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最近

最近、このページでの話題といえば、昔話だったり思い出話だったり、ふと頭に浮かんだことだったり‥‥、脳みそで考えた事ばかり書いていたような気がする。そこで今日は、体を使ってやったこと、最近した仕事について書いてみよう。
工房
最近の工房の様子。たくさんの材を桟積みして、まるで材木屋のよう。
材木の整理もしっかりやると、手間と時間がかかる。

石積み
結構大掛かりな庭の作業を頼まれ、重機を使って石積みをした。この他にも、石で土留めをし、石段も作った。
2週間ほど本職を忘れ、造園家になった。

キッチンセット
かなり以前から、時間がある時に作ってくれと頼まれていた、木のおもちゃキッチンセットを作った。
一昨年、知り合いの材木屋の社長から頂いた年賀状が、木のキッチンセットで遊ぶお孫さんの写真だった。
先日その社長にお会いした時、嫁さんがその話をすると、「あれは私が作ったんですよ」とのご返事。
その一言に触発されて、手元にある材料で作ってみた。買ったのは、蝶番と取っ手のつまみくらい、あとはほとんど工場にあった端材を使った。
気合を入れすぎたか、かなり重量のある大きなものになってしまった。家に入れるとかなりの存在感。それでも子供たちは大喜びで遊んでくれた。

2009年5月


安曇野パーマカルチャー塾

安曇野にあるシャロムヒュッテ(以下シャロム)で、ストローベイルハウスのワークショップのお手伝いをしたのは2004年。今から5年前のことだ。

以前からシャロムでは、環境や農に関する様々なワークショップや講習会を開いておられるが、その中の一つが今年で7回目を迎える安曇野パーマカルチャー塾
今年、そのプログラムの中の建築実習の講師を、1年通してさせて頂くことになった。
テーマはストローベイルハウスとタタミハウス。
シャロムのゲストハウス、池田町にあるシャンティクティを会場に、1年かけて農小屋と玄関スペースの建築を、全国から集まった20名の参加者と共に行うもの。
先日4月26日、はじめて講座に参加し、写真を使ってストローベイルハウスやタタミハウスの説明をさせて頂いた。

パーマカルチャーとは、僕が説明するよりも、シャロムのHPに詳しい説明が出ているので参考にして頂ければよいが、ストローベイルハウスやタタミハウスといった自然素材で、しかも身近に大量にある材料、あるいは捨てられるものを再利用した建築が、パーマカルチャーという考え方にも違和感なく受け入れられるということは、実はとても嬉しいことなのだ。

温暖化や深刻な環境問題が顕在化する現代社会において、個人でも何かしなければと思っている人は多いと思うが、そのヒントになるのが、シャロムでやっておられるようなそうした活動だと思う。
僕自身とても勉強になるし、積極的に参加したいと思える活動だ。
参加者は定員が20名。それぞれの分野で活躍されている方も多く、お互いが刺激し合いながら、1年を通して学んだ事を各自がそれぞれ日々の生活で実践する。そして、そのネットワークが徐々に全国に広がっていく。
そんな活動に参加できることを誇りに思いつつ、多少のプレッシャーも感じながら、1年間皆さんと共に楽しく学び合うことが出来ればと思っている。

ワークショップの様子は、このページでも紹介しようと思っているが、シャロムのHPがとても充実していて、更新も早く、むしろそちらを見て頂いた方が良いかもしれない。
ちなみに前回のレポートも既にアップされているが、これがまたよくまとまっていて感心してしまう。

2009年5月


メキシコ

グアテマラの話題が続き、ここ最近メキシコにいた頃の事を思い出すことが多かったが、その矢先、新型インフルエンザがメキシコで流行、とのニュースで世界中が大騒ぎになった。
このHPでも何度も触れているが、メキシコでは以前4年間暮らしたことがあり、最も思い入れのある国なのだ。
そのメキシコで新型インフルエンザが流行し、多数の死者が出ているという。
特に、メキシコシティには知り合いも多く、安否が気がかりだ。

現時点でも様々な情報があり、正確なことは言えないが、今回流行している新型のウィルスは弱毒性で、なぜメキシコでだけ亡くなる人が多いのかよくわかっていないそうだ。
そんな報道に触れると、更に心配になってしまう。
とにかく、1日も早くこの騒ぎが収まる事を願わずにはいられない。

