「ターカヌがいかにしてウォーゲームを始め、

こんなくだらないマイナーサイトを作るに至ったのか」

個人的な事で申し訳ありませんが、このコンテンツは私のウォーゲーム史です。
なぜ私はウォーゲームと出会い、今もやり続けているか、それを書き記しています。
興味無い人は
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出会い 「TacticsU」と「War at Sea」

 まだ私が中学1年生の時の話である。M君が水泳の時間に話しかけてきた。このM君とはそれまであまり話した事が無く、その時なぜ話しかけてきたのか今もって全く不明なのだが、彼が話しかけてきた事が私がウォーゲームを始めるきっかけとなった。
 M君は私が軍人将棋を好きな事を知り、将棋をもうちょっと複雑にした「ウォーゲーム」という物があると話した。その時にM君が詳しく話したのは蜘蛛型宇宙人と人間の戦いであった事から、AH「宇宙の戦士」についてであったと思う。延々30分に渡ってその面白さを話したM君ではあったが、どうもウォーゲームの面白さは言葉では伝わらないらしく、その時の私はこのゲームの事を全く理解しないままであった。その時は「そのうちやってみる」と返事をしただけで、興味を持たなかったのだ。

 それから何日かして私が「ウォーゲーム」という言葉すら忘れかけてきた頃、M君から「今日ウォーゲームをやるので見に来てほしい」との電話が入った。どうやらM君の友人T君がウォーゲームを買ったらしいのだ。私も「そのうちやってみる」と言っていた手前断る訳にもいかず、しぶしぶM君宅に行った。
 私が着いた時にはもうゲームが始まっていた。「TacticsU」という名前のそのゲームはどうやら2国間の戦争のゲームである事まではわかるのだが、盤に記されたもじゃもじゃや格子、その盤上にあるピンクや青の駒等の意味など分かる訳も無く、ただ1時間位ゲームをやっているのを眺めていた。そもそも蜘蛛型宇宙人などどこに出てくるのかも分からなかった。だがルールブックを読んだりして意味がわかるようになってくると、だんだんその面白さが分かってきた。ウォーゲームには何種類もあり、これは2次大戦をモデルにした架空戦である事や、蜘蛛型宇宙人は別のゲームの話である事も知った。そして直感的に「これは面白いぞ」と思った(さすがに大人になってまでゲームやっているとは思わなかったが)。全てが論理的で、例えば軍人将棋のスパイが大将に勝つという、または将軍はヒコーキに勝つといった非論理的な部分が全く無い。理路整然。ある程度戦力を集めないと勝負に勝つのは難しい事がCRTを見れば明らかであったし、移動が地形によって変わるなど納得がいくものであった。
 1ゲーム終わったM君に「俺と1回やろう」と言って始めてみた。面白い。これほど面白い物があったとは本当に知らなかった。M君は既にもう疲れていていやいややっていたのだが、私は熱中した。結局それが終わったのは日が沈んでかなり経った頃であった。家に帰ってから遅くなった事をえらく怒られたが、私は興奮していた。「よし、俺もウォーゲームを買うぞ」と既に思っていた。

 ところが次の日M君に会って聞くと、このゲームはこの近くでは売っていないと言う事であった。ポストホビーという所の通販でしか手に入らないという。私はめちゃくちゃがっかりした。欲しい物がすぐに手に入らないと気分を害するというのは(実は今でもそうだが)子供の心である。通販は子供がやるにはちょっと敷居が高すぎた。
 しかしどうしても手に入れたい私はM君の友人T君に聞いてみた。するともうじき近くのおもちゃ屋Yで取り扱うという。私の心は高鳴った。ウォーゲームが手に入る!早速学校からの帰路、Yに寄ってみた。そこには当然まだウォーゲームは無かったが、カラーのカタログが置いてあった。それをもらって見てみると想像以上にウォーゲームの種類が多く、嬉しくなってきた。だが私が当時持っていた金は4000円ほどだった。「TacticsU」が3600円だと聞いていたのでこれだけあれば買えると思っていたのだが、ほとんどのゲームは6000円近い値段であった。ちょっとがっかりしたが、それでも買えるゲームはいくつか存在した。「TacticsU」、「UFO」、「ベンハ−」そして「War at Sea」。悩んだ結果「War at Sea」を予約した。カタログの説明文を読んで決めたのだが、「TacticsU」は既にやった事があるので別なゲームにした。ところでこのカタログの「TacticsU」の説明に「陸海空3軍の…」とは何だったのだろうか。いまだに謎である。

