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左官講習会

10月20日、東京中野の富沢建材で行われた左官講習会(伊勢磨きのかまど作り)に参加してきた。

僕自身、今年に入って4回ほど左官講習会に参加しているが、毎回必ずお会いする紳士がいた。
その方はいつもキャノンの一眼レフカメラを首から提げ、熱心に講習に参加しておられる。
何回目かにお会いした時声をかけ名刺を交換させて頂いたが、その方が富沢建材の社長さんだった。
大変研究熱心な方で、いつも気さくに色々な話をしてくださる。左官講習会でお会いするのを毎回楽しみにしていた。
前回参加した東京で行われた講習会の時は、午後から雨になり、帰りに駅まで自動車で送って頂いた。そんなこともあった。

その富沢建材で、今回は伊勢磨きのかまど作りの実演が行われたのだ。
聞くところによると富沢建材での講習会は今回が5回目。残念ながらそれまでの講習会には参加しそびれたが、内容の濃さとスタッフの皆さんの段取りのよさに、さすが皆さん慣れているなーと感心した。

左官講習会
今回磨き仕上げをするかまど。
東京の左官職人の集まり、平成会の方たちの協力によって準備されたそうだ。
そういう裏方さんたちの支えがあって、これだけの講習会ができるのだ。
左官講習会
磨きに使う道具が準備される。受講者たちが興味深く見ていた。
今回講師をしてくださったのは、伊勢の左官職人、尾崎、西川、松木の3氏。
毎年年末に、赤福のかまどの磨きを任されているそうだ。
その中のお二人の方とは、篠山の講習会でもお会いした。
左官講習会
隅の方では今日使う土を練っていた。これがとても重要な作業。
この日のために配合などあらかじめ準備されていたようだ。
左官講習会
今回の講習会に参加した人はざっと200人はいたと思う。
参加者の多くが左官職人。その他左官建材のメーカから来ている人や、僕のように工務店関係者もいた。
会場には2台のテレビモニターと1台のスクリーンが用意され、後ろの方の人にも実演者の手元が見られるようになっていた。かなり本格的。
左官講習会
いよいよ伊勢磨きの実演が始まる。
作業の手順としては、かまどの土台となる表面に、4種類の土を二度ずつ塗り重ねてていく感じ。
その土の配合や塗る厚さ、乾くタイミングを見ながら塗る技術が目の前で実演される。
参加者の多く、特に左官職人さんたちは表面を手で触ったり土を鏝に載せたりして感触を確かめていた。
先ず「かっちゃく」といわれる下地になる土を塗る。
左官講習会
「かっちゃく」をある程度平らにしたら、その上に砂漆喰を追っかけで二度塗る。そして、それをきれいに平らに均す。
何しろ下地が丸いので、鏝の使い方が平らな壁に塗るのとは全く違っていた。
左官講習会
その上にベンガラを混ぜた砂漆喰を、これまた追っかけで二度塗る。
そして、これまたきれいに平らにする。
かまどの肩の部分の、丸みが急なところを仕上げるのはまた特別な鏝が必要だ。
ここまでが下地。そしていよいよ磨きの工程。
左官講習会
磨きには「ノロ」といわれる石灰にベンガラを混ぜたものを使う。
そのノロを全体に塗り、それを平らに均し、乾き具合を見ながら鏝で磨く。
何人もが入れ替わり立ち代わり、ひたすら磨いたりこすったりして完成したのが下の写真。
左官講習会
講師の西川親方が伊勢磨きの解説と、参加者の質問に答えてくれた。
左官講習会
閉会の挨拶。手前のマイクを持っているのが富沢社長。奥に並んでいるのは講師の方々。日本でもトップレベルの技術を持つ左官職人さんだ。
今回の講習会も、とても勉強になった。
自分が、あのかまどの磨き仕上げの仕事をすることはまずないと思うが、こういう伝統的なレベルの高い仕事を間近で、しかも解説付きで見られるというのがすごいと思う。
恐るべし、左官講習会。
次回もまた楽しみだ。

2008年10月


流れる星は生きている

8月の終わりから9月10月と、遠いところの仕事もあり、プライベートでもバタバタして落ち着かなかった。
それでも移動や泊りなどが結構あり、その時間を利用してよく本を読んだ。
その中の1冊に懐かしい本があった。それが、藤原てい著「流れる星は生きている」。

中学生の時文化祭で、この本の著者藤原てい先生の講演会を聞く機会があった。その時、全校生徒が読んで感想文を書いたのがこの本だった。今から30年も前の話。
講演で話を聞いた藤原てい先生の印象は、チャキチャキっとした関西人のオバチャンのような人。印象が強く、ずいぶん前のことだが、講演の内容も特に一箇所だけよく覚えている。

「皆さん鉛筆削りを持っていますか?」
という問いかけに、ほとんどの生徒が手を挙げた。
「あー、たくさんの人が持っていますね。でも鉛筆はナイフで削るものです。鉛筆削りは松川へでも天竜川へでも捨てて下さい。今日から鉛筆はナイフで削りましょう!」

天竜川は日本で2番目に長い川で誰でも知っているが、松川というのは地元のローカルな川。とにかくそこへ鉛筆削りを捨ててしまえと言う。
今思えばずいぶん乱暴な話だが、そのココロは、ナイフで鉛筆を削れということ。つまり、安易に便利なものに頼らず、手と頭を使って工夫しろということ。
それからしばらく、鉛筆削りを見るとそのオバチャンの話を思い出したものだ。当時中学生だった我々に、そのオバチャンは強烈な印象を与えた。

「流れる星‥‥」は終戦の混乱の中、藤原ていさんが3人の小さな子供を抱えて、旧満州から朝鮮半島を縦断して引き揚げてきた時の様子を書いたもので、初版が昭和51年となっていたから、僕らが講演を聞いたのは出版してから4、5年後の頃だったようだ。
とにかく小さな子供を3人抱えての引き上げは困難の連続で、よく皆さん無事で帰れたものだと思う。
講演会の時藤原先生が「忍耐に勝る勇気はない」と色紙に書いて学校に下さったのを今でもよく覚えているが、今またこの本を読みながら、そんなことを思い出していた。

今回、この本を図書館で見つけて借りるのには、実はもう一つのきっかけがあった。
2年ほど前「国家の品格」という本がベストセラーとなり、ずいぶん話題になった。そしてそれ以来「大人の品格」だとか「女の品格」だとか、とにかく「○○の品格」という品格ブームが起きたのだが「国家の品格」の著者が藤原正彦氏、つまり藤原てい先生の次男さんなのだ。
その藤原正彦氏が先日、ラジオだかテレビだかで話をされているのを聞いて、そういえば昔お母さんの講演を聞いたなーと思っていた矢先、図書館でタイミングよくその本を見つけたのだ。
ちなみに「国家の品格」はまだ読んでいないが「流れる星‥‥」を読んでからというもの、子供の可愛さ大切さ、ありがたさというものを強く意識するようになった。
それと同時に図書館では、太平洋戦争関連の書物につい手が行ってしまう。しばらくそういう日が続きそうだ。