2009年5月


ティカル遺跡

アンティグアの話でグアテマラについてあれこれ思い出していた矢先、先日ラジオから、今度はティカル遺跡の話題が耳に飛び込んできた。
月光写真家石川賢治氏がティカル遺跡で、月の光だけで写真を撮ったときの話をしていたのだ。
石川さんは、ティカルの印象について「何か血なまぐささを感じた」と語っておられたが、僕が初めてティカル遺跡に行った時の印象と極めてよく似ていたので驚いた。

ティカルはグアテマラの北端、ベリーズとの国境近くのジャングルの中にあるマヤの遺跡だ。
西暦300年頃から栄え、今から700年以上前に忽然と姿を消したといわれている。
そんなマヤの遺跡で行われていたのが、太陽の神に生贄を捧げる儀式だった。儀式を行うピラミッドの頂上で、生贄から心臓を取り出して、それを太陽の神に捧げていたという話は有名だ。

僕がはじめてティカルに行ったのは、メキシコ時代、2度目のビザの更新のためグアテマラに行った時だった。
当時メキシコ・シティーで仕事をしていた関係で、3日間しかグアテマラに滞在できる時間がなかった。そのためグアテマラに着いたその日のうちに飛行機を乗り継いでティカルに向かい、翌日にはグアテマラシティーに戻るという、とにかく慌しい日程だった。
この時、ティカルから帰りの空港で「飛行機が満席で乗る事ができない」と言われ、かなりあせったのを覚えている。「どうしても今日中にグアテマラシティーに帰らなければならない」と、ねばった結果、トランシーバーでやり取りをしていた担当者が突然「ついて来い」と言って走り出した。二人で滑走路を走り、止まっていたなんだかよくわからない、20人ほどが乗っっていた小型の飛行機に乗せられて、それでどうにかグアテマラシティーに帰ることが出来た。

その2年後、フリーになった僕は、友人と4人で再びティカルへ行く計画を立てた。この時はメキシコから小さな舟で川伝いにグアテマラに入り、バスでティカルにいくという、なかなかハードな旅だった。
10人乗りほどの小さな舟に4時間程揺られ、いい加減尻が痛くなってきた頃、グアテマラの国境に着いたのが夜の10時過ぎ。それから食事をして、ホテルとも呼べないような狭い部屋で4人雑魚寝をした。翌日バスの出発が夜中の2時。2〜3時間の睡眠で、真っ暗な凸凹道をガタガタ走るバスに5時間揺られ、やっとの思いでティカル遺跡の近くの町に到着した。バスの中ではひたすら寝ていたが、バスが激しく揺れるので、窓ガラスに何度も頭をぶつけてその度に目が覚めた。

ティカル遺跡。初めて行った時は、とにかく強い衝撃を受けた。
今から20年近く前のこと。まだ発掘途中のピラミッドがいくつも残っていて、まさにジャングルに埋もれた遺跡、という感じだった。
ピラミッドが丸ごと、木々覆われているようなド迫力のものもあったし、そこら辺に転がっている苔むした石の一つ一つが、実は複雑な彫刻の施された過去の遺産だった。
圧巻だったのが、高いピラミッドの上から見た、ジャングルの中に点在するピラミッド群だ。特に、4号神殿の上から見た光景は衝撃的だった。その頂上には僕以外誰もいなかった。時間を忘れ、ひたすらジャングルの中から突き出した遺跡群を眺めていた。その時感じたのが、血なまぐささだった。

ティカルと聞いただけで、そんな昔の記憶が次々とよみがえってくる。
アンティグア同様、ティカルの遺跡も世界遺産に登録されたようだ。
ジャングルの中に佇む過去の遺産、いつまでもそのまま残っていてほしい。そして、いつかまた行ってみたい場所だ。

2009年4月


アンティグア

先日NHKの世界遺産を紹介するテレビ番組で、懐かしい映像が流れていて思わず見入ってしまった。
それはグアテマラの、アンティグアという街を紹介した番組だった。
そこで初めて知ったのだが、アンティグアも世界遺産に登録されたんだな。う〜ん、なんか感慨。
メキシコにいた頃、グアテマラにはビザの更新などでよく行た。その中でもアンティグアは、グアテマラで最も長い時間滞在した街だった。
その頃(今でもそうなのかも知れないが)アンティグアにはスペイン語の学校が多数あり(50以上と記憶している)、その中の一つで1ヶ月間スペイン語を学んだ。
アンティグアのスペイン語学校は有名で、グアテマラでスペイン語を勉強するならアンティグアとガイドブックにも紹介されているほどだった。

