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チェーンソーカービング

一度やってみたいと思いながら、今までやる機会のなかったチェーンソーカービング。
先日仕事現場でお会いした、チェーンソーカービングの第1人者、安曇野のBANさんに指導して頂いて初チャレンジ。
道具もBANのをお借りして、カービングの基礎、ふくろうを作った。
チェーンソーカービング

その日の午後、急遽行われたカービングの講習会。受講したのは、ぼくとログビルダーのT君。
T君は普段からチェーンソーを使い慣れているせいか、羽の模様がとてもきれいで感心した。さすがという感じ。彼もカービングははじめてとのこと。
この3羽のふくろう。右から師匠のBANさん、T君、ぼくの作品。
チェーンソーカービング

うしろ姿。
さすがに師匠の作品は生き生きとしていて、まるで本物のようだ。
チェーンソーカービング

はじめてチェーンソーカービングをやってみたが、難しかったけれど思ったよりも何とかなった。
まあ師匠の指導が良かったのだけど。あっちを削りこっちを削り、何とか一応ふくろうに見えるものが出来た。
こういう芸術的なモノは、作った人の性格やセンスが出るものだな。
師匠に「これは売れるぞ」と言ってもらったが、まだまだ。売り物にできるとは、自分では納得していない。そうやってハマっていくのかな。

思っていたよりも楽しかったチェーンソーカービング。これにハマル人の気持ちがよく分かった。

2010年3月


シベリア抑留体験記〜叔父の手記より〜1

実家の本家では、従兄弟が代表となってグループホームをやっている。その従兄弟から、毎月機関紙が届く。そこに今年89歳になる叔父が毎回記事を書いている。今月号から、叔父がシベリアに抑留された体験記が連載されるようになった。以前にも少し書いたが、叔父は太平洋戦争で中国へ送られ、戦後3年半にわたりシベリアに抑留された。今まで叔父からは折に触れ、断片的に戦争の話を聞かされたが、いつか詳しい話を聞きたいと思いつつ今日まで来てしまった。叔父もまだまだ元気とはいえ、来年は90歳という年齢。この体験記はぼくにとっても、いつか叔父から聞いておかなければならないと思っていた話。記録のためにも、ここに転載させて頂く。(尚、読みやすくするため、多少の添削を加えました)

まえがき
杉山 茂

確か昨年秋だったと思います。義理の弟のSさんが私に、兄さんはシベリアに連行され、捕虜となって強制労働させられた、そのときの体験を知っている人も今は少なくなった。このままでは次第に他人事のようになって忘れ去られてしまいます。是非シベリアへ抑留されたことを書き残してください。と言われました。

私は今日まで、シベリアの話は余りしませんでした。なぜかと言えば、聞きたいという人も無く、また余り自慢できる話ではないので、つい口を閉じておりました。Sさんの言葉を聴いてから、私は考えました。そうだ、私がなめた悲惨な体験を再び若い者たちに決してなめさせたくない。そう思いつき書き残すことにしました。

あれからもう半世紀以上が経過しました。当時のことを思い出して書いていると、戦友たちの面影が次から次へと浮かんでくる。北支とシベリアで特に心に強く刻まれた苦しみと、喜びの記憶を書きました。

戦争の惨禍

昭和十八年私は二十二歳、日本はいまや残るか滅亡するかと言う太平洋戦争の真っ只中でありました。私たちは男子として国のため、父母兄弟姉妹のために、たとえこの身は一髪土に残さず散っても悔いはないと思った。世界を相手の今日の戦いは、きっと死ぬかもしれない、生きては返れない、立派に恥ずかしくないように死のうと思っていた。

現代の感覚からすれば、おかしく思うかもしれないが、少年時代からそのような教育を受けて育った。私たちには不思議な事でもなく、当然であった。昭和十八年一月九日郷里鼎下山村の駅を出発、家を出る時はおばあさんと父母妹、玄関まで、近所の方々へ挨拶をし、万歳で見送ってくれる。

新潟の高田までの車中は指定列車で入営する仲間と、付き添いの家人でいっぱいであった。

夕刻列車は、白一色豪雪の高田市に着いた。指定された兵営近くの旅館へ着く。

一月十日入営。軍服に着替えてきていた国民服は家へ小包で送り返す。高田での訓練は、わずか十八日間であったが、兵器と一緒の油くさい兵舎。夜は細く丸めた冷たい毛布の寝台にもぐりこむ。我が家のぬくもりを思い出す。