今回は久しぶりの更新となってしまったが、その間いろいろな事があった。

仕事では、埼玉県越谷市でイオンレイクタウンという巨大なショッピングモールの一角でガーデン作りの仕事をした。これがびっくりするほど巨大なショッピングモールで、例えば、中にスターバックスが3つもある。なんでも日本一の規模なのだそうだ。

また5日ほどの短い間だったが、嫁さんの親父さんのお供でフランスに行って来た。パリを拠点にモンさんミッシェルやモネの家・ジベルニーへの観光、パリではメトロやバスも使ったしセーヌ川の水上バスにも乗った。オランジュリーもケブラリーも見ごたえがあった。色んな人にも会い、とても内容の濃い旅だった。(いつかHPで紹介できるだろうか)

そしてもう一つ。9月に3人目の子供(男)が生まれた。これで我が家は5人家族となったが、そんな事、数年前までは予想も出来なかった。全く不思議な、そしてありがたい事だ。
産科医の不足が全国で問題になっているが、ここら辺(諏訪地域)でも同じ。2年前に二人目を産んだ病院がお産をやめてしまっていて、今回そこでは産むことが出来ない。やむなく嫁さんの実家の近くの助産院で産む事になったのだが、結果的にはそれがとても良かったと思っている。
我々が望んでいたのは自然分娩。でも最近は、自然に生まれるまで放っておいてくれる医者がほとんどいないのだ。
今回も予定日より10日以上遅れたので、自然に産ませてくれるかどうか最後まで気をもんだ。そんな中、その助産師さんとの出会いもあり、何とかギリギリのところで元気に生まれてきてくれた。
そこでも1冊の本が力をくれた。その本も、またいずれ紹介したいと思っている。

自分の子供が3人になり、ちょうど「流れる星‥‥」の藤原てい先生の状況が、少しは想像できるようになったかな。
でも今の自分たちが、あの過酷な状況を乗り越えられるとはとても想像できない。
子供が生まれ、懐かしい本と出会い、色々なことが重なって起こった2ヶ月間だった。


2008年10月


左官講習会と日本民藝館

先週、8月10日に行われた左官講習会に引き続き、17日に行われた同じ荒壁の講習会に参加した。この日は久住親方が不参加となり少し残念だったが、それでも他の講師の方たちの指導で、今回も色々と勉強することが出来た。
左官講習会
前回の講習会で塗った壁は1週間である程度乾き、良い感じに仕上がっていた。
左官講習会
先週田んぼ状にして保存しておいた土も、中の藁がやわらかくなり塗るのにちょうど良い状態だった。それを再び練り直して壁に塗っていく。この日の作業は、前回塗り残した壁と裏押さえの作業。
左官講習会
小舞も完成、これに土を塗ればかなり頑丈な壁になるはずだ。
左官講習会
土を鏝板に渡す道具。うちにも同じようなものがあるが、先の形状をもっと工夫する事で更に使いやすくなるはずだ。
この日は1日中小雨が降っていて仕事はやりずらかったが、作業は早く終わり、講習会も午後2時にはお開きになった。
日本民藝館
講習会が予定より早く終わったので、以前から行きたいと思っていた日本民藝館に寄って行くことにした。ちょうど濱田庄司さんの展覧会をしていると聞いていたので、この機会に是非見てみたいと思っていたのだ。

以前篠山で柴田雅章さんの工房にお邪魔した時、ちょうど民藝館の学芸員の方が来ておられて少し話をさせてもらったのだが、そういうことがなければ、今回行ってみようと思わなかったかもしれない。
その時の学芸員の方にはお会いできなかったが、濱田さんやバーナードリーチの作品などとても素晴らしかったし、その他にも見るものがたくさんあった。展示品だけでなく建物も重厚感があり歴史を感じさせてくれる。聞くところによると大正時代の建物だそうだ。

まだまだ自分の知らない世界がたくさんある。そういう新しいモノに出会えるのも、最近の楽しみの一つなのだ。
自分が何に出会えるかは、普段何を求め暮らしているかによると思う。そういう意味では、最近は良い出会いが増えてきたかな。ただ今は仕事があまり忙しくなくて、そういうことをする暇があるからそんなこと言ってられるんだけど。
2008年8月


左官講習会

8月10日(日曜日)東京で行われた左官講習会に参加して来た。今回は荒壁の作り方講習会。約一坪のサンプルを二つ作り、そこに竹小舞をかいて荒壁を塗る。その一連の作業を講習会という形で体験させてくれるのだ。更にそのサンプルを使って、後日別の場所で耐震強度実験をするそうだ。
左官講習会
最初にやった仕事は、藁をまとめて伏せ藁を作ること。これは荒壁を塗った後、ヌキの上にひび割れ防止に伏せこんでいくためのもの。こういう作業は昔の職人なら誰でもやったことがあるはずだが、今は誰かに教えてもらわないとやる機会がない。
左官講習会
出来た伏せ藁はこちら。こんなものを作るのにも、ちょっとしたコツを身に付けておくと早くきれいに出来る。そういうことを学べるのもこの講習会の魅力だ。
左官講習会
今日使う荒壁を練る。ミキサーで土・砂・水を入れて練った後、下に落して藁を混ぜて手で練る。これが結構重労働。この日使った荒壁土にはダマが結構混ざっていたため、それをふるう班、ダマをつぶす班、更に練る班などに分かれて作業をした。ほとんどの参加者が普段そういう仕事をしている左官職人なので、手際が良く、誰も指示しなくても自然に分かれてそれらの作業を行っていた。
左官講習会
練った土を壁に塗る。長い柄の先に鋤のついた道具で土をすくい、職人の鏝板に直接土を渡す。これなら二階の壁くらいまでなら、簡単に土を渡すことが出来る。それぞれの職人が色々道具を工夫しているが、そういうところも勉強になる。
左官講習会
一方で小舞かきも行われた。小舞は、作るとか、縛るではなく、かくと言う。なぜだかわからないが、そのうち誰かに聞いてみよう。今回は厚みと幅のある竹を使い、縄も太い(3分)物を使っているのでかなり強度が出る。これだけしっかり小舞をかくと、筋交などいらないほど強度が出せるそうだ。強度実験ではそういうことが証明されるはずだ。
左官講習会
最初に作った伏せ藁の使い方。実演は久住親方。
左官講習会
今日の作業を終え、久住親方による説明。竹小舞の壁の塗り方について、黒板を使って説明してくれた。その他にも、壁に使う土の種類や壁土の強度実験の方法など、こちらが知りたいと思っていることをわかりやすく解説してくれる。知識も経験も豊富な久住親方と一緒に作業をし、色々教えてもらえるのが毎回とても楽しみだし勉強になる。
左官講習会
最後に、今日練った壁土をそのまま保存する方法を学ぶ。
左官講習会
練った土を一箇所に集め、土手を作って田んぼ状にして水を張って完成。土手がある程度乾けばブルーシートをかぶせておけば良いそうだ。実はこの講習会、引き続き来週の日曜日(17日)にも行われる。この土はまたその時にも使えるのだ。もちろん参加する予定で既に申し込んである。