学校選びは現地に行ってから、街のあちこちに貼られた案内状を見て3つほどの学校を回り、その中で一番印象の良かったところに決めた。
学校といっても立派な校舎があるわけではなく、一般的な民家風の建物の中庭に、机をいくつか置いただけの簡単なものだった。
下宿先もその学校が紹介してくれた。一人暮らしの老婦人の家で、学校に通う1ヶ月間滞在する事になった。
その家には下宿を受け入れる部屋が2部屋あり、滞在中、アメリカ人の若者と2週間ほど一緒になり、その後、中東から来たカップルと隣同士になった。

平日、3時間ほどの授業が終わるともう何もやることがなくなってしまう。大きなスーパーやコンビニがあるわけでもなく、遊ぶところもほとんど無い。
スペイン語の学校はたくさんあるが、基本的にはグアテマラの、山の中の小さな街なのだ。
アンティグアの魅力は、中世から変わらない街並みにある。
毎日街の中を目的も無くぶらぶらと歩き、最後に中心地にある広場にたどり着き、石段に座って本を読んだりボーっとして時間をつぶす。
暗くなるまでそこにいて、日が陰り、肌寒くなると「そろそろ帰るか」と尻を上げる。
周りには、同じようにその広場で時間をつぶす、いろんな国の若者がたくさんいた。
みんな時間だけはたっぷりあるのだ。退屈でもあったが、豊かな時間でもあった。
テレビの映像を見て、そんな昔の記憶がよみがえってきた。

そういえばこのホームページの中に、メキシコとグアテマラで過ごした記憶を綴ったページがあったな。
決して忘れていたわけではないのだが、だいぶ前からちっとも更新していない「開かずの間」のような存在になってしまっている。
あのページも、たまには更新しなければ‥‥。
テレビで見たアンティグアの映像は、そんな思い出したくないことまで思い出させてくれた。

2009年4月


ツーバイ材

最近、工房の前の道路を、丸太を満載したトラックが頻繁に通るようになった。一日仕事をしていると、多い時には5台も6台も丸太を積んだトラックが通る時がある。
どこに持っていくのだろう、と不思議に思っていたら、近くの廃棄物処理業者の前を通って謎が解けた。
そこにはこんな看板が出ていた。「丸太買い取ります」‥‥なるほど。

その処理場には、何度か廃材を持ち込んで処分してもらったことがあるが、以前から、解体された木材が山のように積まれていた。「どうするの?」とたずねると、チップに加工するとの事。
それからプラントを整備したのだろう。伐採された木材を買い取って、本格的にチップの生産に乗り出したようだ。

それにしても、チップにされる原木の山を見ていると、ついもったいないと思ってしまう。
木材は、日本の数少ない資源の一つと思っている。その原木を加工して、家や家具などとして使い、その後にチップなり薪にすれば、例えば樹齢百年の木なら、それ以上の年数使うことが出来る。
それをいきなりチップにしてしまうのは、何とももったいない。

何故そんなことになってしまうのか?
原因はいくつかあると思う。当然、現行の制度にも問題があるのだろうが、やはり業界全体に工夫が足りないと思う。
例えばそれらの原木を、ツーバイ材に加工して販売したらどうだろう。

ツーバイ材というのは、アメリカの基準で、インチ規格で製材された材のことだ。ツーバイフォー(2×4)とかツーバイシックス(2×6)など、サイズは様々あり、ツーバイ工法と言うと、いわゆるパネル工法の代名詞になっている。
そんなツーバイ材だが、ホームセンターに行くと輸入品を簡単に買うことが出来る。値段も手ごろだがサイズも手ごろで、日本の建築にも、間柱や筋交、場合によっては仕上げ材や建具の枠などにも利用できて、とにかく守備範囲が広いのだ。
ところが製材所にその寸法で材を注文すると、立米計算、もしくは石(こく)計算となるため、割高となってしまう。
そこでチップにするような原木を大量に仕入れて、数種類のツーバイの規格で製材し、出来上がった材によって等級を決めて販売すれば、値段も抑えられるし、輸入材に負けない品質と値段で勝負できると思う。そして何より、日本の林業のためだと思うのだが‥‥。
日本中の木材がチップにされる前に、誰かやってくれないものだろうか。

2009年3月


高気密・高断熱

今住んでいるのは、築70〜80年の借家。基礎は石基礎で、家の中はあちこち傾いている。一昔前の平屋の住宅で、古民家と言えるほど古くも立派でもない。それでもその当時の一般的な間取りなのだろう、10畳ほどの広さの部屋が田の字型に4つあり、建具をはずせば広間になる。風呂トイレ台所は別のスペース。そんな作りになっている。
最初からいきなりそういう大きな家を建てたのではなく、増築を繰り返しながら今の大きさになったという感じ。近所にも同じような作りの家が多いので、だいたい同じ年代に建てられたものだと思う。