国を出るためか家族との面会があり父が来てくれた。体に気をつけてと言葉は少ないがもうこれが最後になるのではと思う親の寂しさは如何ばかりであったかと思う。 十八年一月二十八日、雪の高田を出発。出陣式は吹雪の中で真夜中の営庭であった。部隊長が、皇国は今や存亡のとき、諸士の尽忠報国ご健闘を祈る、と挨拶。手を振って送ってくれる。そしてその四ヶ月後、山崎隊長が率いる高田連帯は北のアッツ島で玉砕。散る桜残る桜も散る桜。我々も散る桜であることに変わりはなかった。

高田から我々は中央線と北陸線周りの二手に分かれる。列車の窓は外から見えないようカーテンを引く。出発十八年一月三十日、下関で乗船。関釜連絡船の金剛丸。祖国日本との別れがきた。生きて再び見ることもあらじ。と船の丸窓から港を眺める。だんだん遠ざかる祖国。のぞいてはいけないと注意をされるが次々と来ては丸窓を半開きにして眺める。

さらば祖国よ栄えあれ、我は行く、熱いものがこみ上げてくる。さようなら日本。やがて祖国は小雪の彼方に消えていった。

暁に祈る
一、あああの顔であの声で
  手柄たのむと妻や子が
  ちぎれる程に振った旗
  遠い雲間にまた浮かぶ
二、ああ堂々の輸送船
  さらば祖国よ栄えあれ
  遥かに拝む宮城の
  空に誓ったこの決意

六番まであるが、当時をしみじみと思い出す歌。

つづく

2010年3月


”安曇野パーマカルチャー塾2010”参加者募集中!

昨年1年間にわたり、建築実習の講師としてお手伝いさせて頂いた”安曇野パーマカルチャー塾”。
毎年20名の定員がすぐに一杯になってしまうほど人気の講座だが、今年は3月に入った今も空きがあり、ラッキーなことにまだ申し込めるそうだ。
安曇野パーマカルチャー塾

興味のある方は、安曇野パーマカルチャー塾のHPをご覧下頂き、同ページから申し込んでください。

パーマカルチャーについてはもちろんのこと、自然農、建築、自然エネルギーや貿易・経済のこと、更に日本ミツバチや食事、医療のことなど、幅広く体験し学ぶことが出来ます。
そして何と言っても魅力的なのは、同じ価値観を持った仲間が出来ること。
スタッフ・講師陣も充実しています。
一人でも多くの人に参加し、体験してほしい講座です。

2010年3月


キッチンカウンター

現在製作中の、長さ約4メートルのキッチンカウンター。アイランド型キッチンシンクの向かい側に設置し、上は作業台になり、下は収納として引き出しや扉を取り付ける予定。
キッチンカウンター

引き出しは、上部は高さ130ミリで統一、その他は200ミリと300ミリの合計3種類、全部で20の引き出しをつける。ここにキッチン小物からグラスや食器まで、キッチンで使うものは、ほとんど全て収めることができる。
キッチンカウンター

キッチンでは、普段使う食器や小物類はなるべく近くにしまっておいて、すぐに取り出せるのが理想。作業台の下を引き出し式の収納にすることで、取り出しやすく、しかもかなりの量の収納が可能になる。
「見せない収納」がお好きな方にはお勧め。

2010年2月


気球

日曜日、家族で買い物に行こうと車で家を出たら、上空を気球が飛んでいた。かなり低空飛行で、乗っている人の顔がわかるくらい。途中路肩に車を止めて、気球を見ている車が何台もあった。
気球

ちょうど我が家の自動車の進行方向と、気球が飛んでいく方向が同じだった。大きな道で右折すると、うちの車を追いかけるように、気球がこちらに向かって飛んで来た。車を止めて眺めていると、気球はどんどん高度を落し、近くの田んぼ脇の畦道に着陸。気球って、意外と思った場所に降りられるんだな。
子供たちも大喜び、車を降りてはしゃいでいた。近くには、同じように家族連れの車が何台も集まって来て、写真を撮ったり、近くに行ったりして、みんな笑顔。気球ってそういう魅力がある。
気球

何年か前、うちの上空を飛んでいた気球を写真で撮ったが、この日もあの時と同じ気球のようだ。

原村にある八ヶ岳実践大学の、芝生の広場では、シーズンになると休日などによく気球を飛ばしている。そこに行くと一人千円くらいで気球に乗せてくれる。気球はロープで車に固定されていて、30メートルほど上にあがって、しばらくすると降りてくる。それだけの事だが、結構人気があるようで、いつもたくさんの人が集まっている。
気球を趣味でやるのには、結構お金がかかるだろうな。そのための資金集めにも、そういうイベントが役立っているのかもしれない。
そういう下世話な話はともかく、ふわふわと飛ぶ気球を見ると、つい追いかけて行きたくなるのは何故だろう。

2010年2月


樹氷

一昨日は、2月には珍しく一日中雨。その日は暖かかったが、夜から冷え込み、山沿いでは雪。次の日はとても寒かった。
翌朝仕事に行く途中、あまりの景色の美しさに車を止めて写真を撮った。
景色