今回失敗したのは、着替えをあまり持っていかなかったこと。高速バスと電車で行ったので、荷物を増やしたくなかったのだ。今回は一日中土を練る作業をしていたのだが、作業に熱中してシャツもズボンも靴も泥だらけになってしまった。シャツは近くのコンビニで新しいTシャツを買って着替えたが、ズボンと靴は泥だらけのまま。帰りの電車の中で泥だらけの靴やズボンをジロジロ見られて恥ずかしい思いをした。荒壁塗りは汚れる作業なので、今度はそれなりの準備をして行こう。そして遠慮なく作業に参加したいと思う。
次回も一体どんな発見があるのか楽しみだ。
2008年8月


法隆寺

何年か前から奈良の法隆寺に行きたいとずっと考えていた。そして最近、これはいよいよ行かなければ、と思うようになった。きっかけはある本を読んだから。
『木に学べ』西岡常一(小学館文庫)サブタイトルに「法隆寺・薬師寺の美」。先日この本を書店で見つけた時、迷わず買ってしまった。

法隆寺最後の棟梁、西岡常一さんの本は何冊か読んだことがあるが、他の本と同じようにこの本も、作家の塩野米松さんの聞き書きのような形で、西岡棟梁の話した言葉がそのまま文章になっている。
とても良い本でオススメだ。特にこれから法隆寺や薬師寺に行こうと思っている方は、ガイドブックの代わりに持って行かれると、より深い視点から建物やその背景を見ることが出来ると思う。

法隆寺に行ったのは、中学3年の時、修学旅行で行ったのが初めてだったと思う。昔の人はすごいなーと思ったことや、玉虫厨子を見たことなど、断片的にだがまだ覚えている。
中学の修学旅行は奈良・京都だったので、有名どころのお寺などいくつも回ったのだが、法隆寺はもちろん東大寺や薬師寺、平等院や金閣寺など、結構記憶に残っている。
薬師寺ではその時ちょうど大規模な修復を行っていて、建物が丸ごと一つ大きな覆いで覆われていた。修理が終わったらまた見に来たい、などと思ったものだ。
その後(数年後)しばらく奈良県に住んでいたことがあり、何度か法隆寺や薬師寺にも行った。でもその時の目的は観光で、あまり真剣に建物を見るということはなかった。

建築の仕事をするようになってから、そう言えばまだ一度も法隆寺や薬師寺へ行っていなかった。行く機会はあったのだけど、なぜだろう。自分でもよくわからない。
と言うことで先日、本当に久しぶりに法隆寺と薬師寺に行ってきた。
嫁さんの実家が姫路なので、その帰りにちょっと寄り道をすれば、簡単に奈良や京都に行くことが出来る。そういう点では恵まれている。
薬師寺
今回は先に薬師寺に行き、その後法隆寺に行った。とにかく本で読んだ西岡棟梁や先人たちの仕事を見たかったのだ。
法隆寺
薬師寺も法隆寺も素晴らしく、搭や堂など宮大工の技術を駆使した大掛かりな建物に圧倒されてしまう。
今なら、一日中見ていても飽きる事はないだろう。
法隆寺
天平の建築の代表といわれる伝法堂。
法隆寺
つい目が行くのが、昔の職人たちの仕事。回廊の屋根、隅木の複雑な木組み。
法隆寺
版築の塀。
法隆寺
極めつけは、丸太足場で組まれた作業場。ついついこういうところに目が行ってしまう。

ところで、薬師寺、法隆寺と行ってみて思ったのは、あたりまえの事だがそれらは宗教施設だったということ。中には仏像が祭られ、もちろん坊さんもいるし参拝している人もいる。本来、その建物を建てた大工は、あくまでも脇役なのだ。
でも今は、建物が主役という感覚でつい見てしまう。それほど建物には存在感がある。
じっくり見ていると、先人たちの声が聞こえてくるようだ。

2008年8月


ストローベイルハウスin北海道

他の人と比べ海外には何度も行った経験があるが、国内となるとまだ行っていない場所が多い。沖縄には最近になって二度行ったが、九州にはまだ一度しか行ったことがない。高校時代、部活(ブラスバンド)の演奏旅行で大分に一度行ったきりだ。
東北から北もまだ行ったことがない。福島県も秋田県も岩手県も青森県もまだ知らない。もちろん北海道もそうだった。

ところが最近、北海道に来てほしいと言ってくれる人が現れた。ストローベイルハウスで家を建てたいが協力してくれる人を探している。こっちに来て色々アドバイスをしてほしいということだった。
何しろ北海道は遠いし、行くだけで先方にとって結構な出費になる。その出費に見あうだけのアドバイスなり仕事が出来るかどうか、何しろ初めて行く土地だし様子がわからず迷っていたが、一度会って話をしてみないことには始まらないと思い、とにかく行ってみることにした。

呼んでくれたのはアメリカ人のトビーと日本人女性マイコ夫婦。もちろん会うのは初めてだが、行く前に彼のブログを見たり電話で話したりメールでやり取りしていたので、初めて会ったにもかかわらず初対面という感じがしなかった。二人は僕よりも少し年下で、今は北海道の旭川で暮らしている。
二日間の短い滞在だったがその間、空港の送迎や移動の際の運転、食事も頂き夜は家に泊めて頂いたり、すっかりお世話になった。