そんな古家の一番の悩みは、冬の寒さへの備えがまるでないことだ。床や壁、天井にも断熱材は一切入っていない。その上開口が大きく取ってあるためとても風通しが良い。その頃の家は、とにかく夏快適に過ごせるようにだけ作られている。確かに夏は涼しくて良いが、逆に冬は考えられないほど寒い。住んでいるこの辺りは標高が900メートルほどあり、冬は寒いときで−15度くらいになる場所だ。家の中のコップの水が凍るくらい寒い。
そんな借家に、もうかれこれ10年近く住んでいる。

子供が生まれる前、つまり夫婦二人で生活していた時は、石油ファンヒーター一つでも、何とか生活できた。ところが子供が生まれるとそうはいかない。生まれたばかりの赤ん坊に風邪をひかすわけにはいかない。今はファンヒーターを3つ点けて何とかしのいでいるが、一冬で使う灯油の量もハンパではない。ストーブのタンクに灯油を入れるたびに、良心の呵責に苛まれる。

日本の古家において、なぜそういうことが起きるのかというと、気密と断熱を全く考慮していないからだ。ストーブの熱は、焚いたそばから室外へ逃げていき、ストーブを消すと部屋の中はたちまち寒くなってしまう。
「お前は大工なんだから、自分で直せよ」と言われるかもしれない。でもそこは、借家の悲しさなのだ。もちろん冬になると、窓際に断熱材を置いたり、部屋にカーテンをつけたり色々工夫はしている。でも焼け石に水。根本的な解決にはならない。ここに住む限り、現状で何とか生活するしかないのだ。

そういう家に住んで、特に冬場、日々実感するのが住宅における高気密・高断熱の重要性だ。
以前、気密住宅というと悪いイメージを抱かれることが多かった。建材の接着剤などに含まれる化学物質によるシックハウスが、大きな社会問題になったからだ。でもそれはまったく別の問題で、高気密・高断熱とシックハウスの問題は、本来、分けて考えなければならない。

新築の住宅で、ただ単に高気密・高断熱を実現するのはそれほど難しくない。断熱材は性能の良いものを厚く、開口部も特に気密性・断熱性の高い製品を使って、あとは施工さえきちんとやれば、まあ多少値段は張るが高気密・高断熱の住宅は出来る。
問題は、それをいかに出来るだけ自然素材だけで実現するかだ。そのヒントは、実は身近なところにあると思っている。

僕の住んでいる諏訪地域の土蔵は「板倉」と言って、落とし板に土を塗った二重構造になっているものが多い。これはこの地域独特のもので、他の地方にもいくつかあるようだが、比較的珍しい工法だ。
諏訪地域でなぜ板倉が広まったのかと言うと、当然その気候風土に関係がある。ここら辺は特に冬の寒さが厳しい。この地域の特産品に寒天というものがあるが、これは海草のゆで汁を外気で凍らせて作る、寒いから出来る特産品だ。
そんな冬の寒さが厳しい地域で作られている板倉には、やはりそれだけの性能が備わっているはずだと思っている。
そんな板倉の構造を参考にした「落し板の家」を現在計画中。工事の様子はこのページで紹介する予定だ。

2009年3月


工房の近くでふくろうを見た話は、以前書いた。
それ以降も何度か同じ場所でふくろうを見かけたが、実は最近、その同じ場所で、別の鷹らしき1羽の鳥をよく見かけるようになった。
最近見かける、というのは違うかもしれない。ふくろうと出会う以前から、あの辺りで鷹らしき鳥を何度か見たことがあった。
それがここ最近、頻繁に見かけるようになったのだ。

ある時、電柱のてっぺんに止まっているのを見つけたのでカメラを向けると、飛んでいってしまった。
何度かそんな事があって、ついに先日、写真を撮らせてくれた。
鷹

その鷹くんが、数日前、なんと彼女と二人でいるところを目撃した。いつもの場所で2羽の鷹が、電柱のてっぺんに仲良く止まっていたのだ。
厳密には、それまでよく見かけた鳥がオスなのかメスなのか、その時の2羽の内の1羽がいつも見かける鳥なのか、そもそもその2羽がつがいなのかどうか、はっきりしたことわからないけれど、僕の気持ちとしては、いつも見かける鳥はオスで、「これが僕の彼女ですよ」といって紹介してくれたのだと、勝手に想像して嬉しくなってしまった。

