旅人マイケルオズの見聞録 「歴史の舞台を訪ねて」 

豊臣秀吉が没して2年。豊臣家臣団の内部分裂を利用するかのように、最大の実力者・徳川家康が覇権を狙って行動を開始した。会津の上杉景勝討伐を名目に軍を起こした家康は、大坂の石田三成が挙兵するの報を受け、全軍を三成討伐軍に仕立てて西へと向かった。一方、三成は西国の大大名・毛利輝元を総大将に迎え、東へと向かって軍を進めた。西軍は大垣城に入城、東軍も城近くの赤坂岡山に陣を構え、今や一触即発の状態。「家康が西へと向かう」との情報を得た三成が先に動き、夜陰に乗じて西軍が関が原に布陣。続いて家康も関が原へ向かう。こうして、運命の慶長5年9月15日。長い一日が始まろうとしていた。


合戦の陣形を示す案内板(松尾山で)

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