旭川に着いて先ず行ったのは町の役場だ。二人が町の運営する公社の土地を手に入れたということで、担当の人は親身になって色々な相談に乗ってくれているようだ。ストローベイルハウスは前例がないということで、確認申請の手続きについても色々アドバイスをもらった。
そしてもう一つ重要な藁の手配についても、近くで農業をやっておられる方を紹介してくれた。 ちょうど町のイベントの準備で近くに居られるということで、早速その方ともお会いしたが、話をするうちに建物を建てる予定の土地の一番近い田んぼがその人のものだということがわかった。
ただの偶然かもしれないが、こういう話を進めていく上で、人と出会うタイミングとか偶然の出会いみたいなものはとても大切だと思っている。今回も最も大きな問題だと思っていた藁の手配やベイルの製作に、その方の協力を頂けるということがわかったことで、これからこの計画がうまくいくかもしれないという手ごたえを感じた。

翌日は、施工をしてもらう予定の方々とお会いした。一人はログビルダーの堺さん。今まで建てたものを見せてもらったが、良い仕事をされているようだ。もう一人は、オーストラリア人のストローベイルのビルダー。彼の名はステファン。
その日の朝、家を出る前に1本のビデオを見せてもらった。ストローベイルハウスを作るワークショップの様子をまとめたDVDだったが、そこで講師をしていたのがステファンだった。
トビーとステファンとの出会いも偶然で、以前からビデオで見ていたステファンが北海道に住んでいるということを知った時はとても驚いたそうだ。
そのメンバーで、堺さんの事務所で話をした。
北海道
専門家が揃っているので話は早く、ここでもこの計画が上手くいく予感というか手ごたえを感じた。

本格的なストローベイルハウスの住宅は、日本ではまだそんなに多くはない。今回は施主側にも施工する側にも外国人がいて、デザインや機能的にも本格的なストローベイルハウスが出来る可能性が大きい。地理的にもどこまでお手伝いできるかわからないが、良い建物が出来るのを期待し応援している。

2008年7月


みのり旅館

高校からの付き合いで部活も一緒だった同級生が、京丹後で旅館をやっている。先日嫁さんの実家に行ったついでに、両親と家族で1泊させてもらった。名前はみのり旅館。高校の同級生の職業は様々だが、旅館の支配人をやっているのは彼だけだと思う。

彼の旅館がある京丹後市網野町浜詰は、夕日ヶ浦という湾に面した小さな町だが、40もの民宿や旅館がある観光地だ。
この辺りの名物はなんと言っても冬のかにで、シーズンになると山陽山陰・関西圏からたくさんの人が訪れるそうだ。
もちろん夏場の海水浴シーズンも忙しいそうで、夏休み中は旅館が一杯になると言っていた。この時期の料理は但馬牛やアワビ、ウニなどがメインだが、山陰地方では夏場に岩ガキを食べるようで、これもなかなかの味だった。

この浜詰という地域は、かつて織物が盛んで、今は少なくなってしまったようだが、それでも、町を歩いているとあちこちで機織機の音が聞こえてきた。街並みも木造の古い建物で統一感があり、以前は機織工場として使っていたのだろう、少し屋根の高い細長い建物が多く、町全体がこじんまりと落ち着いた感じで良い雰囲気だった。

そんな静かな町にあるみのり旅館。決して豪華な設備があるわけではないが、清潔感があり、押し付けがましいところがなく、料理もとてもおいしかった。
同級生がやっているということもあり、是非応援したい。こういう施設を応援するということは、お客さんを連れてたくさん泊まりに行く事だ。家族も喜ぶし、これからは丹後半島に行く機会が増えるかもしれない。

2008年7月


左官講習会

7月13日(日曜日)東京で行われた左官講習会に参加してきた。今回は、壁を塗ったり土をこねたりする以前の「道具作り」がテーマ。題して『チリ箒と墨壷作り講習会』。
チリ箒というのは、壁を塗った時に柱や梁などの際をきれいにする刷毛のようなもの。市販のモノもあるがなかなか使いやすいものがなく、以前から自分で作れないかなと思っていた。

先月参加した左官の講習会でもそのチリ箒の話題が出てきたが、やはりレベルの高い仕事をする人の道具を拝見すると、チリ箒が手製でとても使いやすそうな印象だった。
左官的塾のHPから、ススキのチリ箒の作り方がDLできるのだが、それを読んだだけではどうして理解できない部分がある。やはり実際作るのを見てみないことには、そして出来れば作り方を教わりたい、そう思っていたところにこの講習会を知り参加を決めたわけだ。
講習会
今回の参加者は30人ほど。やはり若い職人さんが多く、前回の篠山での講習会で見かけた人も何人かいた。

今回のチリ箒は、シュロを使って作る。シュロというのはヤシの仲間で暖かい地方に生える植物だ。今住んでいるこの辺り(長野県)ではまず見かけない。この辺りだとススキやカヤを使うのが良いようだが、シュロでの作り方を覚えればススキやカヤにも応用できるだろう。
講習会
先ずシュロの原木から、周りの網状の部分を剥ぎ取る。ゴミなどを取り除き綺麗にしてから、手でそぎながら繊維をまとめ束にしていく。それを千枚通しですきながら、繊維の向きと長さをを整える。その作業を繰り返し、片手で握れるくらいにまとめれば、1つ分のチリ箒の材料になる。
講習会
講師の方が持ってこられたシュロの繊維の束。実施やってみて、これだけ綺麗にまとめるのは大変だと実感する。
講習会
飛び入り講師のような形で、左官の大先輩、榎本新吉さんが来られ直接指導してくださった。御年80歳。初対面で恐縮ながら、口は悪いが仕事は上等、江戸っ子の典型のような方とお見受けした。いくつも良い仕事をされたんだろうな。「チリ箒も作れないやつは左官屋じゃねー」という言葉には、重みがあった。
講習会
そんな大先輩が、若い者に道具の作り方から教えてくれる。左官講習会ってすごい!道具を作る榎本さんの手際の良さには、正直驚いた。

午後からは墨壷作り。左官用の墨壷は大工のモノとはちょっと違う。少し小さめで、糸が出る部分に細い管が取り付けてある。墨の色も大工は黒、左官のは朱というのが本来のようだ。
講習会
僕の本職は大工だが、恥ずかしい話、普段使っている墨壷は金物屋で売っているプラスチック製のものだ。中にバネが入っていて、糸を自動的に巻きあげてくれるのでとても便利なのだ。「そんな墨壷を使っているやつは本物の大工じゃねー」と親方に叱られそうだが、今のご時世、大工の世界でも自分の作った墨壷を使っている人はそんなに多くはないと思う。自分としては、墨壷はもちろんノコの目立てやカンナの仕込みくらいは自分でやらなければと思っている。でも今はそれがなかなか難しいのだ。

さて、左官の墨壷。少し小さめで、その上材料もよい大きさに用意してくれたおかげで、自分としては意外と簡単に出来た印象を持った(何しろそっちが本職なのだ)。といっても、糸車やハンドルなどの付属品まで自分で作ったり探したりするとなると結構大変かもしれない。

