生誕100年記念事業を計画し、記念講演会の会場に1000人以上も入れる諏訪文化センターを決めたときから、このことが心配で頭から離れなかった。
 こんな思いを抱きながら、17日朝、墓前・碑前祭の行われる南真志野に向かった。会場について驚いた。北海道からの参加者がもう見えている。かつて日本共産党の衆院選候補者として何度もたたかった外尾静子さんがいるではないか。
「昨日.飛行機で千歳から松本に来て、一泊して来たのよ。」頭がさがる思いだった。
 参加者の中に、大阪から駆けつけた元自由法曹団団長の石川元也弁護士を見つけた。石川さんは、旧制松本高等学校卒の長野県人だが、弁護士活動は大阪を中心に関西地方だ。伊藤千代子との接点がにわかには思い当たらない。久しぶりの再会に記念写真を撮る。
 東京から来る予定の皆さんが、交通渋滞にまきこまれ遅れるとの報が入る。しかし、墓前・碑前祭の狭い会場は、全国各地から、県下各地からの参加者でいっぱいになった。
 この時点で、朝からの私の杞憂は消し飛んだ。写真 木島実行委員長と顕彰碑を見る澤地久枝さん
 墓前・碑前祭が終わって、参加者の皆さんが引き上げてしばらくして、澤地久枝さんがこられた。予定はなかったのだが、講演前に、どうしても千代子の墓にお参りしたかったのだろう。 しばしの間の合掌の後、墓石に手をさするようにしながら「いつ、どなたが建立したのでしょうか。」「墓石に刻み込まれた一つ一つの言葉が大事なのよ。」と言われた。
 旧憲法下の昭和史の埋もれた歴史の真実を堀り起こし続ける澤地さんの真骨頂を見る思いがした。
 会場いっぱいの参加者で埋まった澤地さんの記念講演。「千代子は、短い生涯で不幸だったが、幸せな人だと思う。このようにたくさんの人が千代子を思い、こころざしを受け継ごうとしているのだから。」澤地さんの言葉に共感する。
 伊藤千代子100年記念事業は、多くの参加者の皆さんの胸に「千代子のこころざしを今に」との思いを、新たにきざんだことと思います。
 実行委員長として、この事業成功のために労をとられたすべての皆さんに心からの感謝を申し上げます。

木島日出夫さんのホームページ

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墓前・碑前祭

写真 墓前・碑前祭(顕彰碑前に集まった大勢の参加者)

 伊藤千代子生誕100年記念事業の墓前・碑前祭は、17日午前11時から諏訪市湖南の南真志野で、地元の諏訪、長野県をはじめ、全国各地から約200人が参加して行われました。
 墓前・碑前祭は、地元共産党市議会議員の藤森守さんの司会により進められ、土屋文明さんの二女の高野うめ子さんが、参列者を代表して、文明直筆の句に彫り直された顕彰碑へ献花して、始まりました。写真 あいさつする関勘正「伊藤千代子こころざしの会」会長
 関勘正「伊藤千代子こころざしの会」会長は、「戦前のような時代にしないよう努力することが、千代子への慰霊になります。」と開会あいさつをしました。
 木島日出夫実行委員長は、「千代子生誕100年は、侵略戦争と暗黒政治の過去を回顧するだけではありません。今、侵略戦争の事実をねじ曲げ、再び戦争の道を歩もうとする動きが強まっています。千代子の意志を継ぐことは、戦争と暗黒の時代への道を再び歩まないことです。千代子生誕100年に改めて誓い、憲法改悪反対の運動を強めましょう。」と訴えました。
写真 あいさつする文明さんの長女草子さん 土屋文明さん長女の小市草子(かやこ)さんは、「父、文明の自筆の句に代えられ、大勢の人が集まり感激しています。皆さんの千代子さんへの気持ちが、続いてほしいと思います。」とあいさつをしました。
 千代子生家の伊藤善知さんは、「全国からこんなに大勢の人が千代子サ(伊藤善知さんは、慈しみの気持ちを込めて『千代子サ』と呼んでいます。)を偲びに来ていただいて本当にありがたいことです。」とお礼の気持ちを述べました。
写真 お礼の気持ちをのべる伊藤善知さん 山田勝文諏訪市長、宮坂勝太諏訪市議会議長のメッセージが紹介され、上田秀昭副実行委員長の閉会あいさつで幕を閉じました。
 「在京、千代子の会」の皆さんは、朝早く東京を大型バス2台、マイクロバス1台で出発しましたが、高速道路の渋滞のため、遅れて到着となり、墓前・碑前祭には参加出来ませんでしたが、やはり遅れて来訪された澤地久枝さんと会うことが出来ました。
 この日、伊藤千代子の眠る地においでいただいた方は、約350人となり、過去最高となりました。