もう10年近く前の話。サンフランシスコに住む友人のところに行った時、ヨセミテ国立公園に連れて行ってくれた。その時も季節は冬。ヨセミテでロッジを借りて1泊したが、ロッジに入るために先ず雪かきをしたのを覚えている。冬のヨセミテはとても美しく、トレッキングで4時間ほど歩いたが、景色の美しさは感動ものだった。
雪が降って美しい景色に出会うと、あの時のことを思い出す。スケールは違うが、八ヶ岳山麓の冬の美しさも、なかなかのものだ。
景色

特にこの日は、雨が降ったあとに急に冷え込んだ事で、木々についた水分が凍って、樹氷になっていた。この光景、この辺りでもとても珍しい。
景色

現場に着くと、足場から出来たツララの先に、線香花火のように氷の結晶が。気温が低い時だけ見ることが出来る自然の芸術作品。

2010年2月


餃子

餃子は大好きな食べ物の一つ。今までの人生、餃子にまつわる想い出も多い。

子供の頃、家が飲食店を営んでいて、餃子がメニューに載っていた時期があった。祖母と母が居間で毎日のように、何百という餃子を包んでいた。ある年の誕生日、夕食に何が食べたいと聞かれ、迷わず「餃子」と答えたものだ。祖母や母の手作り餃子、味は忘れてしまったが美味しかったな。

今まで食べた中で美味しかったベスト3に入るのが、台湾で食べた水餃子。台湾では1年間生活したが、そこの食堂では台湾人のおばちゃんが3食食事を作ってくれていた。そのおばちゃんが作る水餃子は絶品で、台湾では他でも水餃子はたくさん食べたが、これに勝るものはなかった。台湾では水餃子は主食で、日本のようにおかずとしてごはんと一緒に食べる事はしなかった。水餃子がメニューの日は、朝学校に行く前に「今日は水餃子を作るが、いくつ食べるか?」と聞かれ、30とか40とか答えていたと思う。台湾の水餃子は、餃子を茹でたお湯でスープを作るのも特徴で、これまた絶品。水餃子の日は餃子とスープだけというシンプルなメニューながら、その日が待ち遠しかった。あの水餃子、またいつか食べてみたいな。

台湾では水餃子が一般的だが、日本では何と言っても焼き餃子だ。餃子はカレーや焼肉同様、もうすっかり日本食と言っていいかも知れない。日本で食べた餃子で衝撃的うまさだったのが、金沢で食べたホワイト餃子だ。だいぶ前にこのページでも紹介したが、お饅頭のような形で、焼くというよりも油で揚げるという感じ。その割りにあっさりとしていて、とても美味しかった。フライパンの形に焼きあがった餃子が印象的だった。

今でも餃子はお気に入りのメニューだが、最近では冷凍や惣菜もの、生の餃子を買ってきてうちで焼いて食べる、ということが増えたかな。なんだかちょっと味気ない。それでも時々、嫁さんが皮を買ってきて包んで焼いてくれることがある。餃子というのは結構難しくて、皮も大事だし、具の作り方でも味が違ってしまう。そしてもう一つ、焼き方も重要だ。いつもなかなかうまく行かない事が多いのだが、この日の餃子は、皮選びも、具の味付けも、焼き具合も、とてもうまくいった。

餃子

なんでも前日に、ママ友が料理教室に誘ってくれて、そこで簡単な餃子の作り方と焼き方を教わったらしい。この日の餃子は子供達にも大好評。特に2番目の3歳男児なんて、まだ食うのか、と言うくらい食べていた。これが買ってきてものにはない、母の味なんだよな。そういうのが子供の記憶に残るんだな。
うちの餃子もだんだんとレベルが上がってきたようだ。まだこれから餃子にまつわるエピソードが増えそうだ。

2010年2月


ベーシックインカム

社会保険庁の不祥事は、日本の年金制度を根本から見直す良いチャンスだと思っていたが、結局お役所の名前が変わっただけで、仕組みの複雑さや国民年金と厚生年金の不公平感は相変わらず。折角巡って来た千歳一遇のチャンスをみすみす逃したも同然。ア〜アという感じ。
それならいっそうのこと、消費税を20%くらいにして、北欧並みに高福祉高負担の国にした方がよっぽどましだ。そう思っていたら、最近ベーシックインカムなる考え方が、広まりつつあるのだという。