糸を通す穴をあけようとしていた時、榎本さんに「こっちに来い」と呼ばれ、墨を入れる部分から外に墨が出ないように少し角度を付けて穴をあけることを教わった。「全て意味があるんだから、何も考えずにやったらだめだぞ」とのお言葉。いやー嬉しかったです。勉強になりました。
で、出来た墨壷はこちら。参加者の中で一番早く完成した(当たりやろ、と突っ込まれそうだな)。
講習会

完成したチリ箒。使いやすさはともかく、初めてにしてはまずまずの出来だと思う。
講習会
あとはこれを、いかに使いやすいレベルにしていくか。とにかくいくつも作ることが肝心だ。秋になったらススキのチリ箒作りに挑戦しよう。

今回左官の道具を自作する事で、普段使う道具は自分で作れるものが結構あるんだということを体験できた事は大きな収穫だった。順番は逆になったが、今度は身近な大工道具をもっと自分で作ってみようと思っている。

左官の講習会、参加する度に新鮮な発見がある。

2008年7月


工房その後、続き

最近の工房の様子。
裏に広がる森の緑が濃くなってきた。
工房

北側の畳を入れた壁の下地作りを始めた。
工房

近寄るとこんな感じ。
工房

右側が木摺り下地、左側は割った竹を使いそれに縄を巻いてみた。
更にその左側に2間のスペースはまだ手を付けていないが、ちょっと試してみたい方法がある。
どんな方法かはお楽しみに。

2008年7月


工房その後

4月頃ほぼ完成して使えるようになった工房だが、軒の下に薪置き場を作ったり中の棚を作ったりと、時間があく度にあれこれ手を加えている。
工房のある場所に行くと、解体した蔵の廃材をもらってきたものやら伐採した木を引き上げてきた木材など所狭しと置いてあるので、整理して薪にしたり片付けたりと、やることは山ほどあるのだ。

工房の建物自体もまだ未完成で、この日は北側の外壁を何とかしようと思い立って作業をした。
この壁は当初、畳を貼り付けて将来土壁を塗る予定だったが、しばらく様子をみた結果、風の強い日など結構雨が当たることがわかった。そこで一度畳をはずして、簡単な庇をつけることにした。
ほお杖で垂木を受け、横桟を流して波トタン(ポリカ)をはる。予算のない時には、最も金のかからない簡単な方法だ。
それまで畳を貼り付けた壁はブルーシートで養生していたが、見た目も悪いし風の強い時にははがれてしまう。今回庇をつけたことで、壁を塗るまでの間養生もしなくて済むのだ。

工房

今回は、畳に直接壁土を塗ろうと思っていたが、やはり下地をすることにした。
左官講習会である講師の方に、土壁の下地について質問したところ色々アドバイスをもらった。そこで今回は一枚の壁で、様々な下地を試してみようと思いついたのだ。
工房の北側の壁は、庇の下で幅4件高さ1間半の6坪の広さがある。1間ごとに違うやり方にしても、4通りの下地を試す事が出来る。
先ずやってみようと思っているのが木摺り下地。今まで何度もやっている方法だ。
次に木摺り下地の素材を竹にしてみようと思っている。
また本格的な、竹小舞も試してみたい。その場合、下地の畳との絡みや紐での結び方にどういう工夫をしたら良いのか試してみよう。
そして塗る土も、色々実験をしてみたいと思っている。
仕上げ塗りでは、先日習ってきた黒漆喰磨きも是非試してみたい。
一体どんな壁になるのかとても楽しみだ。

出来ればワークショップなど行いたいところだが、自分の中で試したい事がたくさんあるので、今回は一人で作業するつもり。気まぐれで作業しているので、日程もはっきりしないし。
それでも、どうしてもやってみたいという方はご連絡下さい。

2008年6月


仕事が暮らし、暮らしが仕事

篠山で行われた左官の講習会では、自分の中で消化し切れないほど多くの事を学び、その余韻は5日経った今もまだ残っているが、実はその他にも、同じ篠山で心に残る出会いがあった。

左官講習会は1泊2日で行われたので、参加者の多くは近くのホテルに泊まっていたが、ホテル代節約のため姫路にある嫁さんの実家から通う事にした。姫路から篠山まで、高速を使って1時間ちょっとの距離。
嫁さんの実家に「篠山で講習会があるので泊めてほしい」と電話でお願いした時、嫁さんの親父さんから「篠山に行くのなら知り合いの陶芸家がいるので是非会ってみたら」と紹介されたのが陶芸家の柴田雅章さんだった。
姫路に着いた夜、嫁さんの実家にある柴田さんの作品集「灰釉」を読ませてもらったが、そこに書かれていた「仕事が暮らし、暮らしが仕事」という文章に目からうろこが落ちた。そして、どんな人なのか是非会ってみたいと思った。

何年か前から、エコとかロハスとかスローなどという言葉が流行りはじめ、一時期そういう言葉を使わなければ時代遅れのような風潮だった。
どうやらそういうブームも過ぎ去ったようだが、以前からそういう言葉に違和感を持っていたのだ。
その頃から、自分がこれだと思う暮らし方について、どういう言葉で言ったら良いのか見つけられないでいた。
柴田さんの「仕事が暮らし・・・」の文章を読んで、そのヒントが見つかったような気がした。

考えてみればちょっと昔、おじいさんとかひいおじいさんの時代までは、日本人のほとんどが、働く事(仕事)そのものが暮らしであり、生活のために働いていたはずだ。
食べるために農作物を作り、住むために家を造り、器や着るものや身に付けるものものほとんど全てを自分たちで作って使う。
今言われる自給自足ともちょっと違う。まさに仕事が暮らしだったのだ。
器にしろ建物にしろ、そうした時代に作られたものを見ると、その中にパワーというか底力のようなものを感じるのは、当時の人達のそういう暮らしがあってモノが生まれてきたからと思うのだ。
柴田さんの文章の中に、「僕らのように生活の器を作ろうとすると、それはやっぱり自分の生活からしか出てこない。」「自分の目で自分の焼き物を見たときに、やっぱり暮らしそのままだなという感じがします。」とあったが、ものづくりというのは本当はそういうことなのだなと改めて感じたのだ。