 「War at Sea」を予約したわけだが、なぜかゲームが全然来ない。Y店では既にウォーゲームを取り扱っているにもかかわらず、だ。今ならば分かるのだが、当時はカタログにある物は全て在庫があると思っていたのだ。
ようやく注文から2ヶ月後、私の「War at Sea」がやって来た。Yから帰った私はすぐさま別梱包だった日本語解説書を読んだ。読んでみた感想は「…ちょっと簡単過ぎるかな。」なんだか「TacticsU」に比べると理論的とは言えない戦闘システムではあったが、とりあえずユニットを外しソロプレイしてみた。…面白い。戦闘システムこそ単純だが、艦船の配置や制海権の重要度といった戦略面での思考法はまさにウォーゲームであった。「TacticsU」には無い一面である。

 このゲームにはめちゃくちゃはまった。イギリス海軍はマルタに艦を配備しなければ圧勝するので、地中海の枢軸POCを4にしてみたり、サイコロで地中海艦隊を決めるようにしたり、このゲームでは当時既にルールの改造まで行っていた。ウォーゲームのユニットは使い過ぎると周りが白くなってくるという事も教わった。
 そういうわけでこのゲームにはかなりの思い入れがあるのだが、現在私の手許には無い(理由は後述)。当時は1つのゲームでかなり遊んだものだ。今は次から次とゲームを購入してしまう。反省しなければならないと書いていて痛感した。

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出力全開 中学・高校のゲーム

 「War at Sea」ではかなり遊ばせてもらったが、そろそろ次のゲームが欲しくなった。その頃には国産ゲーム(ツクダのガンダムシリーズやエポックのWWG)がもう出版されていたので、かなり選択の幅が広かった。「War at Sea」と同じ位面白いゲームというのが理想だったが、いかんせん「隔月刊タクテクス」すら出てない頃だった為に情報が全く無かった。どのゲームが面白いかなど分かる筈も無い。
 関係無い話だが、ゲームのシュリンクを破って箱を開ける瞬間というのは、今でもゾクゾクする。面白そうかそうでないか、運命の分かれ道である。失望感が支配するゲームもあれば、期待通りのゲームもある。大体この時の判断が間違った事は少ない。「War at Sea」と「新撰組」くらいである。(前者は期待外れかと思ったが面白かった。後者は逆…。)

 それでも少ない知識を動員して購入したのが「第三帝国」であった。カタログでの難易度は最高位とちょっと荷が重い気もしたが、純粋に面白そうと思い購入した。購入ゲーム2つ目が「第三帝国」というのは今思っても大英断だったと思う。もしプレイできなければ5800円をどぶに捨てるのだから。結果としてプレイできたので問題無かったのだが、これも単にラッキーだっただけで、今からゲームを始める人は絶対にやってはならない。一応忠告しておく。

 それから高校受験があったりしたので、ゲームをやるのを少し抑えていた時期がある。この時期は対戦相手もいなかったので自然とプレイ時間も少なくなったのだが。

 さて、高校もめでたく合格したので、またゲーム三昧の日々がやってくる。中学の時の対戦相手とのプレイに加えて、高校ではボードゲームをするサークルに入った為にかなりの時間をゲームに費やした。
 高校に入って最初にプレイしたのが、「New Type」+「White Base」によるサークルの先輩方のオリジナルシナリオ、「ソロモン要塞攻略」だった。ツクダのマップ8枚に広がる500を超えるユニット。1晩かけて5ターンしか進まなかったが、ビーム攪乱幕のサイコロだけで50回以上振った覚えがある。ジオン軍の私がなんで…と今は思うのだが、先輩方の代わりに振っていたように思う。私の担当戦域にはソーラーシステムがあり、その40パーセントを破壊したが、私のムサイは全滅したのを覚えている。リックドムもほとんど残ってなかったし。高校入り立てですぐにやったので、妙に覚えている思い出だ。

 このサイトの常連・くわ氏は高校時代に知り合った仲間である。氏はそのサークルには所属しなかったものの、私とよくプレイした。当時氏が持っていたゲームにエポックの「日露戦争」があった。1回プレイしてあまりに面白かったので、私の持っていた「War at Sea」と交換する事にした。ちなみに氏と交換した「日露戦争」、勝利条件に関係する都市に鉛筆で氏が書いたと思われる丸が書かれている。プレイには差し支えないが、美観をかなり損ねている。私は気にしないのだが、後年プレイした相手に笑われた事が数回あった。