軽トラのスピードを緩めて、電柱の手前で止まるとすぐに、その2羽の鳥は飛び立ってしまったが、とても良い気分になって、いつものように「がんばれよ」と声をかけてその場を立ち去った。
近いうちに、いつものあの辺りで、巣立ったばかりの鷹の姿が見られるかもしれない。

2009年3月


「深夜特急」

先日、仕事帰りに本屋に寄った際、新刊のコーナーに見覚えのある装填の本が並んでいるのが目に入った。
『旅する力』沢木耕太郎著。サブタイトルには「深夜特急ノート」。帯には「深夜特急〈最終便〉ついに刊行!」と書かれている。
先ずは手に取り、次の瞬間、思わずレジに向かっていた。

沢木耕太郎氏の『深夜特急』に出会ったのは、もう15年以上前になるだろうか。その時は文庫本で読んだので、初版が出されてからかなり時間が経っていたはずだ。
雑誌の特集などでよく、著名人が影響を受けた本などといって、何冊か挙げているものがあるが、もし僕がそういう本を挙げるとしたら、間違いなくこの本が入っていると思う。

話は変わるが、以前、少しだけワインに凝っていた事がある。
ボルドーの4大シャトーなど、有名どころには高すぎてとても手が出なかったが、ワインブームのその頃は、輸入物の安くておいしいワインというのが結構あって、それを探し出すのが楽しみだったりした。
個人的には、スペインのリオハのものに当たりが多かったように思う。
それはさて置き‥‥

ビールの良し悪しというのは、最初の一杯で決まると思うが、ワインの良し悪しは難しい。
最初の一口で判断できるほどの舌や、ワインに対する知識を持っているわけでもなく、とにかく安いワインを買って飲み、これは美味いとか、渋いとか、どんな料理に合いそうとか、自分なりの判断でただ楽しんでいただけ。
それでも時々、これはというワインに出会って、それからしばらくはそのワインばかり飲んでいるというようなこともあった。
そんなことを繰り返しているうちに、自分の中で美味いワインと不味いワインとの見分け方の一つの基準が出来たのだ。
それはとても簡単なことだった。
ボトルを買って、すぐ無くなるのは美味しいワイン。いつまでも無くならないのは不味いワイン。
これは日本酒にも、焼酎にも当てはまると思う。ウイスキーやブランデーにも当てはまるかもしれない。

そして、ある日気がついたのだ。同じことが本にも言えると。
『深夜特急』を最初に読んだ時、ほとんど時間が経過しているという感覚の無いまま、一気に読んでしまった。そんな本はめったに無かった。

『旅する力』を読んでから、すぐに近くの図書館に行った。かつて読んだ『深夜特急』が、無性に読みたくなったのだ。以前持っていた『深夜特急』の文庫本は、とっくの昔に海外の友人のところに送ってしまっていて手元には無かったのだ。
図書館に行くと、単行本が3冊きれいに並んでいた。
それを借りてきて一気に読んだ。この本を読むのは3回目だが、その内容は、以前にも増して深く心の中に入ってきた。
それは『旅する力』という、「最終便」を読んだ後だったからだろうか。
いやそれ以上に、今の自分が、現実的にもうそういう旅が出来ないということを理解しているからこそ、余計に強く惹かれるのかも知れない。

美味しいワインに出会って、ボトルの中のワインがだんだん少なくなっていくのが惜しいように、今回『深夜特急』を読んで、残りのページが少なくなってくるのが残念で仕方なかった。
そしてそれは筆者が、旅の終わりをなかなか決断できない部分と重なって、切ないくらいにこちらに迫ってきた。

2009年3月


フランス旅行記 2

フランスで撮った写真の中で最も多いものは、風景や建築物を撮ったものだ。今回はその中でも、扉を撮ったものばかりを集めてみた。

先ずは、モンサンミッシェル内部の扉。どれも重厚感があって素晴らしい。
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街角で見かけた雨戸。
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ノートルダム寺院内部の扉。
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こちらはノートルダム寺院の入り口の扉。とにかく装飾が多かった。
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どれも古いが、どの扉にも遊びゴコロがあり、とても洗練されたデザインで存在感がある。
扉はその家(部屋)の顔。こんな素敵な扉の家に住んでみたいものだ。

2009年3月

フランス旅行記

フランスに行ったのは、去年の10月のこと。このページでも少し書いたので、覚えておられる方もいるだろう。
フランスで撮った写真は、一度嫁さんの実家のPCに保存し、そのうちのいくつかはプリントアウトして一緒に旅行に行った方にお渡しした。
ところが、デジカメのSDカードに入っているはずのデータがどういうわけか消えてしまい、家に戻ってから整理どころか、写真を見ることも出来なかったのだ。
先日久しぶりに嫁さんの実家に行った際、PCのデータをコピーしてきて、ようやく自宅でも見られるようになった。
いい写真がたくさんあるので、記録のためにも、写真だけでも載せておこうと思う。