左官講習会が終わり、15分ほど車を走らせ篠山市郊外の柴田さんのご自宅に、途中2度ほど携帯電話で道を教えて頂き到着した。着いた場所は、近くに綺麗な川が流れる里山で、自然が豊かな場所だ。
柴田さんに庭や作業場、窯など案内して頂き、ご夫妻にご自宅でお話を聞いた。
奥様の手作りの葛餅とこだわりのお茶は素晴らしく、柴田さんが焼いた器で頂戴した。
柴田さんが修行を終え独立して今の場所に来られたのが30年前。それから家や作業場を作り、窯を築き、庭や畑を作り、、、そうした家族の歴史と毎日の暮らしの積み重ねが、庭や家の中にさりげなく漂っていて心地よかった。
柴田さんの作品集に工芸家の柚木沙弥郎先生が原稿を寄せておられるがその中に、自宅で先生が使っている柴田さんの器について「親しみがありながら馴れ馴れしいところがない。」と書いておられるが、まさにそういう作品はそういう暮らしからしか生まれない、それが納得できるような素晴らしい暮らしぶりと拝察した。

あっという間にあたりは暗くなり、「そろそろ失礼します」と立ち上がろうとしたところ、「ちょうど今良い時期だからホタルを見に行きましょう」と誘って頂いた。
来た道を下り、川の脇に車を止め降りた瞬間、そこは無数のホタルが乱舞する別世界だった。子供の時以来しばらく見たことがないその光景に、ただただ見とれるだけだった。
「夕飯を食べて行ってください」という奥様の言葉を丁重にお断りし、何度も頭を下げてお別れした。
左官講習会と共に、篠山は心に残る場所になった。

2008年6月


左官講習会

6月7日、8日の2日間にわたって、兵庫県篠山市で行われた「鏝鍛冶と左官の交流会」という左官の講習会に参加して来た。
この講習会、主催は「左官的塾」その代表が久住章さん。左官の世界では超有名な方。
左官講習会

自身左官として高い技術を持ち、日本はもとより世界中の左官仕事を研究し、左官の技術や道具の開発・普及に尽力されている偉大な方なのだ。

ストローベイルハウスを勉強しにアメリカに行った時、とあるビルダーの家で「ここに来たこの日本人を知っているか」と写真を見せてもらった。そこに写っていたのが久住さんだった。その後雑誌やメディアを通じて、活躍されている様子を知り、一度お会いしたいと思っていた人だ。その久住さんが多くの左官職人をまとめ、毎年行っている講習会が「鏝鍛冶と左官の交流会」なのだ。

参加者のほとんどは本職の左官職人。ざっと100名以上の参加があり、若い人が多く、技術を学ぼうとみんな真剣だ。
左官講習会

今回のテーマは「黒漆喰磨き」。左官の技術としては最高峰と言っても良いくらいの技だ。
いきなり高い技術が必要なテーマだったので、どうしようか迷ったが、とにかく見るだけでもと思って参加した。
左官講習会

2日間色んな人に話を聞き、写真を撮り、仕事を見、材料の調合や練り方などを勉強した。全て包み隠さず教えてくれるので、僕のような門外者にもわかりやすくとても参考になった。
技術を指導してくれる講師陣も素晴らしく、日本でもトップクラスの技術を持った人達が何人もいて、そういうすごい人達が丁寧に指導してくれた。

僕の本職は大工だが、土壁の家を造る上で左官の技術はある程度身に付けておく必要があると最近感じている。
住宅の建築で、基礎・左官・大工・建具などと職種を細分化するのは今の流れで、それなりにメリットはあるが、小規模の住宅などの場合、それらの職種をまたいで仕事をすることも可能だし、むしろその方が良い場合もあると思う。
僕の場合家作りは、自分が住みたい家を作るというのが理想だと思っている。だから自分で出来る事にはなるべく関わりたい。そのためにはやはり、学ぶ事は欠かせない。

今回の講習会、技術的なこともとても参考になったがそれ以上に、久住さんはじめ講師の方々の左官仕事に対する思い、仕事への情熱、道具を大切にする姿勢など、見ていてとても勉強になった。
左官の世界でも、仕事の減少で高い技術を持った人達が少なくなり、それと共に道具を作る人も減ってきて寂しい状況が続いている。しかし、まだまだ熱い情熱を持って技術を伝え、若い人を育てようという人達が、そういう活動を通して一つにまとまってきた事は、とても素晴らしい事だと思う。

「寝ても覚めても」と言われるほど何かに熱中するということは、最近あまりなかったが、今回の講習会に参加してから3日ほどというもの、夢の中でもずっと講習会での様子が頭の中を駆け巡っていた。それほど強烈な印象をもらった講習会だった。
また是非参加したい。今度は見学ではなく、実際壁を塗ってみよう。

2008年6月


「ヒロシです」

「♪〜ヒロシです・・・♪
まだハガキも出していないのに 懸賞に当たったつもりになっているとです。」

最近トンと見かけなくなった、お笑い芸人ヒロシのねた。
いくつか印象に残っていて、何かの時にふと思い出すものがある。

「♪〜ヒロシです・・・♪
道を歩いていて、犬にオシッコをかけられたことがあるとです。」

これはしょっちゅう思い出す。
何しろマルの散歩の時、油断するとヤツにオシッコをかけられそうになるのだ。
マルは去勢をしていない健全なオス犬なので、とにかくマーキングに命をかけている。
散歩は運動のため、というよりもマーキングのため。
同じ場所に、2度も3度も繰り返しすることもある。
だからこちらの立ち位置によっては、飛んでくる事があるのだ。

先日嫁さんが言った。 「マルって、人間みたいな顔してるね。」
確かに、表情とか目とか、人間みたいだなと思う時がある。
でも、顔は人間だが行動は犬だ!
ちょっと目を離すとすぐにどこかに行ってしまうし、全く油断できない。
まあ犬だから、それでいいんだけど。

2008年5月


丸太足場

20年前台湾にいた時に、ビザの更新のために1度だけ香港に行った事がある。 ちなみにそれ以来、香港には行っていないので、中国返還後の香港はもちろん知らない。
その時印象に残っているのは、建築途中の高層ビルの足場が竹で組んであったことだ。
その頃建築とは全く縁がなかったが、高層ビルという近代的な建物の足場が、竹という自然素材だった事がなぜか強く印象に残っている。

香港を意識しているわけではないが、うちの現場の足場は、状況が許せば丸太で組む場合がある。
以前日本でも、丸太の足場が一般的だったはずだが、今ではすっかり見なくなってしまった。
今日本で足場の主流は、ピケとかビケとかの金属パイプを使った足場だ。

僕が丸太を使って、足場とか小屋を組む仕事を覚えたのは高校時代だ。
夏休みのバイトで、丸太で小さなイベント用のステージの小屋を組んだ。
その時そこにいた職人さんが、丸太の組み方や番線の縛り方を親切に教えてくれた。
そこはさすが高校生、飲み込みも早く、その間に丸太足場の組み方は大体覚えてしまった。
10代の頃体で覚えたことというのはなかなか忘れない。
その後半年ほど勤めた工務店で、丸太足場をいくつか組んだが、高校時代のその経験がとても役に立った。