 くわ氏とゲームをやると、なぜか爆笑の展開になることが多い。エポックの「日露戦争」でくわ氏がロシア軍を受け持った時に、第2ターンに旅順及びウラジオストック両艦隊を一気に失うという快挙を演じた。確か最初ウラジオストック艦隊を出撃させたところ壊滅してしまった為、怒って旅順艦隊も出撃させたらこれも壊滅。6ゾロを2回連続で出すというのも凄い話だ。
 「戦国大名」では浅井・朝倉を受け持ったくわ氏が、シナリオ指定の最初の加賀の一向一揆チェックで大量の中立勢力を出した挙句、通常の中立勢力チェックでもまた大量の中立勢力を出していた。「後背の憂いが無くなる」などといっていたが、浅井・朝倉では加賀を支配しないと勢力が大きくなれないだろうと思った。というか、武田をやっていた私としては、能登とか越中とかを牽制してくれないと困るのだった。
 高校時代は氏とゲームをよくやっていたのだが、実際の対戦はあまり無いような気がする。ゲームマスターというか、初心者にルールを教えながらやっていたりした事が多かったせいもあるのかもしれない。

 その頃少しだけRPGに浮気した事もあった。「スペースコブラ」とか「トラベラー」とか。そう言えば当時はまだD&Dの日本語版は無く、英語版を必死になって読んだ記憶がある。どれも今は手許に残っていない。どこ行ったんだろう。

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スローダウン 浪人・大学時代

 高校時代思いきり遊んでしまっていたので、当然の結果浪人する事になった。 私は東京の予備校に行く事にしたので、一人暮しをし始めた。
 ゲームの方はというと当然ながら持って行っていなかったので、この1年はゲームをしなかったわけだ。・・・などと言うと嘘を言う事になる。確かにゲームは持っていかなかったし実際ゲームをしたわけではないが、この時期はゲームを買い込んでいたのだ。つまり仕送り等を節約してゲームを買ってたというわけ。
 この時期に買ったゲームは、例えば「第二次欧州大戦」とか、「幸村外伝」とか、大学合格したら思いっきり遊ぶつもりで購入した物だ。

 それから無事大学に合格したのだが、ボードゲームのサークルには所属しなかった。特に理由があった訳ではなかったが、今もってその時の心境は思い出せない。だが実際ゲームサークルに所属しなかったのは事実である。
 別のサークル(SF研究会)に所属したのだが、そこでもう1つの重要な出会いがあった。A氏というその人物は、やはり私と同時期にゲームを始めたらしいが、私なんかとは比べ物にならない位の知識とゲームを持っていた。知識はさすがにラ・サール出身であって私なんか及ぶべくもないが、所有ゲーム量は悔しいほどの違いがあった。彼はどうやら青春をゲームに費やしていたらしく、本気になればこれくらいのゲームを持てるというのを教えてくれた。残念ながら彼の所有ゲームの全ては見る事は出来なかったが、話を聞いたり意見を交換したりするだけで勉強になったと思っている。
 大学時代にはゲームをあまり買っていない。「英雄三国志」と「フンタ」位しか思い出せない。そしてプレイもあまりやらなかったかもしれない。「パワーベースボール」のリーグ戦をやったのは覚えている。エポックの「三国志演義」もやった覚えがある。他にはなんかやったかなあ。ちょっと思い出せない。

 そういうわけでこの時期ゲームに関しては完全に暗黒時代だったのだ。

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再加速 すちゃらか社会人になって

 理由も無く暗黒時代を迎えたわけだが、そんな私も社会人となった。浪人・大学時代に実家を離れた事もあって、地元に帰ってきてもプレイする相手がいなくなっていた。しかしそれとは逆にウォーゲームに対する情熱は再燃していった。

  ウォーゲームには様々な種類があり、その中には一人でプレイするものもある。私が持っているゲームの中ではVGの「アンブッシュ」がその例だ。この種のゲームには当然相手なんか要らないので、一人でも出来たりする。それとシステム的にソロプレイに向いているゲームというのもある。先に出てきた「日露戦争」なんかは、あまり大きくない上にシステム的にソロプレイにも向いている。AHの「Magic Realm」は1〜16人用と言っているだけあって当然一人でも出来る。私は社会人になってすぐはこのようなゲームを孤独にプレイしていた。
 逆に一人では出来ないゲームには例えば「ディプロマシー」(プロットのマルチなんか一人でやっても面白くない)とか、「ミッドウェイ」(ブラインドサーチのゲームは一人では面白味に欠ける)とか、「第二次欧州大戦」(システム的には可能だが、こんなビッグゲームを一人でやる奴は多くないと思う)とかがある。