先ずは世界遺産、モンサンミッシェル。パリから自動車で4時間ほどの距離。この時は、ツアーバスを使った。 女性の添乗員さんがバスの中で、延々とフランスやその周辺の国の歴史について語ってくれた。まるで大学の講義を受けているようだった。

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翌日行ったのがジベルニー。「睡蓮」で有名な画家モネの家と、彼の作品に登場する庭がある場所だ。モネ自身、ここで43歳から86歳で亡くなるまで仕事を続けたそうだ。
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モネの家を訪れる前日、パリのオランジュリー美術館で作品を鑑賞した。まさに彼の自宅の、庭の風景そのまま。
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モンさんミッシェルとジベルニーに行った以外は、ほとんどパリ市内で過ごした。
パリ市内の朝市、マルシェ。
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街角のオープンカフェにもよく行った。
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ある日の夕食。パリ中心地のレストランで出てきたフォアグラ。絶品でした。
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ケ・ブランリー美術館。主にアフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの美術品が展示されている。展示の仕方が斬新で面白かった。
建物も斬新。
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ルーブル美術館の入り口にあるガラスのピラミッド。地下はこうなっている。
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パリの建築物群。うらやましいほど美しい建物があちこちに見られた。
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パリといえばセーヌ川。この水上バスには、何度も乗った。
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パリのシンボル、エッフェル塔
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そして凱旋門。
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ノートルダム寺院。中も素晴らしかった。
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ここで紹介した写真は、まだほんの一部にすぎない。おいおい紹介していければと思う。でもあまり期待しないでね。

2009年3月


マークタイム

先日、高校時代の友人から店舗改装の仕事を頼まれた。彼は地元新潟で3軒のダイニングバーの店長となっているが、今回、高校時代を過ごした街で自分の店を出すことになったのだ。 場所は奈良県。
以前から、店を出す時は工事を頼む、と言われていたのだが、まさか本当にやるとは思わなかった。
というわけで、1週間ほど出稼ぎに行ってきた。

改修前は、ひと昔前の田舎のスナックという印象だったが店内が、カウンターを直し、棚を作り、照明を変え、トイレなども直して塗装した結果、何とかダイニングバーらしくなった。
カウンター

営業は3月9日から。多くの方に是非足を運んでもらいたいものだ。

ところで表題の「マークタイム」。この新しい店の名前なのだが、この言葉、高校時代のクラブ活動でよく使った。意味のわかる人は、かなりの通か経験者か。まあ一般の人にはあまりなじみのない言葉だと思う。
言葉の意味も含めてそのクラブの話し、またこの場所で書くことがあるかもしれない。

2009年2月


原稿書き

このページの文章は、思いついたことをその都度書いていることがほとんどだが、まれに途中まで書いて保存しておいて、後日手直しをしてアップする場合もある。
先日、久しぶりにその原稿を保存してあるフォルダを開いてみたら、てっきりHPにアップしたと思っていた原稿が、いくつかそのままになっていた。
何だ、あの話もこの話もまだ陽の目を見ていなかったのか。
これはもったいない、ということで、多少話は前後するかもしれないけれど、これからおいおいアップしていこうと思っている。

作家と呼ばれる人の中には、手書きで原稿を書くスタイルを通している人がまだ多いようだ。こだわりの筆記用具などというものが雑誌の特集になったりしていて、それはそれで風情があって良い。作家に限らず、特に年配の方には、手書き派の方はまだまだ多いと思う。
かく言う僕は、今ではもうすっかりパソコン(ワープロ)派だ。手書きの頃は憧れを持った万年筆にも、今では全く興味がなくなってしまった。
パソコンで原稿を書くようになったのは社会人になってから。最初に入った会社で先輩から、キーボードの打ち方の特訓を受けた。そのおかげで、約2ヶ月程でキーボードを見なくても問題なく文章が打てるようになった。

パソコンで文章を作る最大のメリットは、文章を自由に添削できる事。それと手書きよりも早く入力できるので、頭に浮かんだ文章をより早く文字として残せるのも大きい。
弊害としては、よく言われるように、読めても書けない漢字がずいぶん増えたと実感している。
それにしても、最近めっきり手で文字を書かなくなった。たまには手書きで、誰かに手紙を書いてみようかな。