丸太を使った足場は、危険だといって認められないのが今の風潮だ。
町場で丸太足場で仕事をしていると、「危ない!」と言ってどこかの役人が飛んでくるかもしれない。
でも本当に危険なのは、安全に丸太で足場を組む技術が伝えられない事ではないだろうか。

足場に使う丸太は、植林から10年ほどのスギやヒノキの間伐材が使われる。
そうした小径木の需要が広がることで、林業の助けにもなるはずだと思うのだ。
長野県では、今年度から森林税なるものが個人や事業所に課せられるようになった。
それは決して悪い事ではないと思うのだが、何でもかんでも税金をとろうとする前に、もっと木材の需要の裾野を広げる工夫があっても良いと思う。
何も金属の足場を否定するわけではない。
ただ丸太で組んだ足場を使える余地を残しておく必要があると思うのだ。
足場丸太に限らず、身近にある様々な資源を、無駄なく使えるような行政の制度も必要だと思う。

2008年5月


カッコウ

毎年この時期になると、裏山からカッコウの鳴き声が聞こえてくる。
カッコウは、托卵という変わった方法で子孫を増やすことで有名な鳥だ。
托卵とは、卵を他の鳥の巣に産みつけ、その鳥に子育てをやらせてしまうという何ともずるいやり方だ。
カッコウが卵を産みつけるのは、モズ、オオヨシキリ、ホオジロなどの巣なのだそうだが、そのほかにも20種類以上の鳥の巣に生みつけるというから、結構手当たりしだいという感じがする。
カッコウの卵は他の鳥よりも早く孵化するため、先にかえったヒナが他の卵を巣の外に捨ててしまう。
親はそれがカッコウの雛とは気付かず、せっせとエサを運んで育てるのだ。

何年か前、庭の松の木のてっぺんに停まって「カッコウ」と鳴いている鳥がいた。
間違いなくカッコウだが、思っていたたよりも大きかったのでびっくりした。
小さな鳩くらいの大きさだ。
カッコウが卵を産みつけるオオヨシキリやホオジロなどはそんなに大きな鳥ではなく、カッコウに比べると半分くらいの大きさだろう。
以前テレビの映像で見たことがあるが、自分の倍くらいあるカッコウの雛にせっせとエサを運ぶ姿は、滑稽というか少し悲しい画だった。

親鳥はなぜ自分の子供と気付かないのか、まだはっきりした理由はわかっていないらしいが、卵を産み付けられる側も何もしないというわけではないようだ。
巣に自分のとは違う卵があると外に捨ててしまう場合が多く、カッコウの作戦が成功する確率もそんなに高くないという説もある。
また、カッコウの卵もその巣の卵に似ているというから、お互いに何とも熾烈な争いを展開しているのだ。
托卵する方もされる方も、どちらも大変なんだな。

毎年この時期になり、朝方布団の中でカッコウの声が聞こえてくるといつもそんな事を考えてしまう。

2008年5月


ブナ、クヌギ

去年の今頃、前の年に植えたカツラの木が気になって仕方なかった。
一昨年植えたそのカツラの苗木もすっかり大きくなり、今は大人の背丈くらいに成長した。
カツラ

その時植えたカツラの木は全部で10本。
1本も枯れることなく全て順調に育っているが、木にも個性があり、背の高いもの低いもの、葉の多いもの少ないもの、枝が根元から分かれているものや、すっと真っ直ぐ伸びているものなど、よく見ると同じ種類の木でも様々だ。

そして今年、更に気になるのは去年植えたブナとクヌギの木だ。
森林組合で植林用の苗木を買うと、25本が最低の単位となるため、去年はそれぞれ25本づつ植えた。
ところが数が多すぎて植え替えを繰り返したり、草刈の時に間違って刈ってしまったり、他の山に植えたりしたものもあり、今のところ10本づつくらいが元気に育っている。
ブナ

ブナの木は以前、使い物にならないということで、木辺に無用という字があてられた。
ところがブナの木は保水力が高く、水を育てる緑のダムと呼ばれている。
更にその実は多くの動物の食料となり、無用どころか「母なる木」であることが認められている。
世界遺産の白神山地のブナの原生林は有名だ。
だからこんな小さな苗木でもとても存在感があり、頼もしい。
クヌギ

クヌギの木は、カブトムシが好んで集まる事でよく知られている。
子供の頃、よくクヌギ林にカブトムシを取りに行ったものだ。
そのクヌギだが、以前は炭焼きに適した木として重宝されていた。
なぜクヌギが炭焼きに適しているかというと、クヌギは根元で切ってもまた芽を出してきて10年もすると炭焼きにちょうど良い太さに成長する。
だからクヌギの林は手入れ次第で、毎年炭焼きの材料が生産できたのだ。
実際去年植えた苗木の中で、草刈の時間違って切ってしまった木の根元から芽を出しているのをいくつも確認している。
同じく以前植えた、トウヒやモミなどの針葉樹ではとても考えられない。

工房に行く度に、ここ数年で植えた木々の成長に、いつもこちらが元気をもらっている。
最初に植えた木々も3年ほどが経ち、全体でなんとなく小さな森が出来てきたような気がする。
5年後10年後、一体どんな森が出来るのかとても楽しみだ。

2008年5月


もったいない


以前「お金がないのは悪い事か」という内容のことを書いた。
お金がないことであれこれ工夫して、今手元にある材料を使うことができたという話だったが、今日はまったく逆のことを感じたのだ。

建築の現場がひとつ終わると、プラスチックやら鉄くずやら木材やらの建築廃材が結構出るものだ。
工房のある土地には、いくつかの現場で出たそんな建築廃材が結構たまっていた。
今まではある程度たまると細かく分別して、それぞれ処理場に運んだり、金属などは引き取ってくれる業者に持って行ったりしていた。
ところが今あるゴミは、それほどの量でもない。
しかもいつも持って行く処分場は結構遠く、車で1時間以上は掛かってしまう。
最近はガソリン代も馬鹿にならないし、手間もかかるので、ついつい廃材を捨てそびれていたのだ。
でもその日ばかりは、どうしてもそれらのゴミを処分しない事には周りが片付かない。
ということで、近くにある別の処理場に電話した。
「プラスチックや金属のゴミを持って行きたいんだけど。」
「いつでもどうぞ。」
ということで軽トラ2台分のゴミを処分してすっきりした。
しめて7千数百円也。
これを高いと思うか安いと思うか微妙なところだ。
でもその時ふと思った。
あれこれ思い悩んで迷っているよりも、多少のお金で解決できる事は、それですっきりさせた方が良い場合がある。
ある友人が言っていた。お金は後でいくらでも稼ぐ事が出来るが、時間はいくらお金を積んでも買うことは出来ない。