 ある時高校時代の友人Iの誘いで飲みに行くと、なぜかくわちゃんもいた。高校時代とは外見が全く変わってしまっていた為、Iが一緒でなければ誰だったか分からなかっただろう。
 くわちゃんはゲームから離れて久しいらしく、あまりやっていないという。それでも少しずつゲームを買い集めているようで、そのうちにゲームをやろうという話になった。実際ゲームをやる事になるのはそれから後何年かしなければならなかったが。

 何年後かに実際プレイしてみると、彼は相変わらずで、「Rise of the LUFTWAFFE」で態勢を変えるカードが来ずに延々カードを引き続けたりと、結構な爆笑振りを見せていた。私も久々の対人プレイで楽しかった。

 ただ、この事で知ったのは「私にはゲームをする相手がくわちゃんしかいない」という事実であった。実際地元の友人のほとんどは地元を離れ、昔ゲーマーだった人は既にゲームをやっていなかった。他の友人は休日を私相手に何時間も盤面を見つめる事など出来ないタイプばかりなのである。これは何とかしなければいけない問題だと痛感した。

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一国一城の主 すちゃらか管理人への道

 大学時代にコンピュータを始めて、今まで結構やっていたのだが、インターネットにはあまり興味を持てなかった。長い間スタンドアローンで頑張っていたのだが(いや、別に頑張る必要は無かったのだが)、くわちゃんの所でインターネットを初めて見て、これは面白いと思った。と同時に「自分のホームページを持ち、そしてホームページで近くのゲーマーにアピールすればもしかしたら簡単に対戦相手が見つかるのではないか」と思った。悪いアイデアではない。しかし私にはDOSの知識はあってもHTMLの知識は全く無かったので、これは永遠の夢だと思われた。しかしとりあえずインターネットに接続できる環境を整えた。

 ある日本屋でHTMLの本を読んでみた。なんか思っていたほど難しい物ではないと感じた。基本的には<>で括った中にコマンドを書き込むような物だ。これならすぐ出来そうだと思い、家に帰るとすぐに秀丸で書いてみる。あ、できた。結構簡単だった。HTMLの基本部分は簡単なので、とりあえずの「.html」ファイルは簡単なのだ。本当に難しいのは思った通りのホームページを作り、訪問者が来てくれるという事なのだが、それは立ち上げた後にならないと分からなかった。

 そんなこんなで自分のホームページを立ち上げる事になった。最初は「SF」と「シミュレーションゲーム」のサイトを謳った個人ページであった。しかし「SF」はそのうち書く事が無くなって廃止してしまった。「シミュレーションゲーム」は少しずつ増やしたりしてきたのだが更新は遅々としていて、私自身どこを変えたのか忘れてしまっているような状態であった。

 その頃のこのサイトは「ターカヌの日記」というくだらない日記のみが更新されていた。しかしこれでは自己満足はできても「対戦相手を見つける」という目的は達っせそうも無い。そこでこのサイトを一新し、「シミュレーションゲーム」部門だけを独立させた(同じ「/~takanari/」という場所にはあるものの、リンクを切って独立させたように見せかけた)。そして待望の掲示板を増やして、ほぼ現在の形を作った。

 独立したこのサイトは最初私とくわちゃんの交換日記みたいなことをやっていた。掲示板に書き込むのが私とくわちゃんしかいなかったせいであるのだが、交互に訪問カウンターを踏んでいた為、「今日はくわちゃん来なかったなあ」とかがすぐわかる(1度踏んだら、他の人が踏むまでカウントされないので、カウンターが動いてなかったら来なかったのが分かる)というのが結構面白かった。マイナーサイトも悪くは無いと思った。

 そのうちこんなマイナーサイトにも訪問者が来てくれるようになり、ゲーム会も開催できる様になった。個人レベルではこれくらいで十分満足しているのだが、サイトの管理人としてはまだ満足はしていない。信州には他にもゲーマーがいるはずだし、そういう方にも是非参加してもらいたいと思っている。

 やはり仲間がいるとプレイできるゲームの制限が無くなるのは実にありがたいし、それにも増してプレイするのが「楽しい」のだ。一人では何を失敗しようが突っ込んでくれる人もいなければ、良い配置をしても感心してくれる人もいない。どこか虚しさもある。やはり人間相手にゲームをやるのは良いと思う。そういう機会をこのページで作れるならば、サイト管理者としてこれほど嬉しい事は無い。これからこのホームページが良きゲーマーのコミュニケーションの場として、そして対戦相手を見つける場として発展していって欲しいと思っている。

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