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記念講演会

 伊藤千代子生誕100年事業のメインとなる記念講演会は午後2時から講師に作家で「9条の会」の澤地久枝さんを迎え「証言者としての伊藤千代子」と題して話されました。せつせつと語る澤地さんの言葉は1000人を越す聴衆のなかへ共感となって広がっていきました。

 ◇感想◇
 伊藤千代子にこだわって…

写真 せつせつと語りかける澤地久枝さん  「千代子の眠りが、安らかであるようにするには、どうすればよいのか。今、生きているわたしたちへの問いかけとして、投げかけられている」と話す澤地さん。
 澤地さんは、「千代子さんが、もし生きていらしたら、100歳の気概を持って《いったい何をしているの。私が生きた頃の日本より、もっとひどい》と言ったと思う。」と、この国の現状を痛烈に批判しました。
  印象深かったのは、獄中での、千代子の心情に触れた部分でした。
 はじめに、祖父母のこと、夫・浅野晃のこと。――澤地さんは、「さまざまな思いに責め立てられながら、ともかく、自分を考え、自分よりもっとひどい目に会っている人たちを励まそうというのが、千代子の獄中を生きてゆく目的だった」と話されました。
 つぎに、千代子を追い詰めたものは、何か? 澤地さんは、「夫の心変わりだけが千代子を追い詰めたとは思っていない」と述べ、「いろいろな要因が錯綜し、神経が狂うこともある。シラミは付くし、ムギ飯と栄養のない薄い味噌汁という獄中生活の中で消耗していった。 結核が進行したのではないか。一人で孤立させられ、内部崩壊していくということがある。現在の私たちにも、それはあると思っている」と、自省をこめて指摘されました。
 「こんなに大掛かりに郷里の人たちが行事をし、千代子の人生を掘り起こしている。千代子は幸せ者だ。」と述べ、「千代子は死んだけれど、ふるさと・諏訪で生きている。」とご自身の思いを熱く語られたのを聞いて地元の責任の大きさを痛感しました。

(K・I 記)

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パネル展

 伊藤千代子の生涯を写真で紹介する「パネル展」は、メインの会場となる諏訪市文化センターの第一集会室で午前9時から午後5時まで行われました。写真 パネルを熱心に見入る沢山の方々
生涯にかかわるもの、 治安維持法にかかわるものを主体に150点の写真・資料などが展示されました。
沢山の方が展示場を訪れ熱心に、千代子の短かかった生涯に思いをはせ、治安維持法の恐ろしさを再確認されたことでしょう。
併設した「交流の広場」でも一休みされながら、語らいが続いておりました。