2009年2月


土門拳

今年は、写真家土門拳の生誕100周年なのだそうだ。
前にも書いたが、嫁さんの親父さんはかつて土門拳氏の写真の弟子として、数年間、その下で働いていたという。
2年ほど前本屋で、土門拳に関する本を何気なく読んでいたところ、嫁さんの親父さんの名前が出てきた。そこには、一番最初に土門拳のアシスタントとして、給料をもらって雇われた人物として紹介されていた。後日、本人に確認すると、確かにその通りとのこと。なかなかすごい経歴だ。

先日姫路にある嫁さんの実家に帰った際、書棚に並ぶ土門拳氏の書物を開いてみた。木製ケースとダンボールの箱から取り出した分厚い本の、表紙の裏には、達筆で「土門拳」というサインが書かれてあった。書棚に並ぶほとんどの本が貴重な初版本や限定本で、それらの多くは土門氏のサインが記されてある。出版の感謝の印として、アシスタントに渡されたものなのだろう。

嫁さんの実家でそれらの本を読んで、写真はもちろんだが、土門氏の書く文章がとても素晴らしいものだということ発見をした。遅ればせながら、もっと土門氏の本を読んでみたいと思い、アマゾンで検索してみたが、嫁さんの実家にあったような古い本は、概ね「取り扱い出来ません」となっていてがっかりした。嫁さんの親父さんは「持って行って読んでいいよ」と言ってくれたが、大事な本なのでちょっと気が引ける。やはり嫁さんの実家に行った時の楽しみに取っておこう。

先日、某新聞社のコラムを書いておられた方が、文章を書くときに気を付けていることとして、対談でこんな事を言っていた。野球の取材に行った時、コーチが選手にバッティングの指導しているのを見てひらめいたそうだ。そのコーチはバットを短く、鋭く、素直に振れと若手選手に言っていた。それは文章を書く時にも言えるのではないか。それ以来、文章は短く書く、鋭く書く、素直に書くように心がけているそうだ。
土門氏の文章は、まさにそれだった。

今年に入って嫁さんの親父さんのところに、色々なところから取材の電話がかかってくるのだそうだ。土門拳生誕100周年に当たり、取材の電話が多いのだとか。僕の滞在中にもNHK BSから電話がかかって来ていたが、メディアも予算を節約するため、電話で取材する事が多くなったようだ。足を運んで直接話を聞いた方が良い番組が出来ると思うのだが、「取材の費用を節約しているのだろう」と義父は言っていた。世の中、景気の悪い話ばかりですな。

2009年2月


最近読んだ本

久しぶりの更新。正月の決意は何処へ、、、。
HPの更新はおろそかにしていたが、何冊か良い本に出会ったので紹介します。

『鵤(いかるが)工舎の仕事ー長泉寺建立記』塩野米松著
図書館で見つけ借りてきて読んだ。著者である塩野米松氏の聞き語りで書かれている。鵤工舎創設者であり棟梁の小川三夫氏に始まり、基礎、左官、瓦屋、建具、表具師など、それぞれの業者が仕事へのこだわりを語っていてとても勉強になった一冊。

『凍』沢木耕太郎著
世界的な登山家山野井泰史・妙子夫妻が、ギャチュンカン北壁に登頂した時の様子をドキュメントで描いた作品。あまりの過酷さに、読んでいて思わず力が入ってしまう。以前登山家の野口健さんが新聞で紹介していて、いつか読んでみたいと思っていた。これまた図書館で見つけすぐ借りて読んだ。この本を読んで2、3日は仕事での辛さや、体の痛いところなど全く気にならなかった。すごい人達がいるものだ。

『「幸せなお産」が日本を変える』吉村正著
以前HPでちょっと紹介したが、嫁さんが3人目の子供を出産する時に読んで、自然に子供を産むことの正しさを再認識させてもらった本。吉村正先生は知る人ぞ知る「お産の家」吉村医院の院長で、日本では数少ない自然なままのお産をさせてくれる貴重な存在。その吉村先生の体験や考え方がぎゅっと詰まった一冊。出産に不安を感じている夫婦必読の書。

その他にも、いつも新刊が出るとチェックする東野圭吾や船戸与一、沢木耕太郎の本も現在進行形で読んでいる。
新しい本を探すのによく参考にするのは、新聞の読書欄や著名人の本の紹介などだが、ラジオでも参考になる番組がある。
NHK第1で児玉清さんが担当している本を紹介するコーナーは、児玉さんの絶妙な語りに、思わず聞き入ってしまう。「アタックチャンス!」の児玉さんは読書家としても知られ、紹介されている本はどれもハズレがなく、読書好きで参考にしている人も多いようだ。