日本には「もったいない」という素晴らしい言葉がある。
最近思うに、このもったいないにはどうも2種類あるようだ。
一つは、物を無駄にする事。食べ物を残したり水を出しっぱなしにしたりして、「もったいない!」と怒られるれるのはこれだ。
もう一つは、与えられた情況やチャンスを生かしきれない時。この場合、誰も注意してくれない。

少しの手間やお金を惜しんで、わざわざ遠回りをしているなんてことは良くあるが、実はこれとてももったいない事なのだ。
必要のないモノや分不相応のモノを買ったりしてお金を浪費するのはもったいないが、少しのお金を出し渋って遠回りするのはもっともったいない。
でもその見極めがとても難しい。

2008年5月


工房

今年に入ってから、時間をみつけてこつこつ工事をやっていた工房がほぼ完成した。
工房

ここにはまだ電気も水道もなく、本格的な運用はもう少し先のことだが、とにかく壁も屋根も窓もある自分の工房が出来た事は、仕事をする上でも大きな前進だ。

なぜここにはまだ電気も水道もないのか。
それはひとえに、先立つものがないからだ、と言ってしまえばみもふたもないが、、、。
一つのこだわりと言うか意地と言うか、電気や水道がなくても、とりあえずこのくらいのものは出来るという事を、自分自身の中で証明できたのは、自己満足といわれるかもしれないが大きいのだ。

とは言え、本気で土地を探す場合、上下水道や電気などのインフラは必ず確認しておく必要がある。
工房を建てたこの土地には、もちろん水道も来ているし電気も契約さえすればすぐに引くことが出来る。
下水はないが、合併浄化槽で対応できるし、今のところ合併浄化槽は町の補助金の対象にもなるはずだ。

でも、電気も水道もなくてどうやって工事をしたのかというと、電気は中古で買った発電機で賄い、水は近くの川から汲んできて使ったのだ。
高い所で作業している時など、伝道工具を使うのにいちいち一度下まで降りて発電機で電気を起こすのはめんどくさいし、コンクリートやモルタルを練る水を、その度に川に汲みに行くのは、自分でもあきれるほど原始的な作業だったけれど、普段の仕事をしている時はほとんど意識しない電気や水の大切さを実感できたのは良い経験だった。

この工房、近々外壁に塗装をしていよいよ完成だ。
その後は、電気と水道を引いて本格的に仕事で使おう。
でもまだ、もう少し先になるかな。
何しろ先立つもののためにも、工房以外の仕事をしなければならない。

2008年4月


お茶

実は、台湾に行ってからはまっているものがある。それはお茶だ。
台湾のお茶といえばもちろんウーロン茶。今その烏龍茶にはまっている。

少年時代を信州の飯田で過ごしたので、その習慣がいまだに身についているなーと思うことが多いのだが、お茶の好みもその一つ。
長野県では比較的暖かい飯田地方は、県内では数少ないお茶の産地である南信濃村にも近く、緑茶を飲む機会が多かった。
子供の頃から家で緑茶をよく飲んでいたので、いまだにお茶といえばやはり緑茶だ。

ところが結婚して嫁さんの好みがほうじ茶だったのに、ちょっとした驚きを覚えた。
もちろんほうじ茶も好きで以前から飲んではいたのだが、ほうじ茶はすぐに出なくなってしまうので、なんとなくもったいないような感じがしていた。
緑茶の物足りない点ももちろんある。
緑茶はぬるめのお湯でいれるのが良いとされているし、実際高級な茶葉はその方がおいしいと感じる。
でも個人的に、お茶はちょっと熱めのお湯でいれて、ふうふうしながら飲みたいと思うのだ。
その点ウーロン茶は、緑茶とほうじ茶の物足りないところを補っているかもしれない。

最初にウーロン茶を飲んだのは、20年前台湾に行った時だ。
その時は他にお茶がなかったのでなんとなくウーロン茶を飲んでいたのだが、当然そんなに高級な茶葉が買えるはずもなく、安いものを飲んでいたせいかおいしいとは思うものの、どうしてもウーロン茶でなければだめ、と思うほどにはならなかった。
そして長い年月のあいだに、その味もすっかり忘れてしまっていた。

というよりもここ最近、むしろウーロン茶は苦手な飲み物だった。
というのは、あのペットボトルのウーロン茶がどうも口に合わない。
飲むとどうも体の調子が悪くなるような気がして敬遠するようになっていた。 だから台湾に行っても、こちらから積極的にウーロン茶を飲もうとは思っていなかったのだ。
ところが観光で台湾に行くと、どうしてもウーロン茶を飲む機会がある。
観光スポットには必ずお茶屋さんが入っているし、ウーロン茶は台湾土産の定番でもあるのだ。
そこで入った一軒のお茶屋さんで飲んだウーロン茶が、香りもよくびっくりするほどおいしかった。

台湾でウーロン茶を飲む時、専用の茶器があってお湯をかけたり茶葉を洗ったりと、入れ方も結構めんどくさかったりする。
日本人はそこでちょっとつまづいてしまうのだが、今回入ったお店で教えてもらったやり方はとても簡単だった。
茶器は日本のものでも可。ただし小さめの急須と湯飲みを用意すること。
標高の高い産地で栽培していて無農薬で育つため安心。茶葉を洗う必要もなし。
どうしても洗いたければ、葉が充分開いてから洗わないと意味がない。
など、色々教えて頂いた。
更に、そこで売っていた専用の湯呑みは、そこに茶葉を入れ熱湯を注げばそのままウーロン茶が飲める急須要らずのすぐれもので、お茶とともに購入。今我が家で大活躍している。
そしてその湯呑みが、ウーロン茶にはまる一つのきっかけになっているのだ。
湯呑み

この湯呑み、サイズが少し小さめで形が可愛い。傾けた時茶葉が飲み口から出てこないよう先のほうが少しくびれている。その店のオーナーがデザインして台湾の焼き物の産地で作らせたオリジナルの品だそうだ。
器で料理の味が変わる事があるようで、残念ながらそういうことを実感した経験はあまりないのだが、今回はこの器のおかげで毎朝お茶を飲むのが楽しくなった。
今回の茶葉、100グラム買って一回1グラムづつ入れているので100回は飲める計算だ。
マイブーム的なものは普通100回も続くかどうか心配になるのがだが、今回はそれよりもいつ茶葉がなくなってしまうのかが心配だ。
このブーム、まだしばらくは続きそうだ。

2008年4月

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