パネル展を準備して

写真 併設された「交流の広場」ではあちこちに歓談の輪が・・ パネル展の準備作業を時系列的に振り返ってみます。
1.展示会場となる第1集会室を3回下見して必要な寸法を計測して縮尺図(25分の1)を作成しました。
2.会場は「パネル展示」と「交流の広場」を併設することになりました。
このためパネルボード間の通路は極力広く、交流の広場も極力広くの条件からパネル枚数の絞り込みが必要となりました。
3.縮尺図上で展示用ボード、机などのレイアウトの検討に苦労した。
4.会場内の仕込みは前日午後6時から9時の間にすべて完了しなければならないことになり、誰でもが作業可能となるような資材が必要となりました。写真 沢山の帰途に混ざって澤地さんと藤田さんも
5.準備に大勢の人が参加してもらうことができ短時間にすべての準備が完了した。
6.当日は予想を遙かに超える多くの方が見学され、準備をした私達の胸は驚きと感激で一杯になりました。
澤地久枝さんも藤田廣登さんと見えられ熱心に見学されていた。
会場内の通路を広く設定して正解であった。

(後藤 記)

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記念誌

編集前記 & 編集後記

 ”たかが記念誌されど記念誌”今回、記念事業のスケールが大きくなったことにより、記念誌関係も波乱含みのスタートとなりました。
  2月13日の第4回実行委員会においていろいろ注文・要望等が出されました。
・発行主体(発行元)の名としては、実 行委員会の名は使わず、「千代子ここ ろざしの会」とする。
・発行時期は、7月17日、講演会当日とする。
・従来の1・2・3号からも一部再掲載して、千代子顕彰碑建立および顕彰運動 の経緯や概要がわかる内容に。
・講演会参加者が誰でも購入できるような頒布価と大衆性ある編集で。(500 円頒布価を目標に。カラーの1枚くらいは入れたい)
・有名無名を問わず大勢が参加・登場し、親しみを感ずることができるものに。
  等々大変な注文を受け、編集委員会としてはあれこれさ迷いながら、これら の注文に応えるべく努力をしてきました。
いずれにしても、この時期これまでの顕彰運動を総括的にみる、というふうに受けとめ、運動にかかわってきた人々を再確認するなかで、 今誌上で顔合せできたらいいな、ということで進めました。勿論故人となっている人々も含めてのことですが。
もとより、制約された記念誌のことですから、十分なことはできないことは分かっています。そんななかで、一番意を配ったことは、 近藤芳美氏の登場でした。たまたま今年に入って朝日新聞の短歌選者を引退するというニュースをみていましたので、この機会をのがすまいと接触を試み、 しかし残念ながら高齢にて視力に難が出ているにより、読み書きが極端に悪くなっておるとのことでした。電話によるやりとり3回ほどのなかで、 かつての記述・写真等の転載に快諾をいただけたことは幸いでした。
藤田廣登氏には、千代子研究の到達点と課題というテーマで要約的にまとめていただきました。 
なお、毎度のことながら、発行日へむけて、あわただしい作業となりましたので、初歩的なミスなどいろいろお気づきになろうかと思いますが、ご寛容のほどお願い申し上げます。
無理な日程で寄稿いただいた方々には厚くお礼申し上げます。
全国各地で活動展開が活発になっています。それらが十分反映されていませんが、この記念誌は諏訪における顕彰碑建立の流れを主流としているにつき、ご容赦いただきたく、 今後の各地における独自の取組みに大いに期待したいと思います。
なお、記念誌の内容その他感想・ご意見お寄せいただければ幸いです。

(記念誌委員会責任者田中)

『今、新しき光の中へ』(第4号・伊藤千代子生誕100年記念号)

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写真 新しくなった三首碑文

三首碑文が直筆のものに

 伊藤千代子生誕100年記念事業の一環として、顕彰碑の土屋文明詠の三首の短歌碑が直筆のものに改装お披露目されました。これは文明さん長女・小市草子(かやこ)さんのはからいによるもので、千代子碑は特異な存在感を示していくでしょう。

新しい碑文

古い碑文写真 差し替えられる前の碑文 顕彰碑全景写真 緑に囲まれてたつ三角形の顕彰碑(石碑)

土屋文明詠の三首の短歌について詳しくはこちらです

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