ベーシックインカムとは、様々な説明の仕方があるようだが、その時ラジオで聞いた説明がとてもわかりやすかった。
考え方としては、これから始まる子供手当てを子供から大人まで、国民全員に拡大したイメージ。国が国民全員に同じ金額を、一生涯支給する。
国民一人当たり、例えば年間80万円支給すると、約100兆円の予算が必要になる。ではその財源をどうするのか。
日本人が働いてもらう給与の総額は、約200兆円といわれている。そこで給与の半分50%をその財源に充てれば、決して不可能な話しではない。
でも普通に考えて、給与の半分を税金で持っていかれたら大変だ。ところが、この仕組みだとむしろ年収が増える人の方が多いのだ。
例えば、夫婦と子供二人の4人家族で年収300万円の家の場合。300万円の半分の150万円が税金でとられるが一人当たり80万円ずつもらえるので、150万+80万×4=470万円となり、170万円も年収が増える。
4人家族で年収600万円の家の場合、300万+80万×4=620万円となり、こちらも年収は増える。
一方、4人家族で年収1200万円の家は、600万+80万×4=920万円で、こちらは年収は下がる。
つまり、低い所得の人ほど年収は増え高所得者は年収が減る。それによって収入による格差が少なくなるというメリットが生まれる。
その他にも、収入を気にせず、好きな仕事、やりたい仕事に就ける。社会保障制度を簡素化でき、公務員の数を減らす事ができる。年金も必要なく様々な福祉制度もシンプルに出来る。など、メリットはたくさん考えられる。
一方デメリットとしては、きつい仕事、みんなが嫌がる仕事は、更に敬遠される。働かない人、労働意欲をなくす人が増える。などが考えられる。

この制度、今すぐ実現するとはとても考えられないし、仮にそうなっても、想像以上の悪影響を与える危険性もはらんでいる気がするので、今すぐ実現されても困るのだが、今までのように、行き当たりばったりで複雑になってしまった今の社会制度をリセットする意味で、みんなで検討するのはとても良いことだと思う。そうすることで、もっと良いアイデアが生まれるかもしれない。
いずれにしてもベーシックインカムという考え方、これからあちこちで注目され、話題にされるような気がする。

2010年2月


囲炉裏

以前から、知り合いに頼まれていた囲炉裏を作ることに。
材料は、数年前近くで伐採したクリの木を自然乾燥させておいたもの。4メートルの材を半分に切って、それを長手に使う。
囲炉裏

短手は赤松。
囲炉裏

それらを組み立てるとこんな感じになった。
囲炉裏

これに足をつけ、色を塗れば完成。塗料は、柿渋にベンガラと硝煙を混ぜたものを使おうと思っている。
どんな囲炉裏が出来るのか、楽しみ。
2010年2月


謹賀新年

年末年始は、姫路にある嫁さんの実家に、家族全員で里帰り。
嫁さんの実家は兵庫県の姫路市。瀬戸内海に面したこの辺りは、近くに観光名所がたくさんあるが、今回は瀬戸内海、日生(ひなせ)の頭島という小さな島に1泊の家族旅行。その帰りに備前の伊部(いんべ)に寄った。
全国的に有名な備前焼だが、伊部にはその窯元がたくさんある。

以前も書いたが、嫁さんの親父さんはかつて土門拳先生の元で数年間アシスタントをしていた。その後写真家として独立したが、その経歴から、焼物や民具、寺社建築、仏像など、様々なジャンルの美術品や工芸品に驚くほど詳しい。
一緒に旅行していて、ちょっと立ち寄った博物館に飾ってある写真を見て「これは俺が撮った写真や」ということがよくある。
茅野市に国宝で「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶が発掘された「尖り石考古館」というのがあるが、そこのいくつかの写真も、以前義父が撮ったものだとか。びっくりだ。

伊部ではいくつも窯元の店を覗いたが、その義父の解説のおかげで、備前焼についてずいぶん勉強になった。
その時唯一買った備前焼の水滴。
水滴とは、墨をする時に硯に水を入れる道具、昔の文房具の一つだ。
こういう物はやはり、古いものに良い物があるようだが、値段もそれなりで、とても一般人が手を出せるようなものではない。
今回買った新品は、値段も3,000円ほどと手ごろ。気軽に使えそうな値段だが、いま字を書くためにわざわざ墨をするなどということはほとんど無く、この水滴もいつ出番が来ることやら。

骨董というか、古い道具や民具には昔から興味があった。それが備前を少し歩いたことで、焼物についても興味が湧いてきた。
幸い嫁さんの実家には、そういった類の本がたくさんある。年末年始、嫁さんの実家で子供の面倒を見ながら、焼物や骨董の本を読み漁った。

それにしても古いものって、何ともいえない魅力がある。
工芸品でも民具でも、同じようなものを今作っても、古いものとは趣が違うんだよね。
もの(家)づくりに携わる一人として、そういう仕事が出来たらなと思った新年でした。

今年もよろしくお願い致します。

2010年1月


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