僕の場合本を買う金が無制限にあるわけではなく、とても読みたい本をすべて買って読むわけにはいかない。そこでほとんどの本は、図書館で借りて読むことになるのだが、特に新刊などはなかなか自分のところに回ってこない。やっと回ってきた頃には、もう新刊でなくなっていることがほとんどだ。それでも読みたい本を、買わずに読めるのはありがたい。
それと図書館では、全く予想していなかった本と出合う機会があるのもうれしい。これは本屋でも同じだが、見て歩いているうちに思わぬ本との出会いがあったりする。

やはり読書は、外は寒く、夜が長く、仕事もあまり忙しくない冬が良い。

2009年2月


板屋根

昨年末、山梨県北杜市で板屋根のふき替えの仕事やらせて頂いた。
このお宅はほぼ100%施主さんのセルフビルドで、とても素敵な木の家に仕上がっている。
もともと施主さんが施工された板ぶき屋根だったが、約25年が経ち、あちこちに傷みが出てきてふき替えが必要になった。
ただ今回は、ご自分で施工するのは体力的に厳しいということで、この仕事をさせて頂くことになった。
板屋根


板ぶき屋根は他の素材と比べて軽く、見た目も美しく、また雨音を消してくれたり断熱の効果もあり、屋根材としてとても優れた素材だと思う。
唯一欠点があるとすれば、それは燃えやすいということ。
まあそれは板壁などの木造住宅全般に言えることで、住宅密集地や防火地域では、屋根や壁は不燃材でないと施工出来ない場合が多い。

もう一つ、コスト的にも他の屋根材と比べてちょっと不利かもしれない。
ごく一般的な屋根材をざっと安い順に並べると、@アスファルトシングル、A板金、B瓦、となるが、板ぶき屋根はA板金とB瓦の間の、Bに近い辺りに入る。
耐用年数やメンテナンスのことを考えると、決して割安とはいえない。
それでも、あえて板ぶきにするだけの魅力が、この屋根にはあると思う。
僕も、もし自宅を建てるのなら屋根は板ぶきにしたいところだが、やはりコスト面で躊躇してしまう。
そこで考え付くのは、屋根全部板ぶきにするのではなく、場所によって他の屋根材と組み合わせるというもの。
デザイン的にも面白いものになるだろう。
板屋根

今板ぶきに使われている材料は、ほとんどが輸入材だ。
レッドシダーという木を薄板に加工したもので、軽くて水にも強い。
日本のスギの、無節の赤身だけを集めたような素材で、日本の気候にも適している。
今回は、その板を一度防腐処理したものを使った。
そうすることで、板(屋根)の寿命を更に伸ばすことができる。
防腐剤にも天然成分のものがあるので、そういうものを使うと更に良いだろう。

2009年1月


謹賀新年

昨年暮れ、新聞(産経)の朝刊に、知識と知恵の違いについて面白い記事(コラム)が出ていた。
知識というのは頭に入れるもので、知恵には行動や経験が伴っている。今は知識ばかりがもてはやされ知恵の大切さを忘れている。今の学校教育も知識ばかり詰め込むのではなく、知恵を身に着ける必要がある。というような内容だったと思う。

昨年暮れに仕事を手伝って頂いた二人の大工さんは、共に60代のベテラン。修行時代は現場に電気がなかったという筋金入りの方たちだった。
材木にカンナをかけるのも、穴をあけるのも、ノコで切るのも全て手作業。
当時はクレーンなどもなく、重い梁材なども人の手で工夫して持ち上げていたそうだ。
そういう話はとても貴重で、聞いていて楽しい。
今はやりたくてもそういう仕事はなかなか出来ない。
何故って?
それは、工期と予算があるから。
今の建築は、人の手をかければかけるほど、工事費は高くなってしまう。

昔の建築の話を聞いていて楽しいと思うのは、随所に先人たちの知恵が詰まっているからだ。
例えば重いものを持ち上げるのにも、それぞれに色々な工夫がある。
それらは先輩から伝えられたり、現場の経験で培われたもので、知識だけでは補いきれないパワーを持っていると思う。
ベテランの大工さんと一緒に仕事をして、そんな勉強をさせて頂いた。

新しい年が明け、今年も色々な経験を通して「知恵」を身に付けて行きたいと心新たにしている。
それから昨年ほったらかしにしてしまったHPの更新、こちらもおろそかにしないこと、今年の目標にします。

本年もよろしくお願い致します。

2009年元旦

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